その12-1 覚悟と無謀の差

「ササキ君ッ! 大丈夫?!」


 何か罠が発動したのだろうか?

 血相を変えて壁に駆け寄ると、マーヤは忽然と姿を消した青年の名を呼んだ。

 警戒しながらも壁画に触れた彼女のその手は、予想に反し壁面で拒まれるとひんやりとした石材の感触を脳へと伝えたのみに留まった。

 恐る恐るその表面を撫で、次にコンコンと叩いた後、マーヤは困惑するように数度瞬きする。

 やはりただの壁だ。彼はどこに消えたのだろう――と。

 

「クックック、ここにいますよ」


 やにわに、壁の向こう側から含み笑いと共に青年の声が聞こえてきた。


「よかった、無事? 怪我とかない? そっちはどんな感じ?」


 安堵の表情を顔に浮かべ、マーヤは壁に手を当てるとササキへ尋ねる。


「大事ありません、普通に道が続いていますよ。マーヤさんも早くこちらへ。さっき私がやった通りにすれば通り抜けることができるはずです」

「わかったわ」


 確か右側を向いてそのまま壁に移動だったっけ――

 マーヤは右側の壁画へ身体を向けて一度深呼吸をすると、そのままの姿勢で一歩壁に向かって横移動した。

 と、肩からぶつかる事を覚悟していた彼女の身体は予想に反し先刻の青年同様に壁の中へと吸い込まれる。


 壁の中はひんやりと冷たく仄暗った。だが何とも奇妙な感じだ。それもあまり気持ちの良いものではない。

 やや粘質な液体に包まれるような感触と共に、全身が濡れていく錯覚を覚えマーヤは思わず眉を顰める。

 ざわざわしだした背筋を堪え、さらにもう一歩左へ移動すると、まるで水面から飛び出たかのように、見慣れた迷路の光景が再び現れた。

 どうやら無事壁を抜けたようだ。そこで出迎えるように立っていたササキに気付き、マーヤはふぅ――と、息を吐く。


「上手くいったようですな」

「なんなのこれ? 一体どういう仕組みなのかしら」


 背後を振り返ると、そこにもう壁画はなく何の変哲もない無機質な壁が広がっているのみだった。

 もう一度通り抜けられるかを探ってみたが、残念ながら掌は壁面でぴたりと遮られる。

 一方通行のようだ。後戻りはできないということになるが致し方ない――

 

「隠し通路の一種でしょうな。しかし驚くべき技術だ。興味深い仕組みです」


 待っている間一頻り調べ終えていたササキは壁を見上げて答える。

 未知なる仕掛けに思わず顔を綻ばせながら、マーヤはササキを向き直った。

 

「それで、あの文が仕掛けのヒントだったの?」

「解答は歩きながらでよいですか?」

「ええ。もちろん」


 コクンとマーヤが頷いたのを確認した後、ササキは迷路を進みだした。

 彼女もその後を追うようにして歩き出す。


「先程の文は覚えていますか?」

「えっと……過ちと咎により産み落とされた魔王は我等を奈落に突き落とした。神は罰を与えたもうた。試練を与えたもうた。

 しかし神は希望も残した。我等はその希望と共に魔王と戦わん。奏でし聖なる調べに我等は全てを託す。

 合わせよう調べを、トオンの民は神と共に歩む。神器の旋律が指し示す方向へ――」

「流石ですな、大した記憶力で」

「迷路一つ丸々記憶してる人がそれいう? お世辞は良いから、答え答え!」


 揶揄するように拍手をしてみせたササキに向かって、マーヤはむっと顰め面を浮かべ先を促した。


「文自体は恐らく抒情詩の類だと思います。四面に描かれていた壁画の内容を示したものでしょうね」

「でもそれじゃヒントにならないじゃない」

「ええ。ですから最後の一文のみが仕掛けを解くヒントになっているのです。端的に言えば『神器の旋律が指し示す方向へ』『神と共に歩む』――ということになるのですが……覚えていますか? 右側の壁画には『天使』が描かれていました」

「……なるほどね。それで右を向いたってこと?」

「そういうことです」


 天使は神の遣い。この場合『神と共に歩む』とは、天使の描かれた右側の壁と向き合うということになる。

 ササキの言葉でピンと来たマーヤは喜色で顔を染めさらに言葉を続けた。

 

「なら、『神器の旋律が指し示す方向』というのは、楽器が描かれていた背後の壁画が指し示す方向ってことよね?」


 楽器の描かれた背後の壁画が指していたのは当然ながら前方の壁となる。

 つまり、天使の描かれた右側の壁を向きながら、そのまま前方の壁へ進む――これが隠された道へ進む条件になっていたわけだ。

 はたして、その通り――と、ササキは称賛の拍手を彼女へ贈る。


「ご名答。素晴らしい、一を知って十を知るとはこのことですな」

「なーんか、素直に喜べないなあ。解いたのは君でしょ?」

「クックック、しかし柏木君だとこうも早く答え合わせとはいかない」

「へぇ、カッシーそうなんだ」

「ええ。彼は頭が固いので」


 一々説明が長引くのだ――そう苦笑を浮かべつつ皮肉を口にしたササキを見て、マーヤはクスリと可笑しそうに微笑んだ。




「ヘックション!」

「ナニスンノー!? 顔にかかったデショこのバカッシー!」

「ちょっとぉ、きったないわねご飯食べてる時に……」

「んー、風邪かカッシー?」

「いや……きっとまた誰かが俺の噂を――」




「――とはいえ、あの仕掛けはかなり高度な技術によって造られたものですな。個体と液体を自在に切り替える材質……我々の世界でもそういった物は確かに生まれていますが、まだ一般に普及するレベルには到達していませんし、ましてや人間がその中を通過できるようなものなどとなると無理です」


 自分達の世界の科学技術を前提として、同等のものを造るのは恐らく難しいであろう。

 或いは魔法の類を応用したものなのかもしれないが、この短い時間でそこまで判別することは難しい。

 それに壁画に描かれていたあの人の形をした一つ目の人形も、恐らくはロボットの類ではないだろうか。


 いずれにせよ前文明は相当に高度な技術力を持っていたようだ。

 もしかすると我々の世界以上かもしれない――

 ササキは感嘆しながら広大に広がる遺跡の天井を思わず見上げた。

 

「そうなんだ。でも君達が持っている楽器も相当凄い代物だと思うけど?」

「あれは偶然の産物ですよコノヤロー、狙って出来上がったものではない」


 意図せず生まれ、原理すら説明できないものなど完成品とは言えないのだ。

 技術者として、発明者としての自尊心も手伝い、ササキは表情を微妙なものへと変えて歯痒そうに答える。

 珍しくになった彼から、それまで見えなかった人間臭さを感じてマーヤは思わず微笑んだ。


「でもトオン文明は滅んだわ。あなたのいう高度な技術力を持っていたにも拘らずね」

「そうでしたね。栄枯盛衰――といったところでしょうか」

「或いは――」

「先ほどの文ですか?」


 恐らく同じことを考えていたのであろうササキは、代弁するように被せ気味に尋ねる。

 蒼き女王は僅かに懸念の色を顔に浮かべ頷いていた。


 先刻の壁画にはこう記されていたのだ。


 過ちと咎により産み落とされた魔王は我等を奈落に突き落とした。

 神は罰を与えたもうた。試練を与えたもうた――と。

 

 そこには確かに忌むべき者の名前が刻まれていた。

 そして太古の文明から救国の剣も存在していた。


 遥かに高度な技術を備えた文明が滅んだ理由と魔王が関係しているとしたら?

 そして今、魔女は剣の力を戻そうとしている。

 やはり何かが起ころうとしているのだ――

 そこまで考えてから傍と足を止め、マーヤは右腰に収められたグランディオーソを見下ろす。


「失礼、無駄話が過ぎたようですな。先を急ぎましょうか」

「……そうね」


 と、彼女の心境を察したササキは話を切り上げると、壁の隙間から姿を覗かせていた高台を見上げた。

 ゴールは大分近づいてきている。彼の誘導があれば恐らくそう時間はかからないだろう。

 よしと頷き、マーヤはササキを追いかけるようにして再び歩き始めた。



♪♪♪♪

 



一時間後。

コントラバス遺跡、迷路のとある一画――


 クマ少年とバカ少年の豪快な、いびきが迷路に木霊している。

 一応罠がないかは確認したうえでキャンプ地を定めた。まあキャンプといっても手頃な広い場所など見当たらないため、そのまんま道に腰を下ろしただけではあるが。

 だとしてもだ。一応迷宮のど真ん中だぜ? まったく緊張感がないというか、神経が図太いというかよくこれだけ無警戒に眠れるものだ――

 地べたに大の字に寝転がり、鼻ちょうちんを膨らませて熟睡する二人を眺めながら、カッシーは深い溜息を漏らした。

 

 二時間ほど休憩。

 そう決まった後、皆は軽い食事を取ってから各自休息となった。

 そんなわけで、爆睡するこーへいとかのー以外に、東山さんも小動物のように丸まって寝息を立てているし、なっちゃんもそんな彼女と背合わせになって眠りについている。

 起きているのは我儘少年だけだ。


 目が冴えて眠れない。焦ってるのが自分でもわかる。

 なんでだ? みんないつも通りのはずだ。

 元々まとまりなくて、濃い面子じゃねーか。

 なのに何故、俺はこんな苛ついてんだろう――


 自己嫌悪に浸る様にガシガシと乱暴に後頭部を掻きながら、カッシーは壁に寄り掛かった。

 何とはなしに再び溜息が漏れる。


「カッシー……」


 と、囁くような声で名前を呼ばれ少年は顔を上げた。

 眠っていたはずのなっちゃんの眼がいつの間にか開き、こちらを見つめていたのに気づいてカッシーは憮然とした表情を顔に浮かべる。

 

「……起きてたのか?」

「何となく落ち着かなくて」


 上半身を起こして少女はお決まりの微笑みを浮かべてみせた。

 珍しい事もあるものだ。一度寝たら朝まで起きない程のである彼女が眠れないとは。

 やはり彼女も日笠さんのことが気になっているのだろうか――

 そんな事を考えながらも、だが先刻の口論を思い出して何となく気まずい雰囲気を感じていたカッシーは、返答の代わりに小さく顎を上下に動かす。

 

「カッシーこそ寝た方がいいじゃないの?」

「眼が冴えてさ……俺も同じだよ。落ち着かなくて」

「……そう」

 

 そう返事して、隣で眠っている東山さんを起こさぬようそっと距離を開け座り直すと、なっちゃんは左手に付けていた腕時計に目を落とした。

 時刻は十五時を回ろうとしている。

 遺跡に入って結構な時間が過ぎたと思ったが、まだ昼か――と、彼女は意外そうに目を細めた。

 どういう仕組みかわからないが、迷路の中は壁自体が仄かな灯りを放っているため光源の心配はない。

 だがそれ故に昼夜の感覚が段々なくなってきて、時差感覚を正確に維持しづらいのだ。

 これも罠の一つだろうか。

 まあ相当に階段を降りてきたのだから、ここは既に地下深くに位置する場所のはずだ。

 灯りがあるだけまだましと考えた方がいいのだろうか。

 こんな罠だらけの迷宮を、カンテラの灯りのみで踏破せなばならなかったら、と考えるとぞっとする――

 

 やにわになっちゃんは顔を上げた。

 と、様子を窺うように彼女を見ていたカッシーは、途端気まずそうに視線を逸らす。

 意地っ張りな少年の分かり易過ぎるその反応に、少女は思わず苦笑を浮かべた。

 そして彼を向き直ると徐に口を開く。

 

「さっきはごめん。少し言い過ぎたわ」


 ――と。

 周りに気を遣って囁くような小さな声でそう告げた少女を見て、カッシーはぽかんと口を開けたまま固まった。


 気まずい。やっぱり謝ろう。

 そう思っていた矢先に、先を越された――

 そんな言葉がありありと見て取れる表情を浮かべたカッシーに気づき、なっちゃんは堪らず、しかし声を殺して笑い出す。

 微笑みの少女のその反応を見て、我儘少年は恨めしそうに口をへの字に曲げながらそっぽを向いた。

 だが一頻り笑った後、目尻に滲み出た涙を拭うとなっちゃんは表情を真剣なものへと改める。


「まゆみを助けたいのはみんな一緒なの。だから急がなきゃって思ってる。あなたの気持ちだって理解してるつもり」

「……」

「けどこのままじゃ、彼女を助ける前に私達の中の誰かが命を落としかねない……ねえ、カッシー。私達は一蓮托生、運命共同体――それは今更言うまでもないわよね?」


 元の世界に戻るためには、もう一度皆で『運命』を演奏しなければならない。

 だから誰一人として欠けてはならない。

 目標は全員救出、全員で帰還――そのために旅を続けてきた。

 まさに彼女の言う通り、今更言われなくてもわかりきったことだ。


 焦りは禁物。覚悟と無謀は違う。

 今のあなたのそれは覚悟じゃない――微笑みの少女はそう言っているようにも感じられた。


「わかったよ……ごめん、こっちこそ悪かった」


 ぐうの音も出ないとはこのことだろう。

 小さな溜息をついてポリポリと頬を掻いた後、カッシーは気恥ずかしそうに答える。

 それを見てなっちゃんはクスリと笑うと満足そうに頷いてみせた。


「わかればよろしい。頑張りましょう^^」

「ああ」


 なんだか少し気が楽になった。

 途端、眠気が襲ってきてカッシーは大きな欠伸を一つ吐く。

 だがしかし――

 

 期せずしてその表情は訝し気なものへと変化する。


「どうしたのカッシー?」


 やにわに迷路の奥を向き直り、目を凝らした少年に気づきなっちゃんは尋ねた。

 だがカッシーは片手を上げて少女を制する。

 

「……なんか聴こえないか?」

「何か?」


 囁くようにそう告げた我儘少年に従い、なっちゃんも通路の奥に向かって耳を澄ました。


 と――


 それは、耳を澄まさなければ聞こえない程の小さな音だった。

 だが確かに聴こえたのだ。

 もう一度、今度は息も殺し、目も閉じながら微笑みの少女は耳を澄ます。

 

 やはり聴こえる。

 覚えのある音――いや、だった。


 そう、それは今まさに病に伏せている少女が、何時も音楽室で奏でていた楽器の音色。

 長く太い管の中で錬成され放たれる低く澄んだ木管楽器の音色。

 


 天然の大空洞ホールに微かに共鳴しながら、二人の耳に聴こえてきたそれは――

 

 まさしく、ファゴットの音色だった。

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