その11-2 壁画が語る真実と歪み

 確認するように鞘からグランディオーソを抜き放ち、マーヤは刀身を翳すと壁画に描かれていた剣の絵と比べるようにして交互に眺める。

 やはり似ている。光は放っていないものの、柄の部分の装飾といい、その刀身に刻まれた古代の文字といい、この壁画の剣はグランディオーソで間違いないだろう。

 ということは、つまり――

 

「この剣が遥か古代の文明から存在していたってことよね?」

「そういうことになりますな」


 と、呟いたマーヤにむかって、同じく壁画を眺めていたササキが相槌を打つように答える。

 

 争うように向かい合う人間と悪魔。さらには一つ目のロボット。

 大樹に天使、そして救国の剣。

 実在する剣が描かれていたということは、この四面に描かれた絵が、何かの空想や絵物語ではなく、歴史を語っている可能性があるということだ。

 まあ死神や吸血鬼もいるのだし、魔王もいたというし、今更だが天使やロボットが実在していたとしても不思議ではないだろう。


「――ですが失礼ながら……私にはその剣よりも、こちらの方が驚きですコノヤロー」


 そう言って彼は大樹の周りに描かれた天使の絵に触れる。

 そして、やや興奮気味に口元を歪ませた。

 

 嗚呼、やはり――と。

 

 ササキが触れたその天使を何だろうと眺め、はたしてマーヤも感嘆の吐息を漏らす。

 彼が触れたその天使は、前方の絵に描かれていた天使が持っていないものを、その両手で抱えていたのだ。


 それは茶色い瓢箪形の胴体に四本の弦を張り、長い角が突き出た物体。

 天使は大事そうにそれを抱え、右手に持った弓を弦に添えている。

 そう、即ち――

 

「……ナツミちゃんが持っていた楽器?」

 

 どこかで見たことがある――と、記憶を辿っていたマーヤは彼の仲間である、髪の長い少女のことを思い出しながら尋ねた。

 その通りとササキは頷いて見せる。

 

「御存じでしたか、チェロという楽器です」

「カッシー達がヴァイオリンに来た時に一度見せてもらったことがあったから……でも待って。これ一体、どういうこと?」


 そこまで考えてから、マーヤは目をまん丸くしてササキを振り返った。

 ありえない――そう言いたげに。

 だがその瞳は想像もし得なかった事実を目の当たりにし、どことなく高揚の色を放ち始めている。


「流石ですね、もうこの壁画が伝える情報が何を意味するかに気付かれるとは」

「信じられない……どうして君達の楽器がこの壁画に?」

「ええ、そうなのです。この壁画には我々の持つ楽器も描かれているのですよ。


 やはり聡明な女性だ。天真爛漫に見えて、その実洞察力に富んでいる。もう辿り着いたか――

 ササキは感心しながらもう一度頷くと、答え合わせをするようにそう告げた。


 はたして、鬼才の生徒会長の言うとおり、その壁画に描かれていたのはチェロだけではなく、ヴァイオリン、ヴィオラ、トランペット、ホルン、フルート、コントラバスにチューバ――つまり神器の使い手と呼ばれる異世界の少年少女達が持っている楽器だったのだ。

 それらをまるでアンサンブルでもするかの如く、大樹を囲む天使達が奏でる様が描かれている。

 

 彼等は異世界から来た存在。そして彼等が持つ楽器も当然異世界のものだ。

 にも拘らず、二千年前に描かれたのであろう目の前の壁画には、その異世界の楽器が登場しているのである。

 これが何を意味するか――

 

「確認ですが、この大陸には我々の持つ楽器の類は存在しない――それで合っていますかな?」

「ええ。そのとおりよ……なのに何故――」

「クックック。あまり深く考えず、シンプルにそのまま結論づけて良いと思いますがコノヤロー」

「シンプルに?」

「ええ」


 そうだ。なのだから。のものなのだから――

 一歩下がり、ササキは壁画を俯瞰で眺めながら顎を撫でる。

 

「単純に、二千年前の文明には今と比べて多種多様な楽器が存在していた――そう考えて良いのでは?」

「君達の世界の楽器とそっくりなものでも?」

「話すと長くなるので割愛しますが、確かに我々の持つ楽器は特別な力を帯びています。ですがそれは後天的なものでしてね、楽器そのものは特段珍しいものではないのですよ」


 例えば、ヴァイオリンやチェロなど長い歴史の中で洗練されてあの形と音色に至った。

 それは普遍的であると共に必然的な結果であり、人類という種が『音』を求める限り行き着く先なのだ。

 故に、世界が異なれど似た形状のものが生まれる可能性はある。現に用途や目的は違えど、この世界にはラッパや横笛が存在しているのがその証拠だ。

 そして忘れてはならない。この世界は、とある女の子が書いた物語とそっくりな世界であるということ。

 ならば、太古の昔に栄えた文明の中に、益々もって我々の世界の楽器と相似するものが存在していたとしても不思議でないのではなかろうか――ササキはそう考えているのだ。


 だからこそ、疑問に感じていることがある。

 それはこの世界に迷い込んでから、彼がずっと感じ続けている違和感の理由の一つでもあった。


「むしろ、不自然なのはこの時代――いえ、この大陸だと思うのですが?」

「……何が言いたいの?」


 もしかしてまたこの子、私のことを量ろうとしている?――

 どことなくその発言が含んだ言い回しに聴こえて、マーヤは挑戦的な笑みを浮かべ尋ね返した。

 はたして後ろに手を回し、ササキは話を続ける。


「『音楽』という文化は、なのです。恐らくにおいても――ね。ですがこの大陸にはそれがない」


 音を鳴らすという行為は原始的なものだ。それこそ人間の本能とも言うべきものである。

 故に文明が発展すればそれに伴ってまず楽器が作られ、『音楽』という文化が生まれるのが、もはや必定と言っても良い自然の摂理なのだ。


 ペペ爺の書斎の本で調べた限りでも、この大陸の文化水準は自分達の世界でと比較して少なくとも中世の欧州並み、いや以上には到達している。

 にも拘らず、この大陸では『音楽』という文化だけが驚くほど発展していない。


 博識なあの老人ですら楽器を稀有の眼差しで見ていたし、あってせいぜい原始的な構造のもののみ。

 その用途に関しても何かの合図程度にしか使っていないというありさまだ。


 『奏でる』という発想に何故至らないのか。『曲』を作ろうと何故思わないのか。

 この大陸に住む人々には、『楽器』という存在自体が、『音楽』という文化自体が、潜在意識的に禁忌タブーとされているように見て取れるのだ。


「これだけの水準を満たしていながら『音楽』という文化だけが発展していない。ありえないことなのです。そしてこの壁画を見て、過去に楽器が存在したことを知り、私はことさら違和感を覚えました」


 例えるならばそう、『音楽』という文化のみが、――

 或いは消しゴムで掻き消されたような――


 そんな得体の知れない歪みが現在の大陸にはある気がする。

 ササキはそう思うのだ。


「失礼、気を悪くされましたか?」

「いいえ。面白いこと考えるなって思っただけ」


 捉え方によってはこの大陸で生活する人々を見下す発言にもとれる見解を示したササキに対し、だがマーヤは静かに首を振って答える。

 むしろ怒る様子はなく、益々もって目の前の青年に向けて興味と好奇の眼差しを送っていた。


「つまり、この大陸の文明が不自然に歪められている――君はそう言いたいのね?」

「ええ。そして、その原因が前の文明に関係あるとしたら?」

「トオン文明に?」

「壁画を見る限り楽器は確かに存在したのです。それが忽然と消えたのですよ? 何かあったと疑うべきでしょうコノヤロー」


 実に興味深いことだ――心底楽しそうにそう言って、ササキはマーヤの顔を覗き込む。

 そこで饒舌になってしまった自分に気付いたのだろう。バツが悪そうに咳をして誤魔化すと、鬼才の生徒会長は再び壁画に目を凝らしたのだった。

 そんな彼を見て、マーヤは可笑しそうにアハハ――と笑う。

 

「君はきっといい学者になるよササキ君。目指してみたら?」

「光栄ですなコノヤロー、女王からお墨付きをいただいた」

「なかなか興味深い話だったわ。でもやっぱり私にはぴんとこないなぁ」

「まあそうでしょうな。あなたにしてみれば、楽器というものを意識したのもつい最近、我々と会って以来でしょうし」


 いきなり『あって当然』といわれても、彼女にしてみれば『なくて当然』という世界でこれまで過ごしてきたのだ。

 意識せずにいた楽器や音楽について実感がわかなくて当たり前である。

 小首を傾げ、困ったように眉をハの字にしたマーヤを見て今度はササキが苦笑する番であった。


「仮説の範疇を超えない話ですので、どうぞお気になさらず。それよりこの部屋の仕掛けですが――」

 

 閑話休題。今は先を急ぐのが先決であった。

 幾分話がそれてしまったことを反省し、ササキは踵を返すと部屋の中央へと歩いて行く。

 そして四方の壁画を今一度眺め終えると、確信を得たように不敵な笑みを浮かべたのだった。


「何かわかった?」

「マーヤさん、今あなたの前にある壁画に大樹が描かれているでしょう? その幹をご覧いただきたい。何やら彫られていませんか?」

「……ええ。彫られているわ」


 言われるがまま、絵の中の天使が囲う大樹の幹へ視線を落とし、マーヤは返答する。

 それは音符記号にも似通った、丸と線で表記された踊るような記号であった。


「よくこんなの見つけたわね」

「クックック、は得意でしてねコノヤロー。恐らく文字かと思われるのですが、私には読むことができなった。マーヤさんはどうですか?」

「無理もないわね、これトオン語よ。前文明で使用されていた言葉」


 撫でるようにして文字に指を這わせながらマーヤは目を見開く。

 オラトリオ大陸で使用されているのはハオン語で、トオン語は現在では使われていない言語だ。

 文字としての意味や文法は伝わっているものの、口語としての発音は記録が残っておらず、目下オラトリオ大学の考古学者達が解明中である。


「ほう道理で。言語学はどうにも専門外でしてね、できれば解読をお任せしたいのですが」

「読める範囲になっちゃうけれどいいかな?」

「お願いしますコノヤロー」


 もうかなり前の話だが、王族として都住まいすることが決まった際受けることになった、マナーや教養もろもろ勉強の中で、トオン語についても少しだけ習ったことがある。

 あの時は何でこんなもの習わなきゃいけないのかってうんざりだったけれど、まさか使う機会が来るとは――マーヤは当時の教育係に感謝すると共に、よしと気合いを入れて文字の解読を始めた。

 

「えっと……過ちと咎により……産み落とされた魔王は……我等を奈落に突き落とした。神は罰を与えたもうた……試練を……与え……たもうた――」

「……」

「――しかし神は希望も残した……我等は……その希望と共に……魔王と戦わん――」

「……」

「――奏でし……聖なる調べに……我等は全てを託す……合わせよう……調べを――」

「……」

「――トオンの民は……神と共に歩む……神器の……旋律……が指し示す方向へ――これで終わりみたい」


 魔王? 何だかあまりよろしくない内容ね――

 なぞり終えた指を壁画から離すと、マーヤはササキを振り返る。

 と、顎を撫でながらマーヤが読み上げる内容に耳を澄ませていたササキは、やがて口の中でくぐもった唸り声を一つあげると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせた。

 下衣の裾を払いながら立ち上がったマーヤは鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきで、思わずため息を吐く。


「もしかしてもう何かわかったの?」

「ええ、まあ」

「……冗談でしょ?」

「……なんですその顔は?」

「……別に」


 せめて自分にも、もう少し考える猶予を貰いたいものだ。

 これじゃ楽しみ全部、彼に持って行かれてしまう。頭の回転が速いってのも考えものだなあ――

 とても口には出せない英雄らしからぬ不満を心の中で抱きながらマーヤは口を尖らせる。

 と、露骨に機嫌が悪くなった彼女に気付くと、ササキはやれやれと肩を竦めてみせた。


「もう少し待ちましょうかコノヤロー?」

「……いらないわそんな情け。それで答えは?」


 次こそ見てなさいよ?――

 そう言いたげに双眸を細めてササキを見据えながらマーヤは解答を求める。

 挑戦的に蒼き女王に促され、ササキは苦笑を浮かべると徐に前方の壁画に歩み寄った。

 そして大樹の絵に手を当てると、身体を右側の壁画へと向ける。


「これであっているはずですが、さて――」


 やにわに彼はそのままの身体の向きで、一歩左――つまり壁に向かって足を踏み出したのだ。


 刹那――

 目の前の壁に吸い込まれるようにして、ササキの姿が消える。

 

 

「ササキ君ッ?!」


 忽然と部屋から消失した鬼才の生徒会長の名を、マーヤは思わず叫んだ。

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