その11-1 親切な迷路
遺跡到着より五時間経過。
侵入者が誰だろうと罠は平等に襲い掛かる。
ようこそ古代の迷宮へ。歓迎するように侵入者へ襲い掛かるトゲ格子、落とし穴、迫る壁、飛び交う矢の雨。
這う這うの体、辛うじて、ギリギリに――形容はさまざまであったが、トラブルの女神様に愛されつつある神器の使い手達は、何とかそれらを切り抜けここまで進んできていた。
されども、未だゴールは見えず。
「くそっ……」
壁の狭間からちらりと覗く高台を見上げ、カッシーは悔しそうに呻く。
近づいたと思ったら曲がり角でまた離れてしまう。
迂回して目指しても、気づけば同じ場所に戻っている。
一向にゴールが見えてこない。
それに入る前は気づかなかったが、迷宮内は思っていたより視界が悪い。
高さおよそ十メートルの壁は、軽く四階建てのビル並の高さだ。周辺の様子を伺い知ることはほぼ不可能だった。
はたして、高台を目印にして進めば何とかなるだろう――そう考えていた彼等は、あっという間にその方向感覚を奪われてしまう。
些か甘い目論見だったようだ。そう気づいた時にはもう遅かった。
高台など稀にしか垣間見る事ができず、そして道を覚えようにも迫る罠に拒まれ集中することもままならず。
迷路に入っておよそ四時間、彼等は完全に遭難していたのである。
現在位置が何処なのか?
自分達は進んでいるのか、はたまた後退しているのか?
それすらもわからず、加えて油断すればたちどころに襲ってくる罠に備えなければならない緊張感。
だがそれでも、進むしか選択肢はないのだ。
このままではまずい。どうすりゃいい?――
迫る刻限により募る焦燥感と反比例して、皆の口数は徐々に減っていく。
既にここ一時間ほど誰も口を開いていない状況だった。
と――
「ねえ、柏木君――」
今まで続いていたその沈黙を破ることを憚るように、躊躇い気味の声が投げかけられる。先頭を歩いていたカッシーは返事すらせず、代わりに苛立たし気にその声の主である音高無双の少女を振り返っていた。
「少し、休まない?」
僅かの間を置いた後、彼女は告げる。
いつも気丈で弱音を吐かない彼女には珍しく、やや遠慮がちな口調だった。
だがその提案に対し、カッシーは難色を示す。
「休んでる暇はないだろ? 日笠さんはどうなるんだ」
「でも――」
「もう少し進んでみようぜ、いいよな?」
彼女が人一倍自分に厳しい性格なのは、誰もが知っている。故に彼女が我が身可愛さに休憩を提案したのではないことなど、重々承知だ。
だが、こうしている間にも日笠さんの病状は進んでいっている。
既に現時点で三日が経過している。この迷路を踏破するのに果たしてどれだけの時間がかかるかもわからない。
一秒ですら無駄にできないのだ――
なおのこと食い下がろうとした少女の言葉を、カッシーは胸の内を焦がす不安から、声を荒げながら遮った。
そしてやり場のない焦りを彼女にぶつけてしまったことに気付き、気まずそうに視線を逸らす。
東山さんは眉間にシワを寄せ、それ以上何も言わず俯いてしまった。
現状は十分に理解しているし、まとめ役の少女の容態を憂う気持ちは、目の前の我儘少年と変わらない。それに理由はどうあれ、自分のせいで結果的にヴァイオリンを早々に脱出しなければならなくなっていた負い目もあった。
だから今まで黙っていた。逸る彼の気持ちを汲んで、できる限り強行していた。
けれど、流石に皆限界ではないだろうか。
やはり、言うべきだ――
そう思いなおし、東山さんは再び顔をあげる。
「少しは空気を読んだらどう? 周りが見えてないにもほどがあるわ名誉騎士さん?」
かくして彼女が抱いていた懸念は放たれた。
だがそれは二人の会話を聞きながら黙々と後ろを歩いていた、微笑みの少女の声色に乗って、であったが。
それも、幾分の毒気を含んだ歯に衣着せないストレートな物言いへと変換されていたことを追記しよう。
いつも通りの微笑みを顔に浮かべ、しかし決して笑ってはいない、むしろ諫めるような瞳を真っ直ぐに少年へと向け、なっちゃんは佇んでいた。
久々に彼女の毒舌
「どういう意味だよなっちゃん?」
「そのまんまの意味よ。流石にみんな限界。少し休むべきだと思う」
「さっきも言っただろ? 日笠さんがどうなってもいいっていうのか? それわかってて言ってんだろうな?」
「わかってるに決まってるでしょう、だから言ってるの!」
と、なっちゃんは腰に手を当てカッシーを覗き込むようにして顔を近づけると、有無を言わさぬ口調で被せ気味に言い放った。
「チェロ村を発ってから昼夜通して強行でここまで来てる。みんな碌に食事もとっていないし、睡眠もとれていない」
「それくらい我慢しろよ」
「我慢? 我慢して誰かが怪我したらあなた責任とれるの? こんな疲れ切った状態で罠だらけの迷路を進むなんて無謀すぎるわ」
「うっ、それは――」
「こーへいなんか丸一日以上寝てないんだけど? それ、忘れてないでしょうね?」
「……っ」
言葉を濁しながら、カッシーはちらりとなっちゃんの背後にいたこーへいの様子を窺う。
件のクマ少年は、こちらの口論を眺めながらぼんやりと紫煙を燻らせていた。自分が話題にあがっていることに気が付いていない様子だ。
元々マイペースでのほほんとしているために、あまり変化が見てとれないが、いつもよりシパシパと瞬きの回数も多いように感じる。心なしか表情も疲労困憊しているように見えなくもない。
そう言えばそうだった。あいつ何も言わないからすっかり忘れてたが、うちらが仮眠取ってる間も、徹夜でここまで運転してきたんだっけ――
なっちゃんの発言でようやくその事に気づき、カッシーは気まずそうに口をへの字に曲げる。
「二時間でいいわ、休憩にしましょう?」
反論は認めないから――まるでそう告げるように真っ直ぐにカッシー見つめ、彼女は決して視線を逸らそうとしなかった。
喉奥から込み上げてくる言葉は、どれも感情に任せた子供じみた反論のみだ。必死にそれらの言葉を飲み込み、カッシーは拳を握りしめなっちゃんを睨みつける。
だが、ややもって彼は頭の後ろを乱暴に掻き毟りながら、諦めたように視線を床に落とした。
「わかったよ。ちょっとだけだからな……」
「流石名誉騎士様。寛大なお心に感謝致します^^」
「うるせえよ、その言い方やめろっつの!」
不貞腐れたように口を尖らせ、カッシーはその場に胡坐を掻くとそっぽを向く。
ようやくもって視線を緩め、なっちゃんはいつもの様子でクスリと微笑むと、東山さんを向き直った。
「と、いう訳でちょっと休憩」
「ありがとう、なっちゃん……」
「気にしないで、私が休みたかっただけ。あーもうお腹ペコペコよ、暖かいものが食べたいな」
助かった――そう言いたげに顔を綻ばせ、小声で告げた東山さんに対し、なっちゃんは器用に目配せをしてみせると、努めて彼女に気を遣わせないように首を振ってみせた。
「わかった、今なんか作るわ」
「ふふ、期待してる」
「ドゥフォフォフォー! ゴハーンディース! ヒャッホーイ!」
「かのー、あなた勝手に食料つまみ食いしてたでしょう? その分減らすからね?」
「ドゥッフ……酷い」
たくっ、急に元気になりやがってあいつらは――
そんな彼等をちらりと眺め、カッシーは深い溜息と共に頬杖をつく。
しかし、途端に盛大な音をたてて空腹を訴えはじめた自分の腹に気づき、それこそ顔が後ろを向くくらい恥ずかしそうにそっぽを向き直していた。
と――
「うーっす、お疲れさーん」
聞き馴染みのある、のほほん声に呼ばれ、我儘少年は表情を和らげると目の前に立っていたクマ少年を見上げる。
「こーへい……あーその……」
「んー?」
「お前平気か?」
「まあちょっと眠いけどなー? へーきへーき」
徹マンで慣れてるから問題ない――
ぷかりと煙のわっかを宙へと放ち、こーへいはにんまりと笑って答えた。
「その……悪かったよ。おまえが寝てなかったの忘れてた」
「おー? 大丈夫かカッシー? どっか頭打ったんじゃね?」
「う、打ってねえっつの!」
恥ずかしそうに頬を赤くしながら、カッシーは『いっ!』と歯を剥いてクマ少年に言い返した。
だがこーへいは猫口を浮かべながら小さく首を振り、咥えていた煙草を揉み消すと我儘少年と同じく頬杖をつく。
そして食事の支度を始めた東山さんとなっちゃんをちらりと眺めた後、再びカッシーを向き直った。
「いーっていーって、気にすんなよなー? 名誉騎士様よー」
「その言い方やめろ……」
「なー、カッシー?」
「ん?」
「一人であんま気張るなよな?」
「……ああ」
「んー、よかよか。んじゃ、俺ちょっと横なるわー。おやすみ」
言うが早いがゴロンと横になり、こーへいは大きな欠伸を一つ吐くと頭の後ろで手を組んだ。
腹を上下させ、クマ少年は冬眠するが如くあっという間に大きな寝息を立てて眠りにつく。
おい、寝るの早すぎだろ。ていうかやっぱ眠かったんじゃねーか――
やれやれと溜息を吐き、カッシーは口をへの字に曲げた。
やにわに再度情けない音を響かせ腹が鳴る。
腹部をさすりながら壁に寄りかかると、カッシーは仄かな放つ大空洞の天井を見上げ悔しそうに拳を握りしめた。
いつも通りにやってるはずだ。
なのにどうしてこう、
♪♪♪♪
同時刻。
コントラバス遺跡、カッシー達の場所から数百メートル南西――
「ふむ……」
静かに足を止めると、ササキは顎を撫でながら腕を組む。
彼が今いる場所はおよそ10メートル四方の小部屋だ。道はそこで途絶えていた。
道が不意に開けたと思った途端、出現したその部屋の中央に佇み、鬼才の会長は何とも不可解そうに、そして何とも意外そうに双眸を細める。
「行き止まりかな」
「そんなはずはないのですがね……」
後から部屋に入ってきたマーヤが彼の背中に向かって尋ねると、ササキは思案を続けながらも即答した。
と、惑いなくそう答えた彼をちらりと見やり、マーヤも不可思議そうにふむり――と息を吐く。
「ねえ、ササキ君。ここに入ってからずっと思ってたんだけど」
「なんでしょう?」
「もしかして君、この遺跡来たことあるとか?」
「いいえ、初めてきましたが?」
「ならどうしてそんな
ついさっき、彼はこう言ったのだ。
断言だった。自信に満ちていた。
そして彼のその言動は今に始まったのではなく、この迷宮へ足を踏み入れてから終始であったのだ。
事実、たとえ分かれ道に至ろうとも、ササキはまるで答えがわかっているかのように躊躇なく道を選び進んでいた。
はたして、二人はたった今眼前に現れた行き止まりを除き、あろうことか一度たりとも足を止めずここまでやって来ていたのである。引き返すこともなく、道を誤ることもなく――だ。
まあ途中幾度かトラップが発動することはあったものの、そこはマーヤの機転とササキの冷静な洞察力により無難に回避していたが。
とはいえだ。単なる勘とも思えない。
出会って間もないものの、今までの言動から彼が根拠もなくそのような発言をする人物ではないことは、マーヤもなんとなく解りかけている。
なら、この自信は一体何なのだろう? 冗談めかして言ってみたが、まさか本当にこの迷路に足を踏み入れたことがあるとか?
いや流石にそれはないはずだ。だって彼等は神器の使い手達、数ヶ月前に異世界よりやってきたばかりなのだから。
だとすれば一体?――
疑問を抱きながらも彼の誘導に従ってここまで来ていたマーヤは、抑えきれなくなった好奇の感情を顔に浮かべ、ササキを覗き込むようにして尋ねる。
「知っているようだ――ではなく、
ああ、そのことか――
と、鬼才の生徒会長は構わず部屋を見渡し続けながら抑揚ない口調で返答した。
「知っていた? 一体どうやって?」
「あなたもご覧になったじゃありませんか。この迷宮に入る前に――」
途端、狐につままれたような顔つきになると、マーヤは目を点にしながら動きを止める。
そしてややもってから思わず感嘆の溜息を一つ吐き、恐る恐る口を開いた。
「まさか……入口にいたあの一瞬で迷路の全貌を記憶したってこと?」
「
「呆れた。そんなことできるの、多分君だけだと思うけど?」
「幾何学的で一定法則のある迷路など、
そこまで言ってからようやくマーヤを向き直り、ササキはお決まりの不敵な笑みを口の端に浮かべてみせる。
正直もっと時間を取られると覚悟していたのだがこれ幸いだった――と。
あの台地に滞在したのなんて正味五分程度だったはずなのに。
だが確かにここまでの道程を思い返せば、あながち信じられない話でもない。
まったくもはや笑うしかない。神器の使い手達って、一癖二癖ある子ばっかね――
改めてササキのずば抜けた才能を垣間見て、マーヤは楽しそうに感嘆の笑い声をあげた。
「ちなみに、今我々がいる場所はゴールの高台から直線にして百五十二メートル……失礼、オクターブでしたか。XYそれぞれを-500~500の座標に変換し、入口を0,-500の基準として換算すると102,478あたりとなります」
「さっぱりわかんない」
「クックック、ゴールまで近いということですよ」
瞼の裏でイメージするように目を閉じ諳んじたササキは、再び双眸を開くとゆっくりと三方を覆う壁のうちの一つに歩み寄る。
「そして、私の記憶が確かならばこの先に道は存在していました」
「そうなの? それじゃ――」
「ええ。何か仕掛けがあると考えた方が良いですな。どう見ても
そう言って振り返ったササキに対し、マーヤは同意するように頷くと、三方の壁を順番に一瞥する。
はたして、彼の言うとおりその部屋は、今まで通ってきた無機質な迷路の壁とは異なり、今までになかったものが
それは即ち、壁一面に広がる絵だった。
所謂壁画である。
左右、そして正面の壁一面に描かれていたそれは、壁によって全く異なる色調、雰囲気を漂わせていた。
だがそのどれもが、観る物の感情を揺さぶる、ある種のメッセージが込められているようにも取れる神秘的な絵であった。
二人から見て右側の壁画は、輝く太陽の周りを羽の生えた女性――所謂天使らしき人物達が楽しそうに舞っている神々しい画で、基調は白と光。
左側の壁画は右と対照的に、真っ黒な壁一面に角の生えた獣――所謂悪魔らしきが化け物が群がり、逃げ惑う人々を追いかけている画で基調は黒と闇。
一際大きな悪魔が中央に佇んでおり、群がる化け物を従えるように、両手を上げて吠えている様が描かれている。
そして正面に描かれていたのは、闇と光それぞれを象徴するように半々混ざった灰色を背景にして、堂々と描かれた大樹の壁画で基調は緑と灰。
その根元では左の壁に描かれていた悪魔と、一つ目のロボットらしき群れを率いた人間達が争うように絡み合っている描写がある。
「意味ありげな壁画ね」
「何かの話を表現しているようにも見えます」
確かにこれら三枚を併せて物語を描いているようにも取れなくはない。
これひょっとして、少し面白くなってきた?
恨むわけじゃないけれど、ササキ君のおかげで迷路の楽しみも味わうことなく、すいすい来れちゃったし、正直物足りなく思っていたのよね――
などと口に出していうにはやや憚れる、不謹慎な事を考えながらマーヤは笑みをこぼす。
そんな彼女を見て、大分その本質を分かりかけて来ていたササキは、呆れたように片眉を吊り上げた。
そしてそのまま踵を返し、今しがた入って来たばかりの部屋の入口を向き直る。
「……そして背後にもう一つ――」
そう言って彼はゆっくりと入口へ歩みより、その上部に描かれていた壁画を見上げた。
「ここにも……壁画?」
まだあったんだ。入って来た時は気が付かなかった――
ササキの声に導かれるようにして同じく振り返ったマーヤはささやくような吐息を漏らす。
背後に描かれていた壁画。
それは前方の壁画と同じく大樹の絵が描かれていた。
一見すると変わらないその内容はしかし微妙に異なっていたのだ。
前方の壁画に描かれていなかったもの。
それは銀色の光を放ち大樹の根元に突き刺さる一振りの剣であった。
「これって――」
足早に壁画に歩み寄り、その剣の絵を見下ろしながら蒼き女王は驚きの声をあげる。
そう。
象牙のように白い刀身に幾重もの音符のような文字が刻まれた、銀色の光を纏うその剣はまさしく今彼女の腰に携えられている救国の剣――
グランディオーソそのものであった。
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