その10-2 前途多難で五里霧中
コントラバス遺跡、最奥の高台――
「モミ様モミ様! 大変ですぅー!」
壁を刳り貫いて作られた通路を、小さな紅い光の球が飛んでいく。
それは光の粉を振り撒きながら奥にあった建物の前に飛び出すと、大きな円を一度描き上空で停止した。
光の球は呼びかけに対する応答を待つように建物入り口の様子を窺っていたが、やがて何の反応もない事を確認すると、紅い光を明暗させ、再び光の粉で宙を彩りながら建物の窓に飛び込む。
およそ十メートル四方の部屋の中は、外の迷路同様に壁自体が光を放っており、松明のような光源がなくとも明るかった。
部屋の中央に置かれた大きな鉄の窯の中では正体不明の青い液体がぼこぼこと泡を立てて煮えている。
その窯を囲むように、四方にはぎっしりと本の詰まった背の高い本棚がずらりと並んでいたのだった。
しかしそこに人の気配はなく、紅い光の球はまるで周囲を一瞥するようにその場でくるんと回転する。
「モミ様ー! いないんですかぁーっ!? ねえー! モーミーさーまー?」
と、やにわに紅い光が粉と共に消え去ると、中から女の子が姿を現した。
光と同じ、紅い髪に、紅い瞳、そしてこれまた紅いワンピースに身を包んだ少女だ。
訂正しよう。
なにせその少女の身長はおよそ十五センチ程だったからだ。
よくみると耳も横に長く先がつんと尖っており、その背中には薄く透明な蝶の如き四枚の羽が生えていた。
妖精――神器の使い手達がいた世界の御伽噺の中でそう呼ばれている空想の生物のような姿をその少女はしていたのである。
「うるせえなあ、そんな大声出さなくても聞こえてるよ」
程なくしてハスキーな女性の声が、妖精少女の呼びかけに面倒臭そうに答える。
刹那、少女の目の前の空間が不自然に歪んだかと思うと、それは人の姿へと立ちどころに変容し、ギロリと見下ろしたのであった。
「もう、モミ様いたなら返事してくださいよー! 探しちゃったじゃないですかぁー!」
「ちょっと調べものしてたんだよ」
そう答えると、現れたその人物は鬱陶しそうに舌打ちする。
身長およそ百八十センチ程の紫陽色のローブで頭から爪先まで全身を覆った女性だった。
『女性』――かなりの背丈にも拘わらずそう断定できるのは、ローブの上からでもわかる程ボディラインによるものだ。
胸の部分はふくよかな丘ができていたし、腰の括れも臀部の膨らみも見事なほどに均整の取れた身体つき。
「んで、なんだよ一体?」
「聞いてください。大変なんです!」
「さっきからそれしか言ってねえぞ。大したことなかったら煮て食ってやるからな?」
さっさと用件を言え――
はたして、現れたコントラバスの魔女――トモミ=コバヤシは、フードの隙間から覗かせたしっとりと濡れ光る厚いの唇を軽く尖らせ、泣きほくろが蠱惑的な、紫のアイシャドウで彩られた切れ長の目元から鋭い眼光を放ち、妖精少女を睨みつける。
並の者ならその眼力と全身から迸った魔力に足がすくんで動けなくなるほどの威圧だった。
しかし妖精少女は魔女の威圧をもろともせず、彼女の鼻先にふわふわと浮きながら負けじと頬を膨らませてみせる。
「お客様です。お客様!」
「客? またか?」
「はい、またです。さっき遺跡に入ってきました!」
あどけなさが残る顔に満面の笑みを浮かべ、妖精少女は嬉しそうに万歳をしながら魔女へと告げた。
だがトモミは僅かに双眸を細めたのみで、不機嫌そうに紫色の唇を一文字に結ぶと、踵を返し中央の窯へと歩み寄る。
「あの~……モミ様?」
予想していたものとは違う反応が返って来て、妖精少女は途端笑みを消すと困ったように首を傾げてみせた。
ややもってトモミはちらりと少女を振り返り、思案を続けながら口を開く。
「数は?」
「五人ですね、えっとぉ……男性三名、女性二名」
「若い女か?」
「若いといえば若いですけど――でもまだ子供って感じだったかな。あ、
腕組をしながら、む~――と、可愛い唸り声をあげて記憶を手繰り妖精少女は答えた。
「なんだ違うのか」
と、魔女は失望したように溜息を吐くと、再び窯の中身へ視線を戻す。
その素っ気ない態度に、妖精少女は不満そうに口を尖らせると、羽ばたきしてトモミの正面へと回り込んだ。
「へ? 違うって?」
「別に……こっちの話だ」
「ねえ、モミ様。一体誰を待っているんですかぁ?」
「ああん?」
「だって今まで遺跡へやってくるお客様なんて見向きもしてなかったじゃないですか。それが今年に入ってから急に、人が来たら知らせろ――って言いだすし」
「お前には関係のない話だ。あとそのお客様っていうのをやめろ。私は別に歓迎してねえ!」
妖艶な顔立ちをまるでレディースの総長の如く歪め、トモミはフン――と大きな鼻息を苛立たしげに吐く。
素直じゃないなあ――と、妖精少女は呆れ気味に口を尖らせた。
「でも、どうするんですかぁモミ様?」
「何がだ?」
「お客様ですよぉ。今いる子達です」
「いつも通りだ。放っておくさ」
「いいんですかぁ、まだ子供ですよぉ? 危険だと思いますけどー? きっと罠にかかって死んじゃいますよ?」
「子供だろうと私の知ったこっちゃない。覚悟の上で入ってきたんだろ?」
「でもぉ――」
「私は俗世から関わりを断つ為にここに来たんだ。こちらから関わる気は毛頭ない!」
「……ご、ごめんなさい。」
途端、その身より魔力を迸らせながら、トモミは龍の唸り声のような低い声で告げる。
まずい、琴線に触れちゃったかな――と、妖精少女は顔に縦線を描きながら宙で仰け反った。
と、自らの感情の昂ぶりに気づいた魔女は、慌てて魔力を抑えると、誤魔化すようにコホンと一度咳払いをする。
「フン、まあいい。引き続き監視は続けろ。ちょっと訳アリなんでな」
「は、はいっ!」
背筋をピンと伸ばして敬礼をすると、妖精少女は空中で一回転した後部屋を飛び出していった。
一人残ったトモミは、それを見送ると腰に手を当て、もどかし気に色気ある吐息を漏らす。
「たくっ、おっせーなーマーヤの奴……まさか約束忘れてんじゃないだろうな……」
ぼそりと呟くと、トモミは部屋の奥へと姿を消していった。
♪♪♪♪
コントラバス遺跡地下。
「ついたわ。ここがコントラバス遺跡」
あの頃と変わってないな――
階段を降りきり台地へと足を踏み入れたマーヤは、眼前に広がる大迷宮を一望して心底楽しそうに顔を綻ばせた。
その後ろに静かに足を運び、ササキは感嘆とも辟易ともとれる唸り声を一度あげる。
そして腰の後ろで手を組むと、迷宮を端から端までゆっくりと眺めた。
「ふむ、これがコントラバス遺跡の真の姿……というわけですか」
「そう、トオン文明が造った大迷宮」
「先人達は相当暇だったようですなコノヤロー。実に面倒くさい物を用意してくれた」
背後から聞こえてきた皮肉の混じったその声に、マーヤは思わず苦笑する。
「魔女はゴールのあの高台にきっといるはず……覚悟はいい?」
「お手柔らかに頼みたいものです。肉体労働は苦手でしてね」
「あら、ならここで待ってる?」
マーヤはササキを振り返る。
鬼才の生徒会長は、目まぐるしく瞳を動かし、舐めるように迷宮を一望していたがこちらを覗き込んできた蒼き女王に気が付くと不敵な笑みを浮かべてその問いに応えた。
「できればそうしたいところではありますが」
「そうは見えないけどね?」
「……どういう意味です?」
「だって言葉とは裏腹に、君もワクワクしてるように見えるもん」
違うかしら?――そう付け足してマーヤはにこりと微笑んだ。
自分とは質の異なる『好奇』と『探求』の感情。
それは例えば、学者が未知なるものを調べ、探ろうとするような、所謂更なる知識への欲求と似ていた。
つい先刻、丁度この台地に足を踏み入れた際に、マーヤは目の前の青年からそんな感情の揺れ動きを何となくだが感じとっていたのだ。
人の機微を察知するのに長けた青年は、だが
はたして、彼は内心を悟られたことに意外そうに眉を顰めたが、すぐに表情を元に戻すと、マーヤに対し敬服するように目礼してみせた。
天真爛漫、天衣無縫に見えてやはり侮れない女王様だ――と。
「クックック、ノーコメント……ということで」
「素直じゃないなあ。やっぱり君って捻くれ者だわ」
「まあ、否定はしませんよ。ですが、考古学的
日笠君、君の過保護なまでの心配癖もたまには当たるな。これは脳筋な
はてさて、彼等はまだ無事でいるだろうか――
ササキは再び迷路へと視線を戻し、その双眸を細めた。
「まあいいわ。それじゃいきましょうか」
「ええ、よろしくお願いしますコノヤロー」
かくして即席ではあるが最強の助っ人コンビは迷宮へと足を踏み入れたのであった。
♪♪♪♪
コントラバス遺跡、音の迷宮内――
「……みんな無事?」
「……なんとか」
と、なっちゃんが安堵の吐息と共に放ったその言葉に、カッシーは答えた。
本当に、辛うじて、無事な状況だけどな?――
そう心の中で呟きながら、彼は鼻先数センチ先に迫っていた鉄格子の棘を眺めながら、口をへの字に曲げる。
数分前。
迫る大鉄球、その反対側で待ち構えるは棘付き鉄格子。
それは、彼等が成す術なくじりじりと追い詰められ、残り数メートルの猶予まで陥った時であった。
「あった! 見つけたっ!」
不意に微笑みの少女が叫び、皆は何事かと彼女を向き直る。
「なっちゃん、見つけたって何が?!」
「話は後! 恵美、一瞬でいいの。何とかあれ、止められない?」
説明している暇はない。
なっちゃんは口早にそう言い放ち、親友の少女の顔を縋るように見つめた。
刹那。
「ふっ!」
意を決した音高無双の風紀委員長は捨て身の覚悟で鉄球に向かって飛び出すと、黒光りするその表面に手をかける。
そして、気合を入れて全身に力を籠めると乾坤一擲、押し返したのだ。
途端、黒い鉄塊の勢いは目に見えて緩慢となり、とうとうその動きを止めたのである。
なんつー非常識な馬鹿力だよ、まさか本当に止めちまうとは――
呆気に取られてこーへいは咥えていた煙草を落としかけ、慌てて口を閉ざしていた。
と、よしと頷いたなっちゃんは、鉄球に駆け寄るとそのクマ少年へ指示を出す。
「こーへいっ! 手伝って!」
「手伝うってなにをだ?」
「かたぐるまっ!」
何考えてんだ? なっちゃんよ?
けれど、理由は聞くまい。女神様も賛成のようだしな?――
言われるがままにこーへいは屈んで肩を差し出すと、いそいそとその上に乗った少女を担いで立ち上がった。
罠があるということは、きっとそれを解除する術があるはずだ。
そうでなければ、この遺跡を造った人物だって無事では済まない。
そう考えた彼女は解除の方法を冷静に探していたのだ。
そして見つけたのである。迫る鉄球の表面に見えた、妙な窪みを。
きっとあれがそうに違いない――はたして、クマ少年に押し上げられたなっちゃんは、黒光りするその表面にあった小さなくぼみ目掛けて精一杯手を伸ばす。
「なっちゃん……まだ?」
苦しそうな東山さんの震え声が下から聞こえてきた。
流石の彼女でも、この状態を維持するのは難しいようだ。
元々彼女の怪力は、全身の瞬発力を連動させて一気に爆発させることにより生み出すもので、断続的に発動することはできないのである。
「もうちょっと! あと少し――」
「くそっ!」
「ドゥッフ! ナントカするディスヨドクゼツ―!」
カッシーとかのーも加わって押し始めたが焼け石に水。はたして、瞬間的には鉄球を留めることに成功したものの、顔を真っ赤にして歯を食いしばり、踏ん張る彼女の靴底は、徐々にではあるが鉄球に押し負けて後退りし始めた。
こりゃまずい――と、慌てて一歩下がるこーへい。
鉄球の表面に手をかけていたなっちゃんは、バランスを崩しあたふたと手を振ってなんとか態勢を維持する。
もう後がない。
けれど、動いたおかげでギリギリ届かなかった窪みが向こうから近づいてきてくれた。
お願い、どうか止まりますように――
クマ少年の肩の上で思いっきり背伸びをし、なっちゃんは祈る様に窪みの中へと指を伸ばす。
刹那、カチリ――と音がしたかと思うと、彼女の思惑どおり鉄球はその動きを止めたのであった。
そして今に至るというわけだが。
「――けど、この体勢は何とかならないものかしらね?」
鉄球に張り付くようにして体勢を維持していた東山さんは眉間にシワを寄せつつ辟易する。
止まったはいいものの、本当の本当にギリギリ。九死に一生を得てほっとしたのも束の間、一メートルにも満たない隙間に挟まれ、彼等は身動きを取ることもできず途方に暮れていたのだった。
「ドゥッフ、背中がかゆいディス……」
「おーい、なっちゃんよー、なんとかならねーかこれ?」
「さっきからボタン押してるけど、うんともすんとも……って、上を見ないでよこのクマッ! 顔面踏まれたい?」
「へいへーい……すいませんでしたー」
慌ててスカートの裾を押さえ、なっちゃんはジロリとこーへいを見下ろす。
こんな状況だというのに、なんだこの緊張感のない会話は――カッシーは下唇を突き出していた。
と――
「うおっ!?」
「きゃあ!」
突如として鉄球が元来た道を戻る様にして動き出し、寄り掛かっていたカッシー達は支えを失ってもんどりうって床に倒れた。
鉄球だけではない。一瞬の時間差を置いて鉄格子も床へと姿を消してゆく。
「どういうこったこりゃ?」
「うーん、どうやら解除すると元に戻る仕組みっぽいけれど――」
と、うつ伏せに床に倒れていたこーへいが眉尻を下げながら呟くと、
よくわからないが、とりあえず助かった。
助かったが……こりゃ先が思いやられる――
仰向けに床に倒れていたカッシーは、逆さになった視界の中ゴロゴロと転がってゆく鉄球を見送りながら、前途多難で五里霧中な先行きに不安を感じ、思わず唸り声をあげたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます