その9-3 音の迷宮

 小さな音を立ててボタンが壁に沈むと、壁の中で歯車が回転するような籠った機械音が唸り始める。

 やにわに部屋が振動しだしたかと思うと、傍らにあった床が両開きにスライドし、ぽっかりと大きな穴を出現させた。

 やがて一際大きな振動を一つ部屋へと鳴り響かせ、機械の駆動音が停止する。


 罠が発動したのか!?――と、息を呑んでいたカッシーは出現したその階段を見つめ、安堵の吐息を漏らす。

 訂正しよう。それは穴ではなかった。

 穴の中に確かに見えたのは、仄かに灯りを帯びた遥か下まで続く階段だったのだ。

 予想的中。やはりあった。


「あったぞ! 隠し階段!」


 額に噴き出た冷や汗を拭い、思わず笑みを浮かべつつ振り返った。

 だがしかし。


「……あれ、みんなは?」


 振り返った先にいたのは、腕を組み仁王立ちで様子を窺っていた東山さんのみ。

 他のみんなはどこにいったんだ?――きょとんとしながら尋ねたカッシーに向けて、彼女は眉間にシワを寄せつつ無言で入口を向き直る。

 と――


「よかった、罠じゃなさそうね」

「んだな?」


 いつの間にか建物の入口まで避難して中の様子を覗いていたなっちゃんとこーへいに気付き、カッシーはあんぐりと口を開けて硬直していたが、やがて拳を震わせながら二人を睨み付けた。

 

「おまえら……この薄情者!」

「ごめんねカッシー。犠牲になるのは一人でいいかなって^^」

「おーい、なっちゃん相変わらずきっついねー」


 こいつら自分達だけ安全な場所に逃げやがって――

 と、額に青筋を浮かべたカッシーに対し、なっちゃんは全く悪びれる様子なく微笑みながらあざとく首を傾げてみせる。


「まあその柏木君、結果オーライということで……ね?」

「ソウダヨカッシー! オレサマ信じてたディスヨー!」

「お前が一番信用できねーよ!」


 唯一残ってくれた東山さんに慰められ、不承不承ながら納得しようとした我儘少年は、しかし入口どころか建物から遠く離れ、石柱の影まで逃げていたかのーの一言にやはりブチ切れた。

 

「でもまた随分深いわね。一体どこに続いているのかしら――」


 閑話休題。

 中に入ってきたなっちゃんは、階段を覗き込んで誰にともなく疑問を口にする。


「この先に魔女がいるってこと?」

「んー、多分な?」


 東山さんのなんとはなしな問いかけに、同じく階段を覗き込んでいたこーへいが相槌をうちながら勘任せの答えを返した。


「で、どうするカッシー?」

「そりゃ行くしかないだろ? みんなもそれでいいよな?」


 我儘少年はなっちゃんに即答してから、確認のため皆を振り返る。

 是非もなしと一同は肯定するように頷いてみせた。


「んじゃまあ――」

「ドゥッフォフォー! イザシュッパーツ!」


 と、意気揚々部屋に戻ってきたかのーがケタケタ笑いながら入口を潜った時であった。

 ズシン――とまたもや揺れが起こったかと思うと、刹那上から降ってきた扉によって、入口から差し込んでいた外の光が遮られる。

 仄かに緑色に光る壁面によってお互いを視認した一同は、しかし面喰ったように絶句しながら見つめ合っていた。

 嗚呼、やっぱり罠かよ――と。


「ボケッ! またお前かかのー!」

「ドゥッフ! チガウヨ俺様悪くないッテノ!」


 冤罪だといわんばかりに、顔に縦線を描きぶんぶんと首を振るかのーに問答無用で飛びかかりカッシーは頭突きラッシュを食らわせる。


「閉じ込められたみたいね……」

「それだけで済むといいけど――」


 またはじまった。もはや様式美ね――二人の取っ組み合いを冷ややかな視線で一瞥しながら呟いた東山さんに、なっちゃんは懸念の色を濃く顔に浮かべながら返答する。

 閉じ込めただけ。罠だけで終わるだろうか?

 さっきまでの大岩といい、矢の雨といい、明らかに侵入者を殺しにかかる罠の数々だったのに?――と。

 

 はたして。

 その通り――と、彼女の予想を称賛するかの如く、再び壁の中で籠った駆動音が鳴り始めた。

 同時にパラパラと天井から落ち始める埃に気付き、喧嘩をしていた馬鹿と我儘二名は動きを止めて顔を上げる。

 

 ……気のせいだろうか。なんだかさっきより部屋が狭くなっているような?

 これって俺の錯覚だよな? な? な! こーへい! そうだと言ってくれ!――


「んー、なんか壁が動いてねー?」

「……ですよね」


 と、目をまん丸くしながら縋るように自分を向き直ったカッシーに対し、クマ少年は場違い極まりないのほほん声で残酷な現実を告げる。

 心なしか動きが早くなっている。加速しているのだろうか。

 向こう側から音を立てながら、ゆっくりと、いや、じわりじわりと狭まってくる両脇の壁を凝視して、カッシーは引き攣った笑みを口の端に浮かべる。

 

「くそっ、サンドイッチになってたまるか! 階段に飛び込めっ!」


 壁はすぐ側まで迫っている。

 退路は断たれた。考えている猶予もない。

 こうなったらもう選択肢は一つのみだろ――

 半ば自棄気味に皆を一瞥し、カッシーは叫んだ。

 

 少年の決断に呼応したなっちゃんと東山さんが急ぎ階段に駆け込むと、続けざまにこーへいがぴょんと中に飛び込んだ。

 それを見届けると、我儘少年は床を蹴り階段に身を躍らせる。


「ドゥッフ!? ヘルプミーカッシー!」 

「ボケッ! 早く来いバカノーッ!」


 最後に頭突きを食らって伸びていたかのーが青ざめながらやってきた。

 ヘッドスライディングで滑り込んできたバカ少年の手を掴んでカッシーが強引に彼を中に引き込むと同時に、両脇の壁が階段への入口を完全に閉ざす。

 

 一際重い音と振動が轟く中、部屋は闇へと包まれたのであった。



♪♪♪♪



「どう?」


 塞がれてしまった入口を調べていたカッシーとこーへいを見上げ、なっちゃんは心配そうに尋ねた。

 声がやけに響く。どうやらかなり下までこの階段は続いているようだ。

 と、振り返ったこーへいが、お手上げといいたそうに肩を竦めてみせる。


「だめだなこりゃ」

「くそっ」


 とてもじゃないが手で開けられるようなやわな造りではなさそうだ。

 何とか隙間に指をかけてこじ開けようとしていたカッシーも断念して肩を落とした。


「どいて二人とも、なら私が――」

「待って恵美。無理にこじ開けたら崩落するかもしれない」


 この真上には、現状分厚い壁が乗っている状態なのだ。

 確かに城門すら破壊できる怪力少女なら壁をぶち壊すこともできるやもしれないが、下手をすれば建物全体が崩れて生き埋めになる可能性がある。

 もしくは別の罠が発動する危険が無きにしも非ずなのだ。

 諭すように止めたなっちゃんを振り返り、だが東山さんはその言葉に従って無念そうに鳴らしていた拳を降ろす。


「完全に退路を断たれたわね」


 壁に背をもたれ、なっちゃんは肘を抱え込むようにして腕を組むと数段階上にいたカッシーを見上げた。

 どうする?――その目は暗にそう尋ねかけて来ている。

 と――

 

「ブッフォフォー! そんじゃドンドン進むしかナイヨネー! おさきディスヨー!」

「おっ、おいっ! ちょっと待てかのー! お前さっき言ったこともう忘れたのかよ!?」


 喉元過ぎれば熱さを忘れる。

 というか元々脳みその許容量が極端に少ないのであろうバカ少年は、カッシーの制止も聞かず、先刻までの忠告を綺麗さっぱり忘れて、スタコラサッサと階段を駆け下りていってしまった。


「くっ、まったくあのバカは……」

「んっとに元気だねーあいつはよ?」

 

 あっという間に豆粒ほどの小ささになるまで階段を降りて行ってしまったかのーを見下ろして、カッシーは苛立たし気に歯を剥いていたが、やがて怒るのも馬鹿馬鹿しくなってきたのか、諦観の溜息を吐く。

 ややもって、彼は口をへの字に曲げながらもバカ少年の後を追うようにして階段を降り始めた。

 

「柏木君?」

「進むしかないだろ? ていうか、元々そのつもりだったんだ」


 薬を手に入れるまで戻るつもりなんてない。退路のことは後で考えればいい。

 それより魔女はきっとこの先にいるはずだ――

 呼び止めるように名を呼んだ東山さんに向かって、カッシーは振り返らずそう答える。

 

 と、東山さん、なっちゃん、こーへいの三人はお互いを見合った後、そんな我儘少年の後を追うようにして階段を降りていったのであった。


「しっかしまあなっがい階段だねー」


 咥えていた煙草をプラプラさせながら、終わりが見えそうにない階下を見下ろしこーへいは呟く。


 まさしく彼の言う通りで、階段は何処までも続くかと思えるほど一直線に続いていた。

 幅は大人二人が身をよじって何とかすれ違える程度で、それ程広くはない。

 おまけにそれなりに急で、うっかり踏み外せば遥か彼方まで転げ落ちて行ってしまいそうだ。

 ただ先刻の建物と同じで、どういう原理なのか壁や階段自体が淡い緑の光を放っているため、暗くて見えないという心配がないのが幸いだった。


「これを昔の人が造ったっていうんだから驚きね」

「ああ。確かトオン文明……だったっけか?」


 二千年以上前に栄えた古代の文明。

 断片的ではあるがその文明の話は、ペペ爺、サクライ、チョク、それにシンドーリと、様々な人々から聞いていた。

 この永遠に続いていそうな階段や発光する壁を見ても、相当に発達した技術を持った文明であったことが見て取れる。

 

 例えばチェロ村もヴァイオリンもパーカスの街も、この大陸は自分達の世界でいう所の、所謂中世のヨーロッパを髣髴させるような文化大系だ。

 だが今降りているこの階段や壁の雰囲気は幾何学的でシンプル。機能美を重視した、どちらかというと自分達が生活していた近現代的な造りに近い。

 一体どんな文明だったのだろう――綺麗に磨かれた粗目一つない壁をつるりと撫でて、なっちゃんは双眸を細める。


「なっちゃん?」


 ふと足を止めた微笑みの少女に気付き、東山さんは不思議そうに声をかけた。


「……やっぱりこの壁や階段の造りって、私どこかで見たことあるのよね」

「さっきもいってた話のこと?」

「うん」

「おーい、二人ともどしたー?」


 と、前を行っていたこーへいとカッシーがこちらを見上げていたのに気づき、なっちゃんは何でもないと首を振ってみせる。


「ごめん今行くわ」


 気になることは気になるが、とりあえず今は魔女を探すのが先決だろう。

 そう考えを改めてなっちゃんは東山さんと共に再び降りていった。


 それから黙々と降り続けることおよそ二十分。

 降りても降りても終わりの見えてこないその階段地獄に、次第に少年少女達の表情も曇りだした頃だった。

 彼等の視界に変化が起こる。


「おっ?」

「んー、やっと終わりか?」


 眼下に見えてきた真っ直ぐな道にカッシーとこーへいは安堵の吐息を漏らしながら思わず顔を綻ばせた。

 はたして、階段は残り数十段で終わっており、その先には平坦な道が奥へと続いていたのだ。


「フォォォォォー! ネーネー、オマエラー! ちょっとこっち来てミー! これ凄いヨー!」


 と、その道の先からかのーの声が反響しながら聞こえてきて、一同はやれやれと嘆息する。

 サッサと先に降りていってしまって以来、まったく姿が見えなかったバカ少年だが、どうやら先に到着して色々と探検でもしていたのだろう。

 まったくあいつ人の話聞かないで、どんどん先進みやがって! 後で絶対頭突き連打してやっからな――

 そう心の中で決意しつつ、最後の一段を降り終えたカッシーは、だが道の奥を見据えて思わず目を細めた。


 通路の先は眩しい光に包まれていた。

 しばしの間の別れだったにもかかわらず、やけに懐かしく感じる陽の光と似ている。

 もしや外か?――

 期待に胸を弾ませながら、カッシーは足早にその光に向かって歩いていった。

 

 一歩その光へと足を踏み入れた途端、空気の流れが肌を撫でる。

 滞留していた階段内の空気と異なり、そこは穏やかではあるがひんやりとした風が吹いていた。

 瞳孔が収縮し、やや光に慣れてきた瞳が、少年の脳へ映し出したその光景の情報を伝達していく。


「……なんだこりゃ――」


 そして彼は思わず呟いていた。


 一瞬外に出てしまったのかと錯覚してしまった。

 だが違った。そこはまだ部屋の中だった。

 その部屋を一望することができる、少し高くなった台地の上だった。


 いや、訂正する。

 そこは部屋と呼ぶにはあまりにも広すぎた。

 とてつもなく広大な空間だった。


 適切な表現をすれば……そう『大空洞』――

 刹那脳裏に思い浮かんだその単語を噛み締めるようにして、カッシーは周囲を一望する。

 はたして自然の力によって創られたものなのか、はたまた人の手によって造られた物なのか――と。


 天井は遥か上に存在していた。

 右も左もそして前方も、見渡す限り何もない開けた空間だ。

 そしてその台地より見下ろせる床に広がっていたのは、びっしりと一杯に敷き詰められた無数の壁だった。

 それこそ縦横無尽に、まるで網の目のように、様々な形の壁が連なって大地を分断していたのである。


 この景色、どっかで見たことがある。

 こりゃまるで――


「……まるで迷路ね」


 と、我儘少年が思い浮かべた単語ずばりそのものを、彼の後を追って階段から出てきた東山さんが口にする。


 そう、まさに迷路。いや大迷宮か?――

 例え世界的に有名なアミューズメントパークでもここまで巨大な迷路を作ることはできないだろう。

 それが今、少年少女達の眼前に広がっていたのだ。

 

「なるほど、これがコントラバス遺跡の正体ってわけか……地上の建物はただの入り口だったってことね――」


 そういう事なら合点がいく。嗚呼、けれどもしかし、何とも厄介な代物だわ――

 広がる景色を一目見て遺跡の正体を確信しながら、なっちゃんは負け惜しみのように微笑を浮かべてみせた。


「んで、魔女は何処にいんだ?」


 絶景を眺めながらにんまりと猫口を浮かべ、煙草に火を付けると、こーへいは小手を翳して周囲を一瞥する。

 この台地から見える限りでは迷路ばかりで人が住んでいそうな建物の影は見えないが――

 だがしかし。


「ミッケー! アレダヨキットー」


 パーティーの中でずば抜けて目の良いバカ少年が、ケタケタ笑いながら一点を指差してその問いかけに答える。

 少年が示したのは遥か前方。丁度迷路を挟んで真向いに位置する場所に見えた高台だった。


「恵美、どう?」


 これでもかというくらい目を細め、睨みつけるような酷い形相になりながら高台へ目を凝らしていたなっちゃんは、やがて諦めたように双眸を開き東山さんへ助けを求める。

 余談だが彼女はあまり目が良くはない。

 使用していたコンタクトレンズは、ケアができないのでこちらの世界に来てから諦めて外していた。

 まあ日常生活に支障が出るほどの悪さではないので問題はなかったが、今回のようにあまりに遠くはぼやけてしまってはっきり見えない。

 

「確かに見えるわ、あそこにいるんじゃないかしら」


 と、かのーまでとはいかないが両目2.0の東山さんは、眉間にシワを寄せつつ力強く頷いてみせた。

 残念ながらここからでは遠すぎて人の姿を捉えることはできない。だが他に人が住んでいるような建物は見えないし、恐らく魔女がいると見て良いだろう。

 

 他方、同じく高台へ目を凝らしていたカッシーも、豆粒ほどの大きさではあるが人工の建造物らしきものを捉えると喉奥で低く唸る。

 そして、みるみるうちにその表情を剣呑なものに変えながら、額を押さえ項垂れた。

 

 嗚呼、最悪だ。あそこに魔女がいるだと?

 てことはだ――

 

「勘弁してくれ、この迷路を抜けて行くしかないってことか?」


 ――と。


「この調子だと罠もたっぷりもありそうね」


 同じ結論に瞬時に至った聡明なる微笑みの少女も、辟易したように肩を竦めて相槌を打つ。


 冗談じゃない。こっちは人の命がかかった緊急事態なのだ。

 悠長に迷路を楽しんでいる余裕なんかないというのに。


 こんな迷路かつて見たことないレベルの広さだが、はたして抜けるのにどれくらいかかるだろうか。

 下手したらこの中から一生出れない、そんな事にならないとよいが。


 だがしかし。

 後にはもう退けない。

 もとい諦める気など毛頭ない。

 あの子を助けると決めたんだ――

 

 いつも通り。平常運転。三つ子の魂百まで。

 こうと決めたら意地でも曲げない強情っぱりの我儘少年は気合も新たに向こう側の高台を見据える。


「んで、どうすんだカッシーさ?」

「ムフン、ラビリーンス! チョー面白ソー!」

「当たり前だろ! やってやろうじゃねえかっ!」


 罠? 上等だ。んなもん知ったことか!

 こんな迷路、パパッとクリアしてやるっつの!

 

 にんまり笑ったクマ少年と、ケタケタ笑ったバカ少年に啖呵を切ると、カッシーは拳を打ち付け大きく息を吸った。


 

「待ってろよ魔女っ! 絶っっっっっっ対辿り着いてやるからなっ!」



 刹那、腹の底から放たれた我儘少年の一方的な『宣戦布告』が大空洞にわんわんと木霊する。

 やがて鳴り響いていた自分の声が岩壁に染み込むようにして消え入ると、カッシーは、よし――と、気合を入れて仲間を振り返った。

 

 

「よっしゃ! 行くぜみんな!」



 と、強気ににへらっと笑ってみせた我儘少年に対し、問題児達は力強く頷いたのであった。

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