第四章 遺跡は語る

その9-1 ベタだなおいっ!

三十分程前。

コントラバス地方、コントラバス遺跡――


 弦国建国以前、遥か昔に栄えたトオン文明が造ったといわれるその遺跡は、ヴァイオリンと比べて標高八百メートル以上の高原地帯に存在していた。


 南にある絶壁より吹き上げてくる突風のせいで常に風が止むことはなく。

 そして東西には何人の侵入をも拒むように鬱蒼とおい茂る林が広がっている。

 春夏秋冬、季節を問わず青々と茂るこの林は、遺跡と同じく二千年以上前から存在しており、決して枯れる事もなく、かといって成長することもなく、まるで時が止まっているかのようであった。


 三方を天然の障害物に囲まれたその遺跡に向かうには、唯一北にある道を通っていくしかない。

 だがその道も、永い間放置され、雨風に晒されたせいで荒れ果て、とてもではないが道と呼べるような代物ではなくなっていた。


 そんな荒れ果てた道の始まり――丁度遺跡を見上げる事ができる丘の麓に関所が建てられたのは今から七年前。

 当代女王の命により建てられたその関所は、一月交代でヴァイオリンから派遣される警備隊の精鋭五名によって、昼夜問わず警備が行われていたが、しかしその実情は厳重な警戒態勢に反して平和そのものであったといえる。

 辺境の中の辺境であるこの遺跡を訪れる物好きなど、年間を通して五指に余るほどであり、そのほとんどは遺跡調査目的の為にオラトリオ大学からやってくる学者くらいであったのだ。


 余談だが、警備隊士達の中では当番制で担当するこの遺跡警備の任を『罰ゲーム』と呼んでおり、何故女王はこのような辺境の遺跡に関所など作ったのであろうか――とその評判は甚だよろしくなかったことを記しておこう。 


 そんなわけで、今日も今日とて風靡く遺跡をたまに見上げつつ、ヴァイオリンから派遣されてきた五名の警備隊士達は、その退屈で平和極まりない遺跡警備罰ゲームに当たっていたのである。

 

 そう、ついさっきまでは――

 

 音もなくその場に倒れた警備隊士達によって、舞い上がった砂埃が風攫われ天へと昇ってゆく。

 突如として風に乗って聞こえてきた不思議な音色によって、関所に詰めていた隊士達の意識は瞬く間に夢の世界へと旅立っていったのだ。


「もう出て来ていいわよ」


 安らかな寝息を立てて深い眠りについた彼等を一瞥し、周囲に動く者がいなくなったことを確認すると、ベリーショートの少女――なっちゃんはチェロの演奏を止めて、小さな吐息を漏らす。

 と、数秒の後、関所脇の林がガサガサと揺れたかと思うと、カッシー達が姿を現した。


「うまくいったみたいだな」

「だから言ったじゃない。大丈夫だって」

「見ているこっちはハラハラものだったけどね」


 駆け寄って来たカッシーに向かって、なっちゃんは手際よくチェロをケースにしまいながら得意気に微笑んだ。

 同じくやってきた東山さんはしかし、溜息交じりでそんな彼女を心配そうに見ていたが。


「女の子一人で行けば警戒はされるかもしれないけど、手荒な真似はされないはず――そう思ったのよ」


 はたして、鼻歌交じりで仕舞い終えたチェロを担ぐと、なっちゃんはピンと立てた人差し指を横に振ってクスクスと笑う。



 彼等が遺跡に到着したのはつい先刻。

 結局許可を貰わずにここまで来てしまったカッシー達は、さてどうやって関所を通過したものかと思案していた。


 真っ先に強行突破を提案したのは東山さんだったが、しかしカッシーの猛反発にあい、その案はやむなく却下される。

 城門に引き続いて関所まで破壊したら、それこそどのような事になるかわかったものではないからだ。

 恐らく昨日の一件はマーヤの耳に入っているだろうし、あの兵士達がもしペペ爺の手紙を彼女に渡してくれていたら、それはそれで助かるが自分達が犯人であることは既に判明してしまっているはずだ。

 

 事情はともかく罪は罪。下手したら指名手配され、チェロ村に警備隊が押しかけてくる事態になりかねない。

 いや、もしかしたら既に押しかけてきているかもしれない。

 流石にこれ以上弦国相手に事を構えるのはまずいのである。


 とにかく極力穏便に済ます方向で――と、提案したカッシーの意見の下、まとめ役のいないこの問題児達はしばしの間、あーだこーだ、喧々諤々作戦方針でもめていたが、結局微笑みの少女の提案した作戦に落ち着くことになったのだった。

 

 その作戦とは、魔曲『ブラームスの子守歌』で眠らせ、無抵抗化させるというもの。

 結果はご覧の通りだ。

 

 関所に続く一本道に忽然と姿を現した少女を見て、欠伸を噛み殺して見張りをしていた警備隊士達はやにわに警戒の色を顔に浮かべた。

 こんな辺境の地に少女が一人? 来訪者の連絡はヴァイオリンから届いていないが。

 何者だ? 盗賊の一味だろうか? 見た所、背に大きな荷物を担いではいるものの、武器らしきものは持っていないようだが――

 隊士達の頭の中に様々な疑問が沸き起こる。

 

 刹那、そんな彼等に向かって少女はクスリと小悪魔的な微笑みを一つ浮かべると、背負っていたチェロをケースから取り出して、狼狽える隊士達の目前で演奏を始めたのだ。

 慌てて隊士達が武器を構え少女に向かって制止を促そうとした時はもう遅かった。

 止める間もなく魔曲の調べに支配され、彼等は眠りの世界へ旅立っていったのである。


 そして今に至るという訳だ。 


「とにかく、上手くいったんだからいいじゃない?」

「ま、そうだけどさ――」


 何か不満でもあるの?――そう言いたげに小首を傾げたなっちゃんに向かって、カッシーは口をへの字に曲げる。

 確かに上手くいった。だが、よくもまあ一人であれだけ堂々と向かえたものだ。

 自分だったら緊張して、うまく演奏できたかも怪しい。度胸があるとは思っていたが、あの古城での一件以来、さらにパワーアップしてだろうかこの子――


「なに?」

「……いやなんでもない」


 心臓に生えてる毛が濃くなったんじゃねーか?――

 咽喉まで出かかったその言葉を慌てて飲み込み、眼前の微笑みの少女がマジ切れした時の怖さをよく知っているカッシーは、ぶんぶんと首を横に振ってみせる。

 

「おーいカッシー、こっちゃ準備オッケーだぜ?」


 と、眠ってしまった警備隊士達を縛り終えたこーへいが、にんまりと笑って詰め所の中から顔を覗かせた。

 無言で頷いてカッシーは中央にあった門の前に歩み寄る。

 鉄格子できた門の向こう側には、荒れ果てた一本の道が見えた。

 あの先に魔女が――我儘少年ははやる気持ちを抑え、鉄格子を握りしめる。


「おい、かのーっ! まだかよ? 早くしろって!」

「ドゥッフ、人使いの荒いヤツメー! チョット待ってろッテノ!」


 関所の上からかのーの声が返って来た。

 身軽なバカ少年は、関所の壁をひょいひょいとよじ登り一足先に中へと侵入していたのだ。

 ものの数秒も経たないうちに、ガチャリと何かが外れたような音が頭上から聞こえてくると、やにわに鉄格子が音を立てて上がってゆく。

 カッシー達は顔を見合わせて頷くと、関所を潜りその先へと足を踏み入れた。

 だがしかし。


「なんだありゃ……」


 視界に映ったその光景にカッシーは唖然としながら思わず呟く。

 はたして、林に両脇を挟まれたその荒れ果てた一本道は眼前に聳える丘へと繋がっていた。

 だがその丘の上に見えたのは、灰色をした小さな立方体の建物と、その建物を囲う五本の円柱のみであったのだ。


 あれがコントラバス遺跡?

 ちょっと待て、あれだけか? 

 遺跡というからもっと大きな、それこそ古代の神殿のようなものを想像していたカッシーは拍子抜けしたように口をへの字に曲げる。

 

「罠だらけの遺跡って、ペペ爺さんは言っていたけれど――」

「なんだか思ってたのと大分違うわね」


 恐らく我儘少年と同じことを頭に思い描いたのだろう。

 彼に続いて関所を潜っていた東山さんとなっちゃんも、浮かない表情のまま困惑気味に感想を口にしていた。


「んー、あそこに魔女がいるってんならよー? すぐ逢えんじゃね?」


 見た感じ、建物は松脂亭とあまり変わらない大きさだ。他に建物もなしとなれば、魔女はあの中に隠遁していると考えてよいはず。

 広い遺跡を探し回る覚悟をしていたが、だとすれば儲けものじゃね?――後を追ってやってきたこーへいも一目丘の上の建物を眺めてからにんまりと笑ってみせる。


 楽観的なクマ少年らしい意見だ。

 確かにこれなら存外あっさり魔女と逢えそうだが、正直肩透かしを食らった感はある。

 まあ嬉しい誤算と考えた方がいいか――

 カッシーはポリポリと頭の後ろを掻いた後に皆を振り返った。

 

「とりあえず行ってみよう」

「馬車はどうすんだ? 関所の中には入りそうにないぜ?」

「この道の荒れ具合じゃ馬車で行くのは無理そうだし、あのままでいい」


 乗ってきた馬車は少し手前の林の入口に停めてきた。

 まあ盗まれる心配もないだろうし、夜通し強行してきたせいで馬もバテ気味だ。

 建物は目と鼻の先だしここから先は徒歩で問題ないだろう――

 そう判断してカッシーが返答すると、こーへいはよしきたと無言で頷いてみせた。


「ムフフーン、そんじゃイザ、トツゲーキ!」

「お、おい待てってかのー! 考えなしにつっこむなっつの!」


 と、軽快に関所の上から飛び降りてやって来たかのーが、ケタケタ笑いをあげながら颯爽と丘上目掛けて走り出す。

 勝手に進みだしたバカ少年に気づき、カッシーは慌てて呼び止めたが、既にその姿は跳ねるようにして丘を登っていく最中であった。


 何もなさそうではあるが、あの博識な老人が罠だらけの遺跡と言っていたのだ。

 警戒を怠らないに限るというのに、考えなしにホイホイ進みやがって――

 カッシーは腰に手を当て、深い溜息を一つ吐く。

 

「まったくあいつは、本当に集団行動がとれねーなあ」

「馬鹿はほっといて、私達も進みましょ」

「ああ……」


 なっちゃんに促され、残る四人も荒れ果てた道を丘上へと進みだした。

 道はそれ程急ではないが、丘から吹いてくる向かい風のせいで足取りは決して軽快とはいえない。

 あのバカ、よくこんなところホイホイと先に進めるな――と、先に向かっていったかのーに呆れながらもカッシーは一歩一歩道を進んでいく。

 

「ところで柏木君、身体は平気なの?」

「ん?」

「昨日、和音っていうのを使ってたけど筋肉痛は?」

「ああ……大丈夫みたいだ。ちょっと身体がつっぱるけど平気」


 と、歩きながら気を遣うように尋ねてきた東山さんに、カッシーは自分の身体を確かめるように一瞥した後答えた。

 彼女の言う通り、昨日ヴァイオリンから脱出する際、騎士団との戦闘で和音を使っていたが、あの恐怖の筋肉痛は今のところ襲って来ていない。若干腕周りが張っている気がするが、それも動かせない程ではないようだ。


 和音の使用が極めて短時間だったせいだろうか。

 それとも自分の身体が和音に耐え得るようになってきたのか? 身体は酷使するとその分強くなるって聞いた事がある。なんだっけか、確か超回復だったっけ? 保健体育の時間に習ったような。

 何にせよ僥倖だ。あの走り込みの成果も出たのかもしれない――そんな事を考えながらカッシーは人知れず嬉しそうににへらと笑う。

 

 が、しかし、ふと横を歩いていたベリーショートの少女が浮かべていた険しい思案顔に気づき、少年は笑みを引っ込めた。

 

「どうしたなっちゃん?」

「……うーん、ちょっと気になることが」

「気になること?」


 鸚鵡返しに尋ね、カッシーは不思議そうに眉根を寄せる。

 なっちゃんコクンと小さく頷くと丘上に見える無機質な立方体の建物を眺めながら話を続けた。


「あの建物、どこかで見たことあるなって――」

「あれがか?」

「うん」


 言われてみれば――と、彼女の視線を追って丘上を向き直ったカッシーは、刹那頭の片隅で騒ぎ始めた既視感により、凝視するようにして双眸を細めた。


「どこだったかしら……あの円柱といい、コンクリートっぽい外形といい、一度見たことがあるんだけれど――」

「うちらの世界じゃなくて?」

「いや……うーん……」


 無機質な立方体の建物。それ自体この世界じゃあ結構珍しい造詣だ。

 東山さんの言う通り、どちらかというと自分達の住むビルと雰囲気が近い。

 けれど、こっちの世界に来てから見た気がするのだけど――

 それがどこだったか思い出せず、咽喉まで出かかったそのもやもやに対して、なっちゃんはもどかしそうに可愛い唸り声をあげる。


「ドゥッフ!? カッシー、ヤバイディース!」


 と、聞こえてきたバカ少年の悲鳴に近い叫び声によって、残念ながら、彼等のその既視感を手繰る作業は強制的に中断されることとなった。


 何だよあいつは本当に騒がしい奴だな――

 ようやく考えが纏まりそうだったのに妨害され、我儘少年は額に青筋を浮かべながら不機嫌そうに顔をあげる。

 次の瞬間、彼は顔に縦線を描きながら目を皿のように見開いていた。

 なんだありゃ――と。

 はたして、大絶叫と共に丘を全力で駆け下りるかのーの背後に見えたのは、ゴロゴロと彼を追いかけるようにして転がってくる大岩の姿――

 

「ちょ……」

「おーいマジでか?」

「何やってんだこのバカッ!」


 嗚呼。あれか、あれがもしかして罠って奴か。

 ペペ爺さんの言う通りだったわけだ。しかしまあ、なんというか古典的でな罠だな――

 傍らにいたなっちゃんとこーへいがその光景を目の当たりにして上擦った声で呟く中、カッシーは何とも間抜けな感想を心の中に浮かべながら、顔を強張らせる。

 

「オレサマのせいじゃナイディスヨ! いきなり地面カラ飛び出して来たんディス!」

「嘘つけっ! おまえまたなんか変なことしたんだろ!?」

「ホントダヨー! スキップしてたらナンカ足下で、カチッ――って音がしただけディス!」

「ボケッ! それが原因じゃねーか!」


 だから勝手に進むなって言ったのにこのバカノーっ!

 けどこのバカに頭突きをお見舞いしてやるのはとりあえず後だ。

 真っ直ぐに続く一本道、このままでは激突必死な最悪の状況。

 とにかく今はあの岩をなんとかしなくては――


「くそっ、覚えてろよこのバカノー! みんな脇に避けろ、林に飛び込めっ!」


 額へ青筋をさらに二つ程ほど追加させ、カッシーは『いっ』とかのーを睨みつけながら叫ぶ。


 だがしかし。

 不運は続く。

 窮地は続く。


 トラブルの女神様に愛されてしまった彼等が、この程度の『ベタ』な罠に遭うだけで受難が終わるはずもなく。

 それは、淡い金色に身を光らせた妖刀によってさらに告げられたのだ。

 

―待て小僧、茂みはやめとけ―

「ああっ?!」

―ケケケ、ぞ?―


 急に喋りやがってこのナマクラ。一体どういう意味だよ?――

 時任に向かって尋ね返そうとしたカッシーは、だがその言葉を飲み込み青ざめる。

 刹那。両脇の茂みから無数の人影が一斉に姿を現したのに気づいてだ。


 バネが弾ける音と共に、ずらりと道に沿って居並んだそれは、人の形を模した石像だった。

 いや機械人形ロボットと言った方が良いだろうか。灰色をした彫刻のような、しかし無機質なフォルムの一つ目人形――

 それだけなら彼もここまで吃驚しなかっただろう。

 問題はその人形達の手に握られ、鈍く輝いていたものだ。

 それは――

 

「ボケッ! 勘弁してくれっ!?」


 震える声で我儘少年が思わず呟いたのと、機械人形がその手に構えたの照準を少年少女達侵入者に合わせたのはほぼ同時だった。

 次の瞬間、引き金が絞られ無数の射出音が風に乗って丘に響く。


 無感情な魚眼レンズが、迫りくる矢の雨に吃驚する侵入者の姿を映し出し、暗い赤色に点滅を繰り返していた。

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