その8-3 もう一人の当主

 十分後。

 ヴァイオリン地方南西部上空――

 収穫が終わった麦畑が広がる上空を、熊蜂バンブルビーはプロペラ音を轟かせ飛んでゆく。


「綺麗……大地ってこうなってたんだ。鳥はいつもこんな景色を見ながら飛んでいるのね」


 城を発って以来、ずっとはしゃぎっぱなしのマーヤは興奮冷めやらぬ表情で呟いた。


「乗り心地はどうですかな?」


 と、座席の前についていた、ラッパのような銅管の中からササキの声が聞こえてきて、マーヤは目を二、三度瞬きさせる。

 だが即座に仕組みを理解した彼女は、楽しそうに眼を輝かせ銅の朝顔通話口に顔を近づけた。


「ええ、乗り心地最高よ。ちょっと寒いけどね」

 

 予備座席には簡易的な防風窓は前面に備え付けてあるが天蓋キャノピーまでは付いていないので防寒処理は不完全だった。風は辛うじてしのげるが、これだけのスピードが出ているのだ。体感温度は実際の気温より低いものとなっている。

 サワダから逃げるために外套を脱ぎ捨てていた事をちょっぴり後悔したが、贅沢は言っていられない。クスリと笑ってマーヤは冗談交じりに返答する。

 

「失敬、なるべく低空を飛ぶように心掛けるので、寒いでしょうが辛抱していただきたい」


 大地は見渡す限り一面大農場地帯。日本のような高層ビルもなければ、自分達以外飛ぶものといったら鳥くらい。 それほど高所を飛ぶ理由もないだろう――ササキはそう結論に至ると、さらに高度を下げた。

 だがマーヤはサイドミラーに映る生徒会長に向かってフルフルと首を振って応える。


「大丈夫。寒さには慣れてるから」

「慣れている?」

「ヴィオラ村も厳しい気候の村だったから。これくらいなら平気」


 そう言えば彼女は庶民の出身だったか――かつてペペ爺より聞いた背後の女性の出自を思い出し、なるほどと納得していた。

 サイドミラーに映る彼女は未知との遭遇と初体験の連続から、自然に綻んでゆく顔をしきりに抑えようと格闘しているようだ。心底この状況を楽しんでいる――そんな様子が伝わってくるマーヤを見て、鬼才の生徒会長も思わず釣られて笑みをこぼす。

 

「どうかした?」

「いえ、噂で聞いていた話より大分活発的な女王様だな、と思っただけですコノヤロー」

「そう?」

「ええ。物静かで慈愛に満ちた、とても優しい女王様だ――と、世間ではもっぱら謳われてますが」


 からかうようにそう言って、ササキはニヤリと不敵に笑う。

 大して、マーヤは一瞬目を見開くとばつが悪そうに肩を竦めてみせた。


「あー……噂には尾ひれがつくものよ。鵜呑みしちゃダメってこと」

「クックック、まあ、そういうことにしておきましょう。ああ失礼、自己紹介がまだでしたな。私は佐々木智和……いやこの世界の言い方だとトモカズ=ササキですかね」

「よろしくササキ君。あなたの事もカッシー達からいろいろと聞いてるわ」


 ホールでサワダが面喰いながら彼を呼んだ際、マーヤも密かに関心の目を彼へと向けていたのだ。

 ああ、この子が噂の――と。

 途端、嫌な予感がしてササキは唸り声をあげる。


「ほう、柏木君達がね……なんと言ってましたか?」

「えっとね、頭のネジが一本外れたエロ会長――だったかな?」

「………まあ、噂には尾ひれがつくものですコノヤロー」

「あはは、でしょ?」


 案の定、いや予想していた斜め上な言葉がマーヤの口から飛び出してきて、ササキは表情を渋いものへと変容させた。

 彼のその様子を見て、マーヤは思わず声を出して笑う。


「ところで、なにやらもめていたようですが、本当によろしかったので?」


 あのイシダ宰相と呼ばれていた青年、無関係とはいえ同情を禁じ得ない取り乱し用だったが――

 閑話休題、ササキはホールでの出来事を思い出して尋ねた。

 と、マーヤは一瞬眉根を寄せて呆れたように双眸を細めると、身を乗り出して銅管に顔を近づける。


「君って結構意地が悪い性格してるのね?」

「これは心外な。どうしてそう思うのです?」

「だってあの時、君だってをかけて来たじゃない」


 覚悟をお決めなさい。後悔するのが嫌ならばね。あなたは何を望むのです?―― 

 そう言って彼女に決断を強いていたのは、ササキだって同様だったのだ。

 なのに敢えて私を試すような口ぶりで、そして量ろうとしている。カッシー達から聞いていた通り、どうやら一筋縄ではいかない子のようだ――

 ササキに対する認識を改め、だがマーヤは下唇に人差し指をあてながら自信満々で頷いてみせた。

 

「多分大丈夫よ、問題ない」

「やけに自信たっぷりですな」

「だって弦国当主は私だけじゃないもの」


 そう、やる時はやる、頼り甲斐のある王様がいるから――

 片眉をつりあげたササキにマーヤはそう答えると、座席の背もたれに寄りかかり空を見上げる。


「ほう……ならば良いのですが。それではこれからよろしくお願いします女王よ」

「女王じゃなくてマーヤでいいわ」

「クックック、ではマーヤさん。参りましょう、コントラバス遺跡へ」

「ええ。よろしくねササキ君」

 

 かくして鬼才の生徒会長と蒼き英雄を乗せた熊蜂バンブルビーは飛行機雲を描きつつ南西へと飛んでいった。



♪♪♪♪



 同時刻。

 ヴァイオリン城、王の間へと続く廊下――


「宰相殿、元気を出して下さい」


 掻き毟ったせいであろうボサボサの髪のまま、意気消沈した様子で力なく廊下を歩いてゆくイシダ宰相を見かね、サワダは励ますように声をかける。

 だが彼はその慰めの言葉にすら返事をする気力もなく、小さく頷くのみであった。

 これは相当に重症だ――サワダは嘆息すると、助けを求めるようにちらりと隣にいたスギハラへ目をやった。

 と、その視線を受けスギハラはやにわに厚い胸板をドンと叩くと、精悍な笑みを浮かべイシダ宰相を見下ろす。


「わかりました宰相、このスギハラにお任せあれ」

「……何をするつもりですか?」

「我等警備隊が必ずや女王を連れ戻して見せましょうぞ!」


 今から追えば一両日中には遺跡に到着するはずだ。警備隊の精鋭を編成して、今度こそ女王の暴走を止めてみせる――

 だが、意気揚々とそう提案したスギハラを振り返りもせず、ますます肩を落としながら宰相は首を振る。


「……無理でしょう。あれだけの兵士と警備隊がいたにも拘らず突破されてしまったのです」

「そ、それはあの闖入者の邪魔が入ったからで――」

「それにコントラバス遺跡は罠だらけの危険な遺跡です。そんな場所へ私情により向かった女王を止めるために、警備隊の隊士達を危険に晒すわけにはいきません」


 覚悟を決め、危険を承知で遺跡へ向かったとはいえ、明らかな私情による行動だ。

 それを止めるために、公の賜りものであり、国の礎でもある警備隊を派遣することはできない。

 何より女王自らが決して望まないだろう。

 そして自分が決してそのような判断を下さないことも、恐らく彼女は見越したうえで旅立ったのだ。

 まさに以心伝心。

 蒼き女王の片腕であり、彼女を誰よりも理解している若き宰相は、だからこそ深い溜息を吐いて目を閉じる。


 留守は任せたわタイガ君――

 彼女がそう言っているように感じられたからだ。


 だが、私にこの大役が務められるだろうか。

 国力は見違えるほどに回復してきている。内政も外交も現在のところ順調だ。

 しかし、それは蒼き女王の統率力によるものが大きい。

 情けないことだが戦争より十年経過した今も、まだこの国は彼女なくして機能しない部分が多々残っている。


 確かにこの青年は若干十九歳にしてその辣腕を買われ、他国の出身にも拘らず宰相に抜擢された人物だ。

 まさに治世の能臣と評しても過言ではない。

 だが優秀な政治的手腕の持ち主ではあるが、人心掌握、適材適所、人と人との繋がりを作りまつりごとを機能させる、所謂『統べる力』についてはまだまだ力不足だった。

 もちろん彼のその実力を認め、一目置いている者がほとんどであるが、上辺だけを見て若輩者と彼を侮る者や、新参者の癖に女王に気に入られでかい顔をしやがって――と、陰で吹聴する古参者がいるのも事実だ。


 いずれにせよ、彼一人で留守を預かることは些か荷が重い役目であった。

 腹は既に括った。粉骨砕身、やれるだけのことはやってやる覚悟はあるが、女王不在のこの状況でどこまで現状を維持することができるだろうか。

 それを考えると胃が痛くなってくる――


「……女王、私はどうすればよいのです。そして万が一貴女にもしもの事があったらこの国はどうなるか――」


 ぼそりと呟き、イシダ宰相は晴れ渡る南西の空を見据え、双眸を細める。


「宰相、我々もできる限り協力するつもりです。ですからそう気を落とされぬよう」

「さよう女王不在の今、貴方までそのように気を塞がれては――」

「ありがとう二人とも……そうですね。やれるだけやってみますよ」


 そう礼を述べたものの、やはり若き宰相のその表情は未だ不安によって曇っていた。

 確かにサワダやスギハラは優秀な人材だ。しかしそれは軍人という役職においてである。

 政治に関しては素人だろう。やはりここは私が踏ん張らねば――

 空元気に近い気合であったが、それでも幾ばくかの闘志を無理矢理瞳に灯し、イシダ宰相は見えてきた王の間の扉へ手をかける。


 さて、そろそろ朝議の時間だ。議題を整理し、せめて女王に預けていた案件だけでも代理で審議せねばならない。

 気持ちを切り替え、彼は為政者の顔つきに戻ると、頭の中で今後の予定を速やかに組み立て直しながら扉を押し開けた。


 そして彼は、中に立っていた一人の人物を視界に捉え歩みを止める。

 堂々と王の間の中央に佇み、双眸を細め窓の外を眺めていたその人物は、入って来た若き宰相達に気づくと徐に彼を振り返り、穏やかな笑みを浮かべて歓迎していた。

 

「やあおはよう宰相」

「……リューイチロー王?」


 と、狐につままれたような顔つきのまま、イシダ宰相は蒼き騎士王の名前を口にする。

 後に続いて部屋に足を踏み入れたサワダとスギハラも、サクライの姿に気づくと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまっていた。

 本当にあのサクライ王なのか?――と。

 

 はたして、そこに佇んでいたのはまさしく『蒼き騎士王』――そう呼称するに相応しき、蒼い騎士のサーコートを身に纏い、肩までのダークブラウンの髪をぴっちりとオールバックにしてまとめ、無精髭を剃った凛々しき王の姿だったのだ。


「随分と下が騒がしかったが、何かあったのかい?」

 

 普段の『昼行燈』『うつけ王』としての雰囲気を微塵も感じさせない、その佇まいに思わず絶句する一同へ、彼はわざとらしくそう尋ねながら歩み寄る。


「いえ、その……お早いお目覚めですね王よ――」


 途端我に返ったイシダ宰相ははっと息を呑み、目を泳がせながらしどろもどろに返答した。

 

「にしては焦燥した顔してるじゃないか。朝から走り回ってさぞ疲れたろ?」

「は? い、いえ……そんなことは――」

「マーヤは無事旅立ったかな? 悪いね、愚妹が迷惑をかけた」

「なっ!?……何故それを!?」


 と、素っ頓狂な声をあげた若き宰相を見て、傍らまでやってきたサクライは我慢できず噴き出しながら彼の顔を覗き込む。

 だがその顔はすぐに真剣なものへと切り替わった。

 配下を統べる、威厳ある蒼き騎士王としての顔に――


「女王が不在の間、が代理で施政を行おう」

「はっ!? ええっ!?」

「なんだ不満かい?」

「い、いえ……滅相もございません――」


 これは夢か幻か? 一体どういう風の吹き回しなのだ?――

 と、目を白黒させながらイシダ宰相はサクライの顔をまじまじと眺める。

 そんな若き宰相を見下ろしながら、蒼き騎士王はいつも通りの優男の表情を一瞬だけ浮かべて苦笑してみせた。


「やはり慣れないことをするものじゃないな。この格好をするのも久しくてね……実はもう肩が凝ってきている」

「……王よ」


 と、普段の軽い口調の気が抜けた声が聞こえて来て、不覚にも安堵しながらイシダ宰相は思わず眉間を抑えて項垂れた。

 嗚呼、よかった。いつもの王だ――と。

 だがしかし。

 刹那、蒼き騎士王は彼の肩に手を回して引き寄せると、小声で語り始める。


「マーヤの事、責めないでやってくれ。妹は元々、狭い鳥籠の中で生活できるような子じゃない。なのに十年も我慢してこの国のために尽くして来たんだ」

「……それは、薄々勘付いておりましたが――」

「そうか、流石は宰相。ならば今回だけは彼女の我侭を許してあげて欲しい。女王にだって休暇は必要だろう?」

「……」

「その分僕が頑張るよ。まあマーヤ程、融通は利かないかもしれないが――」


 ――だから、見逃してやってくれ。

 そう付け加えて、ポンポン――と、サクライはイシダ宰相の背を叩くと目配せしてみせた。

 やにわに、肩の上に登ってきたオオハシ君リスザルもコクコクと頷きながら歯を見せて笑う。


 そんな蒼き騎士王をじっと見上げ、若き宰相はしばしの間難しい顔で思案を巡らせていた。

 だがやがて、それはそれは深い深い溜息を一つ吐くと、覚悟を決めたように、そして開き直ったように、いつもの冷静な表情に戻るとサクライの顔を覗き込む。

 

「よいでしょう。では代理をお願い致します」

「ありがとう宰相」


 と、鼻息交じりに挑戦的にそう意気込んだ若き宰相に対し、サクライはにこりと涼しげな笑みを浮かべ礼を述べた。


「礼は代理としての仕事ぶりでお返しいただきたいものですな。覚悟してください王よ、女王が担っていた仕事がどれほど大変なのか、その身で知っていただく良い機会です」

「あー……できれば最初はお手柔らかにお願いしたいのだけど?」

「承知しかねます。途中で辛くなっても、絶対に逃がしませんからそのおつもりで」

「やれやれ……出来の良い妹を持つと苦労するな」

「では朝議を始めましょうか。参りましょうぞ」

 

 そう言ってイシダ宰相が踵を返すと、サクライは肩を軽く竦めた後、彼を追って歩き出す。


「王がまつりごとだと?」

「うーむ、今日は雨が降るかもな」


 どうにもピンとこない――

 王の間を後にした二人を見送る様に眺めていたサワダとスギハラは、ややもってからお互いを見合うと、不遜と知りながらも思わず呟いたのであった。

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