その8-1 英雄とは 忠臣とは

 怯むことなくと、まるで地すれすれを滑空する燕の如く、間合いに入ってきたマーヤを見てスギハラは括目する。


 なんという速さであろうか。

 流石は英雄。警備隊にもこれ程の速さで動ける者はそうはいないだろう。

 女性だから、女王だから、と無意識に手加減しかけていた彼は考えを改め、大きく振り被ってマーヤへと手を伸ばす。

 警備隊はその役割からしての良い、力自慢の者達が多い。

 スギハラも多分に漏れず、がっしりした身体つきの大柄な青年だった。

 マーヤも決して小柄とは言えないが、それでもその身長差は頭一つ以上ある。

 その偉丈夫の大きく開かれた手が、彼女を掴まえようと真上から迫った。


 だがしかし。

 頭上から伸びてきたスギハラのその腕を軽快なフットワークで躱し、マーヤ床を蹴ってさらに懐へと潜り込む。

 刹那、くっつくくらいに迫った蒼き女王の何とも楽しそうな顔を見つめ、あっ!――と、スギハラが目を見開く最中、マーヤは彼の股下をスライディングですり抜けて背後に回っていた。

 

「残念、足元がガラ空き♪」

「なんとっ!?」


 まず一人、さてお次は――

 慌てて振り返った偉丈夫にクスリと笑い、マーヤは待ち構えてたもう一人の人物に向けて挑戦的な視線を送る。


「くっ、油断するなサワダッ!」


 悔しそうに歯噛みしながら叫ぶスギハラに向かって、サワダは無言で頷き、端正なその顔を真剣なものへと変えた。


「女王、手荒な真似はしたくありません。どうかお止まりください」

「それはこっちだって同じよサワダ君。お願いだからそこをどいて」


 サワダの警告に対し、マーヤは強気に笑って言い返す。

 やれやれ困ったお人だ。だが手加減しては彼女を捕えるのは至難の業だろう。

 スギハラが一瞬にして股を抜かれたことからもそれはわかる。

 ならば最初から本気でいかねば――


 サワダは意を決すると迫るマーヤ目掛けて、を繰り出した。

 そう、捕縛ではなく攻撃。

 もちろん女王ほどの腕前なら、全力で挑んでも怪我はないだろう――そう見込んでの上であったが。

 はたして、目にもとまらぬ速さで迫った手刀に意表をつかれつつも、マーヤは息を呑みつつ紙一重でそれを躱した。

 だがそれだけでは終わらない。続けて二撃、三撃――若き騎士は両手を使って素早く手刀を繰り出し、マーヤに迫る。

 流石は騎士団期待の若き三銃士の一人。体術も見事なものだ――

 身を屈め、半身をずらし、辛うじて避けながらマーヤは何とか脇をすり抜けようと試みるが、サワダはその隙を見せず、攻撃の手を休めない。


「っ――」


 徐々に反応が追いつかなくなってきた彼女は、仕方なく躱すことを断念し、両手を交差させて手刀を受け止めた。

 手首が痛い。なんて重くそして早い一撃だろう。

 しっかり受け止めたのにずしりと両足に衝撃が走る。


 だがそれよりも。

 ああ、まずい――

 と、彼女は悟った。

 止めてしまった自分の足をちらりと見下ろしながら。


 はたして、|のその隙を捉え、刹那、サワダは受け止められていた左手刀をひょいと翻すと、マーヤの右手首を優しく掴まえた。

 おおっ――と、固唾を飲んで様子を窺っていた侍女や文官からどよめきがあがる。


「あー!?」


 思わずきょとんとしてしまったマーヤは、我に返ると慌てて束縛から逃れようと右手を引いた。

 だが案の定びくともせず、逆に防御を崩され引き寄せられる。

 掴まれたら最後、いくら英雄とて男性相手に単純な力比べで敵うわけがないのだ。

 フェイントとは姑息な!――と、てっきり追撃が来ると思って身構えていたマーヤは口を尖らせサワダを睨み付ける。

 そんな彼女を見下ろしながら、サワダは眉目秀麗な顔を溜息と共に曇らせた。


「女王、どうか大人しくなさってください」

「サワダ君お願い。放してくれないかな? ね? ね?」

「そう言うわけにも参りません。あまりイシダ宰相を困らせてなりませんよ」

「ずるいずるい! この卑怯者! 意地悪騎士!」

「はぁ、女王……子供ではないのですから。さ、おとなしく――」


 そこまで言ってサワダは言葉を噤む。

 呆れを含んだ眼差しを向けた蒼き女王の顔が、言葉とは裏腹に何とも楽しそうに笑っていたことに気づいて。


 なんとか女王を止めることができた。その事で緊張が解けたせいもあった。

 ほんの僅か。それはまさに一瞬の油断だった。


 だが英雄はその好機を見逃さない。


 何故そのような顔をされる――そう思いつつ、サワダが再び警戒の色を灯した時だった。

 刹那、マーヤは空いていたもう片方の手で素早く羽織っていた外套を掴むと、それを剥ぎ取ってサワダに投げつけたのだ。


「くっ!?」

 

 しくじった――視界を遮られ、反射的にサワダは顔を右手で覆う。

 腕を掴む手の力が緩んだのを感じ、マーヤは素早く自分の腕を引いてサワダの脇を潜り抜けた。

 必然的に左手を極められた状態となったサワダは、やにわに自分の身体がふわりと宙に浮く感触に囚われ思わず息を呑む。


 それがマーヤによって小手返しを極められたのだと気付いた次の瞬間、彼は背中から床に叩きつけられ、くぐもった声を漏らしていた。


「ごめんねサワダ君っ!」

「くっ、お待ちを女王!」


 慌てて跳ね起き、顔にかかった外套を剥ぎ取るとサワダは叫ぶ。

 だがその視界に映ったのは、既に脇をすり抜け、一階ホールに通じる大階段へ足を踏み入れようとする蒼き女王の後ろ姿であった。

 

 無念。こうもあっさりと出し抜かれるとは――

 見事に突破されサワダは苦笑を浮かべる。


「大丈夫かサワダ?」

「ああ。すまない、まんまと抜かれてしまった」

「流石は女王。我々もまだまだ鍛錬が足りんという事か」

「そうだな」


 だが不思議と悔しさはない。

 文武両道たる我らが主君に対する畏敬の念をさらに強くしながら、サワダはやってきたスギハラの手を借りて立ち上がる。

 だがしかし――

 

「二人とも……感心している場合では……ないでしょう!」


 息も絶え絶えにようやくやってきたイシダ宰相はそんな二人に向かって上ずった声で叫んだ。

 そして飛びつくように大階段の手摺にしがみ付くと、弾む息をそのままに階下を見下ろす。


 件の蒼き女王は大階段の半ばまで降り切り、なお猛スピードで駆け下りていく最中だった。

 もうあんなところまで!? まったくもってなんという女王だ――

 顔を引き攣らせ小さな吐息を漏らすと、イシダ宰相はホールへと指示を飛ばす。


「大扉を閉めよ! 女王を外に出してはならん!」


 ――と。

 門脇に控え、階上の様子を面喰いつつ眺めていた警備隊士達は、宰相のその魂の叫びによって我に返ると、慌てて背後にあったレバーを手前へ引いた。


 嗚呼もう。

 ほんとに忠実で、良い臣下を持って私は幸せだわっ!――

 音を立てて閉まりだした、外へと続くホールの大扉に気づきマーヤは舌打ちする。


 城の玄関ともいえるホールの大扉は、城門ほどではないがそれなりの大きさだ。

 完全に閉じきるまで時間がかかるとはいえ、はたして間に合うだろうか――

 徐々に狭まってゆく外の光を見据え、マーヤは意を決したように大階段の手摺へと飛び乗った。


 懐かしい。

 初めてこの城に来てやった以来の手摺りの滑り台。

 あの時は教育係にこっぴどく怒られたっけ?――


「なっ、女王っ! なんとはしたないことをっ!」


 そうそうこんな風にね――

 階上から聞こえてきたイシダ宰相の声にクスリと笑いながら、マーヤはおさげ髪を靡かせ、風を切って手摺の上を滑り落ちていく。

 ホールを行き交う人々が何事かと注目する中、手摺のスロープによって加速したマーヤの身体は一気にしたまで滑り降りると、そのまま勢いよく宙へと飛び出した。


 まったくあのお方は御自分の立場をなんとお考えか!?――

 まるで軽業師のように、そして何とも楽しそうにホールの宙へと身を躍らせたマーヤを凝視し、若き宰相は眩暈を覚えてふらりとよろめく。


 そんな彼の心配などどこ吹く風で、マーヤは空中で一回転して態勢を整え、大理石の床へ見事滑る様にして着地すると、足を止めることなく大扉目掛けて走り出した。

 光が狭まってゆく。だが目指す場所まであと数オクターブ。

 お願い、間に合えっ!


 心の中で祈りながらマーヤは懸命に駆けてゆく。



 だがしかし――



 ズン――と、願い虚しく光は途絶え。

 一際重い音を立てて、彼女の目の前で扉は無念にも閉ざされた。

 速度をゆっくりと落とし、やがて歩みを止めた蒼き女王は、弾む息をそのままにその閉まった大扉を見上げる。


「女王、お諦め下さい――」


 と、階上より汗だくになりながらも、心配そうに彼女を見つめ、ようやく呼吸が整ってきたイシダ宰相が諭すようにそう告げた。

 状況が掴めず、成り行きを見守る様にその場を動かない侍女や料理人、司書や庭師といった城に勤める者達の間を縫って、ゆっくりと、そして慎重に警備隊士と兵士達が包囲の輪を作り始める。

 

 未だ微動だにせずホールに佇むマーヤの背中を階上からじっと見つめ、イシダ宰相は反応を待った。

 ややもって、蒼き女王はホールの天井を見上げ、小さな溜息を吐く。

 さらに数秒の沈黙の後、徐に彼女は語り掛けるようにして話し始めた。 


「ねえタイガ君、たったこれだけ――」

「え?」

「自分の部屋からここまで、久しぶりに走っただけ……なのに、こんなに胸がドキドキしてワクワクが止まらないの」

「……何をおっしゃって――」


 マーヤが告げようとする意味が理解できず、イシダ宰相は恐る恐る尋ね返す。

 はたして、彼女はゆっくりと振り返り、階上の若き臣下達を見上げたのだった。

 

 と――

 イシダ宰相をはじめ、その傍らでやはり様子を窺っていたサワダもスギハラも、そしてその他大勢の臣下達も、振り返った彼女のその表情に気づき思わず息を呑む。

 

 額に噴き出した汗をそのままに、そして弾む息を整えながら胸を上下させ――

 彼女はなお一層、無邪気に笑っていたのだ。


「ねえ、久しぶりに外の世界に飛び出したら、一体どんな冒険が待ってるんだろう?」

「女王……」

「私は魔女に会って、自分の目で真実を確かめたいの。タイガ君、私はこの気持ちを裏切りたくない! お願い、行かせて!」


 そう言って目を輝かせ浮かべた彼女のその笑みは、まさしくかつての英雄の笑みそのもの。


 ああそうであった。

 英雄とは、決して諦めぬ心の持ち主をそう呼ぶのだ。

 そう、彼女はまだ諦めていない。

 これだけの兵士に囲まれながらも、たった今閉じたあの扉の向こうに飛び出そうとしているのだ――と。

 不覚にも、かつて子供の頃憧れた、鷹の国の王女と目の前の女性を重ね、若き宰相は心の中に沸き起こってくる憧憬と高揚に身震いしつつ双眸を細める。


 だがそれでも。

 この国の宰相として、そして女王に命を賭して使える身として。

 彼女を行かせるわけにはいかないのだ――

 揺れ動く心を必死に抑えイシダ宰相は首を振ってみせた。

 

「なりません女王」

「……」

「どうかご理解下さい。全てあなたのためを思っての事なのです」


 再度告げた若き宰相のその言葉に、嘘偽りはなかった。

 彼女は国の宝。そして国の希望。

 その身に何かあってからでは遅いのだ。


「もはや貴女は英雄である前に、一国を統べる女王である事。どうかそれをわかっていただきたい。さればこそ、我ら一同貴女のために粉骨砕身の覚悟でここに今おるのです」


 カツン――と、彼女を囲んでいた警備隊士と兵士達が、一斉に持っていた槍の石突を床へと立て、その場に跪く。

 いや彼等だけではない。ホールにいた全員が跪いていた。

 それは此処にいる誰もが、彼女が身命を賭して仕えるべき主君であることを再認識し、そして誓う行為であった。


「さあ、部屋へ戻りましょう。そろそろ朝議が始まります――」


 切なる想いと共に、イシダ宰相はそう告げて階上から手を差し伸べた。

 

 葛藤するように唇を噛むマーヤのその顔が、英雄から再び蒼き女王ものへと変わってゆく。

 彼等を振り切ってでも、渇望した外の世界を求めるべきか――と。

 それとも自分を慕う臣下のために、再び女王へとして踏み止まるべきか――と。


 と、その時――

 

 揺らぐ心に俯いていたマーヤはふと顔を上げ、大扉を振り返った。

 女王のその仕草に気が付いて跪いていた者達も、追いかけるようにして大扉を向き直る。


「女王?」

「……何か来る」

「え?」


 何か来るとは?――

 返って来たマーヤの言葉に、イシダ宰相は訝し気に眉根を寄せた。


「……何だこの音は?」


 と、マーヤとほぼ同時に違和感に気づき、気配を探っていたサワダは閉じていた目を開いてスギハラを向き直る。

 微かに聞こえてくる、例えるならば巨大な虫の羽音のような低く一定間隔の音――それはこの偉丈夫にも聞こえたようだ。

 スギハラは怪訝な表情を顔に浮かべ、サワダに向かって一度頷くとホールへ身を乗り出した。

 

「警備隊、警戒を怠るな! 外から何かくるぞ!」


 はたして。

 スギハラが剣呑な声色でそう告げた時、その音はホールにいた全員の耳に聞こえる程に鮮明になっていた。


 はっきり言えることはただ一つ。

 この音の正体が、徐々にこちらへ近づいてきているということ。

 だが一体これはなんの音だ?――

 誰もが聞いた事がない、正体不明のその不思議な音に不安の色を浮かべながら大扉を凝視する。


 やにわに空気が震えだした。

 ホールに吊るされていた、水晶製の立派なシャンデリアが小刻みに揺れ始める。

 続いて窓が共鳴するように震えだした。

 音はもはや騒音ともいえる程に肥大化し、ホールをわんわんと鳴らしだす。

 

「皆、扉から離れなさい!」


 と、狼狽する臣下の中、たった一人じっと扉を見つめていたマーヤは、蒼き女王の威厳ある口調で全員へ命じた。

 割れんばかりの大音の中、しかし凛と響き渡ったその声で、我に返った一同が蜘蛛の子を散らすようにして大扉から退避したのと、それは同時であった。


 刹那、強烈な振動が一度、ホール内に広がったかと思うと、外開きの大扉が勢いよくへとこじ開けられる。

 途端暴力的なまでの風と騒音がホールを支配し、あまりの出来事に人々は怯えるように頭を抑えてその場に伏せた。


「なにこれ……」


 そんな中、一部始終をその場に佇み傍観していたマーヤは思わず呟く。

 沸き起こった探求と好奇により、消えかかった英雄としての表情を再び顔へと浮かべながら。


 はたして、眩いばかりの陽の光が差し込むホールに、問答無用で推参したその騒音の正体――


 それは臙脂と黒の胴体に巨大な翼と回転する奇妙な鼻、そして足のように生えた三本の車輪を持った、何とも奇妙な乗り物であった。

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