第三章 自由の旅
その7-1 熊蜂の飛行
翌朝。日の出の刻。
チェロ村、広場――
今日もいい天気。雲一つない良い天気だ。
乾季のオラトリオ大陸は連日こんな感じで雨が降ることがほとんどない。
暁の太陽が朱に照らす村の広場は、いつもの広場と若干雰囲気が異なっていた。
中央に聳える風車の真下。そこに昨日まではなかったとある
つい今しがた、村の若い者達が操る四頭の馬に牽引されて、村の端にある納屋から運び込まれてきたものである。
「ぺぺ爺、これでいいか?」
「おお、ご苦労じゃったのヨーヘイ」
と、しげしげと興味深げにその物体を眺めていた博識な老人は、馬を巧みに操り傍らにやってきたヨーヘイへねぎらいの言葉を投げかける。
「しっかし一体何なんだろなこりゃあ」
下馬したヨーヘイもぺぺ爺の隣に立ち、牽引してきたその物体を見上げながら感嘆の声をあげた。
全長およそ十オクターブ、幅は十五オクターブ、高さは三オクターブほど。
布からはみ出た下部には、大きな車輪が前に二つ、後ろに一つついている。
大きな十字の形をしたその物体は、かのチェロ村青年団長もこのような物は初めて見る代物だ。
「さあのう。これでカッシー達を追いかけるとササキ殿は言うておったが」
「これで? んじゃこれ、馬車か何かか?」
馬車にしちゃあ随分と奇妙な形じゃないだろうか。
「うーむ、馬車には……見えんかったがの」
あるいは彼等の世界では馬車がこのような形をしているのかもしれんが――
素っ頓狂な声をあげたヨーヘイに、ぺぺ爺はつぶらな瞳をシパシパさせながら首を傾げてみせる。
二か月前、丁度あの喧しくまとまりのない少年少女の集団が村を旅立ったあたりから、ササキは村の若者達の手を借りて、目の前の物体の作成に取り掛かっていた。
その過程をこの老人も時々見かけてはいたが、はたして何を作っているのかまったくもって見当がつかない有様だったのである。
と――
「お待たせしましたコノヤロー」
噂をすれば何とやら。
颯爽とやってきた鬼才の生徒会長を振り返り、二人は各々手を挙げて迎える。
「おはようササキ殿。言われた通り、出しておいたぞい」
「ありがとうございますペペ爺さん。助かりました」
ササキは、目の前の物体を満足気に眺めペペ爺に礼を述べた。
「なあササキ、カッシー達を追いかけるって聞いたけど、おまえその軽装で行く気か?」
と、青年の全身を下から上まで一瞥し、ヨーヘイは思わず垂れ目を白黒させる。
はたして、彼の服装はいつもと変わらぬ、音高の
その手には耳カバー付き厚手の革帽子と、お手製のゴーグルが握られていたが、やはり軽装には変わりない。
道中順調にいったとしても馬車で二日強。
それなりに準備が必要なことは先に旅立った少年少女達を見ていて、この青年もわかっているはずだが、本当にそんな軽装で大丈夫かよ?――
わかりやすい程にそう告げるヨーヘイの表情に気づき、だがササキはお決まりの如くニヤリと不敵な含み笑いを口元に浮かべてみせていた。
「旅は身軽に――モットーでねコノヤロー」
「まああんたの事じゃから、その辺承知の上での準備じゃろうが……しかし、急な出発じゃのう」
「見送ったはいいが、やはり日笠君抜きであの濃い連中がまとまるか少し心配になったのでね」
「なるほど……ま、確かに心配だな」
「まったくだ。手のかかる後輩を持つと気苦労が絶えない」
心底同情するように、うんうん――と深く頷いたヨーヘイに対し、ササキは肩を竦めつつ答える。
「まあ、他にも目的はあるが――」
「他にも?」
「……個人的な案件だ、大した用事ではない」
と、そこで苦虫を噛み潰したような、何とも渋い表情を顔に浮かべササキは言葉を濁した。
なんだそりゃ?――
ポリポリと頬を掻きながら、ヨーヘイは訝し気に唸っていたが、やがてにへらと笑いながら傍らの物体へと目を向ける。
「まあいいけどさ。んで、これで追いかけるんだろ?」
「ああそうだ。つい先週ようやく形になったのでね。試運転がてら使ってみることにした」
「ふむぅ、してこりゃあ一体何なんじゃ? 追いかけるというからには乗り物だとは思うが……馬車ではないじゃろ?」
「ええ、馬車では追い付けませんからな。運転の仕方もわかりませんので」
それにどうも生き物とは相性があまりよくない。
飼っていたオーボエ好きな
つるりと顎を撫で、ペペ爺の問いに頷いた。
「んじゃあ一体どうやって行くつもりだよ?」
「クックック、知りたいかねヨーヘイ君?」
馬車以外の乗り物で、かつ馬車よりも早いもの。そんなもんあるのか?――
皆目見当もつかないヨーヘイが訝し気に尋ねると、ササキは得意げにほくそ笑み目の前の物体を覆っていた布に手をかける。
そして徐にそれを引きながらこう言ったのだ。
「空からだ」
――と。
はたして、取り除かれた布の下から姿を現したその『物体』を眺め、ペペ爺は真っ白な髭に覆われた口をぽかんと開けていた。
かの老人だけではない。ヨーヘイも、そしてその物体を広場に運んできていた村の若者達も、驚きの声をあげる。
それは、蜻蛉のように縦に二枚一対となった立派な翼を両脇に備えた、楕円体の乗り物であった。
乗り物――そう認識できた理由はその背に人が一人ギリギリ乗れるほどの小さな座席が備え付けてあるのが見えたからだ。
明るい臙脂色と黒のストライプに塗装されたその胴体の先端には、まるで鼻のように小さな四つ羽の風車が取り付けられており、足を連想させる三本の車輪が下部から生えている。
「な、なんだよこりゃ……!?」
目をまん丸くしてその乗り物を見上げながら、ヨーヘイは思わず呟く。
なんかコツコツ作ってたのは知っていたが、完成形は初めて見た。こんな乗り物は見たことがない。
しかもたった今、目の前の青年は『空から』と確かに言ったのだ。
おいおい、冗談だろ? まさかこれが空を飛ぶっていうのか?――
「試作型プロペラ機ZIMA=
「これが……空を飛ぶというのかの?」
「ええ。計算上では」
当初はプロペラ飛行機を作ろうと考えていたが、流石にエンジンを作るには資源が足りない。
なので魔曲『熊蜂の飛行』を応用し飛行能力を確立した。科学的というよりかは魔法的な原理による飛行だ。
動力源は電気で、コツコツ充電しておいたから三日は連続して飛行可能だ。
惜しむらくは操縦席にエアコンやら、ハッチやらを付けたかったのだが残念ながらそこまでの時間はなかったのでまた次回だ。
しかし、我ながらなかなかの出来栄えではなかろうか――
心底たまげたという顔で尋ねたぺぺ爺に向かって、暁に映えるそのZIMA=φを眺めながら、ササキは噛み締める様に頷いた。
「これなら二時間あればコントラバス遺跡に到着できます」
「に、二時間?!」
「なんとまあ……まったくあんたは凄いのう。こんなモンを作ってしまうとは――」
もはや称賛に足る言葉が見当たらず、ただただ呆れてしまうしかない――
ペペ爺は感嘆の溜息をと共にササキを見上げ、頻りに頷いてみせる。
「クックックそれはどうも。ではまあ、テストも兼ねて処女航海に行ってくることとしますよコノヤロー」
そう言って無精髭の伸びた顎を撫でると、ササキは側面に取り付けてあった簡易
「ところで浪川君は?」
「まだ寝てるようじゃがの?」
「そうですか、まあ彼らしいといえば彼らしいクックック……では留守の間、日笠君の看病を頼むと伝えてください」
「マユミちゃんのことなら、村のみんなで看病するから心配せんでええぞい」
「ありがとうございます。では――」
「うむ、気をつけてな」
ニコリと微笑んだペペ爺に頷いて、ササキは操縦席の全部に取り付けてあった計器類のスイッチを入れる。
仄かな青白い光が一瞬機体を包んだかと思うと、やにわに内臓されたタービンが起動音をあげ、プロペラが回り始めた。
高速回転に到達したそのプロペラは、けたたましい
中央にあった風車の回転が不自然に速度を増したのを見上げながら、周囲で様子を見守っていた村人がどよめきをあげた。
「言い忘れていた。危ないから離れてください。村の人々にも広場から退避するように伝言を!」
「なんとな?!」
「おい、そういう事は先に言えよ!」
自然に大声となったササキのその警告を聞き、傍らにいたペペ爺とヨーヘイは慌てて顔を腕で覆い後退る。
そして踵を返すと、村人達に指示を飛ばして広場の外へ移動を開始していった。
それを見届けた後、ササキが操縦桿を手前と引くと、ZIMA=φはゆっくりと前進を開始する。
プロペラの回転が生み出す騒音で、眠っていた村人達も目を覚ましたようだ。
何事かと窓を開け広場の様子を眺める彼等が、次々と寝ぼけ眼を仰天の表情に変えていく中、ササキを乗せたプロペラ機は広場の端までやってくると方向転換して静止した。
さて、計算ではこの広場の幅で滑走距離は十分のはずだが……それでは
手にしていた革帽子を被り、お手製ゴーグルを装着すると、ササキは計器類のスイッチを軒並みパチパチONにしてゆく。
途端プロペラがさらに回転速度を増し甲高いタービンの回転音が広場を支配するかの如く響き出した。
よし――と、満足そうに頷いて鬼才の生徒会長は握りしめた操縦桿を手前へゆっくりと傾ける。
「本当に飛ぶのか、あれ?」
「わからんが……あの子の眼は本気じゃったぞ」
異世界の技術がどれほどなのか、そう言えば深く聞いた事はなかった。
だが どのような原理か皆目見当もつかないが、雷を蓄積する技術や、遠く離れた相手と話をする技術などがあるのだ。
空を飛べる馬車があったとしても、不思議ではないだろう。
ペペ爺は広場の隅でまるで力を溜める様に静止しているZIMA=φを祈る様に見つめながら、それが飛び立つ瞬間を目に焼き付けようと、固唾を呑んで見守っていた。
と、砂埃をこれでもかと巻き上げて、甲高いプロペラ音を唐突に生み出しはじめたZIMA=φに気づき、チェロ村の人々は一斉にその大きな『
動きだした!――
刹那、助走をつけ始めたZIMA=φを見つめ、ペペ爺は手に汗握りながら白い眉毛の奥のつぶらな眼を見開いた。
速い。馬車なんて目ではない加速と速さだろうか――
あっという間に広場の半分近くまで走り抜けた臙脂と黒の物体を目で追いながらヨーヘイはごくりと息を呑む。
だがしかし。
見守る人々の顔が徐々に曇り始めた。
何か様子がおかしい――と。
「なあペペ爺」
「うん?」
「飛ばねえぞ……あれ?」
「……ううむ」
はたして、ヨーヘイが皆の気持ちを代弁するように恐る恐る呟いた。
滑走は既に広場の三分の二を過ぎている。だが騒々しい音と砂埃を巻き上げながらも、一向にZIMA=φが飛び立つ気配がないのだ。
このままでは、まずいのでは?――
ZIMA=φが向かってゆく先に佇む松脂亭へと目を移し、ペペ爺は喉奥で唸り声をあげる。
あの宿には件の病に倒れた少女も眠っている。
もしこのまま飛ばずに真っ直ぐ宿屋に大激突!――などということになったら、目も当てられぬ惨事だ。
老人だけでなく、誰もがそう思い始めた瞬間だった。
「浮いたっ!」
「おおっ! 本当に飛んだぞっ!」
村人達の口から
まさしく、宿まであと二十オクターブまで迫っていた臙脂と黒の『熊蜂』のその機体が、ふわりと宙に浮いたのだ。
離陸したZIMA=φは、急激にその機体を上昇させると、松脂亭の屋根ギリギリを掠め通過していった。
あわや大激突は免れた。ほっと安堵の吐息を漏らしたのも束の間。
途端、広場は歓声に包まれた。
「おおお……飛びおった! ほんとに飛びおったぞい!」
「マジかよ……すげえ。すげえっ!」
澄み渡る蒼い空にプロペラ音を轟かせ、その歓声に応えるかのように上空を旋回する
そんな彼等をコックピットから覗くようにして見下ろし、ササキはニヤリとほくそ笑んだ。
予想していたより加速が足りなかった。やはり電力では馬力が出ないな。
まあギリギリではあったが離陸は成功。とりあえずは良しとしようか――と。
「クックック、さて
ササキは一人そう呟くと、操縦桿を傾ける。
さらに二度ほど上空を旋回した後、臙脂と黒の胴体を朝日に輝かせながら
そして飛行機雲を残しつつ蒼空の彼方へと飛んでゆく。
「すげえなあ! 神器の使い手ってよ!」
「うーむ、長生きしてみるもんじゃのう……」
しばらくの間、興奮冷めやらぬ村人達の歓声がコーダ山脈の麓に木霊していた。
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