その6-2 蒼き兄妹

 声が聞こえてくる。

 真っ暗で何も見えない。ここは一体どこだろう。

 上も下も、右も左もないその空間で女の子達の声だけが聞こえてくる。


 でも聞き覚えのある声だった。

 この声って、確か――


―はぅぁぁ……今度はまゆみおねえちゃんが! ていうかもう『εЯκ』ちゃん、これ一体どうなってるの?―

―いやあ、私に言われてもさー。あはは、これどうなっちゃってるんだろね―

―どうなっちゃってるんだろう……って、それじゃまさか……?!―

―うんそう、これも想定外?―


 いやあ参っちゃったなあ――という感じの、てへぺろ感満載な可愛い女の子の声が返事する。

 でも名前の部分だけ、まるでノイズが重なるようにして上手く聞き取れない。

 誰なのだろう彼女達は。私のことを知っているみたいだけれど。

 

―てへぺろじゃないよ『εЯκ』ちゃん、このままじゃまゆみおねえちゃん死んじゃうよ! なんとかならないの?!―

―そう言われてもねー。ヘオン病だっけ? そんな設定私知らないし―

―え、ちょっと待って。それじゃもしかして、今回も……―

―あ、その設定私が考えた奴だ―

―ま た ア ン タ か !―


 新たな女の子の声が加わった。

 誰だろう。あれ、でも待って。

 この子の声、聞いたことがある。いつだっけ、確か去年の文化祭で――

 

―ええええええ、また『Ш→Υ』ちゃんが加えた設定なの?!―

―いやでも、この設定はマダラメの人物設定に書き加えただけなんだけど。ほら、やっぱりさあ、ストーリーに出てこない部分でも詳細な設定はしておく必要があるじゃない? リアリティーっていうか、『クロサワ式』だっけ? お父さんが言ってたし―――

―どうでもいいわそんな事! アンタ人の話聞いてた?! 勝手に人のシナリオに設定加えるなって言ったばっかでしょ! あ゛?!―

―あうぅ~、ょっと『εЯκ』、ひらいたひらいたい! ほっぺひっぱらいで!―

―やかましい! アンタが担当してる過去でやりなさいよそういうことは!―


―どうしよう。あんな恐ろしい病気……しかもお薬ないんでしょう?―

―で、でもさー? まさか裏設定っぽい病気にかかるなんて思わないじゃん。というか、『Ш∀Ⅰ』のお兄さん達が勝手に動いてどんどんドツボはまってる気がするんだけど―

―ううっ!―

―ああー、その部分には賛成だわ、アンタのお兄さん達さあ、ちょっとトラブル巻き込まれすぎじゃない?―


―はぅぅ、そんなこと言わないでよ。おにいちゃんだって一生懸命頑張ってるんだから!……それはともかくどうしよう。ねえ『εЯκ』ちゃん、魔女ならまゆみおねえちゃんの病気……治せるのかな?―

―さあ、登場はさせたけどあの魔女のプロット考えたの、『Ш∀Ⅰ』の方でしょう? だって十年前の物語からの再登場だから。もらったノートに準じて書いたけれど―

―あ、そうだった……うーん、そこまで設定練りこんでなかったから……ちょっとわかんない―

―ええっ? ちょっと大丈夫なの?―


―だって『Ш→Υ』ちゃんからヘオン病のことなんて聞いてなかったから……とにかくおにいちゃん達に何としてでも魔女に会ってもらわなきゃ。ねえ『εЯκ』ちゃん、コントラバス遺跡ってどんなところ?―

―えっとね、罠だらけの遺跡―

―ええっ!? ただの遺跡じゃないの!?―

―それじゃつまんないじゃん。私が考えた話じゃ、マーヤ女王がその罠を切り抜けて魔女に会いに行く大冒険活劇――の、はずなんだけど……もう最初と比べると大分物語変わってきているしなあ……どうなるかわかんないや―

―そ、そう……おにいちゃん達無事だといいけど―


 意気消沈、『Ш∀Ⅰ』という甲高いノイズが入る名前で呼ばれていた女の子が可愛らしい溜息を吐くのが聴こえた。

 

 でも、何だろう今の会話の内容は?

 この子達、きっと私達のことを話しているんだよね?

 

 でも一体どういうこと? 私の病気って風邪じゃないの?

 コントラバス遺跡? 魔女?

 それでカッシー達が危ないって?!


 そもそもこの子達が何故ここに?

 あの時あの場にいなかったはず。いや、いるはずもないのに。


 嗚呼だめだ、思考が追い付かない。

 意識が遠のいてきた。

 

 女の子達の声がどんどん離れていく。

 闇に落ちてゆく私の意識は、そこで途絶えた。



♪♪♪♪


 

チェロ村、宿屋松脂亭二階。女子部屋――


 重い瞼を開き、日笠さんは薄暗い天井を見つめる。

 私はどれだけ眠っていたんだろう。

 外はもう夜のようだ。梟の鳴き声が森から聞こえてくる。


 思い出せない。

 何だか凄く驚いて、凄く怖い夢を見ていた気がするのに。


 これは虫の知らせ? いや違う。

 夢の内容は覚えていない、けれど――

 漠然と不安だけが胸一杯に広がっている。


 彼女は小さく息を吸って、上半身を起こした。

 テーブルの上で銀色のマウスピースが、窓から差し込む月光を鈍く反射しているのが見える。


「カッシー……」


 咽喉が焼け付くように痛い。

 身体中が熱いしだるい。頭もボーっとする。

 だが少女は虚ろな瞳に強き意志を灯し、ベッドから這い出るとふらふらと立ち上がった。



♪♪♪♪



 同時刻。

 ヴァイオリン城、謁見の間バルコニー――


 白い手摺に頬杖をつき、マーヤはバルコニーで一人物思いに耽っていた。

 明日も早くから朝議があるためベッドに入ったもののなんとなく目が冴えてしまい、こうして気分転換のために夜風に当たりにきていたのだ。

 そんなわけで、今はゆったりめの白のネグリジェに着替え、髪も下ろした完全なオフモード。

 マーヤ=ミカミという一人の女性として、彼女はヴァイオリンの夜景をぼんやりと眺めながら髪を掻き上げる。

 頭の中でリフレインするのは、封印の間での出来事だ。


♪♪♪♪


夕刻、封印の間――


「なりません! 何をお考えですか!」


 城を留守にするので後をよろしく頼む――

 にこやかにそう告げた彼女目がけて、イシダ宰相は鬼のような形相で一喝していた。


 途端、鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきのまま身体を仰け反らせ、マーヤは二、三度瞬きをする。

 だが直に頬を膨らませて彼女は若き宰相を睨み返していた。


「なんで? 大丈夫よ、一週間のうちには帰ってくるから――」

「宰相として許可することはできません。一週間も城を不在になさったら施政にも影響が出ます」

「でも約束したんだもの。それに彼女に会って聞いてみたいこともあるし」

「十年以上も前の口約束などあてになりません。ましてや相手は魔女ですぞ?」

「彼女は操られていただけって言ったじゃない。今はもう無害よ」

「いいえ、信用なりません。それにコントラバス遺跡は罠だらけの危険な場所。そんな所に赴いて、もし貴女に何かあったらこの国はどうなるのですか?」


 大きく首を振って、イシダ宰相は詰問する。

 途端、マーヤは口を尖らせてぷいっと大人げなくそっぽを向いた。


「罠だらけだから面白そうなのに、わかってないなあ」

「今何とおっしゃいました?」

「なんでもないでーす」

「とにかく軽率な行動は慎んでいただくようお願いします。女王は御自分の立場をなんとお心得ですか?」

「弦国女王ですけど……」

「わかっているならご自重下さいっ!」


 思わず声をさらに荒げ、イシダ宰相は火を噴くほどに大きく口を開けてマーヤに諌言する。


「聖剣と魔女の件は騎士団の精鋭に任せることと致します。女王は引き続き施政にお励み下さいますよう」

「……」

「女王、よろしいですね?」

「……はぁい」


 マーヤはすっかりいじけた様子で目すら合わせようとせず、頬を膨らませ、口を尖らせ間延びした返事をする。

 まったく普段は目を見張るほどの才能をお持ちだというのに、なんだこの呆れた態度は。

 これが一国の女王たる者のお姿か。子供か!? 子供なのか!?――

 やれやれと肩を落とし、イシダ宰相は苦労人特有の深く切ない溜息を一つ吐いたのであった。


♪♪♪♪


 話を元に戻そう。

 そして今に至るというわけだ。


「……つまんないの」


 ついた頬杖にこれでもかという程もたれかかり、実に大人げなくマーヤは

 まるで待ちに待ったピクニックが、雨天で中止になった女の子のような口ぶりであった。


 あの魔女は私に向かって言ったのだ。

 マーヤ=ミカミという人間に向けて言ったのだ。

 十年後、グランディオーソと共に我が下へ来い――と。

 

 何故それを他人に任せなくてはいけないのだろう。

 納得がいくわけがない。


 だって遺跡よ、遺跡!

 罠だらけの生死をかけたスペクタクルショーが待っているわけでしょ?

 もうワクワクものじゃない!

 ……あ、いけない。よだれ垂れてた――

 慌ててじゅるりと口元を拭い、マーヤは誰も見てないというのに敢えてコホンと一回咳払いをする。

 

 あーあ。行きたいなあ……。

 そりゃタイガ君の言う事も十分わかっている。

 至極正論だった。まったくもってぐうの音が出ないほどに。

 一国の長たる人物が危険な場所に赴くのを止めるのも臣下の役目。

 涙が出る程ありがたい忠臣の諫言であることもわかってる。

 

 だが、それはそれ。これはこれ。

 一度火がついてしまったこの探究心を止めることなどできようか。

 そして聖剣を再び手にした瞬間、込み上げてきた懐かしき冒険の記憶から、今もどんどん肥大化している好奇心はもはや抑えられそうにない。

 またあの日々に戻れることを恋い焦がれ、私は待っていたというのに――

 手摺に突っ伏し、蒼き女王……いや、英雄である女性は無念そうに脱力した。

 

「はぁ~~、行きたいなあ……いきたいいきたいいきたいいきたい! ずるい!――」

「なにが?」


 と、返ってくるはずのない返事が聴こえてきて、マーヤは慌てて顔をあげると、目を見開きながら真横を振り返る。

 そして傍らの手摺に背もたれながら、自分を見下ろしていた人物に気づききょとんとした。

 

「兄さん……」

「やあ、妹よ。こんばんは」


 ニコリと笑ってサクライはマーヤの顔を覗き込む。

 いつの間にこんなに近くに? というか、悶々と考えに耽っていたせいで、全然気づかなかった――

 マーヤは少し恥ずかしそうに頬を染めたが、だがすぐに彼の出で立ちに気付くと呆れたようにその双眸を細めた。


「……何その服装?」

「ああこれは、まあその……夜の散歩かな?」


 ちらりと自分の来ていた平民の服を見下ろした後、サクライは誤魔化すように苦笑いを浮かべる。

 どうやら今日も今日とて彼はこっそり城を抜け出し、城下町を遊覧してきていたようだ。

 あのサヤマ邸での一件以来、少しは真面目になるかと思ったが、染みついてしまった習慣というのは中々抜けないということだろうか――頬杖をつきなおし、マーヤはやれやれと可愛い吐息を漏らして兄を見上げていた。

 

「まったくもう、あんまり度が過ぎるとまたタイガ君にお説教もらうわよ?」

「……あれはもうこりごりだ、気をつける事にしよう。ところでこんな時間に君が起きているなんて珍しいね」


 いつも通りこっそり抜け出して。いつも通りこっそり自分の部屋へ戻ろうとしていた蒼き騎士王は、通りがかったバルコニーに人影が見えて不思議に思い、こうしてやってきていたのだ。

 だがこれは相当にご機嫌斜めのようだ。珍しいこともある――サクライは意外そうに最愛の妹の顔をしげしげと眺めていた。

 はたして、兄からの問いかけで再び悶々とした気持ちを思い出したマーヤは、唇を尖らせ、頬をぷくりと膨らませる。


「ちょっと考え事をね――」

「考え事?」


 コクンと頷いて、彼女は封印の間での一件をサクライへ話した。

 数分後。

 

「……なるほど、あの魔女がそんなことをね」

「うん」

「それで会いに行こうとしたら宰相に止められて、こうして拗ねていたと」

「だってせっかくのチャンスだったのに止められちゃったんだもん」

「みんな君を慕っているのさ、だからこそ宰相も君の身を案じて止めたんだよ」

「そんなの……知ってるもん――」


 不満げな顔で街を眺めつつ、マーヤは淡々と答えていく。

 妙なところで子供っぽいのは昔から変わらないな――

 サクライは手摺にもたれ、無造作に後ろで纏めた髪を掻きながら城を見上げた。

 しばらくの静寂。

 腹違いの兄と妹である二人は、それぞれ天と地をぼんやりと眺めながら思いを巡らせる。

 だが二人の頭の中を過ぎっていたのは、奇しくも同じ十年前の懐かしき冒険のことであった。


「……気になるの」

「なにがだい?」

「魔女が何を知っているのか……どうして今になってグランディオーソの力を元に戻す必要があるのか」

「マーヤ……」

「なんだか嫌な予感がするのよ。なんだろう、この胸騒ぎ……」


 そう言って、マーヤはゆっくりと俯いた。

 魔王は確かにこの手で倒した。

 なのに何故魔女はあんなことを言ったのだろう。


 眼下に広がる城下町は、零時が近いというのにだ煌々と灯りが煌いている。

 十年かけて彼女が――いやこの大陸に住まう皆が取り戻した平和だ。

 だがこの平和が再び崩れる時が近づいて来ているというのだろうか。


 私には、それを聞く権利が私にはあるはずだ。

 だって私はこの国の女王なのだから。

 この国を守らなくてはならないから――


 ポン――と。


 大きな手が頭を覆い、マーヤははっとしながら顔をあげる。

 そして優しい笑みを浮かべて自分を見下ろす兄に気づき、不思議そうに深い茶色の瞳を瞬かせた。


「中庭の隅に城下町へ通じる抜け穴がある。僕がいつも使っている抜け道だ。そこを使えば北の大通りの裏手に出れるはず」

「え……」

「行っておいでマーヤ。魔女に会ってくるといい」

「……兄さん」

「君はよく頑張ってる、本当は冒険の旅に出たくて仕方がないのに、この十年の間自分を抑え女王として国のために尽くしてきた……けど女王だって人間だ。たまには休暇が必要だろう?」


 そう言いながらサクライは十年前あの頃と同じように屈みこみマーヤの顔を覗き込む。

 それは、いつだって人知れず妹を護り、そして助けてくれた優しき兄としての眼差し――


「ゆっくり羽根を伸ばしてくるといい。なに、留守の間は僕がなんとか上手くやっておくよ」

「……兄さんが?」

「何だその顔は、少しは兄を信用してくれてもいいだろう?」

「本当に大丈夫?」

「ま、確かに君ほどではないけれどね」


 これでも王なのだ。任せておけ、心配はご無用――

 器用に目配せをしてみせると、サクライは優しく笑って見せた。

 キョトンとしていたマーヤは、やがて嬉しそうに満面の笑みを浮かべると、最愛の兄の胸へ飛び込む。

 おっと――と、おどけた様に声をあげ、サクライは彼女を受け止めると、その細くしなやかな身体を抱きしめた。


「ありがとう……兄さん」

「気を付けて行っておいで。カッシー達も遺跡に向かったんだろう? 助けてあげるといい」

「うん――」


 コツンと兄の胸に額をあて、マーヤは目を閉じる。

 サクライはそんな妹の無事を祈りつつ、彼女の頭を愛でるようにくしゃくしゃと撫でた。


 彼の胸ポケットからひょっこりと顔をだしたリスザルオオハシ君が、ニカッと歯茎を見せてはやすように笑っていた。

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