その6-1 救国の剣
ヴァイオリン城、地下五階――
罪人を投獄する牢よりもさらに下層。
そこに人知れずひっそりと存在する部屋がある。
丁度王の間の遥か真下――分厚い扉と鎖によって常に閉ざされているその部屋は、存在自体を知る者も僅かだった。
ましてや、その中に何があるかを知る者はさらにごく一握りの人物のみに限られていたのだ。
そして彼等は厳重に施錠をされたその部屋をこう呼んでいたのである。
『封印の間』――と。
「まさか自分が宰相就任中に、この部屋を開ける事になるとは思ってもいませんでした」
翳したカンテラで照らし出された分厚い扉を見上げながら、イシダ宰相は険しい表情で口を開いた。
彼の隣で同じく、だが
「大丈夫、開けるだけだから」
「しかし
かつて彼が宰相に就任した際、マーヤより封印の間の事実を教えられた。
中に眠る物が何であるかを知った時、彼は自分が就任中――いや、未来永劫この扉を開ける必要がない事を心の中で願っていた。
この扉を開ける時、それは謂わば有事の時に他ならないのだから。
「そろそろお話くださいませんか? 何故
今彼の手元には宰相へと就任した際に預かった鍵が握られている。
王家の象徴であるユニコーンの頭が彫られた金色の鍵だ。
この扉を開けるには当代の王(女王)と宰相、両者の合意を必要とする――
中の物を悪用されないように、マーヤが女王に就いた際に定めた機密事項の1つである。
それほどまでに厳重に管理しなければならない部屋だった。
故に開けるには相応の理由が必要であるし、その理由を聞いたうえで宰相として判断をせねばならない。
だが彼女からはまだその理由を聞いていない。
真剣な表情で問い質した宰相に対し、マーヤはしばしの間思案を巡らせていたが、やがて自らが持っていたもう一つの鍵を胸元で翳してみせながら、ニコリと微笑んだ。
「少し長い話になりそうだから先に進みながらでもいいかしら?」
「……わかりました」
女王のその表情に悪意は感じられない。
いや英雄である彼女がそもそも国家に害を及ぼすような事を考えるわけがないのはわかっているが。
致し方なく、マーヤのその言葉を信頼し、イシダ宰相扉の前へ歩み寄る。
そして握っていた金色の鍵を、鎖を止めていた南京錠の一つに差し込んだ。
カチリ――と施錠が外れる音がして支えを失った鎖が垂れる。
続いてマーヤも同様に手にした鍵で施錠を解くと、二人は扉の窪みに同時に手をかけた。
と、各々の触れた取っ手が淡い青色の光に包まれる。
特殊な魔法が施された第二の封印だった。
当代の王(女王)と宰相が同時に扉に振れないと開かない仕掛けになっているのである。
それ以外では、たとえ大陸一の怪力の持ち主でも扉を開けることはできない。
「タイミングは?」
「女王に合わせます」
「わかった、それじゃ三で――」
二人は顔を見合わせると、お互いを確認するように頷きあう。
「一、二の――三っ!」
マーヤの放った掛け声に合わせて、イシダ宰相は取っ手を横へと引き開けた。
刹那、分厚い石扉は軋んだ音を廊下に響かせながら、その身を左右へとスライドさせる。
その余韻が通路に木霊する中、若き宰相は一息ついて奥を覗き込んだ。
通路はまだまだ先まで続いていそうだ。彼が知っているのはここまでだった。
この先に何があるかは女王より聞いてはいるが、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。
イシダ宰相はちらりとマーヤの様子を窺う。
現れたその通路を眺め、彼女は双眸を細めていた。
だがその顔つきは先刻以上に、探求心に満ちた冒険を愛する『英雄』のものへと代わってきているのがわかる。
懐かしさと憂いの混じった彼女のその表情に気づき、やれやれとイシダ宰相は嘆息した。
「いきましょうか」
と、若き宰相が何かを口にしようとしかけたその時、マーヤは意を決したようにそう言って通路の奥へと足を踏み入れる。
放ちかけた言葉を飲み込んで彼もその後に続き、一人がやっと通れる程の狭い通路を進んでいった。
カンテラを翳し、この先に何があるかを知っている蒼き女王は臆することなく歩いてゆく。
対して、イシダ宰相はその性格も手伝って慎重に周囲を警戒しながら、彼女の後をついて来ていた。
「さて、それじゃ此処を開けた理由をちゃんと話さなきゃね」
ややもってからマーヤはそう言って、ちらりと後方のイシダ宰相を振り返る。
若き宰相が先を促すように頷いたのを確認すると、彼女は徐に話し始めた。
「十年前の私達と魔王との戦いの話は知ってるよね?」
「はい。存じております」
「ならその話は省くわ。問題はその後なの――」
彼女の話はこうだった。
魔王を倒した事により、かの禍々しき存在に操られていた魔女も正気に戻った。
その際、マーヤは一時的に彼女を匿うことにし、密かにヴァイオリンへと連れ帰ったのである。
マーヤ達との戦いによって彼女は衰弱しきっていたし、もし
こうして、マーヤとサクライによって匿われた魔女は、一月もすると怪我も快方に向かい、歩けるほどにまで回復していた。
そして魔王との戦いから二か月ほどが過ぎ、すっかり元気になった魔女は、ある日マーヤに一つの願いを申し出た。
自分が犯した過ちを償うために、残りの余生をひっそりと隠居して過ごしたい――と。
あなたは操られていただけだ。だからそんな事をする必要はない。
むしろあなたのその知識を、この国の発展のために役立ててもらいたい――
マーヤはそう言って彼女を止めたが魔女の決意は固く、頑として聞き入れようとしなかった。
仕方なくマーヤは魔女のその願いを聞き入れ、彼女が平穏に暮らせる場所を探すことにした。
とはいえ、ヴァイオリンの城下町に住まわせたりしたら、その事を知った民衆達が暴動を起こしかねない。
何せ彼女は事情を知らない彼等から見れば、魔王と共に弦菅両国の戦争を裏で操っていた戦犯者なのだ。
いや、たとえ城下町でなくとも、村や街などに彼女を住まわせる事はもはや無理であろう。
困ったマーヤはぺぺ爺に相談の手紙を書いた。
一週間後、かの博識なる老人から返って来る。
彼の提案は、コントラバス遺跡に魔女を移すというものだった。
ヴァイオリンから南へ馬車で一日程行った場所にある、旧文明の遺跡。
ここなら人気もないし、辺境の地であるが故に人が訪れる心配もないだろう――ぺぺ爺の手紙にはそう書かれていた。
マーヤはぺぺ爺の意見を採用し、魔女をコントラバス遺跡に隠居させることにした。
魔女も特に反対はせず、その数日後、口の堅い騎士達に護衛されて城を発った彼女は、密かにコントラバス地方へと旅立っていったのである。
それより数年後、マーヤは女王に就任するとコントラバス遺跡に関所を建てて魔女の存在をさらに外界から隔てた。
かくして魔女の存在は完全に隠蔽され、蒼き女王の善政によって戦争の爪痕が徐々に消えていくと、時と共に皆魔女の存在を忘れていった。
そして今に至る――というわけだ。
「そんな事があったとは――」
コントラバスの遺跡には魔女がいる――その事実だけは、宰相就任時にマーヤから教えられていたが、その裏にこのような事情があったとは露ほども知らなかった。
話を聞いてイシダ宰相は思わず感慨深げに思わず呟く。
「今まで黙っててごめんね。なるべく騒ぎを大きくしたくなかったから」
「話はわかりました。しかし……それと今封印の間を開けることにどのような関係が?」
経緯はわかった。しかしやはりこの部屋を今訪れる理由には至っていない。
と、さらに彼が尋ねると同時に、前を歩いていたマーヤの足が止まる。
慌てて歩みを止めた彼が前方へと目を向けると、そこに見えたのは行く手を阻むように閉ざされた鉄製の扉であった。
また扉か? だが奇妙だ。扉の隙間から僅かに光が漏れている。
ここは地下五階。しかもそこからさらに下った先だ。
なのに何故光が?――若き宰相は眉を顰める。
と、その扉の取っ手に手をかけて、マーヤは宰相の問いかけに答えを放った。
「彼女……こう言っていたの」
「何をです?」
「匿ってもらったお礼をしたい。しかし今はまだその時ではない。十年だ、十年経ったら
「……それが魔女との約束ですか?」
あの剣とは即ち――
マーヤは無言で頷くと取っ手を手前へと引く。
鈍い音を立てて開かれた向こうから青白い光が漏れ広がる。
思わず目を細めたイシダ宰相に構わず、マーヤは静かにその部屋へと足を踏み入れていった。
ゴクリと息を呑み、若き宰相は意を決すると淡い光を放つ扉の向こうに身を飛び込ませる。
そして彼は言葉を失った。
そこは大理石でできた蒼白い光が包む部屋だった。
不思議な光景だった。部屋自体が光を放っているのだ。
そしておよそ十オクターブ四方の正方形の部屋の中央に設置された、一段高くなった祭壇に奉られ――
どのような原理かはわからないが、それは宙に
そう、それは剣。一振りの剣。
他には何もない。だがシンプルな造りのこの部屋を覆っている空気の質はなんだろう。
澄みきっている――そんな表現がぴったりくるような、神々しい程に清められた空間。
こんな空間をかつて見たことがない――
「こっちよタイガ君」
マーヤの声が聞こえてきて、彼は我に返る。
声のした方向を向き直ると、マーヤは既に祭壇に上がり剣の傍らに佇みながらこちらを見ていた。
「この光は一体どこから?」
「光苔の一種が壁に植えられているの。魔法で強化されてるけどね」
なるほどと納得しつつ、イシダ宰相は恐る恐るマーヤの隣へと歩み寄る。
そして彼女の傍らにあった剣へとゆっくりと目を落とした。
間近で見て即座にわかった。この部屋の空気が澄み渡っている理由がだ。
先刻、部屋の入り口から見た時はわからなかった。
いや感じなかったという表現の方が正確だろうか。
この剣が放っている神々しい程の気に――
その剣は存在自体が他の剣と異なっていた。
見事な装飾が施された深い蒼色をした柄の先に見えた刃渡りおよそ一オクターブ弱のその刀身は象牙のような白濁色をしていた。
鋼でも銅でもない、見た事もない材質だった。
傷一つないその刀身にハオン語ではない踊るような文字が剣先から柄にかけて、いくつも彫られている。
かつて栄えていた古代文明の文字、即ちトオン語だ……本で読んだことがある――
「これが……『救国の剣』」
「そう、聖剣グランディオーソ――」
かつて迷いの森の奥深くで、言葉を語る森の長老から託された、魔王を倒すための剣。
清き心を持った者が持てば聖なる力を持つ剣に、逆に荒んだ心を持った者が持てば邪悪な力を持つ剣になる諸刃の剣――それがこの救国の剣、『グランディオーソ』。
震える声で尋ねたイシダ宰相に向かってそう答えると、マーヤは剣の柄に手をかける。
剣はグラスハープのような涼しい共鳴を一度起こすと、彼女の手に吸い付くようにして祭壇からその身を離した。
仲間と共に挑んだ最後の戦いで、彼女はこの剣によって魔王の心臓を穿ち、そして戦争を終結させた。
頭の中に十年前の冒険がつい先刻のことのように鮮明に蘇ってくる。
懐かしそうに胸の前に掲げた刀身をじっと見つめ、マーヤはその双眸を細めた。
「魔女はこの剣を持って来いといっていたのですか?」
「ええそう……この剣は魔王との戦いでもう力を失っている。今のままでは使い物にならない。だから再び剣に力を授けてやろう……魔を打ち滅ぼす聖なる力を授けてやろう――彼女はそう言っていたわ」
ヴァイオリンを去る前日、突如部屋へと呼ばれて赴いたマーヤに向けて魔女は確かにそう告げていたのだ。
力を失っている? 馬鹿な。
傍らにいるだけで威圧されるほどに神々しい力を放ち続けているこの剣が、力を失っていると?
ではこの剣の真の力というのは、はたしてどれほどだというのだ――
若き宰相は目の前の剣を見据え戦慄を覚えていた。
「しかし解せません。何故……今になって再びこの剣に力を授ける必要があるのです?」
そうだ。魔王は英雄達が倒した。
弦菅両国の戦争も終結した。あれから十年、女王の善政により国は富み、平穏無事な日々が続いているではないか。
なのに何故今になってこの剣の力を復活させる必要があるのか?――
沸き起こってきた疑問に、年相応の感情を隠すことなく顔に露わにしながらイシダ宰相は尋ねた。
はたして、マーヤはクスリと笑って肩を竦めてみせる。
「私もその時、そう思ったの。だから聞いてみた……あなたと同じ疑問を魔女にね」
「では、魔女はなんと?」
「笑われた」
「……笑われた?」
「ええ。そしてこう言ってた。おまえは勘違いをしている、これから訪れるであろう平和は一時のものに過ぎない。光と闇の戦いはまだ終わっていない。だからこの剣を必要とする時が必ずやってくる――って」
どういう事だ? 魔女は何を知っている? そして何を物語っている?――
マーヤの言葉を聞き、イシダ宰相は低く口の中で唸り声をあげた。
「光と闇の戦いはまだ続く――とは? もしや魔王はまだ倒されていない……そういう意味でしょうか?」
「解らない。彼女はそれ以上何も答えてくれなかったから」
もちろんマーヤも気になってその時尋ねていたのだ。
それは一体どういう意味?――と。
だが、魔女はやはり不敵に嗤ったのみで、マーヤの問いかけに応えようとはしなかったのだ。
そして今、かつて自分が抱いた疑問をぶつけてきた若き宰相に向けてかぶりを振ると、マーヤは救国の剣をじっと見つめる。
「けれど、彼女は何か知っているのよ。この大陸を脅かす『畏怖べき存在』について――」
だから彼女は言った。十年後、剣を携え我が下を訪れよ――と。
彼女は何を知っているのだろう。
約束を果たせば教えてくれるのだろうか。
ならばそう。
行かねばならない。
彼女の下へ――
「タイガ君、そういうわけだから」
「……は?」
魔女の謎かけのような言葉の意味を紐解こうと頭の中で思案していた若き宰相は、藪から棒に投げかけられたその言葉に、思わず首を傾げていた。
そして刹那、視界に映った蒼き女王の顔を見て、見る見るうちに苦々しい表情を顔に生み出してゆく。
彼女の瞳は既に『好奇心』と『探求心』に満ち溢れ、光り輝いていた。
その顔は既に『蒼き女王』という立場を離れ、『マーヤ=ミカミ』という、かつてのヴィオラ村出身の少女の顔に戻っていた。
彼女がこういう顔をする時、それは自分の頭痛の種を増やす行動を起こそうとしている時であると相場が決まっているのだ。
女王、そういうわけとはどういうわけでしょうか?
落ち着いて。おやめ下さい。どうか早まらないでいただきたい――
はたして祈る様に心の中で呟きながらイシダ宰相が口を開こうとした時だった。
「しばらく城を留守にするわ。私、コントラバスへ向かうから後はよろしくね♪」
「……なっ!?」
遅かった――
にこりと笑って目配せしたマーヤを見て、イシダ宰相は絶句する。
十数秒後。
封印の間には、若き宰相の悲鳴のような一喝が、ぐわんぐわんと反響することになっていた。
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