その5-2 騎士道とは

「手紙?」

「彼等が言うにはチェロ村の村長から預かった手紙であると――」

「ペペじ……いえ、ナガシマ村長から?」


 表情を僅かに緩めたマーヤに向けて、髭面の兵士は一礼で応える。

 兵士が差し出した手紙を代わりに受け取り、イシダ宰相は手紙の裏・表と異常がないか確認した。

 やはり侵入を試みたのは神器の使い手達と呼ばれるあの少年少女達に間違いなさそうだ。

 だがまだ確証はない。罠の類が仕掛けられている可能性もある。女王に渡す前に書簡等を調べるのもこの宰相の役目だった。

 封蝋が開けられた痕跡はなし。緘された紋章も確かにチェロ村のものだ。

 そして差出人はぺぺジーノ=チョー=ナガシマ――筆跡にも見覚えがある。チェロ村の村長を務めるご老人のはず――

 念のため封を開け、中に罠等が仕込まれていないかも確認した後、彼は手紙をマーヤへと差し出した。

 

 ようやく受け取った手紙を開き、マーヤはその中身に目を通していく。

 と、残る三人が見守る中、黙々と読み進めていた彼女の表情は、やにわに剣呑なものへと変化していった。

 

「女王? いかがされました?」


 どうやら良からぬ報せのようだ――

 彼女の様子からそう察しつつ尋ねたイシダ宰相に向かって、やにわに手紙を読み終えたマーヤは顔をあげる。

 

「……マユミさんが病に倒れたと記されています」


 憂いの表情と共に、蒼き女王の唇はそう告げた。

 途端に若き宰相と警備隊の偉丈夫は顔を顰め、驚きのあまり言葉を詰まらせる。


「現代に特効薬が存在しない奇病に罹って危篤状態に陥っていると。それで彼等はコントラバス遺跡に向かうため、関所の通行許可を求めに私へ会いに来たようですね」

「なんと……」


 これで全て合点がいった。彼等が何故こうも事を急いて、城門を破壊してまで私に会おうとしたかも――と。

 マーヤは皆を一瞥し、頷いてみせる。


「しかし何故彼等はコントラバス遺跡になどに? あのような辺鄙な場所に医者などおりますまい」

「そういえば遺跡に住む魔女に薬を作って貰うのだ――と彼等は申しておりましたが……」

「魔女だと? そのような話、初耳だぞ?」


 辺境の地にある古代文明の遺跡に、そのような者が済むなどという話はかつて聞いた事がない。

 だが言われてみれば妙だ。確かにあの遺跡には女王の手によって関所が立てられ、その往来を限定している――

 兵士の言葉に、凛々しい眉を吊り上げ、スギハラは跪いた。

 彼は気づいたのだ。

 兵士が放った『魔女』という言葉に、蒼き女王のその表情が僅かに強張り、その傍らに佇んでいた若き宰相の顔も何かを隠すように影を落としたことに。

 

「女王よ。無礼を承知でお尋ね致します。彼等が言っていた魔女とは一体誰のことでしょうか?」

「……それは――」

「――スギハラ副隊長、そこまでです」


 と、言葉を濁らせたマーヤに代わり、静かではあるが毅然とした口調の制止が偉丈夫の問いかけを遮った。

 

「宰相殿……」

「機密事項故、これ以上はお話できません」

「……それ程までの人物があの遺跡に?」

「お察しください」


 声の主である若き宰相は女王の前に一歩出ると、スギハラに向かって有無を言わせぬ素振りで首を振ってみせる。 

 思わず喉奥で唸り声をあげ、スギハラは納得いかぬ表情で俯いたが、やがて言葉を飲み込み無言でもう一度頷いてみせた。


「そちらの者も他言無用でお願いします」

「……仰せのままに」


 後ろで一切を傍観していた髭面の兵士も、イシダ宰相のその念押しに対して諦観の溜息を吐きながらも返答する。


 と――


「スギハラ副隊長!」


 やにわに聞こえてきた切羽詰まったその呼び声に一同は振り返った。

 その声の主であった若き警備隊士は、足早にスギハラの下へと駆け寄ってくると、息も絶え絶えに敬礼する。

 

「何事だ、女王の恩前であるぞ?」

「ご無礼お許し下さい。至急ご報告したきことがございます」

「なんだ?」

「申し訳ございません、侵入者に振り切られました」

「……なんだと!? 騎士団は如何がしたというのだ?」


 驚きのあまり思わず詰め寄って来た大柄の副隊長に思わず仰け反りつつも、隊士は辛うじて敬礼を保ち、報告を続ける。


「それが、侵入者のうちの一人に滅法腕が立つ者がおったそうで――」

「腕の立つ者? 騎士団十名を相手に出来る程だというのか?!」

「二刀流を駆使する少年だったそうです。追跡していた第一騎士団全員、馬より叩き落されたとのこと」


 疾走する馬の上を飛び移り、たった一人で大立ち回りを繰り広げるその姿は、まるで水面に浮かぶ木の葉から木の葉へと優雅に跳ねる妖精のようであった――

 這う這うの体で引き上げて来た騎士達は、敵にも拘らず少年の見事な戦ぶりを口々に称賛していたほどであった。


 バカな、騎士団を相手にたった一人で? ヴァイオリンが誇る精兵だぞ?――

 あんぐりと口を大きく開き、スギハラは絶句する。

 だが部下の手前、動揺を見せまいと彼は慌てて口を閉じると、平静を装い先を促した。


「それで、侵入者達はその後の動向は?」

「それが……封鎖していた西門の警備を突破されまして――」

「なにぃ!? 西門の封鎖は我等警備隊の担当であっただろう! 突破されたというのか?!」


 悲鳴に近い上擦った声をあげ、またもやスギハラはカクンと口を開く。

 そして女王の恩前ということも忘れ、隊士の胸倉を掴んで引き寄せると、顔を真っ赤にしながら詰め寄った。

 その迫力に、隊士は涙目になりながらも精一杯声を振り絞り報告を続ける。

 

「も、申し訳ございません! 魔法と思われるに力によって炎を纏った巨鳥を召喚し、西門を破壊して突破したらしく……馬車はそのままコントラバス方面へと逃走したとのことです」

「なんと……くっ!」


 恐らくは彼等が奏でるという楽器の力であろう。

 だがしかし、彼等ははたしてここまでの力の持ち主であったであろうか?

 勇敢ではあったがついぞ数か月前に共闘した彼等には、とてもではないが騎士団を振り切り、警備隊の封鎖を突破できる程の力があるようにはみえなかったが――

 困惑するスギハラに対し、だが兵士の報告を聞いていたマーヤは人知れず嬉しそうに微笑んでいた。

 やるじゃないカッシー達、成長したなあ――と。

 若き宰相の視線に気づき、すぐさまそっぽを向いて誤魔化す羽目になってはいたが。

 

 しばしの間、わなわなと拳を震わせていたスギハラは、やがて掴んでいた兵士を放すと、切歯扼腕マーヤを振り返る。

 そしてその場に跪き深くこうべを垂れたのだった。


「面目次第もございません女王……この失態はなんとしても!」

「良いのです。ご苦労でしたスギハラ」


 本当に生真面目だなあスギハラ君は。

 それこそ地に頭を擦り付ける程に頭を下げる偉丈夫に苦笑を浮かべながら、マーヤは報告を終えたばかりの兵士を向き直る。


「城下町に被害は出ていますか?」

「はっ、幸いにも怪我人は出ておりません。逃走中の馬車により出店の樽が少々破壊された程度です」

「では、騎士団と警備隊は?」

「落馬の際に軽傷を負った者が若干名。重傷の者はおりません」

「わかりました。女王として命じます、騎士団と警備隊に撤収の指示を。侵入者の追跡は必要ありません」

「御意に!」


 マーヤの指示を受け、兵士は一礼すると踵を返して駆けていった。


「女王、よろしいので?」


 彼女の采配を傍観していたイシダ宰相は念を押すようにマーヤへと尋ねる。

 だが蒼き女王は惑いなく、彼に頷いてみせていた。


「彼等は拿捕すべき国家の敵ではありません。やはり今もこの国の『恩人』よ」


 そう、はあったようだが、彼等に敵意はない。

 この結果を見ても、それが感じられる。致し方なく、降りかかる火の粉を払ったように彼女には感じられたのだ。

 まあこのの代償は、ちょっとは払って貰うべきかもしれないが……それはさておき――


 ちらりと横たわる門を眺めて、どうしたものか?――と、小さな溜息をついた後、マーヤはイシダ宰相とスギハラを向き直る。


「スギハラよ、あとの処理を一任します。トウチ隊長と相談して門と城下町の修繕を進めて下さい」

「はっ!」

「宰相、至急医師の手配を。準備が整い次第、チェロ村へ派遣するように」

「はい」

「それと早馬をコントラバス遺跡へ。もし彼等が関所を訪れたら通すようにと」

「そちらは間に合うかわかりませんが?」

「構いません。お願いします」

「畏まりました」


 彼等は既にコントラバス遺跡へと向かってしまった。今から追って間に合うかどうか――

 僅かな思案の後にそう返答したイシダ宰相に、だがマーヤは変更なく裁可を下す。

 若き宰相は一礼し、その指示を承っていた。


「では、各々お願いします」

「はっ! では失礼致します!」


 スギハラは立ち上がると一礼し、颯爽とその場を辞去していく。

 髭面の兵士も徐に立ち上がると目礼し、後を追って踵を返そうとした。

 だがやにわに思案するかのように、彼は僅かに俯いて動きを止める。

 そして徐にマーヤを向き直り、彼女の瞳を確認するようにじっと見つめた。

 なんだろう?――と、蒼き女王は小首を傾げる。

 

「女王、僭越ながら今一つお願いが――」

「なんでしょうか?」


 と、髭面の兵士はそそくさと懐を弄ってそこにあったものをマーヤへと差し出した。

 それは、一角獣ユニコーンの紋章が刻まれた、銀色に輝く小さな勲章バッジ

 先刻、売り言葉に買い言葉で我儘少年が投げ捨てていた、名誉騎士の勲章であった。

 

 差し出された兵士の掌にある勲章を見下して、マーヤは意外そうにきょとんとする。

 何故これが貴方の下に?――その目はわかりやすい程にそう語っていたが。

 

「騎士であらんがために仲間を助けられぬのであれば、このようなものは不要――あの少年は言っていました」

「カッシー……いえカシワギ殿が?」 

「本来であれば、警備隊に証拠品として提出すべきものですが……これを女王にお預けしたいのです」

「わかりました。私が預かります」


 蒼き女王は頷くと、差し出された勲章を手に取り、それを胸元でぎゅっと握りしめた。

 そしてニコリと兵士へ笑って見せる。

 

「彼の眼は貴女と同じ眼をしていました」

「十年前……?」

「ええ。十年前、貴女が初めて城を訪れた時と同じ眼です。誰かを護ろうと、助けようとする強き意志を秘めた眼差し」


 思い出した。そうかあの時の――と。

 目の前の兵士の顔が十年前、一喝の下に門前払いされそうになった若き門兵の顔と重なり、マーヤははっと息を呑む。

 対して、兵士は髭に包まれた口元へ不器用に笑みを浮かべてみせた。


「彼のしたことは騎士としては許されぬ行為……ですが、騎士道とはそもそも、このような勲章にできるものではないこともまた真理――」


 弱きを助け、強気を挫く。騎士道とは護るべき者の盾となり、己の信念の下道を進むこと。

 その一点においては、確かにあの少年が言っていたことは間違いではない。

 だが若さゆえか、はたまた仲間の窮地に動揺しているせいか、あの少年の眼は曇っていた。

 それが心配ではあるが――兵士は双眸を細める。


「しかし、ここまでの大事となるのであれば、多少なりとも融通を利かせて彼等を通したほうが良かったかもしれません」

「いいえ、貴方のような兵士が我が国を護ってくれていることを、私は誇りに思います。そしてありがとう、彼等を庇ってくれて――」


 城を護る兵士としてするべきことをしたつもりではあったが、一兵卒の立場で出過ぎた真似をしてしまったかもしれない。

 自嘲気味にそう言った彼に対し、だがマーヤはかぶりを振って謝辞を述べる。

 

「身に余るお言葉、恐縮の至りです。彼等の処遇については、何卒なるご判断を――それでは失礼致します」


 主君に向けて最上の敬礼をした後に、兵士は兜を被り直し、踵を返すと持ち場へ戻っていった。

 兵士の姿が見えなくなるまで彼を見送った後、マーヤは夕日に染まる城門前を一瞥する。

 

 スギハラの指揮の下、兵士達は皆慌ただしく現場の復旧作業に取り掛かり始めていた。

 堀の向こう側に集まっていた野次馬達も徐々にその姿を消していき、城下町にもいつもの平穏が戻りつつある。

 その光景を満足気に一頻り眺めていたマーヤは、握りしめていた勲章を懐にしまい、やがて城へと歩きだした。


「大魔法使いトモミ=コバヤシ。別名コントラバスの魔女――カシワギ殿らは彼女に会いに行ったというのですか?」


 後を追うようにして彼女の隣に並んだイシダ宰相は、視線を真っ直ぐに前へ向けながらさりげない素振りで尋ねる。

 対して彼を向き直らず、早足で城へと戻りながらマーヤは一度頷いてみせていた。

 

「ええ。彼女は薬と呪術の専門家。確かにマユミちゃんの病気を治す術を知っているかもしれない。けれど……大丈夫かしらね」

 

 あの遺跡は古代文明が築き上げた、罠だらけの遺跡だ。

 いくら神器の使い手達とはいえ、はたして無事に彼女の下まで辿り着けるかどうか――

 心配そうに眉根を寄せて、マーヤはふむりと息を吐く。

 

 だがしかし、その足取りは言葉とは裏腹に軽快で。

 腰の後ろで組んだ手はそわそわと揺れており。

 そしてあろう事かその口元には、うっすらと笑みを浮かべていたのであった。

 

「女王? 何ですかその笑いは?」

「タイガ君、封印の間の鍵を開けて欲しいの」

「……なんですと?!」


 はたして様子の変わった女王にいち早く気づき、恐る恐る尋ねた若き宰相は、次の瞬間聞こえてきた女王の返答に、思わず足を止める。

 

「封印の間を開けるなどとは……一体何をお考えですか?」

「ちょっとね、約束を思い出したの」

「約束?」


 やや遅れて足を止めたマーヤは、浮かべていた笑みをそのままに振り返った。

 そして、剣呑な表情を顔に浮かべて自分を見据えるイシダ宰相の顔を、覗き込む。



「魔女との約束……十年前にした――ね」


 

 黄昏の下、そう答えた蒼き女王の瞳は、かつて魔王を倒した少女と同じ『探求』と『好奇』の輝きを放っていた。

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