その4-3 逃げるに決まってんだろ!

 いやいやいや。

 いやいやいやいやいやいやいや。

 

 ち ょ っ と 待 て。

 

 どうなってんだこりゃ?

 理解が追い付けず、あんぐりと口を開けながらカッシーは硬直する。

  

「おーい……マジか?」

「……流石にありえないわ」


 御者席で顔に縦線を描き、ボフッと煙を一気に吐き出したこーへいと、引き攣った微笑を浮かべながら額を押さえたなっちゃんが感想を口にしたのはほぼ同時だった。

 

 とんでもない怪力の持ち主なのは知っていた。

 数々の不良も恐れ戦く、鬼の風紀委員長だってことはもはや周知の事実だ。

 まあ今となってはそんな語り草が可愛く見える。


 迷いの森では二十メートルを超える大蜥蜴の鼻っ面をぶっ飛ばしてたし。

 古城で大の男が三人がかりで引き合っていた大鼠と、たった一人で張り合っていたし。

 聞けば伝承の死神をぶっ飛ばしたのも彼女だったし。

 この世界に来て、彼女のその力は益々もって強くなっているのは重々承知していた。

 

 けど、ここまで来るともう常識の範疇を超えてるだろ?!――


 もはや鉄拳制裁インパクトどころじゃない。例えるならそう『破城槌バテリングラム』――

 ついさっきまで堂々と聳え立ち、彼等の行く手を拒んでいたあの弦国一堅牢な城門を、あろう事か素手で破壊した少女を見つめ、カッシーはごくりと息を呑む。

 

 はたして――


「案外脆いわね……」


 留まる事を知らない怪力を披露した音高無双の少女は、フンと息を吐いて眉間にシワを寄せていた。

 そして城門の裏手にて、狐につままれたような表情を浮かべながら倒れた扉を見つめ、硬直する兵士二名を見据える。

 

「ドゥフォフォフォフォー! イインチョーナイスディース!」


 と、その横で拍手をしながら嬉しそうにきゃっきゃっとはしゃぐかのーを余所目に、彼女は兵士達へと歩み寄った。

 

「愚かな。仲間のためとはいえ、このような行為……もはや許されるものではないぞ?」


 これは弁明の余地すらない明確な国家へ対する反逆行為。

 一国の首都である、蒼き城の門を破壊したのだ。

 たとえ子供と言えどただでは済まないだろう――

 こちらへと迫る小柄な少女に気づき、兵士二名は我に返ると慌てて槍を構える。

 だが東山さんは臆することなく威風堂々、彼等の下に歩み寄るとゆっくりと首を振ってみせた。

 

「法は人を護る為にあるべきもの、そして門も国を護る為にあるべきもの……けれど、それを人をために使うなら、推してまかり通るのみ――」

「ムフ、チガウヨーイインチョー、ルールってのは破るためにあるディスヨ」

「ちょっともう、かのー黙ってなさい! とにかくその……命より遵守すべき法なんてないはずです。私にとって仲間より大事なものなんてないんです! お願いします、どうか……女王に会わせて下さいッ!」


 頭の後ろで手を組んで億尾もなくそう言ったかのーの頭を叩き、東山さんは惑うことなく凛とした佇まいでそう告げると深々と頭を下げる。

 かくなる上は玉砕覚悟でも食い止めねば――と、決意と共に少女へ挑もうとしていた髭面の兵士は、少女のその切なる想いが籠められた態度に毒気を抜かれ、思わず息を吐きながら構えを解いていた。

 

 と――


 やにわに城内にけたたましい鐘の音が幾度も鳴り響き始める。

 聴く者の焦燥心を煽るようなその音色は、非常事態を告げる警鐘であった。

 どうやら、城門で起きているこの異変に、城中の者達も気づいたようだ。


「城門にて異常事態発生!」

「敵襲! 敵襲だーっ!」

「…………はぁ!?」


 敵襲? 敵襲って……これもしかして俺達のことか!?――

 警鐘に入り混じりながら、風に乗って聞こえて来たその叫び声に、カッシーは悲鳴にも近い素っ頓狂な声をあげた。


「おーいカッシー、なんかヤバくね?」

「最悪……なんだか大事おおごとになってきたわね」


 俄かに騒々しくなってきた門の奥に気づき、こーへいとなっちゃんは各々がっくりと肩を落とす。

 女王に会わなきゃいけないのに。許可を貰わなきゃいけないのに。

 なんでうちら、弦国を敵に回してるんだ?

 どうしてこうなった?――と。


 だが落胆している場合じゃない。

 このままでは全員掴まって牢獄行きだ。

 軽くてもあの門の修理費は払わせられるだろうし、下手すりゃ重い罪で死刑かもしれない。

 冗談じゃあない。そんな事になったら日笠さんはどうなる!――


 だがしかし。

 それ以上、彼等に思案を巡らせる時間はなかった。

 

「いたぞっ! 侵入者だっ!」

「そこを動くなっ!」


 鬨の声をあげて城から駆けてくる兵士達の姿に気づき、喉奥で心底困り果てた唸り声をあげながら、カッシーは口を思いっきりへの字に曲げる。


 くそっ、もう来たのかよ?!

 流石はマーヤ率いるヴァイオリンの兵士達。

 よく訓練されているな、ちくしょう――


「どうすんだカッシー?」

「逃げるに決まってんだろ! 急げこーへいっ!」

「ムフン、ダイサンセー! さっさと馬車出すディスヨ、クマッ!」

「……おまえこういう時だけは、ほんとに早いな」


 と、いつの間に馬車の屋根に飛び乗り終え、レッツランナウェイ!――とケタケタ笑うかのーに気づき、カッシーは額に青筋を浮かべた。


「はあ……結局こうなるのね。いっつも行き当たりばったり――」

「俺のせいじゃねーだろっ!」


 そそくさと馬車に乗り込むなっちゃんのぼやきに、カッシーは『いっ!』と歯を剥いて言い返す。

 そして未だ、門の傍に佇む兵士を見つめる東山さんを向き直り、思いっきり息を吸った。


「委員長! ぼさっとしてんな! 逃げるぞ!」

「柏木君っ!? でもこのままじゃ――」

「捕まったら日笠さんはどうなるっ! いいから早く来いっ!」


 有無を言わさぬ大声でカッシーは音高無双の少女へ告げる。

 

「ごめんなさい、失礼しますっ! どうか手紙だけでも女王様に渡してくださいっ!」


 後ろ髪を引かれるように、髭面の兵士と少年を交互に見ていた東山さんは、やがて一礼をして踵を返すと、馬車へと駆け出した。 


 刹那――


「掴まれ委員長っ!」

「いたぞっ! 弓兵! 射撃用意っ!」


 やにわに城壁の上からそんな掛け声が聞こえてきて、駆けてきた東山さんの手を掴みながらカッシーは頭上を向き直る。

 青ざめた表情で彼が見上げた城壁に見えたのは、案の定こちら目掛けて矢を番え、弓を絞る兵士達の姿だ。


 ちょっと待てよ! 本気か?!

 冗談だろ!? 殺す気かよ!?――

 

「……ってぇーーーーっ!」


 大マジだった。

 指揮官らしき上官が放った号令と共に、ずらりと並んでいた弓兵達は、馬車目掛けて一斉に矢を放つ。

 

「あらよっとぉ♪」


 同時に、この状況に最も不釣り合いなクマ少年の、のほほんとした掛け声と共に乾いた音が響き渡り、嘶きをあげた四頭の駿馬に引かれて馬車は急発進した。

 まさに間一髪。ほんの数瞬前に馬車がいた石畳へ、雨のように無数の矢が降り注ぐ。


「ギリギリセーフってか?」


 咥えタバコからぷかりとわっかを浮かべ、こーへいはにんまりと笑う。

 危うくハリネズミになるところだったつの――

 東山さんを馬車へと引き上げながら、カッシーは石畳に容赦なく突き刺さった矢の群れを見送りつつ、額の汗を拭った。

 だが、未だ納得いかなそうに離れていく二人の兵士を見つめていた少女に気づき、彼は隠すことなく怒りの感情を顔に浮かべ東山さんを睨みつける。

 

「ったく、何考えてんだよ委員長っ!?」

「何って……門を開けただけだけど――」

? の間違いだろっ!」 

「だって、まゆみのためにも、なんとしても女王様に会わなきゃいけないと思って――」

「あのなぁ……もっと穏便な方法だってあっただろっ!? 何も壊すことないだろーがっ!」

「で、でも――」

「どうすんだよ? もうヴァイオリンここにいられねーぞ?!」

「そ、それは――」


 あの矢の雨といい、血相を変えた兵士達の鬨の声といい、まず間違いなく弦国を敵に回したことになる。

 下手したら魔女に会えても、チェロ村に戻れなくなるかもしれない――


 珍しくきつい口調で問い詰めるカッシーに思わずたじろぎ、東山さんは悔しそうに口を噤んだ。

 少し強く言い過ぎたことに気づき、カッシーは深い溜息を吐くと、バツが悪そうに視線を逸らす。何となく気まずい雰囲気だ。

 と――

 

「二人とも、喧嘩はそこまで」

「なっちゃん?」

「追手が来てるわ」


 馬車の後部から様子を窺っていた微笑みの少女が、ちらりと二人を振り返り、剣呑な表情を浮かべながら告げた。

 カッシーは足早になっちゃんの隣に近づくと、馬車の後部に取り付けられた窓から背後を覗く。

 そして、みるみるうちに目を見開いて、脂汗を流し始めた。

 

 見えたのは、城門の向こう側から丁度石橋へとその身を飛び込ませた十頭の白馬と、それを駆る蒼き鎧に身を包んだ騎士達の姿だ。


「あの鎧って、確かサワダさん達が着てた――」

「ボケッ! ヴァイオリン騎士団じゃねーかよ!」


 見覚えのある出で立ちだ、どこかで見た様な――と、同じくなっちゃんを挟んで反対側から背後を覗いていた東山さんが呟くと同時に、カッシーは声を裏返しながら悲鳴をあげる。

 はたして、手に持つ騎士槍ランスに夕陽を鈍く反射させながら、弦国が誇る騎士達は綺麗な雁行の陣形を作り馬車を追走してきていた。


「ドゥッフ、距離縮まってるヨー?」

「おーい、やばくねー?」

「やばくねー?――じゃなくて、やばいに決まってんだろ!」


 馬車の屋根と御者席から聞こえてきた、まったくもって場違いな口調のクマ少年とバカ少年の声に、カッシーは怒鳴り返す。

 騎士団まで出てきたとなると、いよいよもって向こうも本気ってことだろう。

 最悪だ、敵に回して何一つ得がない相手だぞ!?

 嗚呼、もう!――

 

「なんでこんな事になったのかしら――」

「誰 の せ い だ 誰 の っ ! ?」


 たった今心の中で思い描いた言葉を、億尾もなく言い放った東山さんをギロリと睨みつけ、思わずカッシーは絶叫した。

 だが音高無双の少女は心外だ――と言いたげに、眉間にシワを寄せてそんな我儘少年を見据る。

 

 駄目だこりゃ。もういい、とりあえず委員長のことは後回しだ。

 今はこの場を何とかしなければ。

 とにかく絶対捕まるわけにはいかない――

 

 意を決したカッシーは、フンと大きな鼻息を一つ吐くと、踵を返して御者席へ通じる窓へと足早に歩み寄る。

 そして乱暴に窓を開けると外に顔を覗かせ、そこにいたクマ少年を見上げて口を開いた。


「こーへいっ! ヴァイオリンから脱出だ。予定通りこのままコントラバス遺跡へ向かうぞっ!」

「そりゃ構わねえけど、追っ手はどうすんだ?」

「俺が何とかする」

 

 いいからこのまま突っ走れっ!――

 そう付け加えて、徐に馬車側面の扉を蹴り開けると顔を覗かせ、カッシーは背後から迫る騎士団へと睨みを利かせた。

 

「ナマクラ聞いてただろ? 力貸せ! 騎士団を追っ払う!」

―ケケケ、まったくお前ら何考えてんだ? あの娘のためとはいえ、国に向かって喧嘩売るとか正気かよ?―

「う、うるさい! 成り行きなんだ、仕方ないだろ? いいから最初から全力で行くぞ!」

―んじゃ、遠慮なくぶった切っていいのか?―

「はあ!? ダメだっつの、絶対殺すなよ?」

―ちっ、しょうがねえな―


 まったくこいつもこいつで、やたら物騒なこと言いやがって。

 だが、もう後先考えている余裕はない。相手は騎士団、手加減して戦える相手じゃないだろう。

 こうなりゃやるだけやってやるっつの!――

 途端漲り始めた時任の意思と和音の力を感じながら、カッシーは猿のように馬車の屋根へと身軽に登り、二刀を抜き放つ。

 

「かのー手伝えっ!」

「何で俺様マデ!? カッシーヒトリでやればイイデショ?!」

「いいからやるんだよっ! じゃなきゃ今すぐこっから突き落とすぞ?!」

「ドゥッフ、酷い……この人デナシー! 覚えテロヨー!」


 逃げる気満々だったバカ少年は、渋々ながら迫る騎士団目掛けて棒を構えた。

 やにわに、クマ少年が手綱を馬の背に打ち付ける音が聞こえてくる。

 さらに加速した馬車は再び夕刻で賑わう大通りへと突入していった。

 はたして、人でごった返す夕刻の城下町で、神器の使い手達と騎士団の、決死の追いかけごっこが開始される。




 後に『ヴァイオリン城門破壊事件』と呼ばれるこの出来事は、十八年に渡る管国との戦争でも、一度たりとして破壊される事のなかった城門が、ものの見事に半壊した事件として歴史に名を残すこととなる。


 後世に残された史料には、この日の様子についてこう綴られていた。


 その日、黄昏に染まるヴァイオリンの城下町には、日が暮れるまでの間、何度となく鐘の音色が鳴り響いていた。

 だが戦争終結より十年。すっかり平穏な暮らしに慣れていた民衆は、きっと城の兵士が時刻を告げる鐘の回数を間違えたのだろう――と大して気にせず、いつも通りの夕暮れ時を過ごしていた。

 それが『警鐘』であったと彼等が知るのは、次の日の朝より突如として始まった城門の補修工事に気づいてであった。


 しばらくの間、巷ではコル・レーニョ盗賊団によるテロ行為ではないか?――という説が、まことしやかに流れていたが、それがたった一人の少女の暴走によって起こったという『真実』は、国の名誉のために隠匿され、その後百年もの長き間、王家の関係者のみが知りえる極秘情報として扱われることとなったのだ――

 

 ――と。

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