第二章 英雄の証

その4-1 ちょっとした行き違い

夕刻。

弦国首都ヴァイオリン、城門前――


 斜陽が穏やかに放つ光が、蒼を基調とした騎士の城下町に夜を告げようとしている。

 放射状に広がる街並みの中央に聳える蒼き騎士の城も、今はその威厳ある姿を黄昏の中、朱に染めていた。

 城下町に十七時を告げる鐘が鳴り響く。

 城門はこの鐘を合図に閉ざされ、翌日陽が昇るまで何者の出入りも禁止となるのだ。


「ふぁ~~~ああ~~~」


 裕に馬車数台が横並びに通過できる程の立派な城門の前で、門番をしていたその兵士は、背伸びと共に大きな欠伸を一つついた。

 そしてコキコキと首を鳴らしながら、門の端に直立していた兵士へと歩み寄る。


「今日も平和だったなあ」

「ああ、何もなかった」


 声をかけられたもう一人の兵士はそう答えて頷くと、自慢の顎髭をつるりと撫でた。

 いつもと変わらぬ騒動一つない一日が今日も終わった。

 退屈極まりない警備の仕事ではあるが、このような日々が続くことに感謝しなくてはならない。

 全ては現女王の善政による賜物なのだ。

 

 踵を返し、二人は門の裏側にある大きな木のレバーに歩み寄った。

 あとはこのレバーを下ろして、門を閉めれば本日の任務も無事終了である。


「どうだ? あがったら一杯?」

「そうだな。じゃあ、いつものとこでひっかけてくか」


 くいっとジョッキをあおる仕草をした相棒に向けて、髭を生やした兵士は笑顔で同意する。

 いつものところとは、北の大通りにある食堂も兼ねた酒場のことだ。

 本業は宿屋らしいが、料理の味もなかなかで何より器量が良い娘がウェイトレスをやっている。

 最近評判になり、あの堅物で知られる若い宰相も、時折足を運んでいるとかなんとか。

 二人はにこやかに談笑しながら、レバーに手をかけた。


 と――


 やにわに聞こえてきた車輪が石畳を鳴らす音に気づいて、二人はレバーから手を放す。

 そして、なんだ?――と、お互い顔を見合わせた後、確認のためそそくさと門の外へ歩み出た。

 見えたのは北の大通りを砂煙を巻き上げて、疾走する一台の馬車の姿――

 夕暮れ時で賑わう大通りの群衆が、真っ二つに分かれて悲鳴をあげつつその馬車から逃げて行くのがここからでも見て取れる。

 

「なんだありゃ?」

「ふむ、暴走しているのだろうか?」


 若い御者がまだ運転に慣れておらず、馬が暴走してしまうことはたまにある。

 ではないにしても、城下町であれだけのスピードを出すのは危険な行為だ。

 何より問題なのは――

 

「おい、あの馬車こちらに向かって来ていないか?」

「ううむ……」


 顎髭を一撫でしてもう一人の兵士は剣呑な表情を顔に浮かべる。

 はたして、兵士の言う通り、暴走馬車はその轍を真っ直ぐに城へと作りながら、猛スピードでこちらへとやって来ていた。

 終わろうとしていた平穏な日々に最後の最後で不穏な気配が訪れる。


「おい、どうする?」

「残念だが鐘は鳴り終わった。通すわけにはいかん」


 十七時を過ぎた以上、例えどのような理由があろうとも、そして何者であろうともこの城門をくぐることは許されない――

 髭面の兵士は堀に掛けられた石橋の中央を馬車に向かって歩き出した。

 慌てて彼の相棒である、もう一人の兵士もその後を追って駆けてゆく。


「そこの馬車止まれっ! 止まるのだ!」


 兵士が大声で制止を告げた時には、既に暴走馬車は城へと続く石橋へと侵入する所であった。

 にも拘らず、その速度は一向に落ちる気配がない。

 御者席に見えるのは、フード付きの外套を目深に被った人物だ。

 幅のある中々にがっしりとしたその体格からわかるのは男というくらい。


 二人の頭に最悪のケースが過ぎる。

 即ち、城門破り――或いは女王の命を狙った刺客か?

 

「止まれ! スピードを落とせっ!」

「警告するっ! これ以上近づくのであれば、法に則り厳罰の対象となるぞっ!」


 まったくもって

 自分達の見張り番でこのような事態になるとは。

 だがもしここを通すことになっては、自分達の厳罰だけでことは済まない一大事だ。

 下手をすれば一賊徒に侵入を許した、情けなき国家として隣国に汚名を広めることになる。

 手に持つ槍を握りしめ、二人は馬車に向かって再度怒鳴る。

 もう馬車は十数オクターブまで迫って来ていた。


 やむを得ない。もはやこれまで、かくなる上は身を挺してでも――

 二人の兵士は意を決すると、馬へと向かって槍を繰り出そうと、握りしめたその手に力を籠める。


 刹那――


「ほいっとな♪」


 何とも緊張感のない、のほほんとした御者の掛け声と共に手綱が引かれ、馬車を牽引していた四頭の駿馬馬は一斉に嘶きをあげながら前脚を天高く掲げる。

 距離にしておよそ数オクターブ。

 馬車は急激に速度を落とし、ドリフト気味にその動きを止めたのであった。

 あわや激突の窮地を免れ、二人の兵士は安堵の吐息と共に額に滲んだ汗を拭う。


「ほい、到着したぜー?」


 我ながらナイスコントロールじゃね?――

 と、得意気ににんまり顔を浮かべてフードを脱いだ御者――こーへいは、ぷかりと咥えていた煙草の先から紫煙を燻らせた。

 だが途端に御者席に通じる窓が開き、中から上半身を覗かせた我儘少年が、その後頭部をポカリと叩く。


「あいたっ?! おーい、何すんだよカッシー?」

「ボケッ! 急に止まるなっつの!」

「んな事いったってよぉー、急げっつったのはカッシーだろー?」


 急げつったから、飛ばして来たのに何たる理不尽――

 頭をさすりながらこーへいは不満そうに眉尻を下げた。

 だがカッシーは『いっ』っと歯を剥いてさらにクマ少年を一睨みする。


「飛ばし過ぎだっつの! おまえ城下町大騒ぎなってたじゃねーかっ!」


 外門の兵士も停止を促して金切り声をあげていたが、それも振り切って猛スピードで城下町に雪崩れ込んでいたのだ。

 おまけに、夕暮れ時で賑わう大通りまで突っ切る始末。

 こりゃまずい――と、外から聞こえてくる人々の悲鳴を聞きながら我儘少年は顔に縦線を描いていたのである。


「ちぇー、納得いかねーなあ」

「もうっ、急に止まるから舌噛んじゃったじゃない! 覚えてなさいよこーへい」

「へいへーい、俺が悪かったでーす」


 と、ひょっこり顔を覗かせたなっちゃんからも冷たい視線を向けられて、こーへいは渋々ながら返事をする。

 

「柏木君もなっちゃんも後にしてっ! 許可を貰うのが先でしょ?」

「ムフン、ジョオードコー?」


 やにわに馬車の横にあった扉が勢いよく開き、東山さんが飛び降りながら二人へ告げた。

 同時に馬車の屋根からしゅたりと着地したかのーも、目の前に聳えるヴァイオリン城を見上げながら鼻の穴をぷくりと広げる。

 だがしかし。

 

「な、なんだお前達はっ!?」

「ここをヴァイオリン城と知っての狼藉か?!」


 なんだこの子供たちは? 冗談にしても笑えぬ行為だ――

 あまりに唐突な出来事に呆気に取られて立ち尽くしていた兵士達は、ようやくもって我に返ると、緊張感なくギャースカ騒がしいその集団を怒り露に睨みつけた。

 怒声に気づいて、兵士達を向き直ったカッシーは、途端に気まずそうに口をへの字に曲げる。

 

「あーその、俺達怪しいものじゃないんだ。マーヤ女王に用があって来た」

「信用ならん! お前達が今何をしようとしたかわかっているか?!」

「そりゃ誤解だ、そのつもりはなかったんだって。急いでたからちょっとした行き違いがあっただけで――」

「ならばまずは全員下車をせよ!」


 できる限り穏便に済ませたい。

 そう考えながら愛想笑いを浮かべつつ答えたカッシーに向かって、だが兵士二名は怒り収まらぬ様子でなお声を荒げた。


 こりゃまずい、怪しまれている。まあそりゃ無理もない。

 こっちにそのつもりはなかったにせよ、このバカクマのせいでどう見ても城門を突破しようとしたようにしか見えない到着の仕方をしてしまった。

 さてどうしたもんか。まあこれ以上事を荒げても得はないし、とりあえずここは従った方がよさそうだ――

 やれやれと溜息を吐いてカッシーは御者席に通じる窓から顔を引っ込めると、扉を開けて外へ飛び降りる。


「柏木君、どうするの?」

「従うしかないだろ? 言っとくけどは無しだぜ委員長? そっちのバカが変な動きしないように見張っててくれ」

「……」

 

 と、小声で尋ねてきた東山さんにカッシーは即答した。

 音高無双の少女はピクリと眉間にシワを寄せたが、ややもって小さく頷いてみせる。

 ちょっと待て、なんだ今の間は? もしや俺が言わなきゃこの子、力づくでもまかり通るつもりだったのだろうか――東山さんの微妙な反応を見てそこはかとない不安を抱きつつも、カッシーは兵士を向き直った。


 と、そこで我儘少年は目を見開いて片眉を吊り上げる。

 自分を見て表情を豹変させ、何やらぼそぼそと小声で話し合い始めた兵士達に気づいて。

 

 何だ――?

 やにわに警戒の眼差しを解いた二人へ、カッシーは首を傾げてみせた。

 不承不承ながら馬車から降りてきたこーへいとなっちゃんも、その様子を見てなんだろうとお互いを見る。


 と――


「失礼した。ご無礼どうかお許し下さい」

「……え?」

「だが、如何に名誉騎士殿とて、このような誤解を招きかねない行為はご自重いただきたい」


 顎髭の兵士が構えを解いたかと思うと、未だ怪訝そうな表情のままだがぺこりと頭を下げたのを見て、カッシーは訳がわからず思わず間抜けな声をあげた。

 しかし聡明な微笑みの少女はクスリと微笑む。ああ、なるほど――と。

 そして、きょとんと立ち尽くす我儘少年の脇を肘でトンと突いてみせた。


「なっちゃん?」

「カッシー、その服と勲章忘れたの?」

「……ああ!」


 そうだった――と、ようやく思い出したカッシーもぱっと顔を明るくする。


 彼が今着ている服は、マーヤからもらったヴァイオリン騎士の旅装束だ。

 ついでに言えばその胸に光る銀の一角獣ユニコーンの小さな勲章は、ヴァイオリン名誉騎士であることの証。

 つまり蒼き騎士の国の領内では、これ以上ない程に身分を証明できるシンボルだ。


 恐らくこの兵士達はそれを見て態度を変えたのだろう。

 とにかく助かった。何とか誤解は解けたようだ。

 あの時はなんで俺が名誉騎士なんかに!? と思ったが、こんな所で役立つとは。

 感謝するぜマーヤ――

 

 ほっと胸を撫でおろし、カッシーは安堵の吐息を漏らす。

 そしてじっとこちらの返答を待っていた兵士に気づき慌てて頭を下げた。


「えっと……こっちこそすいませんでした。その……以後気を付けます――」

「わかっていただければ結構です。して、急いでいるとおっしゃっておりましたが如何なるご用件で?」


 名誉騎士とは即ち、国に著しく貢献した者へ与えられるこの上ない栄誉な称号だ。

 それはこの城に務める者であれば誰であれ知っている事である。

 例え相手が子供であろうと、敬意を持って接さねば――

 はたして態度を軟化させた兵士達は慇懃にカッシーへと尋ねていた。 

 

「俺達コントラバス遺跡へ行きたいんだ」

「関所を通るには、マーヤ女王の許可がいるんですよね? お願いです女王に合わせて下さい!」


 何とか一触即発の事態を避ける事ができたカッシー達は彼等の下へ詰め寄ると、口早に此処へ来た経緯を話し始める。

 刹那、二人の兵士は少年少女達の口から飛び出た名に同時に目を見開いた。


「コントラバス遺跡に? 失礼ですがあのような辺鄙な場所に一体何の用で?」

「ひよっちがねー、死にそうなんディスヨー」

「かのー、ちょっと黙ってて! 仲間が病気になっちゃって、そこに住んでいる魔女に薬を貰いに行きたいの」

「魔女……?」

「そーそー、コントラバスの魔女ってんだ」


 初耳だ。あのような人里離れた遺跡に魔女が住んでいるなど聞いた事がないが――

 再び怪訝そうに表情を歪め、兵士達はしげしげとカッシー達を一瞥する。

 その表情を見て、カッシーは慌てて首を振ってみせた。

 

「嘘じゃない、ペペ爺さんから聞いたんだ」

「ペペ爺?」

「チェロ村の村長よ、マーヤ女王なら知ってるはず」

「そうだ、手紙も預かってる。これをマーヤに渡してくれ」


 そう言って、カッシーは懐にしまっていたペペ爺から預かっていた手紙を取り出すと、それを兵士達へと差し出す。

 封蝋されたその便箋を受け取って、しげしげと差出人の名前を眺めると、髭面の兵士はふむ――と唸り声をあげた。

 

 どうやら彼等は嘘は言っていないようだ。

 仲間が病に罹り、急いでいるというのも本当だろう。

 それにこの手紙の署名、封蝋に緘された紋章もチェロ村の村長のものだ――

 

 預かった手紙を大事に懐にしまい、髭面の兵士は相棒を向き直る。

 そして同意するように頷いた彼を見届けた後、再びカッシーへと顔を向けた。

 

「事情は相分かりました。この手紙は至急女王へ渡すように致します」

「本当か?!」

「ありがとうございます!」


 ぱっと顔を明るくし、カッシー達は期待の眼差しと共に一斉に兵士達へと礼を述べる。

 だがしかし――


「火急のよう故、朝までにはきっと女王の裁可が降りる事でしょう」


 続けて放たれた兵士の言葉を聞いて、途端カッシーは顔色を変えた。

 

「……へ?! ちょ、ちょっと待ってくれ、朝って?!」

「残念ながら既に閉門の刻限を過ぎております。如何に名誉騎士殿といえど、お通しするわけにはいきません」


 どうぞ明日出直しを――そう付け加えて、慇懃に首を振って見せた兵士を見上げ。

 


 少年少女は絶句しながら立ち尽くしたのだった。

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