その3-3 魔女を求めて――
「コントラバスの……魔女?」
なんだその魔女? しかもまた楽器の名前が出てきたのかよ――
思わずウッドベースをつま弾く老女の姿を思い浮かべたカッシーは、だがすぐにその想像を振り払うと、たった今聞いたばかりのその名を繰り返しながらペペ爺へ尋ねる。
はたして老人は、肯定するように一度頷いてみせた。
「さよう、魔女じゃ」
「ペペ爺さん、一体誰なんですかその人は?」
聞いた事のない人物だ――そう思いつつも同じくペペ爺ににじり寄った東山さんが、藁にも縋る想いを顔に浮かべる。
「十年前の魔王との戦いで、マーヤ達と死闘を繰り広げた大魔法使いのことじゃよ」
「大魔法使い?」
「そう、そしてあらゆる薬物と呪いのエキスパートじゃった」
「ちょっと待って、マーヤ達と戦ったって……それじゃその魔女は敵ってこと?」
と、話を聞いて一瞬表情を明るくしたなっちゃんは、しかしすぐに眉を顰めつつ胡乱気な目でペペ爺を覗き込んだ。
対して、老人は頭を振ってその指摘を否定する。
「十年前はのう、だが魔王が倒されて操られていた彼女も正気に戻った。今は過去に犯した罪を償うために隠居して生活しておる」
「それじゃあその人なら――」
「うむ、或いはヘオン病の治療法を知っておるかもしれんが――」
それはあくまで、可能性があるというだけだ。
死神が作り出した黒き死の病は、いくら彼女でも治せるとは限らない。これは賭けだ――
そう考えつつ、ペペ爺は懸念の色を顔に浮かべていた。
だがしかし。
他に手立てがない。ならばそう、零ではない可能性に今は賭けるのみだ――と。
少年少女達は一度お互いを見合った後に、深々と一様に頷くと再びペペ爺へと顔を向けていた。
「ペペ爺さん、何処にいるんだ? そのコントラバスの魔女って女性は」
「ヴァイオリンからさらに南へ馬車で一日――そこにコントラバス遺跡という古代文明の遺跡があってな。十年前の戦い以後、彼女はその遺跡に隠遁しておる」
「じゃあ、そこに行って魔女にお願いすれば――」
「日笠さんを助けられるかもしれないってか?」
俄然やる気がわいてきた。
希望の光も見えてきた。
やる事が決まれば行動に移すのが早い少年少女達は、それまで浮かべていた暗い表情から一転、顔をぱっと明るくしながら気合を漲らせる。
「あんた達、行く気かの?」
「もちろん行くに決まってるっつの!」
「遺跡に入るには関所を通らねばならん。だがそれにはマーヤの許可が必要じゃ」
七年前より、あの遺跡は女王となったマーヤの指示で封鎖されている。
隠遁することを決めた魔女と無闇に人々が接することがないよう、女王の許可がない者は立ち入ることができなくなった。
「まずヴァイオリンに行ってマーヤに許可を貰うといい。ワシから一筆手紙を書いておこう」
「ありがとうございますぺぺ爺さん!」
と、礼を述べたカッシー達に、シワだらけの顔を我が事のように笑みで染め、ぺぺ爺は頷いてみせた。
そして踵を返し、すっかり暗くなった南の空を窓から眺め、お決まりのやる気のない溜息を吐く。
「しかしのう、コントラバス遺跡は危険じゃぞ。古代に栄えた文明が作った建物じゃからのう。聞いたところによると遺跡の中は罠だらけだというし……それにあの魔女は気難しそうだったからのう。会えたとしても頼みを聞いてくれるかどうか――」
はたしてこの子達が無事に魔女に逢えるだろうか――
老人はそう言いながら心配そうに眉根を寄せた。
「あー……その、ぺぺ爺さん?」
「ん?」
と、遠慮がちに呼ばれ、ペペ爺は懸念のあまり俯いていた顔を上げると窓の外から部屋へと振り返る。
そして自分を呼んだヨーヘイのお決まりのにへら顔を眺め、なんじゃ?――と首を傾げてみせた。
「話してるところ悪いが、カッシー達ならもう準備しに部屋に戻ったぜ?」
「……おおおっ!?」
はたして、老人が目を見開きながら一瞥した部屋の中に残っていたのは、件のチェロ村青年団長と、ササキに浪川のみ。
はやい――
場所を聞くや否や部屋を飛び出していったカッシー達に気づいたペペ爺は、呆れたように感嘆の声を漏らす。
「クックック、まったくもって忙しない奴等だコノヤロー。少しは落ち着いて行動できないものか――」
不敵な笑みを浮かべてそう呟いた鬼才の生徒会長は、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
さて、例によって魔女のことは彼等に任せるとしよう。私の役目は他にある――
彼は幾分伸びだした顎髭を撫でながら、ペペ爺を振り返る。
「ぺぺ爺さん、私は他に方法がないかを引き続き調べてみることにします。しばらく書斎を借りるがよろしいか?」
「おお、そりゃ構わんが――」
「ササキさん僕も手伝います」
「助かるぞ浪川君」
と、そそくさと礼を述べ、ササキと浪川も今しがた部屋を出て行った少年少女達を追って歩き出した。
ややもって扉が閉まり、部屋にはぺぺ爺とヨーヘイ、そしてベッドに横たわる日笠さんのみが残る。
「やれやれ、帰って来たと思ったらまた出発か。忙しい奴等だよなほんとに」
「うむ、災難続きで大変な子供達じゃ……だがの、ヨーヘイ」
「ん?」
「みんな、応援したくなる良い子達ばかりじゃよ――」
願わくば、彼等が無事に魔女と出会え、この少女を救えますよう――
まるで自らの孫を慈しむ様な微笑みを目尻に浮かべ、ペペ爺は日笠さんの頭をそっと撫でる。
違いない――そう言いたげに、ヨーヘイはにへら、と笑ってみせた。
♪♪♪♪
翌朝、日の出の刻。
チェロ村松脂亭、女子部屋。
眩い程の暁の光が、レースのカーテンの向こう側から部屋に差し込む中、カッシーは横たわる日笠さんの枕元に佇み、その顔をじっと見つめていた。
その出で立ちは昨夜までと異なり、すっかり着慣れたヴァイオリン騎士の旅装束。
取り急ぎだったが、出発の準備は昨日のうちに済ませた。
あとは遺跡へ向けて旅立つのみだ。
昨夜と変わらず苦しそうに顔を歪め、小刻みに呼吸を繰り返す少女を見下ろし、カッシーは思わず眉尻を下げる。
私……後悔してる……この世界にやってきたことを――
気づいたの。私はこの世界が嫌いなんだって……こんな世界に来たくなんてなかったって――
最低だね……私。だから、私に答えを貰う資格なんてないの――
頭の中を過ぎるのは、黄昏の光に照らされながら寂しげに笑う彼女の姿だ。
「ごめんな日笠さん……俺、気づかなかった。日笠さんがずっと悩んでたことに」
返事がないことは重々承知。それでも言わずにはいられなかった。
普段から気丈で、みんなをまとめるしっかり者。ずっとそう思ってた。
この部を作ろうと決めた時から、いつだって彼女はてんでバラバラな自分達を引っ張って来てくれた。
だから、あんな顔をするなんて思いもしなかった。
いつの間にか自分は勝手なイメージを彼女に押し付けていたのかもしれない。
彼女なら大丈夫――勝手にそう思って、彼女の気持ちを考えないで行動してたのかもしれない。
結果、古城では彼女を泣かせ。
やりたいことをやればいい――と、強引に引っ張って。
そして挙句、あんな笑い顔を浮かべさせるまで追い詰めてしまった。
「ごめん……本当にごめん……けどさ――」
そう。そうだ。
けれど、これだけは言える。
これは間違いなく、胸を張って言える。
「――俺が覚悟を決めて足を踏み出せるようになったのは、日笠さんがいたからなんだ」
彼女がいるところが俺の中心地、追いつく必要なんてない――その想いは今も変わらない。
こんな好き勝手にぎゃーぎゃーやってる色濃い連中が、今まで一丸となって旅ができていたのは、彼女がいたからだ。
彼女がトホホと苦労人特有の溜息を漏らしながらも、皆をまとめてくれていたからだ。
両拳を握りしめカッシーは独白する。
後悔してる? この世界が嫌い? いいさ、そう思っても。
だからさ、日笠さんのその思い……全部ひっくるめて俺に任せてくれよ。
そんくらい俺が何とかしてみせる。
だってあの月夜の河原で誓ったんだ。
俺が見つけてみせる。
みんなを見つけてみせるって。
そして元の世界へ帰るんだ。
勿論みんなで、誰一人欠けずに。
そんでもって戻ったら卒演、絶対成功させようぜ?
なあ、『元』部長――
にへらと笑い、我儘少年はポケットから銀色に光るトランペットのマウスピースを取り出す。
そして徐に、それをベッド脇にあったテーブルの上にコトリ――と、置いたのだった。
「待っててくれ日笠さん、必ず治してみせる――」
♪♪♪♪
「……カッシー」
ゆっくりと瞼を開けて、日笠さんは掠れた声で呟く。
朝日によって眩い程に白む部屋の端で、レースのカーテンがたおやかに風で靡いているのが見えた。
だがそこに我儘少年の姿はなく、少女は深い吐息を吐きながらぼんやりと天井を眺める。
確かに彼がいた気がした。
だがあれは夢だったのだろうか――
と、そこで視界の端に見えた
花瓶にさされたガーベラの花
特製パン粥
千羽鶴
りんご三個
そしてトランペットのマウスピース――
テーブルの上に置かれたそれらお見舞いの品らしき物は、まったくもってバラバラで節操がない。
けれど、誰がどのような思いを籠めてそれを置いてくれたかがなんとなくわかってしまい、少女は弱々しく微笑む。
「お? 目が覚めたかね? 気分はどうだ?」
「会長……」
と、扉が開き、日笠さんはゆっくり上半身を起こすと入って来たササキに目礼した。
「私は……どうしてベッドに?」
「昨日いきなり倒れたのだ。ペペ爺さんの見立てでは
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしたみたいで」
「まったくだ、人騒がせな。ギリギリまで無理するその癖をいい加減直したほうがいいぞコノヤロー」
「はい。すいません……」
「まあいい。疲れが溜まってたんだろう、ゆっくり休みたまえ」
表情一つ変えずにケロリと方便を使い、ササキは不敵に笑って見せる。
僅かに納得いかない表情を顔に浮かべつつも、日笠さんは枕元にあったカーディガンを羽織り、小さな吐息と共に髪を掻き撫でた。
そしてぼんやりと風で揺れるカーテンを眺める。
ちらりと見えた、うなじに浮かぶ黒い半円を見据え、ササキは僅かに双眸を細めた。
「そう言えばカッシー達は何処に?」
「君の風邪薬を取りに出かけたぞ。この村には医者がいないらしいのでな」
「出かけた? みんなでですか?」
「うむ、医者の住む場所がちょっとばかり遠いのでな……皆で行かせた」
「……そう……ですか」
「何だその顔は、柏木君達が心配かね日笠君?」
「いえ、そんなことは――」
「こんな時くらい自分の身を案じたらどうだ。しっかり養生して早く治すことに努めたまえ。でないとまた旅に出る事も出来んだろう」
「……はい、わかりました――」
わかりやすい程に表情を曇らせた少女を見て、やれやれ――と、肩を竦めてみせたササキは、だがそこでテーブルの上に置かれていた皆からのお見舞いの品に気づき、革靴の音を立てながら傍らに歩み寄る。
そして、ひょいとマウスピースをつまみ上げ、しげしげと眺めた後に苦笑を浮かべたのだった。
「お見舞いの品にマウスピース? 柏木君はアホなのか?」
――と。
「そうですね……でも――」
「ん?」
「彼らしいです」
コトリ――と、音を生み出しササキが置いたマウスピースを眺め、日笠さんは可笑しそうに微笑んだ。
♪♪♪♪
同時刻。
チェロ村より南、ヴァイオリンへ続く街道――
収穫を終えた麦畑の間を縫って、真っ直ぐに首都へと続くその街道を、少年少女五人を乗せた馬車はひた走る。
「おせーぞこーへいっ! もっと早く走れボケッ!」
「おーい、無茶言うなよなカッシー。これ以上早くしたら馬がばてちゃうぜ?」
御者席へ顔を覗かせて途端怒鳴り声をあげた我儘少年に対し、クマ少年は困ったように眉尻を下げながら返答した。
だがしかし――
「中井君、いいからスピード上げて」
「嘘?! マジかよ委員長、珍しくね?」
「今回だけね。まゆみの命がかかってるんだから」
「そうそう、邪魔な人がいたら轢いちゃっていいわよ」
「なっちゃん、流石にそれは――」
と、自分で言っておきながら、クスクスと悪魔のような微笑みを浮かべた少女を向き直り、東山さんはやや引き気味に眉間のシワを深くする。
さてどうしたもんか。
馬車の運転方法はホルン村を出がけにヒロシから一通り教わっていたし、チェロ村までの帰路で実践しながら持ち前の勘をフル活用しつつ身体で覚えたはいたが、それでもまだ運転初めて三週間ちょい。馬をバテさせずに走るにゃあもう少し慣れが必要といえば必要だが。
まあしょうがねえか、
はたして、我儘少年、最強の風紀委員長、そして微笑みの『毒舌』少女から
「んじゃ、いっちょやってみっかねえ。しっかり捕まってろよ!」
もってくれよな相棒――と、背中を鞭打ったこーへいの祈りに応えるようにして、四頭の駿馬は嘶きをあげると、途端走る速度をあげてゆく。
「ドゥフォフォフォフォー! ハヤーイ! イザカマクラー!」
(見てろよ、必ず薬を持ち帰ってみせる!)
屋根の上ではしゃぐかのーを余所目に、南の空を見据え、志操堅固カッシーは心の中でそう呟いた。
埃を巻き上げ馬車はひた走る。
一路、まだ見ぬ古代の遺跡へと。
かくして、まとめ役の一名を欠いた、神器の使い手達の新たな旅は始まったのである。
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