その3-2 死神の置き土産

 ない。

 特効薬は存在しない――

 絶望的な響きを乗せた老人の回答に、その場に居合わせた者達は二の句が継げず立ち尽くす。


「この病は六百年前に大流行したが、その後発病した者が現れた記録がなくての……つまりたった一度きりの流行り病だったんじゃよ。だからヘオン病の詳細については、そのほとんどが今現在でも解明されておらん」


 故に書物では『幻の病』などと記されている珍しい奇病なのだ。

 だからこそペペ爺も先刻こう言っていた。

 もしササキが気づかなかったら、自分もただの風邪だと思い込んでいただろう――と。


「けどよーぺぺ爺さん。その一度きりの流行の時は、じゃあどうしたんだ?」


 まさか病が沈静化するのを指を咥えて見ていたわけでもないだろう。

 当時の人々がどのような対処をしたかくらいは調べれば残っているんじゃないだろうか?――

 逆さにした椅子に腰かけ、ペペ爺の話を聞いていたこーへいが珍しく鋭い指摘をする。

 

 しかし、博識な老人はクマ少年のその問いかけに対しても、やはり力なく首を振ってみせたのだ。


「それについては、あんた方のほうがよく知っとるかもしれんがの」

「んー、俺達が? どういうこったよ?」

「……マダラメ」

 

 と、顎に人差し指を当て、頻りに考えを巡らせていたなっちゃんが、呟くようにしてペペ爺の謎かけのようなその言葉に答える。

 皆の視線を一身に受け、しかし微笑みの少女は剣呑な表情で老人を向き直った。

 違うかしら?――と。

 はたして彼女のその視線を受け、ペペ爺は感心するように一度頷いた。


「マダラメって――ねえなっちゃん、どういうこと?」

「ホルン村でキクコ村長が話していた伝承のことは覚えてる?」

「えっと確か……六百年前、村一帯に病気が流行って、それをやってきたマダラメが――」


 促されて話し始めた東山さんは、そこまで言ってから何かに気づいたように言葉を止める。

 ヘオン病が流行ったのも確か六百年前のホルン地方一帯。

 そして伝承の中に出てくる流行り病が村を襲ったのも六百年前。

 つまり、これはまさか――

 見る見るうちにその眉間のシワを深くしながら、東山さんはなっちゃんを向き直った。

 

「あの伝承に出てきた病気がヘオン病ってこと?」

「そういうこと。ついでに言うとヘオン病を生み出したのはあいつ、そしてホルン地方へそれを流行らせたのもあいつ――全部あいつの自作自演」

「……ちょっと待てよなっちゃん、なんでそんなこと知ってんだ?」


 そんな話初耳だった。彼女はどこでそのような話を聞いたのだろう。

 不思議に思ったカッシーはササキの胸倉から手を放し、なっちゃんへと尋ねる。

 だが微笑みの少女は憂うように俯くと、ややもって少年の問いかけに答えた。

 

「レナが教えてくれた」

「レナ?」

「旅の僧侶様。六百年前マダラメを倒して村を救った女性ひとよ」

「おーい、マジかよなっちゃん?」

「あの時、私の中に入ってきた彼女が全て教えてくれたの。マダラメが何をしてきたかをね」

 

 恐怖の古城で行われた半転生の法によって、あわやレナと入れ替わりそうになった時から、なっちゃんは彼女と記憶を共有しあうことになっていた。

 そのため、今もなっちゃんの中には『旅の僧侶レナ』の記憶が鮮明に残っている。

 そして奇しくも共有することになったその記憶から、少女は知ることになったのだ。

 かつてホルン地方でマダラメが行った、虫唾が走るえげつない自演行為を。


「考えてみて? 伝承の中でマダラメは、ヘオン病を一瞬にして収束させて村を救った。そしてそれ以降、今に至るまでヘオン病が再発した記録はない。それまでの大流行パンデミックが嘘みたいに綺麗さっぱりとね――どう考えても不自然極まりないと思わない?」

「言われてみれば……それじゃヘオン病はマダラメが人為的に流行らせた病気だってこと?」

「ええそう。レナはその真実をあの古城でつきとめた……でも彼女もヘオン病に罹って還らぬ人となってしまった――」


 彼女レナは後悔していないと笑っていた。

 だが今自分の記憶の中にある、彼女の最期はそれは壮絶なものだった。

 高熱と苦痛に悩まされながら、全身が少しずつ崩れていき最後には呼吸ができなくなって闇に堕ちていく――

 できれば消し去ってしまいたい惨い記憶だ。


 そしてだからこそ。

 狐につままれたような顔つきで感心したように自分を見つめる仲間を余所目に、なっちゃんは苦虫を噛み潰したように渋い表情を浮かべ、無念の溜息を吐く。


 やはり、――と。


 あの既視感――即ち、ササキと共に探し当てた件の本に載っていた挿絵を見た時のことだ。

 単なる気のせい、似ているだけだ――そう既視感を否定するなっちゃんに対し、だがもう一人の自分が首を振る。

 いいえ、それは紛う事なき真実よ。その黒い円は死を招く病。そして――

 彼女レナの記憶は少女の淡い願いを砕くように告げていた。


 かくして少女はいち早く結論に至っていたのだ。

 親友の身体を突如襲った病が、かつてレナを死に至らしめた病と同じものであると。


 そしてそれは同時に最悪の事実に至ることを、聡明な少女は瞬時に理解していた。

 だが最早変えることはできない。

 自分達が覚悟を決めて進んできた道を変えることはできないのだ。


「けれどあいつはもういない。だから――」

「やはりヘオン病の特効薬の作り方を知る者はこの世にはいない――そうなるなコノヤロー」


 言葉を続けたササキに対して、なっちゃんは返事をする代わりに悔しそうに俯いてしまう。

 振出しに戻ってしまった事態に、神器の使い手達は少女同様に意気消沈して頭を垂れた。


「でもそれなら、何故日笠さんは今更こんな病気に――」


 既に収束した幻の病のはずだ。おまけにそれを作ったという者はこの世にいない。なのに、どうして日笠さんはそんな病に侵されてしまったのか。

 自問自答するように疑問を投げかけた浪川に対し、なっちゃんはピンと人差し指を立てながら話し始める。

 それについても何となくだが察しはついている――と。

 

「推論でしかないけれど……まだヘオン病の病原があの城に残っていたとしたら? まゆみはあの古城のどこかで感染したんだと思うの。ねえ、これくらいの大きさで、蒼いラベルの貼られた瓶を見なかった?」


 そう。あの城は最低最悪な病を作りあげた死神の根城だった。

 まだあの古城のどこかに、ヘオン病の病原が残存していたとしてもおかしくはない。

 浪川の疑問に答えながら、なっちゃんは右手の人差し指と親指で十数センチほどの幅を作ってみせる。


「瓶?」

「レナの記憶の中で見たの。それがヘオン病の病原菌が入った瓶だったのだけれど――」

「んー、そういや書斎で実験器具っぽいのと一緒に見たな」


 と、記憶を手繰るように天井を見上げながらこーへいが答える。

 一夜を明かすために身を寄せた、マダラメの書斎らしき部屋の中で彼は確かに見かけていた。

 フラスコやビーカー、サイフォン等が乱雑に置かれた長机と、大小様々な瓶が陳列した背の高い棚が部屋の一画にあったのをだ。

 全てをはっきりと確認したわけではないが、きっとあの棚に見えた瓶の中には、少女がいわんとする薬瓶も混じっていたかもしれない。

 

「こーへい、まゆみがそこに近づいたことはなかった?」

「んー……一緒にいた感じじゃ、なかったけどよー? でも、ずっと見てたわけじゃねーからなあ」

 

 もしかするとこーへいが気づいていないだけで、彼女が意図せず近寄った可能性だってあるのだ。

 例えばそう、自分が寝ている間、とか――


「……そう」


 残念そうにゆっくりと瞬きをしながら、なっちゃんはちらりと日笠さんを見つめる。

 いずれにせよ、それらしき薬瓶があったということは、やはりあの古城で彼女はヘオン病に感染したと思っていいだろう。

 というか、他の感染方法を無理に探す方が不自然だ。


「おいおい、ちょっと待てよ。そんじゃもしかすると、まだそこに特効薬が残ってる可能性もあるんじゃねえか?」

「……ヨーヘイ、そりゃ無理だっつの」

「なんでだよ?」

「んー、書斎燃えちゃった」

「はあ?! なんで燃えるんだよ?」

「ムフ、危うくグリルになるトコダッタヨー」

「意味わからん、お前ら一体何してんだ?」


 何をどうやったら火事になるんだ。

 というかお前らどんだけトラブル続きなんだよ?――

 口々に言い放った男子三人組を交互に眺めながら、ヨーヘイは呆れた口調で思わず尋ねていた。


 別に彼等とて、すき好んで書斎を燃やしたわけではない。

 期せずして訪れた大鼠との戦闘により、火に包まれ全て灰と化してしまっていたのだ。

 恐らく瓶が入ったあの棚も無事ではないだろう。


 よしんばあの書斎が無事であったとして、さらに彼の言う通り幸運にも特効薬が残存していたとしよう。

 チェロ村からホルン村まで片道で馬車で急いでも一週間以上かかるのだ。

 往復で二週間強、とてもじゃないが刻限である十日なんて間に合わない。

 

「それじゃやっぱり……まゆみは――」

「いいや違うぞ東山君。これはもはや、日笠君だけの問題ではない」

「それは、どういうことですか会長?」


 努めて冷静に、しかし幾分重い口調で反論したササキに対し、東山さんは彼の言葉が意図するものがわからず、再び眉間にシワを寄せる。

 と、鬼才の生徒会長は一度皆を見渡した後、腰の後ろで組んでいた手を前へ持ってくるとその答えを口にする。


「我々もヘオン病に感染している可能性があるからだコノヤロー」

「え……」

「おーい、俺達は別にあの丸っこいの出てきてないぜ?」


 念のために身体中を見回した後、こーへいがほっと安堵の吐息をつきながらササキに向かって首を傾げてみせた。

 だがササキはかぶりを振って話を続ける。

 

「何故? ほとんどが未知の『幻の病』と言われているのにだ」


 狂気の死神が作り出した、発病したらおよそ十日で死に至る病――それくらいしか情報がない病なのだ。

 感染方法はどのようなものなのか? 飛沫感染か、体液感染か、はたまた空気感染か。いやそれとも幸運にも感染はしない可能性もあるが、まったくもって不明。

 そして発症までの潜伏期間はいか程なのか? 個人によって差が出るものなのか? それすらもわからない。

 つまり――


「我々は日笠君のように発症していないだけで、既に感染している可能性は十分にあるのだ。ここにいる全員……いやチェロ村の皆……もしかするとホルン村で共に戦った悠木君達や管国の皆々方、その全員が既に保菌者キャリアーとなっている可能性がないともいいきれん」


 だからこそ、これはもはや倒れてしまったまとめ役の少女だけの問題ではない。

 既にエリコ王女達は管国に戻っているであろうし、なつき達も仲間を捜して旅に出たはずだ。

 その間様々な人々と会っているだろう。もしかするとその人々にも感染してしまっている可能性がある。

 

 最低最悪のケースを想定するとしたら、これは六百年前にホルン地方で起きた悲劇の再来、いやそれ以上の規模で大陸にパンデミックが起こりかねない――


「そして発症すれば最後、この病の特効薬はないのだ。我々は黙って死を待つしかない……クックック、まったくマダラメめ、厄介なものを残していってくれたなコノヤロー」


 流石は『死神』、死してなお刈れるだけ命を刈って道連れを目論むとは、どこまでもゲスな奴だ――

 大真面目でそう語ったササキを見つめ、皆は思わず息を呑む。


 だがしかし――

 

「んなこた後で考えりゃいいだろ……」


 一際切羽詰まった、怒気を含む少年の声が部屋に放たれ、ササキは皮肉めいて浮かべていた笑みを口元から消した。

 そして再び腰の後ろで手を組むと、その声をあげた我儘少年へと視線を向ける。

 

「どうすりゃいい、どうすりゃ日笠さんを助けられる……」

「カッシー……」

「みんなで帰るって決めたじゃねーか。冗談じゃねーぞ! 絶対死なせねーっつの!」


 もとい、神器の使い手達は運命共同体。

 彼女にもしものことがあればここにいる全員元の世界へは戻れなくなるのだが、それを今突っ込むのは無粋だろう。

 神妙な顔つきでじっと日笠さんを見つめるカッシーをちらりと眺め、こーへいは困ったように眉尻を下げた。


 諦めない、死ぬまで足掻く――そう決めて綱渡りに挑んできた。

 けれど目に見えない死の病を前にして、どう抗えばいいのだろうか。

 それでも皆、気持ちは一緒だった。


 何としてでも日笠さんを助けたい――

 たった一つ、それだけを胸に秘めて、少年少女は頭の中で必死に打開策を講じていた。


 と――



「……一つだけ、方法が無いわけではないんじゃが――」



 静まり返った部屋の中に、長い唸り声の後に放たれた、老人の自信なさげなその言葉に――

 カッシー達は目を剥いて一斉に注目する。

 藁にもすがるような皆の視線を一身に受け、これまたなんともやる気のない溜息を吐きながら、ペペ爺はコクンと頷いてみせた。


「ペペ爺さん、いまなんつった? ないわけじゃないって何が?」

「ふぅむ……ヘオン病を治す方法じゃよ」


 ザンッ――と。

 カッシー達は真顔で老人に詰め寄ると、シワだらけの彼の顔を覗き込む。

 その気迫に、さしものペペ爺も思わず顔に縦線を描き後退った。


「おおおお!?」 

「教えてくださいっ! お願いします!」

「落ち着かんかいあんた達。確実ではないんじゃぞい?」

「確実じゃなくてもいいの、頼むから教えてっ!」

「おーい、どんな方法だ?」

「ドゥッフ、ジジーハリアーッポ!」

「わかったから、ちょいと離れんかい!」


 顔と顔がくっつくくらいに近寄られ、口角泡を飛ばしながら話し出した一斉にカッシー達を一旦退けると、ペペ爺はやれやれと唾まみれになった顔をハンカチで拭う。

 そして一息ついた後、その『方法』について話始めた。

 

「何の事はない、心当たりがあるだけじゃて……マダラメの他に、ヘオン病を治せるかもしれん者にな」


 そう、ついさっき、まさに思い出したのだ。

 この子達を何とかしてやりたいという一心で、ここ数年ちょっとボケ始めた脳をフル回転させた結果、博識なこの老人は奇跡的に思い出したのである。

 十年前にたった一度きり会ったことのある、あの人物の存在を。

 と、いっても先に述べた通り、確実ではないのだが。

 あくまで――なのであるが。

 だがそれでも彼等にとっては暗闇の中に差し込んだ一条の光だった。

 可能性は零ではない――それがわかっただけでも、途端目に生気を戻しカッシー達は再びペペ爺へとにじり寄る。


「おーい、マジかそれ?」

「教えてくれ誰なんだっつの!?」

「だから落ち着かんかい、近づき過ぎじゃて!」

「ねえその人、お医者さんか何か?」

「いや、医者ではない」

「それじゃあ薬剤師さんか何かですか?」

「いいや違う――」

「ムフ、ジャーダレダヨジジー?」


 まったく学習能力なく、またもや各々勝手に問い詰めてきた少年少女達へ首を振ってみせると、ペペ爺は筆のような眉の奥のつぶらな瞳を見開いた。

 そして横たわる日笠さんを心配そうに見つめながら、徐にその人物の通称を口にしたのである。



「コントラバスの魔女じゃ」



 ――と。

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