その3-1 黒き死の病

チェロ村、松脂亭二階女子部屋前廊下――


「はいはーい、押さないで! あなた達少しは落ち着きなさいよ」

 

 と、部屋の前に集まった村人達を嗜めながら、ヒロコは呆れたように溜息をついた。

 マユミちゃんが倒れた。その報せは狭い村中にあっという間に広がった。

 神器の使い手達は村の恩人。何かあっては一大事だ――と、彼等は心配して我先にと集まって来ていたのである。

 

「んなこと言ったってよお、マユミちゃん大丈夫なのかよ?」

「急に倒れたんだろ? 何の病気だよ? なんなら俺等ヴァイオリンまでひとっ走り医者を呼びにいって――」

「だから待ちなさいって言ってるでしょ。まずぺぺ爺に見てもらってからよ」

「あの、私達に何かできることはないかしら?」

「パン粥作ってきたんだけど、マユミちゃん食べるかのう?」

「ああーっ! もううるさーーいっ!」


 各々矢継ぎ早に問いかけながら、彼女と一目会わせろと言わんばかりに寄ってくる村人達に対し、とうとう限界に達したヒロコは皆を一喝する。

 途端、水を打ったように静まり返った村人達を一瞥し、彼女はやれやれと肩を竦めてみせた。

 

「中に病人がいるのよ? こんなに騒がしいんじゃ治る病気も治らないでしょ! 何かわかったらちゃんと知らせるから、みんな一旦家に戻って! はい解散解散!」

 

 有無を言わさぬ口調でそう言い放ち、ヒロコはまるで犬を追い払うように手を振りながら村人達を一階へと追い立てる。

 集まっていた村人達はお互いを見合った後、不承不承ながら階段を降りると、すごすごと自分達の家に戻って行った。


「まったくもう……」


 平和な村だなほんと――

 全員を宿から追い出して、ほっと一息吐きながらヒロコは宿の外より二階を見上げる。

 そしてぼんやりと灯りのついた窓を眺め、心配そうに眉根を寄せたのだった。



♪♪♪♪



 同時刻、女子部屋中――


 ベッドに横たわる日笠さんを心配そうに見つめ、少年少女達は落ち着かない様子でペペ爺を待っていた。

 今集まっているのは、少女を運んできたカッシー、こーへい、なっちゃん、東山さん。

 そして、いつのまにか宿に戻り、一人夕飯をつまみ食いしていた所を音高無双の少女に首根っこを掴まれて連れてこられたかのー。

 それにやや遅れて部屋にやってきていた浪川とヨーヘイの計七名だ。


「大したことないといいけどなあ……マユミちゃん、今朝は見た感じ元気そうだったけど」

「まゆみって、ギリギリまで無理するから」

「この子、そういうの隠したがるのよ」


 と、壁に寄り掛かっていたヨーヘイが意外そうに呟くと、東山さんとなっちゃんがほぼ同時に返答する。

 日笠まゆみという少女は、限界まで我慢をして、突然ばたりと倒れてしまう子なのだ。

 体調がすぐれなくても気丈に振舞い、それを気づかれまいと隠しとおす。

 だから周りが彼女の異変に気づくのは、いつも決まって倒れた後だった。


 以前風邪をこじらせた時も、定演が近かったからという理由で、彼女はぎりぎりまで気丈に振舞い、周りに隠し通した。

 そして定演が終わった途端倒れて三日近く学校を休んだ事があった。


 もしかすると今回もその悪い癖が出たのかもしれない。

 まあ責任感が強い彼女らしいと言えばらしいが、もう少し頼ってもらってもいいのに――

 未だ意識を取り戻さない日笠さんをじっと見つめ、彼女の親友である少女二名は悔しそうに俯いていた。

 

「なあ、こーへい……」

「んー?」


 苦悶の表情を浮かべながら寝息を立てる日笠さんの顔をじっと見つめ、カッシーはクマ少年の名前を呼ぶ。

 窓辺近くの椅子にもたれ、同じく心配そうに少女を眺めていたこーへいはなんだ?と、顔をあげた。

 

「おまえ、なんか知ってるんだろ? どうなってんだこりゃ?」


 つい先刻のことだ。

 タイミングよくやってきた彼等は、日笠さんの異変を訴えたカッシーに対し、彼女がこうなる事を知っていたかのような反応を示していた。

 その後、なし崩しにここまで少女を運んできていた我儘少年は、聞く機会がなかったその疑問をようやくこーへいへと投げかける。

 はたして、クマ少年は弄んでいた火のついていない煙草をプラプラさせながら、困ったように猫口を歪めてみせた。


「さてねえ、俺らもササキさんが持ってきた本を見ただけだしな?」

「本?」

「会長となっちゃんが持って来た本よ。その本に載ってた黒い半円と同じものが、まゆみのうなじにあったって会長が――」


 と、ベッドの傍らの椅子に腰かけていた東山さんが、固く絞った濡れタオルを日笠さんの額へ乗せながら答える。

 黒い半円? なんだそりゃ? てかあのエロ会長どこ見てんだよ――

 だが尋ねようにも今ここに話題の生徒会長はいない。彼はここに来る途中でペペ爺を呼びに行ってしまっていた。

 訳がわからず、カッシーは代わりに微笑みの少女を向き直る。

 日笠さんが横たわるベッドの足側で、腕を組み心配そうに佇んでいたなっちゃんは、少年のその視線だけで何を求めているのかを察したのだろう。

 やがて彼女は組んでいた腕を解き話し始めた。

 

「風土病の歴史――」

「……なんだって?」

「ササキさんが見たっていう、黒い半円が載ってた本のタイトル。これよ――」


 ただの風邪じゃないのか?――そう言いたげに口をへの字に曲げたカッシーに向かって、しかしなっちゃんは険しい表情のまま頷いてみせる。

 そして、ベッドサイドテーブルに置いてあった件の本を手に取ると、パラパラと問題の挿絵が載っていた頁を開いて少年へと差し出した。

 

「……なんだこりゃ?」


 恐る恐るそれを受け取り、中に目を通したカッシーは案の定、先刻挿絵を見た少年少女らと同様のリアクションをして息を呑む。


「これが風土病? てか一体何の病気だよ?」

「わからない」

「はぁ? なんでだ?」

「本の状態が悪すぎるのよ、肝心の病名の部分が欠損してるの」


 わかるものならとっくのとうに調べている――なっちゃんは、整ったその顔を不機嫌そうに歪めた。

 はたして彼女の言う通り、確かめるようにしてカッシーが捲った挿絵の前後の頁は、長い年月による風化か、はたまた保存が良くなかったのか、虫食いやカビによってインクが滲み、とてもじゃないが読めるような状態ではなかった。

 だがしかし。

 わからない――そう言いつつも、彼女のその瞳の奥に灯る光が、僅かに戸惑いを秘めているように見えたのは気のせいだろうか。

 まるで何かに葛藤するような雰囲気をなっちゃんから感じて、カッシーは鼻の穴をぷくりと膨らませたが、やがて舌打ちしながら本を閉じると、日笠さんを向き直る。


 何だか嫌な予感がする――苦しそうに呼吸を繰り返す少女を見つめ、我儘少年は脳裏を過ぎったその予感に対し、苦々しく唸り声をあげた。

 

「落ち着いて、それを確かめてもらうためにぺぺ爺さんを呼びに行ったんだから」


 逸るカッシーに諭すようにそう言って、なっちゃんは小さな吐息を漏らす。

 それに、私達はこの世界の人間じゃない。ましてや本に載っていたからといってそれを鵜呑みするのは早計だ。

 もしかすると似たような症状なだけで違う傷病かもしれない。或いは見間違えとか。

 いや、できることならば、そうであってほしい――

 そうも考えたからこそ、あの生徒会長はペペ爺を呼びに行ったのだろう。


「……くそっ」

 

 微笑みの少女に諌められ、カッシーは本をテーブルに置くと、近くの椅子に乱暴に腰かける。

 そして落ち着かない様子で深い溜息を吐いた。


「ムフ、バカイチョーの見間違えジャナイノー?」

「そうだといいんですけどね――」


 と、無責任に言い放ったのは勿論バカ少年だ。

 実は旅の疲れが出ただけ――そうだったらどんなに良いか。

 こういう時このバカ少年のポジティブさは羨ましい――

 頭の後ろで手を組み、椅子を漕ぎながらケタケタと笑うかのーを傍目に、やれやれと浪川は眉間を押さえる。

 

 

 と――

 

 

 やにわに廊下に通じる扉が開き、彼等が待ちに待っていた博識な老人がササキと共に中へと入ってくるのが見えた。

 皆は一斉に縋るような視線を向けながら、その老人を迎える。

 

「ペペ爺さん!」

「待たせたの皆の衆」


 ペペ爺はいつも通りのやる気ない返事を一同へとすると、ゆっくりと横たわる日笠さんの下へと歩み寄った。

 そして苦し気に胸を上下させる少女を眺め、痛ましそうに筆のような白い眉を顰める。

 

「急に倒れたんじゃな?」

「ああ」


 と、頷いたカッシーを確認してから、老人は少女の額に手を添えて熱を測る。

 次に手首を握って脈をとり、最後にその口元に耳を近づけて呼吸音を聞いてから彼は徐に顔を上げた。

 

「ふぅむ……うなじじゃったかの?」

「そうです」


 後を追って彼の傍らにやって来たササキは即答し、同じく日笠さんへと視線を移す。

 ペペ爺は僅かに目を見開くと、徐に日笠さんを横向けにし、背中がこちらを向くように少女の姿勢を変えた。

 そして後ろ髪を右手で掻き揚げて、露わになったうなじを覗き込む。


 はたして、そこに見えたのはササキの言う通り、墨よりも黒い半円と、その横に小さく浮かび上がった黒い点が二つ――


 ペペ爺の後ろからその様子を固唾を呑んで見守っていたカッシー達は思わず息を呑んだ。

 しばしの間、その黒い半円を凝視していた博識な老人は、やがて確信を得たように無言で頷いてみせる。

 

「……ササキ殿、あんたよく気づいたのう」


 と、日笠さんの髪を降ろし元の仰向けの姿勢に戻すと、ペペ爺は青年の慧眼に感服したように深い溜息を吐いた。


「恐縮です。以前書斎で本を読んだ時に似たような絵を見つけたのでね」


 ササキは目礼しながらそう謙遜しつつも、しかし老人のその口調から全てを察し、無念そうに顔へ影を落とす。

 やはりということか――と。


「いやいや、あんたが気づかなかったら、ワシもただの風邪だと思ってしまうところだったぞい」

「ペ、ペペ爺さん……この黒い半円は一体なんなんだ?」


 もはや我慢の限界――と、二人の会話に割り込んでカッシーは尋ねた。

 彼だけではない。他の皆も思わず身を乗り出しながら、我儘少年のその問いに対する老人の答えを今かと待ち続けていた。


 と、一同の切羽詰まった表情を一瞥し、ペペ爺はつぶらな瞳をシパシパと瞬きさせた後、ゆっくりと口を開いた。


「こりゃヘオン病じゃな」

「……ヘ、ヘオン病?」


 また音楽用語が出てきやがった。

 だがなんだそりゃ?――聞いた事もない病名が老人の口から飛び出して、少年少女達は思わず絶句する。

 その通り――と、静まり返った部屋の中、大きく一度ペペ爺は頷いてみせた。


「ちょっと待ってくれペペ爺、そんな病名俺も聞いた事ねえよ、一体なんなんだその病気は?」


 と、話を聞いていたヨーヘイが狐につままれたような表情を顔に浮かべ、腕を組みつつペペ爺へと尋ねる。

 だが老人は、ヨーヘイのその言葉を聞いてなお態度を崩さず、かぶりを振って話を続けていった。


「ヨーヘイが知らんのも無理はない。何しろヘオン病は六百年も前に流行した病気だしのう」

「ろ、六百年?!」

「おーい、マジか?」

「うむ、管国北部のホルン地方のみで爆発的に流行した、所謂風土病の一種じゃて」


 鸚鵡返しで尋ねたカッシーとこーへいにコクンと頷くと、ペペ爺は再び日笠さんを向き直る。

 

「この病に罹った者はまず熱発し、同時に眩暈に襲われる。症状が風邪に似とるんで、初めのうちはなかなか解りにくいのじゃが――」

「――しばらくすると、小さな黒い半円が身体に浮かび上がり、それがやがて全身を覆うように増えていく――そうでしたな?」


 ヘオン病――さらに別の書物で読んだ記憶があった。追随するようにして口を開いたササキに対し、その通り――と、老人は深く頷いてみせる。


「さよう、およそ十日ほどで全身に半円が浮かび上がる」

「あの……その後どうなるんですか?」

「その後は――」

「……その後は?」


 恐る恐る尋ねた東山さんをちらりと眺めた後、ペペ爺はその先を告げるのを躊躇するように一度視線を虚空へと彷徨わせる。

 だがじっと自分を見つめる少年少女達の視線に気づき、老人はやる気のない溜息を一つ吐いてから、その続きをやむなく口にしたのだった。



「――全身に現れた黒い半円が一斉に腫れだして、細胞が壊死を起こし、やがて死に至る」



 いつになく重苦しい口調で答え、老人は目を閉じる。


 予想はしていた。

 だが、外れてほしかった――

 皆が皆そう思いながら目を剥いて、残酷な結末を告げたペペ爺を見つめていた。


「死ぬってそんな。それじゃまゆみは――」

「残念だが日笠君は、発症したと見ていいだろう。このままいけばあと十日で、半円が全身を覆い……あとは聞いた通りだ」


 油断していた。見知らぬ世界に来て何に一番気をつけるべきかを。

 それは盗賊や化け物等ではなく、免疫のないこの世界に根付く疾病だった――

 真っ青になりながら尋ねた東山さんに向かって、極めて感情を押し殺し、無念そうにササキは答える。

 途端、椅子を蹴って立ち上がり、カッシーはササキに詰め寄るとその胸倉を掴んだ。

 

「ふざけんなボケッ! 冷静に言ってる場合かっつの! 何とかなんねえのかよササキさんッ!?」

「私は医者ではない。流石に病気は治せんコノヤロー」


 あんた天才なんだろ? なら何とかしろっ!――

 と、無茶難題を押し付ける子供のように、なりふり構わず吠えた我儘少年に対し、だがササキは首を振って即答する。


 彼の得意分野は情報工学だ。卓越した頭脳とずば抜けた演算力はあっても薬学的知識は残念ながら聞きかじった程度だ。

 もっとも、彼が本気を出せばその道を極める事も恐らく可能だろう。

 だがそれにはあまりにも時間が足りなかった。

 いかに彼が天才だとしても、未知なるこの世界の疾病とそれに対する薬の知識を修得するのに十日足らずでは無理だ。


 と、二人の会話を聞いていたヨーヘイが何かを閃いたように顔色を明るくし、ペペ爺を向き直る。

 

「そうだよ薬だ……ペペ爺さん、薬はねえのか? そのヘオン病に効く薬があるはずだろう?」


 そうだ。六百年も前に流行った病なら、その治療法が既に確立されていてもおかしくない。

 このチェロ村にはなくとも、首都であるヴァイオリンまで行けば薬だって手に入るはずだ。

 いや薬がなくても医者だっていいのだ。その医者もヴァイオリンに行けばきっと見つかるはず。

 馬で飛ばせば半日で着く、どんなに遅くても二日あれば村まで戻ってこれるだろう。

 なら十分間に合うんじゃないだろうか――


 チェロ村の青年団長はお得意のにへら笑いを顔に浮かべ、ペペ爺に尋ねた。

 はたして、彼のその案に縋るように、カッシー達も老人を再び向き直る。


 だがしかし。


 その問いかけも想定内――

 期待の眼差しを向けてきた彼等に対し、ペペ爺は白い眉を力なく下げると、大きな溜息と共に俯き、こう告げたのだ。

 

 

「ヨーヘイ……残念じゃがの、ヘオン病の特効薬はないんじゃよ――」



 ――と。

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