その2-2 少女の告白

「また特訓?」

「いや、今日は終わり」


 ゆっくりとこちらへ歩み寄りながらそう尋ねた日笠さんに対し、カッシーは答えた。

 そう――と、相槌をうち、まとめ役の少女は彼の傍らまでやってくると歩みを止める。

 

「あんまり無理して身体壊さないでね。せっかく筋肉痛も引いたんでしょ?」

「ん、わかってる」


 あの痛みはもう二度と御免だ。まったくもって寿命が縮む様な、地獄の激痛だった。

 ホルン村のベッドで味わった筋肉痛をうっかり思い出して、カッシーの顔はみるみるうちに青ざめていく。

 

「……けどさ――」

「?」

「これから先の旅は、自分達でなんとかしなきゃいけないんだ。だからやれる事はやっとかないと」


 もう頼れる英雄達は同行してくれない。

 当たり前だが自分達の身は自分達で護らなくてはいけない。

 いや、護れるようにならなくてはいけない。

 瞬間、カッシーの頭の中を過ぎったのは、やはり風使いとの戦いだった。

 時任とそして今傍らにいる少女の力を借りて、それでもギリギリの辛勝。あんな悔しい思い二度としたくない。

 だからこそもっと力を付けなくては。みんなを護れる力を付けなくては。

 そのためにやれる事はなんでもやる――

 

 そう決意をさらに強くしたからこそ、彼は腰の妖刀へ師事を願ったのだ。

 ぽりぽりと鼻の頭を掻きながらカッシーはふん、と鼻息をつく。


「……そう」


 強き意志を露わにした少年のその横顔を見つめ、日笠さんは複雑な想いを胸に秘めて微笑む。

 二か月前と変わらない。いやあの時以上かもしれない。

 足手まといは足手まといなりに――と。

 この世界に飛ばされたばかりのあの頃、少年が見せた決意と覚悟を秘めた表情と同じ性質のものだった。


「ところでなんか用か?」

「恵美とこーへいが晩御飯できたって」

「わかった、今行く」


 一日中走って腹ペコだった。

 現金にも早速鳴り始めた腹をちらりと見つめ、カッシーは肩にかけていた黒のインナーを広げるとそそくさとそれを着始める。

 だがそこで、傍らでじっと自分を見つめている日笠さんにようやく気づき、彼は手を止めた。

 

「なんだよ?」

「カッシー、随分引き締まった身体になったね」

「へ?」


 一瞬間の抜けた顔になったカッシーは着かけたインナーをそのままに自分の身体を見下ろし、だが実感がわかなかったのかすぐに首を傾げてみせる。


「そうか? 変わらないだろ?」

「ううん。逞しくなった」

「んじゃきっと、また剣の稽古再開したからかもな」


 フルフルと首を振った日笠さんに対し、カッシーは声を伸ばして考えた後そう答えた。

 チェロ村を発ってから、暇さえあれば剣の素振りを怠らないようにしていた。

 それに数々の戦いもあった。実感がわかないだけで、それなりに筋肉もついたし、肉つきも引き締まったのかもしれない。

 褒められてまんざらでもないカッシーは、そう答えつつも照れくさそうに口をへの字に曲げる。

 そんな彼を見て日笠さんは穏やかに微笑むと、陽影に仄かに浮かび上がるコーダ山脈を眺め双眸を細めた。

 穏やかで涼しい風が、乾いた土を撫でながら広場をよぎり、少女は左手でそっと髪を押さえる。


「君だけじゃない……みんなこの世界に来て変わったよね」


 あれから二か月以上。どこに行ってもトラブルだらけの二か月だった。

 その中で、みんな確実に変わってきている――日笠さんはそう感じるのだ。


「恵美もどんどん強くなってるし、なっちゃんも古城の一件以来貫禄がついたっていうか、ますます落ち着いちゃって。それにこーへいもあんなギャンブル強いとは思わなかった」

「まあ確かに」

「かのーも……なんだか強くなった気が――」

「いやそれは気のせいだ」

「アハハ、そうかもね」


 即答したカッシーの言葉に、日笠さんは鈴音のような笑い声をあげた。

 だがすぐにその笑みを引っ込めると、彼女は改まって少年を向き直る。


「でもやっぱりみんな変わったよ。この二か月、その場その時で何ができるかを一生懸命考えて――」


 真っ直ぐにこちらへと向けられた彼女のその表情は、誤解がないように例えるならば、まるで旅立つ雛を見送る親鳥のような、どこか寂し気なものだった。

 何だよその顔――インナーを着終えたカッシーは思わず息を呑む。

 

「……日笠さん?」

「ねえ、カッシー。古城での約束……覚えてる?」


 どうして君は、躊躇せずに真っ直ぐ前を向けるのか?

 どうして君はそんなに恐れず足を踏み出せるのか?

 

 大鴉との死闘の最中、満身創痍になりながらも仲間を助けようと立ち向かうカッシーへ、日笠さんはそう尋ねていた。

 そして、後でその答えを教えて――とも。

 はたして。ああ、その事か――と、カッシーはポリポリと頬掻きながら頷いた。

 というか、答えはもう半分以上既に彼女に伝えている。

 あの死闘の最中少年はこう告げていた。

 

 追いつく必要なんてない。

 日笠さんが立ってる場所が俺達の中心だ――と。

 

 その気持ちは今も変わらない。

 だから改めて彼はその旨を告げようと口を開こうとした。

 だがしかし。


「あの質問……やっぱりなかったことにして」

「え――」


 聞こえてきた日笠さんの声に、カッシーは放ちかけた言葉を飲み込み、意外そうに目を見開く。

 日笠さんはゆっくりと一度頷いてみせた。


 あれからはや三週間。

 未だその答えを少年からもらってはいなかった。

 聞こうと思えばいつでも聞けたはずだ。

 勿論その後、色々とドタバタしていたということもあった。


 けれど、死闘を終えてこの村に戻って来て、心の整理がついてくると彼女は気づいたのだ。

 いや、気づいてしまった――という表現の方が正しいだろうか。

 それは変わっていく皆を感じながら、相対的に気づいてしまった、己の本当の気持ち。


 だから聞けなかった。答えを聞くことを恐れてしまった。

 もし聞いたら、きっと私はもっと自己嫌悪に陥るだろうと――

 真っ直ぐにその顔を見つめていた日笠さんは、憂うように一瞬俯いた後、やがて意を決したように口を開いた。


「私には……その答えを聞く資格がないから――」

「は? いやどういう事だよ?」


 資格がない――

 確かにそう言った少女を凝視し、カッシーは尋ね返す。

 

「言葉の意味通り……私には君に質問する資格がないってわかったから」

「だから、どうしてだ?……おい、日笠さん。まさかまた悪い方向に考えて――」

「――違う、自分の気持ちに気づいたの」


 また彼女の

 悪い方向に、最悪の方向に考えてしまう。きっとまたその悪い癖が出たんじゃあないだろうか――

 瞬時にそう悟ったカッシーが、慌ててそう反論しようとした途端、しかし日笠さんはゆっくり首を振って彼のその言葉を遮る。

 

「カッシー、怒らないで聞いてね」

「……何をだ?」


 そう尋ねたカッシーに向けて、これから自分に向けられるであろう少年の軽蔑と失望を眼差しを予測し、日笠さんは諦観と怯えの色を顔に露にする。

 黙ってその先を待つ少年に向けて、少女は震える声でこう告げた。

 


「私……後悔してる……この世界にやってきたことを――」



 広場を緩やかな風が通り過ぎる。靡く髪をそのままに、日笠さんはじっと少年を見つめていた。

 だがかける言葉が見つからず、カッシーはただただその場に佇むのみ。

 しばしの沈黙が続いた後、少年からの返答がないことを悟ると、日笠さんは話を続けていった。


「あの古城で気づいたの。私はこの世界が嫌いなんだって……こんな世界に来たくなんてなかったって――」


 どうして私がこんな目に? 私が何をしたっていうのだろう?――

 古城で命を懸けた戦いを繰り広げ、極限まで追い詰められた彼女は、ササキと交わした会話の中で気づいてしまった。


 何とかしなきゃいけない、自分がまとめ役なのだ。そして自分のせいでみんなをこんな目に遭わせてしまったのだから――と自分に言い聞かせ、心の奥底に強引に押しやっていた本心に気づいてしまった。


 それでもあの時は、『生き抜け』と道を示してくれたササキや、『やりたいことをやれ』と背中を押してくれた、目の前の少年の言葉に従い、考えるのを止めて我武者羅に進んだ。


 おかげで前を向けた。足も踏み出せた。

 けれどそれは、やはり自分の意志ではなかった。


 全てが終わり、チェロ村へ戻ることになった時。

 ゆっくりと馬車に揺られながら彼女は思ったのだ。


 嗚呼、そうか。

 ――と。



「初めてこの世界に来た時から私は変わっていない。本当は怖くていつも逃げたいって、早く元の世界に戻りたいって、この世界を否定していたの――」

「日笠さん……」

「ずるいよね私。後悔するのが嫌だから……君はいつだって、どんな時だって前を向いて足を踏み出して来た……そんな君の気持ちを知っていて……でも私は後悔ばかりしてたんだ」


 二か月前、この世界を初めて訪れた夜。

 少年は自責の念に駆られて泣いていた私に向けてこう言ってくれた。

 見つけてみせる。きっと何とかなる――と。

 

 それだけじゃない。

 絶望に陥りそうなとき、彼はいつも私を護ってくれた。

 俺に任せろ――と道を切り開いてくれた。


 私のために、みんなのために前へと進もうとする、彼の決意と覚悟を知っていながら、私は結局自分の事だけを考えていたのだ。

 挙句勝手に彼への羨望と自責の念に狩られ、一人で悩んでいた。


「最低だね……私――」

「…………」

「だから、私に答えを貰う資格なんてないの」


 悔しくて情けなくて、どんな顔をしていいのかわからなくて……もう笑うしかない――

 逢魔が刻の消え入りそうな陽光の中で見えた、潤んだ瞳でにこりと笑う少女のその笑顔は、まさにそんな笑みだった。

 

 その笑みを受け、カッシーは二の句が継げず口をへの字に曲げる。

 だが彼女に向けられたその目は、少女の予想していた『軽蔑』も『失望』も灯しておらず、猶のこと大きく輝きだした感情は、ただ一つだった。

 即ち、どうして俺は気づけなかった?――と、いう自らに対する怒り。


 山脈の背後に沈んだ陽の光が完全に消える。

 夜のしじまが訪れたチェロ村の広場で、二人はしばらくの間沈黙を保っていた。


 と――


 やにわに傾き始めた少女の身体に気づき、カッシーは目を見開くと慌てて手を伸ばす。

 ゆっくりとこちらへ倒れてきた日笠さんの肩を支えるようにして抱き留め、カッシーは彼女の顔を見た。

 そして思わずうっと息を呑み、動きを止める。


「お、おい、日笠さん?」


 間近に迫った音高で一、二を争う美少女の顔と、ふわりと鼻腔をくすぐる、女性特有のいい匂い――

 吐息が感じられるほどの至近距離に見えた日笠さんの薄い唇をじっと見つめ、カッシーは思わず頬を赤らめた。

 

「ごめんね……カッシー――」


 消え入りそうな声でそう言って、日笠さんは潤んだ瞳を閉じる。


 いやいやいや。

 ちょっと待て、ちょっと待ってくれ!

 何だこの展開は?! おかしくないか? いやどう考えてもおかしい!

 どうしてこうなる?!――


―よし、押し倒せ我が弟子よ―

「うるさい黙ってろナマクラ」


 少年の思考を読み取って、下卑た笑い声をあげた時任へ即答し、カッシーは大きく一度深呼吸をする。

 そして途端高鳴り始めた自分の鼓動と、頭の中を過ぎった煩悩を必死に抑え、日笠さんの肩を揺すった。


「やっぱ変だぜ。こんなの日笠さんらしくない……考えすぎ――」


 だがしかし。

 カッシーの言葉が終わるよりも前に、日笠さんは膝から崩れるようにしてその場に倒れていく。

 吃驚しながらも咄嗟に膝を折りながら彼女の身体を抱きかかえ、カッシーは慌てて彼女の顔を覗き込んだ。

 

「日笠さん!? お、おい、大丈夫か?」


 やはりなんだか様子がおかしい。

 全体重を少年に預け、横たわった少女の顔はほんのりと赤みを帯び、額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 それに辛そうに眉根を寄せ、ヒューヒューと喉を鳴らしながら胸を上下させているこの様子には心当たりがあった。


 これってもしや?――

 カッシーはそっと自分の手を日笠さんの額に当てる。

 はたして、掌に伝わって来たのは、異常なほどの熱さを放つ少女の体温――

 

「……熱?」


 なんでだよ? どういうことだ?!

 途端表情を険しくして、カッシーは呟く。



 刹那――

 


「カッシーッ!」


 やにわに自分を呼ぶ声が聞こえて、カッシーは顔を上げた。

 そして大慌てでこちらに駆けてくる東山さんとこーへい、なっちゃんとササキの姿に気づくと、日笠さんを抱えて立ち上がる。

 

「みんな! 日笠さんの様子がおかしいんだ。熱があるっ!」

「やっぱり――」

「おーい、やばくね?」


 駆け寄って来た東山さんとこーへいは、開口一番呟くと、お互いを見合い確信を持ったように頷いた。


「やっぱり――ってどういう事だっつの!?」

「詳しい話は後よ、とにかく宿屋に運んで」

「くそっ……わかった」


 剣呑な表情を顔に浮かべ、日笠さんを見つめていたなっちゃんが、彼女には珍しく慌てた様子で指示を飛ばす。

 逸る気持ちを抑え、カッシーは慎重に日笠さんを宿へと運んでいった。

 


 この世界に来てから実に七十四日目の夜が始まろうとしている。

 彼等のひとときの休息は終わりを迎えようとしていた。

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