その2-1 妖刀の出自

一時間後。

チェロ村、宿屋松脂亭――


「あ、会長……」


 今日の夕飯は新作ヒドリの蒸し焼きとキノコのパスタ♪

 パーカスでレシピを仕入れた新作だ。中々の出来に仕上がったし、みんな気に入ってくれるといいけど――

 と、鼻歌交じりにテーブルへ配膳をしていた東山さんは、やにわに扉を開けて入って来たササキを向き直った。

 その後ろには微笑みの少女の姿も見える。

 

「夕飯ならもう少しで用意できるんで、座って待っててもらえると――」

「――日笠君はどこにいる?」


 珍しい組み合わせね、と思いつつ席へと促した東山さんの言葉を遮り、ササキは剣呑な表情で尋ねた。

 彼には珍しい、切羽詰まった焦りを含んだ口調――東山さんは思わず言葉を飲み込んで、ササキの顔を見つめる。


「そろそろ夕飯できるからみんなを呼びに行ってもらいましたけど――」


 なんでこの人、こんな顔をするのだろう――

 なんだか嫌な予感がしつつも東山さんは、ややもってササキの問いかけに答えた。


「いつ頃かね?」

「んー、ついさっきだぜー? ここに来る途中ですれ違わなかったか?」


 と、キッチンから山盛りのパスタが乗った大皿を抱えながらやってきたこーへいが、東山さんの代わりに答えた。

 だが彼もすぐに、ササキの浮かべるただならぬ気配を秘めたその表情と、やはり傍らでキュッと口を真一文字に結ぶなっちゃんに気づき、不思議そうに片眉を吊り上げる。

 

 部屋でマーヤから届いた手紙を読んでいた日笠さんが、階段を降りて一階へとやってきたのは、五分も経たない前のことだ。

 きっと漂って来た美味しそうな匂いに鼻腔をくすぐられたのだろう。

 何か手伝うことない?――

 自分だけ何もしないのは気が引けた彼女は、キッチンを訪れ二人にそう尋ねていた。

 だから東山さんは、こうお願いしていたのだ。

 そろそろ夕飯が出来上がるから、みんなを呼んできてもらえる?――と。


 嫌な一つ顔せずにこりと笑って頷くと、彼女はそそくさと宿屋を出て行ったのである。

 はたして、それを聞いた鬼才の生徒会長と、微笑みの少女は懸念を隠さず小さな吐息を漏らしていた。

 

「あの、まゆみがどうかしたんですか?」


 ここまで穏やかならぬ雰囲気の二人を前にしては、いくら鈍くても流石に気づく。

 彼女に何か良からぬことでも起きているのだろうか――やにわに東山さんは、眉間にシワを浮かべながら二人へ尋ねた。

 と、ササキは徐に小脇に抱えていた一冊の本をテーブルの上に置くと、それをパラパラと捲り始める。


 何だこの本?――

 訝し気に古ぼけたその本の中身をササキの後ろから覗き込みながら、こーへいは猫口をぴくりとさせた。


「日笠君だけではない、君達にも関係ある話なのだが――」

「関係? 何のことですか?」

「彼女のうなじだコノヤロー」

「……はい?」


 途端、緊迫した表情をストンと落とし東山さんは軽蔑の眼差しをササキへと向ける。


「昼間彼女がペンダントを拾う時に見えたのだ。セクシーだったぞンー?」

「おーい、どこ見てんだよアンタさー」

「会長、その発言はセクハラですよ?」

「それじゃ端折り過ぎよササキさん。わかるわけないでしょ?」


 まったくこの人、わざと誤解を招くような発言して楽しんでない?――

 真顔でそう答えて、パラパラと頁を捲り続けるササキに対し、なっちゃんはやれやれとかぶりを振ると、彼の代わりに説明を始めた。


「さっき魔曲を作っていた時に、ササキさんが見つけたらしいの。まゆみのうなじに黒い半円をね」

「黒い半円?」

「それだけではない。黒い点も二つあった」

「あの……それが一体どうしたっていうんです?」


 やはり話が見えてこない、それが一体何だというのだ?

 東山さんとこーへいは同時に訝し気に顔を顰めていた。

 と、そんな二人に向かって答えを示すように、頁を捲り続けていたササキの手が止まる。


「私の記憶が正しければ……あの黒い点はこの絵と酷似していた」


 ササキはそう言って東山さんとこーへいへ目で合図する。

 これを見ろ――ということらしい。

 一体全体、会長は何が言いたいのだろうか――

 段々まどろこっしくなってきて苛立ちを覚えながらも、東山さんは促されるがままに、本を覗き込む。

 

 そして本の内容に目を通し、途端にその目を見開いていた。

 彼が捲っていた年代物のその本は、丁度半ばほどにあった挿絵の頁が開かれていた。

 その挿絵に描かれていたもの――それは全身を黒い斑点に覆われ、もがき苦しむように喉を抑え叫ぶ人々だったのだ。


 いや、訂正しよう。『斑点』ではない。

 よく見るとそれは黒い半円と黒い二つの点――

 そう、まさについ先刻なっちゃんが口にしていた、日笠さんのうなじに見えたものと、一致していたのである。

 何ともおどろおどろしい雰囲気のその挿絵は一目見ただけで、件の『黒い半円』が原因で起きている、様子を描いていることがわかる。

 

「この絵は……」

「おーい、なんだこりゃ?」


 場違いなほどのほほんとした口調で、しかし眉根を寄せながら、同じく挿絵を覗き込んでいたこーへいがササキに尋ねた。


「これは死神など目ではない、最大の窮地かもしれんコノヤロー」

「最大の……窮地?」 

「はいはーいヒドリの蒸し焼きできたわよ♪――って、どうしたの? みんな険しい表情して?」


 と、鍋掴みを付けたまま大鍋を運んできたヒロコが、集う少年少女達を一瞥して途端に笑顔を引っ込める。

 だが四人はちらりとヒロコを振り返った後、すぐにお互いの顔を見合わせて頷くと、一斉に外へと飛び出していった。

 


♪♪♪♪



五分前。

チェロ村、広場――


 コーダ山脈に陽が沈もうとしている。

 東の空は既に暗くなり、一番星が瞬き始めていた。

 そんな夕暮れの広場で、しじまを破りカッシーは足を止める。

 膝に手をつき、必死に呼吸を整える少年の前髪から、ぽたりと落ちた汗が乾季ですっかり渇いた土にたちまちのうちに吸い込まれていった。


「ボケッ……これでいくら何でも百……いったろ……」


 あれからさらに一時間。

 根性と気合のみで走り続けた少年は、どうだと言わんばかりに腰の妖刀を見下ろした。


―本当に走り終えるたあ……まあいいだろ。認めてやるよ小僧―


 まったく負けん気の強い小僧だ――時任は呆れと感嘆入り混じった声をあげる。


「約束通り……剣術……教えろよ?」

―ああ、いいぜ。ただし走り込みは続けろ。日課で五十にまけといてやる。剣術の稽古はそれが終わってからだ―

「……はあ?! マ、マジか!?」

―当たり前だろ。続けねえでどうすんだよ―


 幾度となく死合った妖との戦いの中で、体力さえあれば生き延びることができた者をこの妖刀は嫌という程見てきた。

 技など後からどうとでもなる。まずは一分でも一秒でも、和音を持続できる体力を付けろ――

 恨めしそうに口をへの字に曲げたカッシーに対し、時任は鈍くその身を光らせながら即答する。

 我儘少年はしばしの間、納得いかなそうに眉根を寄せて唸っていたが、やがて呼吸が整うと不承不承ながら頷いてみせた。


 覚悟はとうにできている。もっと力が欲しいんだ――と。

 

「わかったよ。やってやろうじゃねえか! だから約束守れよ?」

―ケケケ、武士に二言はねえよ―


 小気味良く笑って時任は答える。

 対して、カッシーはにへらと笑いを浮かべたものの、すぐに明日からの地獄の特訓デスマーチを想像し、辟易したように顔に縦線を描いた。

 だがすぐに気を取り直し、彼は近くにあった木の柵に腰かけると、一息入れるように吐息を漏らす。


「うげ、びしょびしょだ……」


 着ていた黒のインナーを脱いで目の前に掲げ、思わず少年は顔を顰めた。

 汗を吸ったそれはずしりと重く、まるで洗濯したてのようだ。

 ぎゅっと力を込めて絞るとぽたぽたと汗が滴り落ちる。

 カッシーはインナーを広げ直し一度払ってから、肩にかけた。

 そしてもう一度小さく息をついて双眸を細める。


 夕陽は、その身のほとんどをコーダ山脈の向こう側へ隠していた。

 村の人々も各々家に戻って夕飯の支度をしているようだ。

 人影もまばらとなった広場は静謐に包まれている。

 山の麓なので日が沈むと気温が下がるのが早い。

 少し肌寒い程まで気温は下がってきていたが、身体が火照ってるせいか、それが少年には程よい涼しさに感じられた。


「なあ、ナマクラ」


 しばしの間、じっとその光景を眺めていたカッシーはやにわに時任へ声をかける。


―ちゃんと師匠と呼べ―

「ぐっ……」


 くっそ、調子のいい奴だな――

 途端、上から目線でそう答えた時任に対し、カッシーはムッと顔を顰めた。

 だが無視して彼は話を続ける。

 

「おまえさ、外の国からやってきたんだよな? シズカさんが言ってた……なんだっけか」

―エドだ―

「そう、その国」


 かつてパーカスを訪れた際、カナコの秘書を務めていた女性が言っていた話を思い出しながら、カッシーは相槌を打つ。

 

―それがどうかしたのか?―

「おまえの国の刀って、みんなそうやって喋るのか?」

―はぁ?―

「違うのかよ? じゃあ何だっけ……退魔師って奴等が使う刀だけが喋るのか?」

―ケケケ、んなわけがねえ―


 どうやら違うらしい。まあそりゃそうか。

 普通に考えりゃ喋る刀なんてありえない。となると、やはりこいつが特別なんだろうか――

 小馬鹿にするような口調で返答した妖刀に気づいて、カッシーはポリポリと鼻の頭を掻く。


「じゃあ、なんでおまえは喋れんだよ?」

―俺様は特別だからだ―

「特別? そういやさ、お前刀の癖になんで剣術知ってるんだ?」

―ああ?―

「普通刀は使われる側だろ。それに退魔師って奴等の技も使えるよな?」

―当たり前だろ、元々人間だったんだからよ―

「そっか…………って、はぁ!?」


 ちょっと待て。

 こいつさらりと言ったが、今のとんでもない発言じゃなかろうか――

 と、納得しかけたカッシーはピタリと動きを止めて目を見開く。

 少年のその反応に気づいたのだろう。時任はバツが悪そうに唸り声をあげていた。

 

「人間だった? それがどうして刀に? そもそも人間が刀になれるのかよ?」

―色々あったんだよ―

「色々ってなんだよ?」

―……んなこた別にいいだろう……おまえには関係のねえことだ―


 歯切れ悪くそう答え、見るからに不機嫌になった妖刀はそこで口を噤む。

 何やら話したくない話題のようだ。

 だがここで止められては、こっちが気になって仕方がない。

 どうしようか一瞬迷ったカッシーは、しかし構わず話を続けた。


「なあ……おまえ、どうして刀になんかなったんだよ? 普通あり得ないだろ」

―……やけにつっこむじゃねえか―

「そりゃあ、気になるし。例えば、呪いかなんかで刀に変えられたとか?」

―違えよ。刀になったのは俺の意思だ―

「意思? 何故?」


 俺の意思――確かに今、こいつはそう言った。それって自分から刀になったってことだろ?

 どうしてだ? なんでまた刀なんかに――

 その理由がわからず、カッシーはじっと腰の妖刀を見据えて尋ねる。

 

 対して時任は刀の癖に鬱陶しそうに舌打ちを一つ鳴らした後、しばらくの間沈黙を保っていた。

 再び静謐が訪れた広場で、それでもカッシーは時任から目を逸らさず返答を求めるように待ち続ける。

 

 

 

―……仇討ちだ―



 

 およそ時間にして数十秒。

 しじまを破り、なんとも苦々しい声で、妖刀はたった一言そう答えた。

 いつもの軽口を叩くときのような軽快な口調ではなく、何かを背負う剣士の決意を秘めた重く、低い口調――意外な一言が聞こえて来て、カッシーは思わず息を呑む。


「仇討ち? 誰のだよ?」

―……小僧、この話はもうやめだ。さっきも言ったがお前には関係のないことだ―

「……そっか」


 只ならぬ覚悟を帯びた一言だった。

 そしてその瞬間、確かにこの刀からは、まさに『妖刀』と称するに相応しい凄まじい執念と怨嗟が感じられた。

 時任の有無を言わさぬ気迫に圧し負けて、カッシーはそれ以上の追及を諦める。

 

 どうやら、こいつにはこいつの目的があるようだ。それだけはわかった。

 正直言えば気にはなるが、人間言いたくない事の一つや二つはあるし、それを聞くのは野暮だろう。

 まあこいつは人間じゃないが――

 口をへの字に曲げつつ、頬杖をつくとカッシーは憮然とした表情で溜息を吐く。

 それ以上、時任も言葉を放つことはなく、一人と一刀はしばしの間ぼんやりと暮れなずむチェロ村の広場を眺めていた。

 

 と――

 

「あ、ここにいたんだ――」


 やにわに聞き覚えのある声が聞こえて来て、少年は振り返る。

 そして数間ほど先に佇み、こちらに向かって静かに微笑んでいたまとめ役の少女の姿に気づくと、彼は柵から立ち上がったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る