その1-3 少年の特訓

同時刻。

チェロ村、中央広場――


 コル・レーニョ盗賊団との決死の攻防戦よりはや二か月以上。火に包まれ半壊してしまった家々も今はすっかり元通りとなり、牧歌的な光景をコーダ山脈の麓に広げている。

 その村の広場を黙々と走る人物が一人。

 いや正確に言うと一人ではなかったが。


―おい小僧、顎が上がってるぞ? しっかり走れよ!―


 と、ぜーはー息を切らせて走る我儘少年に向かって、彼の腰に差された物言う刀はその身を鈍く光らせながら渇を入れた。

 

「ボケッ! 簡単に……言いやがって! 大体……いつまで走らせる……つもりだよ?!」


 カッコつけずに胸当てブレストメイルを外しておいてよかった。動きやすいように上着も脱いで黒のインナーのみとなっていたカッシーは、それでも汗だくふらふらになりながら、恨めし気に妖刀をめ下ろす。

 かれこれ二時間はずっと走り通しだ。一体この広場を何週したのだろうか。

 二十週あたりまでは覚えているが……それも確か一時間くらい前だった気が。

 くそっ、ふくらはぎが攣りそうになってきた――

 よろめいた少年は根性で顔を再び振り上げ、大きな鼻息を一つ吹きながら態勢を持ち直す。


―強くなりたい言い出したのはおまえだろう? なら俺様の言うことを聞いて、とにかく走れ―

「このやろう……いい加減にしろよこのナマクラッ!」

―ケケケ、減らず口叩けるならまだ余裕はありそうだな―


 と、時任は嗜虐の色を笑い声に乗せて、やにわに少年の身体に介入を開始する。

 ち ょ っ と 待 て ! ?――

 途端自分の意思に反して強引に走り始めた身体に対し、カッシーは目を見開いて声にならない悲鳴をあげた。


「ボケッ! きたねえぞっ!――うおおおおお?!」

―ほれ、残り五周で勘弁してやるからしっかり走れ小僧―

「くっそぉぉ! 納得いかねえ!」


 逆らう事もできず、カッシーは悔しそうに叫びながら広場を全力疾走で駆け回る羽目になった。

 


♪♪♪♪



広場中央、物見櫓上――


「おーおー、あいつも毎日毎日頑張るよなー?」


 脇に設置された四枚の風車羽根がゆっくりと周るその傍らで、柵に寄り掛かりつつ、ひた走るその少年を見下ろしていたこーへいは、呆れ半分、感心半分でにんまりと猫口を浮かべてみせる。


「カッシーの奴どうしたんだ? なんかえらいやる気だしやがってさ」


 と、彼の対面で同じく少年の様子を見ていたヨーヘイも同意するように口を開いた。

 その手には扇状に広げられた五枚のカードが握られている。

 彼等は我儘少年の特訓を生暖かく見守りつつ、こうして物見櫓の上でのんびりとポーカーに興じていたのだ。


「んー、変なところで責任感あっからなあ」

「ホルン村の話か?」


 と、ヨーヘイは聞き返しつつ、手札を場に捨て、山から新たにカードを抜き取った。

 こーへいは返事をする代わりに咥えていたタバコの先からぷかりと煙をふかし、にんまりと笑う。


「それだけじゃなくてよ? この二か月ちょいでいろいろあったこと、全部かな?」

「ふーん。まあ、カッシーが責任感じるのはいいとして、ナツミちゃんが髪切ったのは納得がいかねえぜ。お前らしっかり守ってやれよ」


 と、責めるような目つきでこーへいを見上げ、ヨーヘイは頬杖をつく。

 約二か月ぶりに帰って来た彼等を出迎えたヨーヘイは、少年少女達の変貌ぶりにそれはそれは驚いていた。

 出発前はどことなく頼りなかったカッシーは何だか逞しい顔つきに変わってたし、長い髪が自慢だったなっちゃんは一転、ばっさりとベリーショートになっているし、おまけに服装も修道女に変わっているときたもんだ。

 まあ後で日笠さんから事情を聞いて納得はしたものの、とうとうおまえら、神頼みででもしたのか?――と、本気で心配してしまったほどだ。


「しょーがねーだろ? 止める間もなかったんだからよー」

「ソウダヨー、あのドクゼツがカッテに自分で切ったんディス」


 と、櫓の屋根の上にゴロンと寝そべり、ぼんやりと回る羽根を眺めていたかのーがひょっこりと顔を覗かせて会話に加わる。

 余談だが、彼の羽織っている上着も、微笑みの少女同様に着慣れた黒のサマーパーカーから、深緑色をしたベストに変わっていた。

 古城でマダラメに燃やされたために、嫌々ながらも東山さんに着せられたのである。

 といっても、下は相変わらずのハーフパンツとストラップサンダルのままだったが。

 閑話休題。

 突然逆さになって現れたバカ少年にヨーヘイは面食らって目を見開いたが、すぐこーへいを向き直り話を続けた。


「そのマダラメって奴許せねえな、髪は女の命だってのによ」

「ま、その辺はうちの委員長がきっちり締めといたからさ?」

「ソレニ、あのドクゼツ気ニシテないみたいダシー?」


 ぷかりと煙草の先からわっかを浮かべて、こーへいは山から何枚かのカードを抜き取る。


「しかしまあ、話聞いてて思ったけどさ――」

「んー?」

「おまえらバカみたいにトラブル巻き込まれてんな」


 この村から始まって、ヴァイオリン、パーカス……ああ、その道中でドラゴンに襲われたんだっけか?

 あとは今聞いたホルン村のアンデッド騒動――指を折りながら数えつつ、改めてヨーヘイはうんざりしたようににへらと笑い、こーへいとかのーの顔を一瞥した。

 だが特に何の反応も見せず、こーへいはのほほんと首を傾げたのみだ。


「おー、そっかー?」

「そっかー?――じゃねえだろ。こんな短期間に三つも四つも命かける羽目なった奴等見たことねえぜ」

「んー、まあ俺達よー? 結構トラブル巻き込まれんの慣れてるしなー?」

「ムフ、元の世界でもニチジョーサハンジだったヨ」

「馬鹿。慣れるなよ、んなモン」


 あっさりと言い切りやがってこいつらは……肝が据わってると言えば聞こえはいいが、緊張感のない連中だ――

 やれやれと溜息を吐きながら、懐から銅貨を一枚取り出すと、ヨーヘイは山札の隣にそれを放り投げる。


「今回は自信あるぜ。コーヘイ、これでテメーの連勝もストップだ」

「おー、そりゃやばくねー?」

「へっへーん」


 と、ヨーヘイは自信ありげに手札を床へと置き、こーへいの顔を覗き込んだ。

 表にされたカードの中身は、4が二枚に、6が三枚。

 即ち――


「フルハウスだ、どうよ?」


 これは流石に勝っただろ――

 と、勝ち誇ったように、にへら顔を浮かべたヨーヘイに対し、だがこーへいは間髪入れずに自らの手札を場に開いてみせると、にんまりと笑う。

 彼のカードはスペードの8、9、10、J、Q――


「残念でしたー。ストレートフラッシュでーす」

「はあ!? おまえっ、マジかよ?!」

「マジでーす、ごめんねーまた勝っちゃった」


 悔しそうに舌打ちをし、ヨーヘイは渋い表情で床に置いていた銅貨を拾うと指で弾いてこーへいに投げ渡す。

 それをキャッチするとクマ少年はにんまりと笑い、美味そうに咥えタバコの先から煙を吹かした。

 これで二十三連勝。あのパーカスでの一大勝負から依然として賭け事の腕前に曇りはないようだ。


「まいどー♪」

「ちくしょう、おまえ強すぎだろ? あーもうやめやめ!」


 こりゃ無理だ勝てねえ。一体どうなってんだこの強さは。

 まったく神器の使い手達ってのは、どいつもこいつも一癖二癖もありやがる――

 お手上げと肩を竦めヨーヘイは櫓から立ち上がると、手摺から身を乗り出して広場を眺めた。

 

 件の我儘少年は、大の字に地べたに寝転がり、ぜーはーと息を切らしている。

 どうやら終わったらしい――まるで弟を見守るような優しい眼差しを彼へと向け、チェロ村の青年団長は笑みをこぼす。


「……まだまだな部分もあっかもしれねえが、でも確かにみんな逞しくなったよな」

「んー、そっかー?」

「ああ……」


 こりゃ俺もおちおちしてられねえや――

 ヨーヘイは腰に下げていたブロードソードをぽんと叩き、こーへいとかのーを振り返った。

 

 

♪♪♪♪



「……うぐおおお……コ、コノヤロウ……無理……矢理……走らせやがって――」


 どこまでも蒼い空を眺めながら、カッシーは時任に向かって息絶え絶えに愚痴を零す。

 だがそんな少年の恨み節など、どこ吹く風で妖刀はお決まりの如くケケケ――と笑ってみせた。


―ようし、まあこんなところか。明日も引き続き走り込みだ小僧―

「ざけんなボケッ! ちょっと待てこのナマクラ!」

―うるせえなあ、なんだよ?―

「あのな、俺は剣術を教えてくれって頼んだんだぞ!? それが来る日も来る日も、なんで走り込みばっかなんだよ!?」


 納得がいかねえっつの! 陸上部か俺は!――

 がばっと上半身を起こし、とうとう忍袋の緒がキレたカッシーは妖刀を睨みつける。

 はたして、彼の言う通り。

 剣の使い方を教えてくれ――と、チェロ村に戻って早々、珍しく殊勝な態度で頭を下げた少年に対し、妖刀はその頼みを受け入れていたのだ。

 しかし、いざ蓋を開けてみればこの五日間、少年が剣を握ることは一度たりともなく、時任が彼に課した課題といったら、ご覧のとおり朝から晩までひたすら走るのみだったのである。


 だが、怒り心頭歯を剥き出し吠えた少年に対し、時任は面倒くさそうに溜息を吐いてみせた。

 わかってねえな――と。


―剣術なんか百年はええよ。まずおまえに必要なのは地となる身体を作ることだ―

「は?」

―風使いとの戦いで嫌っていう程、痛感したんじゃねえのか? 自分に絶対的に足りないのは持久力スタミナだ、ってよ?―

 

 と、鸚鵡返しに尋ねた我儘少年に向けて、時任は真剣な声色で答える。

 

―おまえはあんまり身体もでかくねえ、おまけに軽い。所謂『小兵』ってやつだ。白兵戦になったらまず不利なんだよ。だから勝つためには、その身の軽さを活かして早さと技で戦うしかねえ―

「……なるほど」

―なるほどって、もしかしてお前、それもわからねえで今まで戦ってたのか? いやはや、今までよく生きてたもんだ―

「う……うるせえなあ」


 まったくしょうがねえ小僧だ。意地と信念は買ってやるが、他はど素人だな――

 流石に呆れた様子で時任が落胆すると、カッシーは何も言い返せず、口をへの字に曲げながら言葉を濁した。

 

―まあいい。速さと技を活かす戦い方ってのは、とにかく運動量を必要とするんだよ。だが、お前にはそれを維持するだけの体力がねえ。だからこの前の風使いとの戦いでは、途中でバテて苦戦を強いられた―

「ぐっ……」


 痛いところを突かれて少年は思わず唸る。

 悔しいがぐうの音もでない。全て事実だ。

 時任の言う通り、古城で風使いのオオウチと戦った時は、和音に身体がついて行けず途中でガス欠を起こしてしまった。

 そしてだからこそもっと強くなりたいと、彼は妖刀にこうして師事を請うことにしたのだ。


戦場いくさばじゃあ素人も玄人も関係ねえ。バテたからって敵は待ってくれねえぞ? 動けなくなったらそこでお終いなんだよ。だからこそまずはバテない体を作れ。黙って俺様の言うこと聞いて走り続けろ―

「……それじゃ、剣の特訓は――」

―んなもん、まだまだに決まってんだろ。そうだな、せめてこの広場百週できるようになってからだ―

「ひゃ、百週!?」


 今日だってどれくらい走っただろうか。まあそれでもとてもじゃないが百週には遠い気がする。

 一体どれだけあと走ればいいのか――

 二の句が継げず、カッシーは青ざめながら広場を一瞥する。


 だがしかし。

 悔しいが、このナマクラの言うことはいちいちもっともだ。

 例え剣術を習ってもそれを使いこなせる体力がなければ、きっとまた途中で体力が続かなくなって動けなくなるのは目に見えている。

 

 皆を護れる力が欲しいって決めた。

 その想いは旅を続けるほど強くなってる。

 あの子をもう泣かせないためにも。

 そしてもう少し信じてもらうためにも。

 

 そうだ。

 もっと強くなりたい――


―まあそんな顔すんなって。まあ百歩譲ってだ、あの古城の戦いでおまえもそれなりに成長したことは認めてやるよ―

「ほんとか?」

―ああ。それでもまだ全然だが―

「ぐっ」

―そうだな、卵が雛になった程度か?―

「……くっそ!」


 褒めて落とすとはなんて嫌な奴だ。

 そもそも無機質のクセして偉そうに――と、カッシーは口を尖らせた。


「だぁーーっもう! むかつくなあ!」


 ガシガシと乱暴に頭を掻くと、カッシーは再び地べたに寝転び絶叫する。

 そして、腰の妖刀を掴み取ると、空へ翳すように顔の前で持ち上げて、いっ!――と八重歯を覗かせた。


「上等だ! やったろうじゃねーかナマクラっ! 走りゃいいんだろ走りゃ!?」

―ケケケ。ちゃんと約束守ったら、みっちり稽古つけてやるよ。時任流の真髄をな?―


 むしろその後の方がであることをこの妖刀は敢えて言わない。

 少年の悶々とした強い想いを読み取って、小気味よくケケケ、と笑ったのみだ。



 と――


「あ、柏木君っ!」


 顔見知りの少女の声が聞こえて来てカッシーは跳ね起きた。

 そして宿の方角から走ってくる東山さんを視界に捉え、なんだと瞬きする。


「毎日精が出るわね、今日はもう特訓終わり?」


 と、傍にやって来るや、開口一番そう言って音高無双の少女は口元に彼女を象徴するような強気な笑みを浮かべた。

 その服装は、いつもと違ってウサギのアップリケが付いた白いエプロンを上から羽織っており、肩までの髪も紐で縛ってポニーテールにまとめている。

 夕飯の支度でもしていたのだろう。にしても、と少女趣味だよな委員長って――

 口にしたら恐ろしいことになることを十分知っている我儘少年は、心の中だけにその所感を留め、立ち上がる。

 

「あー……ちょっと休憩中――」

「そう、気負い過ぎて身体壊さないようにね?」

「ああ、わかってる。んでなんか用か?」

「そうだった、中井君知らない?」


 と、腰に手を当て、途端に不機嫌そうに眉間にシワを寄せながら彼女は尋ねた。

 できれば包丁を握りながらそういう顔はしないで貰いたい。特にあなたは――

 自分が責められているわけでもないのに、思わず背筋が冷たくなるのを感じてカッシーは口をへの字に曲げる。

 

「夕飯の支度始めなきゃいけないのに、まったくどこ行ったのかしら」

「こーへいならそこにいるぜ?」

「どこ?」

「ん――」


 首を傾げた東山さんに対し、カッシーはぽりぽりと頬を掻いてから物見櫓を指差す。

 音高無双の少女は、彼の指を辿って視線を徐々に上へと向けると、櫓の上で美味しそうに煙草を呑んでいたクマ少年を発見し、やにわに眉間のシワをさらに深いものとした。


「……いたっ! 中井君!」

「おー委員長、元気ー?」


 まったくこのクマは――相変わらずのマイペースでのほほんと手を振るこーへいを見て、東山さんは眉間を押さえ、深い溜息と共にゆっくりとかぶりを振る。

 

「何してるのよそんなところで?」

「んーちょっとなー?」

「ちょっとなー?――じゃ、ないでしょう? 今日の夕飯の当番、私とあなたよ?」


 にも拘らず、時間になっても一向にやって来る気配がないクマ少年に痺れを切らし、東山さんはこうして彼を探しにやってきていたのだ。

 だがお気楽極楽のクマ少年は、そんな彼女の怒りもどこ吹く風で、にんまりと猫口を浮かべてみせる。


「そうだっけー?」

「そ・う・よ・!」

「んー……めんどぉ~い。パース」



 刹那。

 

 

 ザクリ――と視界を掠めて飛来した何かが刺さる音がした。

 寄り掛かっていた手摺を恐る恐る見下ろし、こーへいはにんまり顔のまま表情を凍らせる。

 視界に映ったのは、手摺に深々と突き刺さり、未だ細かく振動している包丁の姿だ。

 殺す気かよ――咥えていた煙草をポロリと落とし、クマ少年は眉尻を下げる。


「おーい、委員長……これは洒落になんねーだろ――」

「いいからさっさと降りて来なさいっ!」


 だが音高無双の少女は、眉間のシワを寄せまくり、まるで追い詰めた犯人に勧告するように、凛と声を荒げた。

 軽くこーへいの肩を叩くと、ヨーヘイは同情の眼差しと共に諭すようににへらと笑う。


「行っとけコーヘイ……本当に死ぬぞ?」

「ムフン。ガンバッテネークマー」

「まったく他人事だと思っておめーらはよー?」

「中井君?! まだ?」

「へいへーい、今行きまーす」


 と、薄情な仲間に見送られ、こーへいはそそくさと下へ続く梯子へと手をかけた。

 やれやれ相変わらずだな――カッシーは苦笑する。そして上半身を左右に捻ると、気合も新たに広場を見据えた。

 まだまだ百週には足りないはずだ。

 やってやるって決めたんだ、見てろよナマクラ――

 

「まだ走るの柏木君?」

「もう少しだけな」

「そう、頑張ってね」

「ありがと。夕飯期待してるぜ委員長」

「任しておいて」


 腰に手を当て東山さんは目配せしてみせた。


 いつの間にやら日が傾きつつある。

 仄かに赤くなりだした陽を双眸を細めて眺めた後、カッシーは再び広場を走り始めた。


 この世界に来て何十回目かの日没が近づいてきている。



 そしてまた。

 望まぬ災難トラブルも彼等の下へと近づいてきていた。

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