第一章 ひとときの休息

その1-1 少女の回想

チェロ村、ペペ爺の家集会場――


「それでは準備はいいかね?」


 が残る、厚手の樫のテーブルの上に置いてあった銀色の球体。

 ササキはその球体の下部にあったスイッチを入れると、椅子を並べて座っていた、立派な睫毛を瞬かせた少年、そして興味深げに微笑みを湛えたベリーショートの少女を一瞥し、指揮棒を上げる。

 二人は小さく頷くと徐に手に持っていた各々の楽器――ヴァイオリンとチェロを構えた。

 少し離れた場所で日笠さんが興味津々といった様子で彼等を見つめる中、ササキは静かに指揮棒を振り下ろした。同時にスイッチの入った球体が、低い作動音を立てて起動すると、ヴァイオリンとチェロの二重奏が始まる。


 立派な睫毛の細身の少年――浪川が奏でるのはテンポの速い優雅で壮言なヴァイオリンの旋律。

 対して、黒と白の修道服に身を包んだベリーショートの美少女――なっちゃんが奏でるのは低音かつ重厚な伴奏。

 

 アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ作曲 『四季』より『冬』第1楽章――

 

 古城に向かう途中、骸骨兵スケルトンの群れを突破する際に、今まさにチェロを奏でている少女がこの曲を咄嗟に弾いたことはまだ記憶に新しい。

 あの時とは異なり、今は本来の編成通り浪川のヴァイオリンが主旋律を奏でている。

 静かに目を閉じ、全身を使ってヴァイオリンを演奏する浪川のその様は、その細身の容姿も相まって、まるでどこかの国の貴公子のようだ。まあ実際、王族と間違われて危うくクーデターの道具として利用されそうになったのだが。

 

 と、二人の楽器が仄かに光りを帯び始め、その演奏に思わず聴き入っていた日笠さんは目をぱちくりとさせた。

 やにわに楽器を包む光が増したかと思うと、刹那、周囲の気温が徐々に低下しはじめ、小さな雪の結晶が部屋の中を舞い降りてゆく。


「よし、いいぞコノヤロー。その調子で続けたまえ――」


 自動演奏状態シンクロの兆しを見せた二人に気づき、ササキは不敵に笑いながら指揮を続けていった。

 

 

♪♪♪♪



 前略。

 皆様、お元気でしょうか。日笠まゆみです。

 早いものでコルネット古城で繰り広げられたあの死闘から、はや三週間が過ぎようとしています。

 

 今思い返しても、本当に大変な戦いでした。

 古城の中も外も、不死者アンデッドだらけ、おまけに三羽の黒鴉トリニティ・レイヴンズなる、後輩そっくりなとんでもない強敵も現れるし。

 極めつけはうちらの世界の超危ない生徒そっくりな、伝承の死霊使いネクロマンサーマダラメになっちゃんが攫われてしまったことでしょうか。


 正直、彼女が囚われの身になった時は、どうなるかと思いましたが。

 でもエリコ王女やチョクさん、それに先に古城へ向かっていたなつきや柿原君達に、討伐隊のサイコさんやヒロシさん、ヨシタケさん、そして謎の吸血鬼シンドーリ伯爵の協力もあって、なんとかマダラメを倒し、無事なっちゃんを助け出す事ができました。


 まあ満身創痍の辛勝でしたけどね。

 本当に私達、運がいいなあ。だってあんな死闘にも拘らず、一人も欠けずにこうして無事にいられたんですから。

 今回も奇跡が続いてくれたことに感謝しなくてはなりません。

 トラブルの女神様がもしいるのならば、ありがとうと礼を言いたいです。 

 ああ、でも、欲を言えばもう少し私達に降りかかる災難を減らして貰えると助かるのですが。


 何はともあれ、ホルン村を脅かしていた不死者アンデッド達は消滅。

 私達も当初の目的どおり、なつき達四人と晴れて合流することができたのでした。


 はあ……もう、どっと疲れましたよ。しばらく不死者アンデッドは見たくありません。

 シンドーリ伯爵は私達の事を大層気に入ってくれたようで、近くに寄ったらまた遊びに来たまえ――と、言ってくれましたが、できれば遠慮したいかな。オバケ苦手だし――

 

 え? それは第四部を読めばわかるって?

 はあ、なんでチェロ村にいるのかって?

 

 すいません。まだ経緯を話してなかったですね。

 あの後すぐに、私達チェロ村に戻ってきたんですよ。

 その……理由はいろいろあるのですけど、一番は『休養』かな。


 オケの仲間を探す旅に出てはや二か月ちょっと。

 その間いろんな事がありました。

 ヴァイオリンはクーデターを食い止めるためにマーヤ女王と協力して浪川君を救出し。

 パーカスでは仲間と楽器を取り戻すために奔走し。

 そして今回ホルン村ではなっちゃんを助けるために、生まれて初めてとも言っていい死闘を繰り広げたわけですが。


 それはもう目の回るような慌しい二か月でした。

 自分で言うのもなんですけど、日々是奮闘。

 嗚呼、なんで私達、こんなトラブルに巻き込まれてばかりなんでしょう。

 まあ、それでも負けてたまるか!――って、諦めずに一生懸命頑張ったおかげで、少しずつではありますが、逸れていた仲間達とも合流できつつあったのですけれどね。

 

 でも短期間の間にいろんな事がありすぎて、正直ちょっと疲れちゃったかなって。

 私もなっちゃんも魔曲を使いすぎてかなり疲れが溜まって来てましたし。

 カッシーは時任の力を使いすぎて酷い筋肉痛が丸三日続いていましたし。

 恵美も、柿原君達の楽器の力で怪我は治りましたがまだ本調子じゃないみたい。

 こーへいとかのーは……まあ比較的元気な方ですけど、それでもバテ気味なのは否めません。


 それにエリコ王女とチョクさんも一度トランペットに戻る事になったんです。

 チョクさんですが、エリコ王女を庇って負った怪我がまだ癒えないようで……傷自体はなっちゃんの楽器の力で塞がったのですが、どうも血を流し過ぎたようです。

 しばらく静養が必要とのことで、トランペットに帰還することとなったのでした。それに、口にはしませんでしたが、エリコ王女のおかげで仕事も大分溜まっているようですしね。


 一方でエリコ王女も――充分遊んだしね、それにサイコに見つかっちゃ戻るしかないわ……と、なんだかやけに素直で、戻る事に反対の様子はありませんでした。

 表面上は渋々といった感じを装ってはいましたが、彼女も何か思うところがあったみたいですね。

 そんなわけで、古城から戻って四日後、二人はヒロシさんの護衛の下、一足先にトランペットへ戻っていったのです。


「マユミちゃん元気でね。何か困った事があったら遠慮なく連絡頂戴、いつでも駆けつけるから」


 出発の間際、彼女はそう言って屈託のない笑顔を浮かべ私を抱きしめてくれました。

 それが嬉しくて、それに寂しくて……ちょっと涙ぐんじゃった。


 なんだかんだいって、彼女には助けてもらってばかりでした。

 そりゃお騒がせ王女と呼ばれるだけあって、彼女のせいで起こったトラブルも何度かありましたけど。

 でも彼女は先頭に立って私達を護ってくれたし、辛い時は励ましてくれた。

 彼女がいなかったら古城での戦いは絶対乗りきれなかったでしょう。

 

 そこで私達今更ながら気づいたんです。

 私達がこれまで無事でいられたのは単なる『奇跡』だけでなく、彼女やチョクさん、マーヤ女王にサクライ王、そしてカナコさん、他にもいろんな人達が私達を助けてくれていたからだって。


 やっぱり私達、まだまだ未熟者ですね。

 でも、泣いても笑ってもエリコ王女も、もうマーヤ女王もカナコさんもいません。これからは自分達だけで仲間探しを続けなくてはならないんです。

 勿論彼等に頼ってばかりじゃいけない――それはわかってはいますけど、正直複雑な心境でした。

 これからどうなるんだろう。私達だけでやっていけるのかな――って。


 きっと私だけでなく、カッシー達も皆、そう思ってたはず。

 そんな時なっちゃんが言ったんです。


 ねえ、一度チェロ村へ戻らない? ほら、マーヤさんから新しい情報が届いているかもしれないし――

 

 ――って。


 その提案に誰も反対はしませんでした。

 もちろん、このまま引き続き旅を続けてみんなを探したい、という気持ちはあります。けれど、さっきも言った通りみんな満身創痍。おまけに頼れる英雄達はもういない。

 こんな状態で旅を続けるのは危険極まりありません。用心にこしたことはないし。

 幸いにも自由に使っていいから――と、エリコ王女の粋な計らいにより、ここまで乗って来ていた馬車も譲り受けていたため、帰りの足も心配はなさげ――

 

 というわけで、仲間探しの旅は一旦ここまで。

 一度拠点に戻って休養をとりながら、今後のことを会長と相談して決めようということになり、私達はチェロ村に戻ることになったのでした。

 

 ところがです。

 この事をなつき達に話したら、彼女なんて言ったと思います?


「へえー、まあいいわ。んじゃその間、私達が仲間探しといてあげる」


 ――ですって。

 もーびっくりですよ。何言いだすのこの子!?って開いた口が塞がりませんでした。

 ええ、もちろん、必死で止めましたよ。


「冒険の旅かー、一度してみたかったんだよね。面白そうだし」

「あ、あのなつき? 一緒にチェロ村に来るんじゃ――」

「え? なんで?」

「何でって……話聞いてた? 全員集まらないと元の世界に――」

「だからさ、手分けして探した方が早いじゃん」

「……はあ?!」

「何もあんたらだけが仲間探しする必要なくない? という訳でうちらはうちらで部員探してみるから」

「あなたたちだけで?! 危ないってなつき!」

「平気よ、うちらには楽器あるし」

「……はあ」


 ――ということになりまして。

 古城でのシリアス続きですっかり忘れてましたが、そういえばこの子、地はコギャルでした……駄目だ手におえない。

 柿原君や阿部君それに亜衣ちゃんも、そんな彼女を見て酸欠の金魚みたいに口をパクパクして青ざめてました。

 マジか?! 『うちら』って今言ったよね!? それ、僕達も入ってるの?!――って、思いっきり顔に書いてありましたね。

 特に阿部君は楽器も大きいから大変そうです。身体も弱いし大丈夫かなあ。

 まあでも、オケが誇る暴君に逆らえるわけもなく、彼等はノリノリで旅支度を始めるなつきの背中を、諦観の表情で見つめてました。

 私達も、これは止めても無駄だな――と、一瞬にして悟り。

 こうして、なつき達はホルン村を拠点として、管国側を中心に仲間探しの旅をすることになったのです。


 そしてそれから三日後。

 本当にありがとうございました。どうか貴方達に神のご加護がありますよう――

 と、キクコ村長に感謝の言葉と共に見送られ、私達六人はホルン村を後にしました。

 

 こーへいのまだちょっとぎこちない運転で進む馬車に揺られ、のんびり南下、国境であるリード河を連絡船で渡ってちょっとした感動を覚え、来る際飽きる程眺めたテールピース大草原に敷かれた街道を西進すること一週間とちょっと――


 見えてきた第二の故郷に思わず笑顔を浮かべつつ。

 実に二か月ぶりに、私達はチェロ村へと戻って来たのでありました。

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