第2話 みんみーは決して見落とさない(理論)

みんみーに至る境地というものが、対象に囚われた後、本質にある意味や関連を全て見抜くとされている以上、この教えは当然のことである。


しかし、この言葉には一つの論点があった。

相手を見抜く自身と対象どちらに重点を置くべきかという問題である。


みんみーに至るのは存在である以上自身に重点を置く側と、みんみーに至るには対象そのものになる必要があるという側に分かれたのである

自身側の主張は、

存在はどこまでいっても対象そのものにはなれない以上、一切を見抜く目と脳を養う必要があるというものであり、

対象側の主張は、

みんみーに至れるというのであれば、この身すらも対象化できるものであるし、器を越えて対象に宿ることさえ可能になるというものであった

平行線が長く続き、決着がつかなかった我々は実践によって、どちらが正しいかを決めることにしたのである。


そして、

自身側は修行として『フェネックアイズ』を編み出し、

対象側は修行として『サーバルメトロノーム』を提出した。








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