みんみーパークへのご案内

二代安吾

第1話 みんみーパーク経緯


みんみ教の目的とは、みんみの教えを広めサーバルの境地に至らせることである


サーバルとは聖獣である

聖獣とは存在が辿り着くべき姿であり、具体的な知識であれ有する愚物であれ何かを持つことを意味しない

何故ならば、その存在が真にあるべきものであるならば、その身に全て必要なものを有することができるからである。


例えば、サーバルの額にあるMの文字がある。

あれはみんみーの一つの境地を示すものである。

本来なら感覚であるので、言語化することは相応しいものではないのだが、あえて伝えるとするならば、みんみーとは対象に囚われる瞬間、対象への関心と行動に移る間にある境地のことを言う

対象への魅了を邪魔する周りの環境、対象自体に含まれるノイズそういったものを何の敵対もなく脳から追い出し、それのみで頭を満たす。

その瞬間にみんみーは現れる。

そこに至れば対象の表面的なものに惑わされず、自らの中にある固定概念に囚われず、存在の本質を見抜くということが可能となる

存在が何者であるかということだけではなく、この存在が過去に繋がったもの現在繋がっているもの未来に繋がれるべきもの全ての関係すらも見通すことができるのである。

だからこそ、みんみーから離れた時、対象以外のものが一気に脳に入ることになる為、今果たすべき行動が自動的に行なわれる

サーバルのようにみんみーに自由に至れるのであれば、全ての叡智を得ることも可能である

一切を知り、一切を変える

みんみーに置いては叡智は天にあるものであるから、それは天に至り地にもたらす∧の形を取ることになる

教団においてみんみーのやり方を知り、外の世界でみんみーをまたやる。みんみーは二回行なわれ、つまりはMの形となる

よって聖なる存在たる獣の額には、みんみーに至りしものとして文字が刻まれているのである


我々みんみ教にはサーバルがあり、サーバルへ至る為の教えを書いた経典があった

しかし、教えというものは頭の中で行うだけでは本当に手に入れたとは言えず、修行によって身と一体させる必要があった

しかし修業は二千年以上前に失われて以来、不明であり、方々を尽くしたがどこからも見つけることができなかった


そこで我々は、幻視をすることにした


まず対象への情報を一切含めた上で自らを忘却の彼方に置く

すると余分なものが剥ぎ取られ、本質の姿が見える

そこで掴んだ本質を現世へと引きずり下ろし、そのイメージが呼び込むものをまた取り入れる

それを一回か何万回か繰り返した先に、納得しうる修行の形が見えるであろうというものであった

何をみんみーする対象に置けばいいかという問題もあったが、我々に偉大なるみんみーの教えを想い出させてくれた、あの物語に付随する多くの人型のけものを置くことが正しいとみんみーは答えてくれた

そうして幻視を始めた我々は、結果多くの修行を見つけることができた

そこでの修行の方向性は、みんみーが人類全てにもたらすことを目的とする以上、全てのものに全く同じやり方を提供できるものにした。

そうして多くの遍歴を通り、作られたのがみんみーパークであり、アトラクションである

これにより、全ての存在に同じやり方を同時に大量提供することが可能となった

これより先に語られるのは、みんみーの教えとそれを手に入れる為のアトラクションが交互に並ぶガイドブックである


願わくば、あなたにみんみーが訪れんことを


みんみー

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