第32話 歌姫と一人ぼっちの巨人
ヤヘカはアルテナを担いで背中に生えた翼で力強く時計台の頂上を目指して飛んで行く。熱い風が下から吹いて来て、二人分とは言え軽い体を揺らした。
上空から見た町はまるで地獄絵図。巨人が出現してからすぐに町長が避難命令を出したらしいが、それでも死傷者がゼロというわけにはいかない。どれだけの人がこの炎に焼かれたのかと考え、アルテナは今にも泣きそうになるのを堪えた。
「あたしがフォーを置き去りにしなかったら……」
奥歯が砕けるかというくらい噛みしめた。そうしても間違いを正すことが出来るわけでもない。だが言わずにはいられず、ぽろりと口からこぼれ落ちてしまった。
「もし何とかだったらっていう仮定はやめるのをおすすめするよ。今さら言ってもしょうがないことなんだもん。言うと自分の心が少し楽に感じてるだけ」
ヤヘカが何を感じているのか、少し寂しそうに呟いた。アルテナは言われて少し押し黙ったが俯き加減で頷いた。
「前見てお人形ちゃん、やるべき事はもう目の前だよ」
近づくにつれ、炎上の度合が見えてくる。白かったはずの時計台は、今は黒々とすすで彩られていた。見事だった装飾は巨人がその手で触れるたびに崩れていったのか、見る影もなくなっていた。丸い外枠の金属だけが辛うじて時計のあった場所を教えている。
「お人形ちゃん、水! 一緒にあの平たい場所にかけて」
空中に立った二人は声を合わせて水を呼ぶ。
「水降れ!」
二人は組んだ指の間から放水した。膨大な量の水蒸気が辺りに立ち込める。焼け石に水かも知れないが、それでも立てる場所の確保は出来た。あとは覚悟一つで飛び下りればよい。アルテナは迷わなかった。薄い空気の階段を蹴って、歌姫はまだ熱い舞台の上に降り立った。
一方ハーミーズとプラトは時計台の西側へ回り込み、まだ燃えていない三階建ての珍しい建物の階段を昇り始めていた。どうやら町の中央にある魔術関係の役所の一つのようであったが、豪奢な建物の中にもちろん人影はない。誰にも何も咎められずに、着々と上階を目指して階段を昇っていく。
そして屋上に出る。巨人の動きはすでに止まっていた。今まさに首を回転させて時計台の最上部に降り立った少女に視点を合わせたところだった。
「これならどうとでもなりそうだ」
呟いてハーミーズは撃鉄を起こした。彼の耳には、遠くから微かな歌声が聞こえてくる。あの見世物小屋で聞いた歌だ。
生れる前より刻んでる
鼓動に揺れる三角形
愛が魚を知るならば
海まで泳いで行けるはず
青い言葉を与えよう
以前聞いた時、歌っていたのは魂の抜け殻だった。だが同じ節でも情緒があるだけでこんなにも変わるのかと言うほど美しい。撃つことを躊躇ってハーミーズはしばらく聞き入っていた。
幼き頃より歩いている
辿り着けない四角形
ひな鳥のように羽習わし
空の高みへ飛んでいけ
白い幸を与えよう
だが、聞いていたのはもちろん彼だけではなかった。突然轟音と共に光の巨人の腕が動いた。動きに合わせて大気に爆発音が響き渡る。右腕が伸びて伸びて、そして時計台の頂上に手をかける。呆けた一瞬で、逆王手にされてしまった。
「ある、てな……」
これまで咆哮しかあげなかった口が、人間の言葉を紡いだ。たどたどしいながらも、兄弟の名前を呼ぶ。呼ばれたアルテナは歌うことを中断してその手に触れた。
「フォーバス?」
名前を呼ぶと、巨人は再度咆哮した。しかしこれまでのただ悲しいだけの咆哮ではない。見つけた喜び、そして唯一の肉親に置いて行かれた怒りとが綯い交ぜになって、本人も今どのような気持ちなのか分かっていないような心の叫び声。
「フォー、ねえ帰ろうよ、どっか分からないけど帰ろ?」
エネルギー体に素手で触るということは、つまり火を掴む行為に等しい。だがアルテナは、自分の手の平が焦げる臭いを感じながらも触れた手を放そうとしなかった。ここで放したらこの兄弟とは二度と会えない気がする、その思いだけが彼女を灼熱の舞台上に留まらせていた。
「とうさん、いない。あるてな、もいなくなった。いたのに、いなくなった」
夜空に声が反響して、微かに聞こえる程度だが、少年のか細い声が泣くように話した。いつぞやの幼子のように泣き叫ぶ気力ももう無いらしい。
「ごめんね、今はここにいるよ、あたしはここにいるよフォー」
「みんな、おいていった。さびしい、さびしいとこうなる……?」
巨人の腕が弾けて爆発した。特大花火十発を一気に火にくべたようだ。爆発の拍子に時計台が傾く。音をたてて崩れていく。黒くなった白い時計台が、少女を乗せたまま崩れていく。
「あるてな、とうさん、おいていかないで、きらいにならないで……。ひとりは、ひとりはもう、いや、だッかラ」
言葉を発する度に、巨人の体の一部が爆ぜる。連鎖的に爆発が加速していく。もはや彼の崩壊は止められない。ぐらりぐらりと光る巨体は徐々にバランスを崩し始めた。
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