第26話 それはさておき

 おでこ、右腕、そして両膝、さらに背中にまで、椅子に座らされたアルテナは薬を染み込ませたガーゼを張られていく。文句を言いたそうだったが、流石に痛むのか少々涙目になっていた。


「はい、全部終わりました」


 プラトが持っていた救急箱を閉じて処置を終わらせた瞬間に、アルテナはもう一つの椅子に座っていたハーミーズの後ろに隠れた。脱兎の如くとはまさにこのことである。


「あらま。嫌われちゃいましたわね」

「あっち行って! 早くあたしから離れてよ!」


 アルテナが隠れながら叫ぶと、プラトの体が突風に吹かれた木の葉のように飛びそうになる。ハーミーズが彼女の手を慌てて掴むことで、寸でのところで飛んで行かずに済んだ。実は先ほどからこのやり取りを数回繰り返しをしている。


「メモを使えって言ったろ?」

「いやだって言ったじゃん!!」


 嫌われてしまったメモ帳は運よくハーミーズの手の中にあったために、吹っ飛ばされずには済んだ。だがアルテナの方は完全に機嫌を損ねてしまい、もはや誰の言うことも全く聞かない。これにはハーミーズもプラトもため息を吐いて、早く時間が解決してくれないかな、などと考えている始末であった。


「大人の言うことは聞かなきゃいけないんだよ、習わなかった?」


 隣の部屋から焼け焦げた服を着替えたヤヘカが入ってくると、アルテナは一層顔を強張らせてハーミーズの腕に爪を立てた。まるで知らないところに連れて来られた猫のようだった。


「服の替え、持っていたのか」

「当ったり前だよー。いつ何時誰と戦うことになるか分からないからね。成体になった時に服がきつくて力が発揮できませんでしたーなんて言い訳カッコ悪いでしょ。それに今はこれじゃないと落ち着かないしね」


 ヤヘカは嬉しそうに長い袖をパタパタと振った。ぶかぶかのサンダルも新しいものに換えたらしい。


「だとしたら焦がしちゃ意味ないだろ」


 ハーミーズは背中に隠れているアルテナのことを半ば忘れて、今居る部屋を見回す。まずこの入口に一番近い部屋でさえ、昨日彼が借りていた宿の一室の倍はある。そしてヤヘカとプラト両名の寝室が付き、さらにもう一室広い部屋があり、そして追加代金によってはメイドが付くという、ここは街で一番高級な宿泊施設であった。見れば見るほどため息が出る、贅沢な作りである。


 ハーミーズと同じように椅子に座っているケーロスは、肩身が狭そうにチラチラと装飾を見てはため息をついていた。盗賊と言えど、これだけ堂々と装飾されてしまうと取りにくいのかもしれない。


「いいか、少年。これが我らの払った血税無駄遣いの現状だ」

「軍人さんの前でそんなこと、言っちゃヤバいよ、お兄さん!」

「構わないよー。どうせハームちゃんの家の方がもっと豪華だもん」


 パタパタと走ってきたヤヘカは、全員分の紅茶を用意してきたメイドから一番最初にカップを奪い取って飲み始める。意外にもストレートだ。一瞬で飲み干すとお盆に戻して、近場にあった高級そうなふかふかの布張りソファーに軽々とダイブ。そのままころりと半回転して座すと、長くもないその足を組んでふんぞり返った。


「それでなんだけど、お人形ちゃん」


 にっこり笑って敵意が無いことを示したヤヘカは、未だにハーミーズの陰に隠れているアルテナに向かって手招きをする。


「もう喧嘩はしないからさ。色々と教えてほしいことがあるんだよね」


 気の抜けた言い方はしたが、この言葉を聞いたプラトがメイドを部屋から追い出しにかかる。


「あのだったらオレも、関係ないんで帰っていいでしょうか……」

「君はダメ! いろいろ聞かれちゃったし、丁度いいから手伝ってもらおうと思うの」


 すでに椅子から腰を浮かせていたケーロスを、プラトが肩を持って椅子に押し座らせる。眼鏡が反射して表情が見えず、逆に怖い。


「でね。簡単なことなんだけどさ、お人形ちゃんは、いつ、どこで、誰に体を返してもらったの?」

「俺もそれは聞きたかった。なんだか入り組んでいてややこしいことになってるよな?」


 まずハーミーズと共にメルポメーネの店にいたからくり人形は生身の娘と間違えられてケーロスに誘拐され、そしてアルテナの片割れである少年がそれを奪って行った。そして生身の娘はというと、昨晩ヤヘカたちが攫った後に少年が横取りをしていった。つまり双方ともに元々一緒にいた人から攫われ、さらにその先で少年に再度人さらいにあった。


 はずなのに、なぜか人間のアルテナが声を取り戻して現れたわけである。おそらくどこかの段階でからくり人形に入っていた精神が本来の生身の肉体に戻ったということなのだろうが、それすらも合っているのか間違っているのかよくわからない。


「生身とからくりと、両方のアルテナを攫って揃えたのってお人形ちゃんの片割れのフォーバスでしょ? フォーバスにいつどこで会ったの? フォーバスに体を戻してもらったってことで、合ってるのかな?」


 頬杖をついたヤヘカは、未だにだんまりを決め込んでいるアルテナに向かって質問を重ねる。だが一向にアルテナの方は警戒心を解かず、微動だにしない。ハーミーズの右腕をがっしりと掴んで、彼の陰に半分身をひそめるように睨んでいる。


「アルテナが自分で取り返したんじゃないかのか?」


 後ろに質問されている人物を隠した状態では、ハーミーズはどうしてもアルテナの味方のようにしか見えない。ヤヘカを前にそのような反逆にも等しい行為は避けたいところだが、糊で貼りつけたように隠れた少女は取れそうになかった。


「あのねハームちゃん。今回の事件は、元はと言えばヴォーカンソン・ディダロスって人が軍を出奔したことに起因するんだよ。でねー……えっと、んっと、めんどくさいな」


 調子よく彼女の説明が進まないことは通常である。このことを知っている者は、どうしたってここであくびの一つもしたくなる。


「大尉、説明代わりましょうか」

「うん、お願いするよ。こういうの苦手」


 音も無く、いつの間にかヤヘカの背後に直立不動になっていたプラトがさて、と口を開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る