第25話 根源との距離の詰め方

「え?」

「残念だけど、この程度で死ぬ体でもないんだよねー」


 声は唐突にアルテナの後ろ、やや高い所から降ってきた。声が少しくぐもっていておかしく聞こえたが、確かにヤヘカの声である。不思議なのは、二人の身長はアルテナの方が多少高かったにもかかわらず、声が上から降ってくること。そして首を掴んでいる手が、どう見ても人間の手に見えないこと。あえて言うなら魔物の手のようで、異様に長い爪がアルテナの細い首をしっかりと掴んでいた。


「いいよ、気絶する前に僕の姿を見ればいい」


 声は笑いを含んでいて、同時にするりと手が引っ込む。後ろに立っているのはヤヘカだが、しかし先ほどまでの雰囲気とは全く違う。アルテナは自分の首を抑えつつ、勢いよく振り向いた。


「恐れずに振り向ける勇気は褒めてあげよう」


 そこには青黒い髪の美しい魔物が立っていた。爪は長く身長もすらりと高い。あれだけの業火に焼かれたのに肌はただれていないどころか、体中に不思議な光る文様が浮き出て僅かに燐光を放っている。こめかみからは羊のメリノ種のような立派な螺旋を描いた角が、背中には大よそ鳥のものとは思えない羽に覆われた翼が生えている。虹彩は細く長く、揺らめく金色の瞳がアルテナを捉えていた。


「だ、れ……?」

「ひどいな! 僕だよ、ヤヘカちゃんだよ!」


 答え終わらぬうちに魔物は腕を振り上げた。とっさに風の剣で防御したが、それでも軽いアルテナの体は中に舞う。


「これが僕の二つ目の、本来の姿。より力の根源に近い混沌とした生き物。それが先天性の力。人工育種の温室育ちにも同じ力があるはずなんだけどねー」

「ヤヘカ、殺さず生け取りするだろうな」

「もちろん! それが中将の願いなら僕は何でもやるよ」


 長くなった舌をちろりと見せて、ヤヘカは起き上がろうとしているアルテナの方へ歩いて行く。そして起こした上半身を蹴爪の生えた鳥の足で無造作に抑えつけた。蛇の頭が付いた尻尾がゆらゆらと揺れている。


「体格も同じくらいだった、魔力も大体同程度だった。どうしてそんな相手に踏みつけられるのか、分からないって顔してるよ」

「じゃあ踏まないでよ! どいてよ!」


 アルテナが意識的に言えば、その言葉は何であれ魔術と化して発動する。だが今のヤヘカには何を言っても効かない。圧倒的な力で抑え込まれるだけだ。現にアルテナは抑えつけている指の一本も動かせていない。


「教えてあげる。僕と君の違いはね、圧倒的な経験だよ。どれだけ見るに堪えない訓練を積まされてきたかの違いだよ」


 大きく鋭い脚の爪で体を掴まれたアルテナは言葉を失う。かすっただけの腕から真っ赤な血が流れ出た。その鮮やかな色に血を流した本人が息を飲む。打ち身の傷などとは違う、ある意味では生きている証が流れ出る。


「お人形ちゃんは、あまり血を流したことがないのかな?」


 哀れそうに笑ってヤヘカは、強靭な腕の片方でアルテナの体を軽々と持ち上げた。当然小柄な彼女の体は中に浮く。足をバタつかせても、降ろしてくれる気配は全くない。


「放してよ!」

「悪い子にはお仕置きが必要なんだよ、習わなかった?」


 そう言うと左足を大きく前に踏み出して、アルテナを掴んだ右手を後ろへ引く。それもまるでボールを投げるように軽々とだ。


「お仕置きって何よ!」

「飛んでからのお楽しみ」


 言うが早いか唸るほど腕をしならせ、手首のスナップまで効かせてアルテナの体を投げ飛ばす。空中で停止しようと彼女は足を踏ん張るが、つい先ほど習得したばかりの空中歩行術は少しも減速の助けになってはくれない。


 アルテナの体を投げた体勢から流れるような動作で、ヤヘカは指を絡ませて印を結ぶ。


「術式省略、金色の鬣持つ獅子以下一族よ、僕に従え。欲するは天雷の槍!」


 複雑に絡み合った指を解く瞬間に、その間隙から青白く光る長い雷が姿を現した。遠くから見ていても槍自体がバリバリと音をたてているのが聞こえてくる。貫くだけの槍ではなく、貫いたものを跡形もなく焼き焦がすための槍だ。相手がどれだけの大きさであろうとも一撃で仕留めるための槍。それをヤヘカは素手で持ち、木にぶつかりそうなアルテナ目がけて音速で投擲した。


 光と音とが空中を駆け抜けて、一直線に飛んでゆく。遠くから見ていれば、流れ星が地を這ったように綺麗かもしれない。だがそれを投げられた本人にとっては、音を立てる雷の槍が、矛先を自分に照準を合わせて飛んでくるのだ。目をつぶっても瞼を透かして光が飛んでくるのが分かるだろう。


 誰かが何かを叫んだかもしれない。だが声は雷の轟音にかき消されてしまった。


 静寂が戻ると、アルテナは木の根元に倒れていた。木は穴が空くだけに耐え切れず、根元から折れて火と煙が立ち上る。彼女は目をつむってぐったりとしていたが、別段外傷はない。近くに歩み寄ったプラトが手首を持って脈を確認する。そして小柄な少女の体を担ぎ上げた。


「大丈夫だよ。もう何もやらない」

「本当に終わりだぞ、ヤヘカ」


 未だに魔性の姿をしたヤヘカの前に一層怖い顔をしたハーミーズが立ちふさがる。彼の手は美しい魔物の手を力強く掴んでいた。掴んだ手は微かに焦げていた。


「当てるつもりが無いのは分かっていたが、やり過ぎだ」


 掴んでいたヤヘカの手を放す。苦笑いをした魔物は長い舌で自分の少しだけ焦げた手のひらを舐めた。舐めながら目をそらす。肉の焼ける匂いが徐々にしなくなっていった。


「ちょっとだけ嫉妬しただけだよ」

「もういいだろ、戻っておけ」


 そう言ってハーミーズは自分の上着を、自分と同じくらいの身長になっている相手の肩にかけた。だが彼女は消えた雷の槍が穿った跡を見て呟いた。


「その前にさ、火は消さないと火事になっちゃうんだよね。僕はそう中将とハームちゃんたちに習った」


 そして二言三言、すると満月が綺麗な夜空から雨が降ってきた。気付くといつもの小さなヤヘカに戻っていた。

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