第21話 否定はしないが理解もできぬもの
軍事機密だの職務だのという難しい言葉は基本的にはヤヘカからは出てこない。いや、彼女には出すことはできない。それを知っていて答えさせるべくハーミーズはヤヘカ本人に向かって、アルテナの詳細な情報を開示せよと言ったつもりだった。
だが即答したのは脇に控えていたプラト。彼女は嘘やごまかしが苦手なヤヘカのためだけに存在する人間だった。
「これだからお守りの軍人は嫌いなんだ」
「大尉付きとなっております」
顔を背けたハーミーズの顔を、小さなヤヘカの両手が前に向かせる。無理やりに目を合わさせて、もう一度質問だ。
「ハームちゃーん、答えてくれないと痛い目に合わせちゃうんだぞー、ね?」
顔が笑っていても目が笑っていない。口だけがニンマリと歪んだ。
これが本気であることは知っている。ハーミーズはこれまでの経験から、笑っているヤヘカの目が笑っていない時に痛い目に合わずに済む方法を一つしか知らない。要は自白すればよい。
「わかった。話す。話すからやめてくれ。からくりのアルテナは連れ去られたらしいんだ。つまり俺のせいじゃなく、見知らぬガキに連れ去られたらしいんだ。似非っぽい魔術師のじいちゃんが言うには、そいつは先天性の魔術師だそうだ。そう言うのはヤヘカの領分だろ?」
「子供の先天性? 僕といっしょ?」
「魔術師は全員、国で登録管理してあるはずだろ。先天性は人数だって少ないし、お仲間かお知り合いじゃねえのかよ」
難しそうな顔をしたヤヘカは、それ以上に深刻そうな顔をしているプラトと顔を見合せた。それだけで彼ら二人には、何が起こっているのか分かったようだった。
「お兄さんと、この人たちってどういう関係……ですか?」
それまで口を噤んで、何も知らない、聞かない振りをしていたケーロスが恐る恐る口を開く。意外にも答えはあっさりと、だが異口異音に返ってきた。
「ただの知り合い」
「幼馴染だよ」
「何歳差の幼馴染だよ」
「えーっと、七十二引くことの、ハームちゃん今年で何歳になったんだっけ。二十歳?」
小さな手の指十本を使って計算を始めようとしていたヤヘカを、信じられない顔でケーロスは見た。目の前にいる子供はどう見ても十歳にも満たない矮躯だ。だがその子供が七十二だと言う。プラトが腕組みをしたまま少年の方を見た。
「先天性魔術師の特性を知らないのですね」
「それが、何か関係あるんすか」
「あるよー!」
ヤヘカは両手をぶんぶん振りながら飛び跳ね、唖然としているケーロスの目の前に体育座りした。細い体には到底似合いそうもない、だぶだぶの服の上下を着ている。だいぶ余っている袖を邪魔そうに振った。足にはこれもまた大き過ぎるサンダルを履いている。
どこからどう見ても軍属には見えない。逆に言えばこんな子供が守っている国などに住んでいる自分の身が危うい。いや、盗賊を生業とするケーロスにとっては好都合かもしれない。
「魔術師には先天性と後天性がいるのは知っている?」
「それは知っている、ます……」
ヤヘカの鬼神の如き強さを体感した後もあってか、ケーロスの態度は異常に腰が低い。
「僕たち先天性は性別を持たない代わりに、二つの姿を持つっていう特徴があるんだ」
「女の子、じゃないんですか?」
少年は奇異なものを見たように引いた。いや確かに目の前の人間はどちらかと言うと化け物に属している雰囲気もある。そんな事もお構いなしにヤヘカは長すぎる服の裾を両手で持った。
「うふふー見たい? 確認しちゃいたい?」
「ヤヘカは自重しろ、少年は遠慮しろ。身のためだ」
手を封じられている以上、足で抗議するしかない。ハーミーズが色々と必死の形相をして靴底で地面を叩くと同時にプラトがヤヘカの手から裾を放させてくれた。
面白くなさそうに舌打ちを一つすると、ヤヘカは空気の階段でも昇るかのように、空中を走って菩提樹の枝の一本に腰かけた。その一瞬の光景をケーロスは狐に化かされたように口を開けて呆けて見ていた。
「すごい……今のも?」
「ヤヘカの得意技さ。先天性は生まれながらに魔術の術式を知っている。だから術式の省略や簡略化なんてことも出来る。学ばなくとも直感的に意味が理解出来るかどうか、母国語かどうかの違いみたいなもんだ。今のは術式省略で足元の空気で自分の体重を支えたのさ」
助長な上に意味の分からないヤヘカの説明が入る前に、ハーミーズが言っておく。このことを理解するのに要した時間は、計りしれない。それをこの場で再度繰り返す時間はない。だが説明されたヤヘカは笑いながら頭を横に振った。
「ちょっと違うから、大体あってるよ。僕たち先天性は、より力の根源に近い存在なんだ。だから勉強しなくても術式の意味が分かる」
「そして逆に勉強しないと人間のことが分からない」
「それは言い過ぎだよ!」
またもぷうっとふくれ面をしたヤヘカは、くるりと一回転して木の枝から降りてくる。けんけんで二、三歩歩いて近づき、ハーミーズの頭を何度か叩いた。
「僕は君たちとは少しだけ世界の見え方が違うの。エネルギーそのものを直視している感じ。だから外界と自分自身の境界の認識が曖昧なだけだよ」
「言ってる意味わかんねぇだろ?」
「全然、分かんない……です」
だろうなとハーミーズは頷く。これを理解するのに彼ですら何年も要した。あるいはヤヘカと人付き合いをするにはもう一ついい方法があって、それは隣で何も聞いていなさそうなプラトのように全く理解しないこと。理解しようとすればできずに困るのだから、出来ないものはそういうものだと割り切ってしまえという暴論だ。
「んー結局ね、ちゃんと意識しないと、境界がどこだか分かんなくなっちゃう。どこまでが自分で、どこからが相手だか外界だか、分かんなくなっちゃう。ただそれだけのことなの」
「と、言うわけさ。分からんとは思うが、純粋無垢と言ってしまえば聞こえは良いが、被害は甚大。自分が暴れているのか、それとも大嵐が来ているのか、区別がつかないのさ」
ハーミーズは投げやりに言って、嵐である本人を軽く睨みつけた。だがその数倍の形相でにらみ返されて目をそらす。力関係は歴然としていた。
「ハームちゃんの意地悪」
「そのせいで何度家を壊してくれたよ」
「いいじゃん大きい家なんだし! それに中将だって、別にかまわないって言ってくれたもん!」
「中将?」
ケーロスは聞きなれない単語に、別の意味で目をひん剥いた。
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