第20話 命の危機と相対す

 ハーミーズとケーロスは驚いて、立ち上がって逃げようとしたが、それより早く茶髪の女は魔布を地面に置いた。


  黒き蟻の女王 迷宮なる巣 絡め縛りて


 土が盛り上がり、逃げようとする彼らの足を掴んだ。ただの土塊とは思えないほど力強く引っ張って、二人を地面に転がす。だが、ハーミーズの足を絡めた土塊は途端に力を失くして崩れた。足が自由になった彼は起き上がって走り去ろうとしたが、後ろから腕を掴まれて今度は人間の力で顎から地面に押し倒された。


「初めましてで、そしてすいません。上司の息子さんであることは分かっているのですが、これも軍務なので」

「親父の、部下か」

「直属ではありませんが。ヤヘカ大尉付きのプラト・アッカー少尉であります」

「あのヤヘカのお守りとはご苦労なことだな」

「いえ、それほどでも」


 全体重をかけて上から抑えている女を上目遣いに睨むと、彼女は淡々と儀礼的に答えた。男女の力の差は合っても、力の使い方を知っているか否かでこれほど違うとは、ハーミーズも考えていなかった。短く舌打ちをする。どうにかなる、がどうにもならなくなってしまった。


 二人を立たせたプラトは、足もとに絡みついた土を器用に操ってケーロスを歩かせる。ハーミーズは腕を拘束されて渋々歩いていく。ケーロス少年は、やっと相手の恐ろしさに気が付き始めたのか言葉が出てこない。何もしないまま捕まってしまったハーミーズは呆れてため息も出なかった。


「大尉、茂みの中にいらっしゃいましたよ」

「おープラト君にしてはよくやったね。ハームちゃんと、からくり?」

「いいえ、こちらは関係ない生身の人間です。良く見てください」


 こちらと言って女、プラトが指差したのはケーロスだ。ヤヘカに下から顔を覗きこまれて、少年は引きつった笑いを返した。ヤヘカはその笑みが気に食わなかったらしい。可愛らしく頬っぺたを膨らまして不満を口に出した。


「本当だ。からくりじゃないよ。なんでハームちゃんは僕との約束を破るかな!」


 ヤヘカは手に持っていた自分の身長と同じくらいの長さの棒をくるりと半回転、軸足の反対の足を一歩下げる。棒を大きく振りかぶった。


「おい、やめろ!」


 驚いて声を上げたのはハーミーズ、その顔からは血の気が引いている。だがヤヘカは、にぃっと笑って術式を早口に唱えた。


「新月の蟷螂 不幸なる大鎌 振りかざせ!」


 言葉に従い、ヤヘカの足元の土が宙に浮いた。土は見るみる鎌の刃を形成していく。今や黒い土は、鋼色の刃に姿を変えていた。刃を包む淡い光が、魔術であることを示していた。


「馬鹿にしないでよね!」


 風の切り裂く音と共に、大鎌の刃がケーロスの腹部に当たった。本人は動かせる手で防御しようとしたが、ただの手が刃物に太刀打ち出来るとも思えない。


「もう、殺すな!」


 少年の体は軽く宙に浮いて、数メートル先に落ちた。まるで糸の切れたマリオネットのようだ。その光景は綺麗に弧を描いてゆっくりと見えた。見事な飛びっぷりにプラトの視線もそちらへ動く。


 その瞬間、後ろ手に掴んでいるプラトの不意を衝いてハーミーズは彼女を背中で目いっぱいに押した。そしてふと緩んだ手から腕を抜き、彼女の持っていた魔布に手を伸ばす。魔布が魔術師であるプラトの手を離れ、全ての魔術の効力を失わせるハーミーズの手にわたると、ケーロスの足もとに絡まっていた土はほろりと崩れて自由になった。


 転びそうになりながら、彼は倒れる少年の元に急いだ。だが驚いたことに少年は真っ二つにはなっていなかった。それどころか今もなお息をしており、目もあいていて、意識はちゃんとある。ただ本人が何をされたのか理解が追い付いていない様子だった。確認して初めて、止めていた息を吐き出す。その後ろ姿を不満そうにヤヘカは見やった。


「だから馬鹿にしないでって言ったでしょ」


 また頬っぺたを膨らまして、ヤヘカは文句を言う。手に持った鎌の本来は刃が付いている部分を、スッと指でなぞる。指からは血が出ることもなく、刃は付いていなかった。


「言ったでしょ『新月の蟷螂』って。術式を少しいじくって刃のない鎌を作ることくらい、この僕が出来ないとでも思ったの?」

「お前のことだから、また見境なしかと思っただけだ。それに昔、俺のことを刃無しの鎌でぶっ飛ばしで肋骨折られたからな」

「やだなぁ。無関係の人にはちゃんとクッション性能があるので叩くよ。もちろん僕は兵器だからね、戦場では見境なしだよ。でもその少年もなかなか筋はいいよね」


 そう言ってヤヘカは鎌の柄を叩く。一瞬で元の土塊に戻った刃が、音もなく地面に落ちていった。攻撃する意思がないことを示し、彼女はくるりとハーミーズの方を向く。それから少し怒っているような顔を作り直して、下から睨みつけた。


「それで、どうしてからくりを連れて来てくれなかったの? この、僕が、直々に、お手紙を出したというのに、なんでハームちゃんはお約束を守ってくれないのかなー?」

「少しはこっちの事情も考えてくれよ」

「ハーミーズ様、申し訳ありませんが今度はちゃんと縛られてくださいませんか?」

「え、あ、はい?」


 振り返る前に後ろ手に手を縛られる。力づくで解こうとしたが、どうにも解けない。最初から用意してあったのか、プラトはどこからともなく細くて頑丈な紐を取り出す。手際よく後ろ手に結ばれてしまった。呆然としていると、彼女は少し得意そうに眼鏡を押し上げる。


「魔術全般を無効化するとお聞きしましたので、今度はただの紐で縛ってみました」

「そうだよプラト君、ハームちゃんは特異体質だからね。でもみんなには内緒だよ?」


 そうして肩を押されて地面に座らされてしまうと、立ち上がることすら難儀。ハーミーズはただただため息を吐くしかなかった。ケーロスも同じように紐で縛られて彼の隣に座らされる。少年はようやく事態が飲み込めたらしく、今にも泣きそうな顔で彼に助けを求めたが、苦笑いを返されただけだった。


 二人の前に腰に手を当てたヤヘカが立ちはだかる。座らされてしまうと、完全に上から見下ろされる形での尋問だ。


「ハームちゃん、からくりはどこに隠してきたの?」

「こっちが聞きたいよ。それより見世物小屋から生身の娘を攫ったのは、ヤヘカたちだろ? あいつは、アルテナは一体何者なんだよ。巻き込まれた側としてはそれぐらい教えてもらわねぇと割に合わないんだけどな」

「職務に支障を来たす恐れがありますので、それは答えかねます」


 恐らく彼ら2人は、アルテナの謎を知っていて追っている。だとしたら、ここまで巻き込まれて何も知らされずに事が終わるのは嫌だと彼は考える。アルテナに申し訳ないと思う気持ちが無いわけではないが、懐かれた以上何が起こっているのか知りたい。そう思っての質問に、プラトは毛ほども態度を変えなかった。

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