第19話 振り向けばそこに
ハーミーズ自身は魔術が使えない。一方で知り合いには多くの魔術師がいる。小さい頃は自身も魔術を習っていた。そのために魔術に対してそこまで疎いわけでもない。つまり今魔術が使えずとも説明するのは比較的容易だった。
「魔術に出来るのは物理的なことだけなんだ。一昔前までは神秘とか奇跡とか、そういう心霊現象とは履き違えられていたが、今はそれも証明されつつある。これから会うヤヘカとか先天性の魔術師は、その物理的な現象を引き起こす力を得る部分が、後天的な魔術師と比べて遥かに優秀なんだ」
「ふうん?」
「……と、まぁ知り合いの魔術師に聞いたことがある」
「うっそくさい」
理解してくれるかは別として、説明はしておいた方が良かろうと思ってのこと。だが、これを知ったからと言っても生き死にの確率が変わるわけではない。ただ我先にと逃げ出してくれればいいと思ってのことだ。ケーロスは分かったのか分かっていないのか、自分でも分かっていない曖昧な返事をした。
路地裏の店に戻ると、メルポメーネはすでに歩きまわって片付けをしていた。何とも生命力の強い老婆である。あるいは憎まれっ子世にはばかるとも言うが、残念ながらはばかり過ぎた子供はすでに婆になっていたと言ったところか。
「大丈夫そうだな」
「大丈夫なもんかね」
「歩き回ってるんだから大丈夫だろ。それよりメルさん、菩提樹ってどこにある?」
「西の森のことじゃないか。でっかいのが立っているよ。どうした、からくり姫は見つかったのかい?」
聞くや否や店から出て行こうとするハーミーズの袖をメルポメーネは強く引いた。面倒くさそうに振り向いた彼は、一応答える。
「まだ見つかってないが、ちょっと今から事情を知ってそうなやつのところに行ってくる。ああ、小さい子供、―――こう、黒い髪を長い三つ編みにしている金の目の子供が来たら、両手を上げて敵意が無いことを示せよ」
「どうしてだい?」
「殺されたいんなら敵意を示せばいいさ。俺は菩提樹に向かったって言ってくれ。たぶん来ないとは思うけどな」
理由を聞こうとする婆を振り切って、ハーミーズとケーロスは町の西側、こんもりと茂る森へ急いだ。
歩きながら彼は腰に下げた無骨なナイフを確認した。ナイフとは言っても、所詮護身用兼サバイサル用。こんな物を抜く余裕もないかもしれない。ハーミーズはこんなことならば、と様々な後悔をしてみたが、あまり意味をなさなかった。
「お兄さん、そんな風に暗いのはよろしくないぜ。まずモテない」
ケーロスは、隣を歩きながら三本のナイフを同時に操っていた。本当に器用なものだな、と半ば感心して彼の手の動きを横目で見る。
「ケーロス、お前は先天性魔術師を体感したことが無いからそんな気楽なことが言えるんだ」
「いや、オレの爺ちゃんによれば昨日来たあのガキだって先天性だからね。逃げきれるさ」
「忠告も説明もした。後悔しても俺は知らんからな」
ケーロスはどこからともなくナイフをもう一本取り出して、計四本を操り始めた。まだ余裕がありそうだった。
「目的を持たないあいつらは無邪気だけどな、目的を見つけたら手段を選ばないぞ」
ハーミーズは未だに楽観的な少年をたしなめたが、あまり効果がないことも覚悟はしている。ヤヘカの本気を見なければその恐ろしさは実感出来まい。
「それよりさ、お兄さ……っ」
少年は言うことの半ばで、ハーミーズに首根っこ掴まれて茂みに潜らされた。寸でのところで四本のナイフを手中に収め、流血の事態だけは免れた。だが口は手で塞がれ、身動きが出来ない。文句言いたげなケーロスとは裏腹に、ハーミーズの横顔には極度の緊張が走っていた。
「いた……。ほら見ろ、先に出た奴らは全滅だ」
やっと解放された少年は、隣で伏せている彼と同じ格好になって、様子を窺う。
十人程の仲間が、地面に累々と転がっていた。生きているのかどうか、遠目でよく分からない。その中央には背丈と同じくらいの大きさで、ほのかに光る鎌を肩にかけた子供が立っていた。青みがかった黒い髪を長い三つ編みにしている。あの後ろ姿はヤヘカに違いない。子供は鎌の柄をぽんぽんと叩いた。すると鎌の刃が崩れ落ちるように消えて、ただの棒になってしまった。
「それで、どうする作戦?」
「作戦なんかあるか。どさくさに紛れて女の子だけでも連れされればと思ったんだけど、お前の仲間が既にやられちゃってるから、肝心のどさくさが出来ねえし」
「仲間を囮に使おうとしてたなんて、お兄さん性格悪ぃな」
「いいから、静かに黙ってくれよ。考え中だ」
作戦が無いとは言いつつ、とにもかくにも目的の少女の姿を確認しなければならない。菩提樹の前を行ったり来たりして落ち着かないヤヘカの周囲には目的の生身の娘は見当たらなかった。それどころかヤヘカは一人で、一緒にいた茶髪の女の姿も見えない。
「茶髪の女の方がどこかに監禁しているのかな?」
ケーロスは首を傾げたが、ハーミーズは即座にそれを否定する。
「いや、ヤヘカに限って取引一人ってことはできないと思う。あいつはそう言うことが苦手だからな」
「そんなに知り合いなら、手でも振って再会の握手でもしてさ、それで返してもらったら?」
「それが出来れば苦労しない……むしろ顔を見たら絞め殺される」
二人が楽しく口論している最中に、自分たちの背後に忍び寄る気配に気付かなかった。
「よし、とにかくここから移動してヤヘカの背後に回り込もう。もしかしたらここからじゃ見えない所に生身の方の娘がいるかもしれない」
「その必要はありませんよ」
女の声に二人は振り向いた。申し訳なさそうな顔をした茶髪の女が屈んでいた。
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