第16話 宛先は要確認

 ハーミーズはメルポメーネの店から一度も足を止めず、見世物小屋の建っていた小高い丘の上は走って行った。軽く息を切らしながら坂道を一気に駆け上がる。昨晩は昇りきらなかった坂道だ。だがそこにはあったはずの見世物小屋は見る影もなく、燃えた残骸しかなかった。


 焦げて倒れた木材からは匂いがする。だが周囲は地面も持ちあがったりへこんでいたりと足場が悪い。そして周囲の茂みはおろか、木々に至るまで全ての緑色の葉が風にむしり取られて散乱していた。惨状の中に何人もの人が腰を落として茫然としていた。実物を見たことはないが、まるで戦場のようだと彼は思った。


 ハーミーズはそのうちの一人に駆け寄ろうとする。だが彼の登場に気付いた男が悲鳴を上げた。


「来たあいつだ! あのハーミーズって男だ!」


 一人が指を指して叫ぶと、皆がこちらを一斉に向いた。彼らの目は悪魔を見つけてしまったように恐怖を叫んでいた。


 その中から、あの太った団長、もとい盗賊団の頭である男がハーミーズの方に歩いてきた。右腕に怪我を負ったらしく、添え木を当てて布で吊っていた。しかしその眼光は鋭く、見世物小屋をやっていた営業用の表情とは全くの正反対だ。


 重々しい口調で話し始める彼は、どうやら怒りを抑え込んでいるらしい。


「あんたが、あの有名な裏のメル婆さんの客とは知らんかった。手を出して済まない。―――だがこれはどういうことだ?!」

「そんなことはどうでもいい、早くアルテナを返せ!」

「それはこちらの台詞だ! 若いのが一人、あの唄歌いの娘を連れ戻しに行ったのは確かにこっちの監督不行き届きだ。だが娘をからくり人形で変り身にするどころか、そのからくりを取り戻すだけにこんな大規模な魔術をブチかますとは、どういうことだ! 一体何の恨みがあるっていうんだ!」


 唾を飛ばしながら大声で怒鳴り散らした団長は、無事な腕の方でハーミーズの胸倉を掴んだ。そして乱暴に揺さぶる。


 だが頭に血が昇っているのはハーミーズの方も同じことで、いつもののんきな彼からは想像も出来ない勢いで胸倉を掴んでいた手を叩き落とした。そして自分の右手に握っていた手紙飛行機を開いて団長の顔の前に突きつける。


「あんたらこそ、こんな姑息な手で誘き寄せようってのは、どういう了見だ! 大体から俺は魔術なんて使えないし、それにたった今、ここまで走ってきたんだぞ! どうやれば人間一人で天幕を壊せるってんだ!」


 2日前は大人しく殴られていた青年があまりの剣幕で起こる姿に、周囲は何事かおかしな空気を察したらしい。なおも疑るようなまなざしをしていたが、団長は黙ってその手紙を受け取って中身を見る。そして首を大きく傾げた。


「月の出までに菩提樹……? なんだ、この手紙は。おい、ケーロスを連れてこい」


 団長は傍にいた仲間の一人に言って、縄で縛られたナイフ投げの少年を連れて来させる。ケーロス少年は顔をボコボコに殴られて相当ひどい目にあったと見えるが、それでもまだハーミーズを睨みつけるだけの余力は残していた。


「なんだよ。まだなんかあんのかよ」

「今はその話じゃない。この手紙は、お前が出したのか?」


 団長は縛られた少年の首根っこを掴んで、ハーミーズの持ってきた手紙を見せた。だが彼は一瞥しただけで、フンとそっぽを向く。


「オレはそんな手紙出しちゃいない。大体から、この手紙は自作じゃないか、団長だってオレが魔術の心得がないことくらい知ってるだろ!」


 ケーロスは縛られたまま悪態を吐いた。団長は、それもそうだと頷く。ハーミーズが今度は首を捻る番だった。


「お前が飛ばした手紙じゃないのか?」

「だから、違うって。オレは確かに攫ったけど、あれは娘そっくりのからくりだったじゃないか」

「どうしてそんなものを間違えるんだ……?」


 暗い夜でもなく、ましてや抱えた物が生身の人間かからくり人形か普通は間違えない、間違える方が難しい。よしんば間違えるとしたら、この際考えられる可能性はおおよそ一つ。どこかに魔術が介在していたということだ。


「ここに連れてきたと同時にこう、ぺろぺろーっと化けの皮が剥がれるように人形になっちまったんだってば」

「誰かがおまえにからくり人形と人間を間違わせて、わざと人さらいをさせたってことだな」

「それをやったのがお兄さんだろ? 白々しい」

「俺じゃない。俺にはそんなことは出来ないし、やる意味だって無いだろ。結局こうやって取りに来なけりゃならないんだから」


 そう答えても周囲が信じる様子はない。だが今時点で問題なのは何のためにそんなことをしたのではなく、誰がやったのかだ。少年に掛けられた木と布でできたからくり人形を誤認する魔術は誰の手のものなのか、そしてこの手紙は誰からハーミーズに宛てて飛ばされたものなのか。


 ハーミーズには何か、表現しがたい齟齬を感じた。彼等と何かが全体的に食い違っている。正体は分からないが、話し合いをする前提の情報のどこかが明らかに違う。


 ケーロスが再度口を開く。


「それからあと二つ言わせてもらうけどな、一つは手紙の差出人が書かれていないのは、魔術師にしか出せない手紙だ。これはあそこにいる、オレのじいちゃんが似非だけど魔術師だから知っている。いろいろな細工が必要だって前に教えてくれた」


 彼は後ろ手に掴まれたままの体背で、後方の岩陰に座っている老人を顎で指した。確かに、とハーミーズは頷き、同じく団長も納得している様子だった。


 普通の人は郵便局へ行って郵送代分の金額を払って手紙飛行機を買う。資格の無い無免許魔術師が手紙飛行機を作ろうものなら、飛行ルート上で発見されて送り手は即座に補足される。手紙飛行機の偽造は貨幣偽造と同種の罪に問われるのだ。だからこそこれはちゃんとした免許を持っている魔術師が、法に則って手ずから作ったものだと考えるのが妥当だ。


「それからもう一つ! 昨日の夜からくりが襲撃に来た時に、オレたちはあんたが〝ハーミーズ〟って名前だとは分かったが、あんたの苗字までは知らない! ローゼンクロイツなんて仰々しい苗字の持ち主とは生まれて事方初めて会ったぜ」


 ケーロスは大きな声で言い切る。すると周囲にいた者たちも賛同するように頷いた。


 ハーミーズは慌ててもう一度文面を見る。差出人不明、宛先は〝ハーミーズ・ローゼンクロイツへ〟。これは正しく、ハーミーズ本人が何者であるかを知る人物が書いた手紙。ハーミーズがどこの誰であるかを知っている誰かからの手紙であった。

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