第15話 所属不明の手紙飛行機

 次の日も快晴であった。ハーミーズは起きるや否や洗濯掃除を課せられ、メルポメーネはのんびりと店番という名の一見すると何もしない作業に取り掛かる。アルテナは一応売り物として店側に座らされていたが、何か用事を言いつけられては台所と店を行き来していた。ちなみに用事とは9割がお茶汲みである。傍目から見れば、普通の店に見えないこともない、少々の無理はあれど。


「メルさん、居間の掃除は終わった。次は何だ? 炊事場か、それとも庭の掃除か?」

「庭なんて上等なもんがある家に見えてかい? 今度は屋根裏部屋の掃除だよ」


 ハーミーズは言われたとおり二階に上がり、叩きを手に分厚い埃の地層に挑む。だが数回叩いても積もりに積もった埃は落ちる気配を見せないどころか、埃すらたたない。これでは歯が立たないと、彼は大声で下の階に声をかけた。


「全部雑巾がけするぞ?」

「綺麗になりゃ問題ないさ!」


 いそいそと雑巾を持って来て拭き始める彼の姿は、まるで主夫であった。


 日が高く昇る時間になって、やっと立派に仕事を終えた彼はようやく腰を伸ばして背伸びをする。天井の梁に頭がぶつかった。


「ほぉ。見違えるように綺麗になったじゃないか」


 階段を上がってきたメルポメーネは、嬉しそうにほくそ笑んだ。ぶつけた頭をさすりながらハーミーズは振り返る。彼は色黒な顔を一層黒くしていた。一度顔を洗う必要がありそうだった。


「メルさん、どんだけ掃除してないんだ? こんなひどいのは初めてだ」

「あんたみたいな分けありの客に掃除させる以外に、このワシが掃除するとでも思ったのかい? 最近はワシも年を取ったからあまり客が来なくってね。でも若くて綺麗だった時は引く手数多で、そりゃあこの家だって隅々まで綺麗だったさ。わざわざありがとうよ」


 メルポメーネは不気味な笑い声を残しながら、階段を下りていく。ハーミーズは慌てて言った。


「俺はただ単に、汚い部屋が嫌いなんだよ!」


 彼も階段を降り、汚れ避けのエプロンを外す。時計を見るともうそろそろ昼食の支度をした方がよさそうだった。


「昼飯はなんか作った方がいいのか?」

「作ってくれるんなら、食べてあげようじゃないのさ」

「そう言われると作りたくなくなるんだけどな。何か食いモン出しといてくれよ、顔と手を洗ってくる」


 彼は自分の荷物からタオルを出して家から出ると、一番近い共同の井戸に歩いて行った。都ではない町には未だに水道が引かれていない場所の方が多い。この辺りもその一角だ。昔と変わらず水は井戸で汲んでこなければならなった。しかもメルポメーネの家は周辺のどの井戸からも遠い、いわば中間地点。


「川の水じゃないってだけでもありがたいと思うべきだな」


 彼はそう言いながら、つるべを井戸に落として引き始める。近所の子供たちが集まって来て、その姿を可笑しそうに笑った。


「お兄ちゃん知らないの? その滑車に彫られている術式をなぞれば、誰だって簡単に引き上げられるのよ?」


 笑いながら子供たちは行ってしまった。もちろん術式の存在には気付いていたが、彼が触ったところで滑車が動くことはない。絶対に、だ。分った上でさほど重たくもないつるべを引き上げていた。


 子供たちが去ってしまうと彼は手を洗い、埃だらけになった顔をタオルで拭く。帰ったら何でどんな昼食を作ろうかと考えあぐねていた。


 その後頭部にコツンと紙飛行機が当たる。当った紙飛行機は力なく地面に落ちた。


「お? 手紙飛行機?」


 ハーミーズはタオルを肩にかけ、ひょいと手のひら大の紙飛行機を拾う。


 手紙飛行機とは、手紙専用の魔布に自分と相手の名前を書いて紙飛行機を折って飛ばすと相手に手紙が届くという、ごくありふれた郵便制度であった。紙飛行機の折り方や形、書かれた術式によって通常や速達、書留、往復などが使い分けられる。


 ハーミーズの頭に当たった手紙飛行機は通常郵便。しかし紙は通常販売されている定形ではなく、その場にあった普通の紙を魔布にしただけのもの。明らかに魔術師が自作した手紙飛行機だった。


「おかしいな。兄貴か弟ならいつも定形で、しかも耐水紙で送ってくるのに……」


 全ての魔術を停止させることが出来る彼は、もちろん手紙飛行機を自作することも、手で持って飛ばす事も出来ない。一応窓辺に置いて吹くことで飛んで行くが、それでも失敗して墜落することもあるくらいだ。


 だから基本的に彼は手紙を出さない、というよりも出せない。それでも軍属の兄からの愚痴と定期連絡、および画家志望の弟が寂しくなって送ってくる手紙だけは受け取っていた。家出をしてからの三年間、この二人以外からの手紙は受け取ったことが無い。


 そう、実際は手紙を送る技術も資金もある父からは、一通の手紙も来たことがなかった。


「まさか親父からじゃねえよな……」


 身に覚えのない手紙に不信感を抱きつつ、糊づけの面を切って開く。文面は簡単だった。


『ハーミーズ・ローゼンクロイツへ

娘は預かっている。月の出までに森の菩提樹まで来い』


 達筆な字でただそれだけ書かれていた。思わず手紙を握り締める。彼は急いで走り出した。石畳の狭い路地を右へ左へ、店の前に戻ってきたとき、入口にメルポメーネが倒れていた。


「おい、メルさん! 何があった、アルテナはどうしたんだ!」


 呻く婆を助け起こす。腕にナイフによると見られる切り傷が何本かあった。


「カシム一家の若いのが来て、あの子を持ってちまった……!」

「一人でか?」


 婆が頷いたのを見たハーミーズは、まず最初に、あのナイフ投げの少年の顔が思い浮かんだ。彼の目を細めた嫌味な笑い方が、脳裏によみがえってきた。


「なんで、ここはあいつらだって、簡単には手出し出来ないって言ってたじゃねえか!」

「若い衆とは面識がないんだよ。上役たちとは古い付き合いで知っておったが……」


 言われてみれば確かに、あの血気盛んな若者ならやりかねない。昨晩の魔術大会の全てをアルテナが引き起こしたとは考えにくいが、それでも彼女が襲撃したことはすでに知られている。その仕返しにここまで追って来て、さらには脅迫状まで残していったのではないだろうか。


 月の出までなどと悠長に待っていられない。相手の居場所は分かっているのだ。メルポメーネを店の中に入れ、簡単に手当てをしてから見世物小屋に向かった。いかに常時逃げ腰の彼であろうと、今は誰にも止められない。猛然と坂を目指して走り始めた。

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