第14話 婆の店は魔窟

 メルポメーネはやっと紅茶の飲み終わったカップを机に乱暴に置き、アルテナの固い手を取った。そして押し上げて本人の目の前へ持っていく。


「ほれ、見てみぃ。あんたの体は木と布で出来ているんだよ。あんたは精神じゃないのかい?」


 言われてアルテナは自分の手を見て、そして勢いよく首を横に振った。確かに彼女の動きはさながら人間の子供である。だがどう見ても彼女の体はからくりなのだ。


『私には、木と布なんかに見えないもん』

「見えないって言ってもな、どう見てもからくりだぞ、お前」


 同意を求めるように目線を投げられたハーミーズはにべもなく答えた。


 メルポメーネは椅子から立ち上がり、再度ガラクタ山の方に近づく。ガラクタ山は、恐らく山を作った本人以外が何か取ろうとすると崩れる仕掛けになっているに違いない。それくらい微妙なバランスで物が積まれていた。


 婆は山の中から凝った細工だがヒビの入った手鏡を探し出して、袖でごしごしと拭きあげてからアルテナに渡す。少し曇った鏡の向こう側には、やはり精巧なからくりの少女の顔しか映らなかった。


「ほれな、お前さんはからくりじゃ。それでも人間だと言うならば、お前さんは自分の体を取り戻さんにゃならん」


 アルテナの表情が哀に変わった。そして首を横に振った。


『ぶれてよく見えない』

「見えないことはないだろうよ。ちっと曇っちゃあいるが、ちゃんとした手鏡だ」

『でも、私は人間だよ』


 彼女は断言して、だが静々と手鏡を返す。拳をギュッと握って、膝の上で固くした。うつむいたまま何も書かなくなってしまった。

 ハーミーズが居心地悪そうに頭を掻きながら口を開く。


「お前がそのー……だな、つまり、例えば本当に人間だったとしてだ。体と精神を分けたっていう、その〝父さん〟ってのは誰だ? 要はそいつを捕まえて、自分の元の体を取り返して、直してもらえばいい話じゃないのか?」


 だが彼女は俯いたまま首を横に振る。ペンを取って、彼女らしからぬ弱々しい字を書き連ねた。


『父さんの名前、知らない』

「おいおい、まじか。自分の親の名前も知らないのか?」

『だって、時々会いに来てくれるだけだったから……』

「そういう家庭もあるってことさ、若いの。そういうことはあまり追及してやるでない」


 メルポメーネは三度席を立ち、湯を沸かし始める。またあの不味い紅茶を飲むつもりらしかった。ハーミーズは慌てて先ほど使ったカップを手に取る。またあのかび臭い紅茶を入れられるのは全く以て本望ではない。丁重に誠実に断わりの態度を示した。


「ちなみに体の方はあの後どうしたんだ? あの女の子が自分の体だって分かっていて、カシム一家の見世物小屋に二回も襲撃掛けたんだろ?」


 この問いにもアルテナは首を横に振った。


『ハームの知り合いだって言ってた、あの人たちに横取りされちゃった』


 文章が目に入るや否や、なぜか唖然としているハーミーズ。彼の手から婆が空のカップが奪い取った。それでも彼は気付かない。それほどアルテナの答えに硬直していた。


「どうしたんだい若いの。ほれ、温かいものでも飲んで、口と頭をちゃんと働かしぃ」


 なみなみと不味い紅茶が注がれたカップをその手に戻され、彼は反射的にカップに口を付けた。また仄かなカビ臭が口の中に広がった。


「本当に、あの、あいつ、俺の昼間の知り合いだったのか?」

『見間違えないよ。化け物みたいのでしょ? あの子を抱えて空を飛んで逃げて行っちゃったの』

「……あのさアルテナ。一体どんな悪いことをしたんだ?」


 ハーミーズは目を剥いて、自分のことでもないのにアルテナの肩を持って揺すぶった。必死の形相だ。本当にこの場に化け物か悪魔か現れて、彼の首を掻き切って行ってしまうのではないかという勢いだ。


「終わりだ、この世の終わりだ! あいつが来たら、何もかもが終わる!」


 頭を抱えて大声で喚きながら勢いよく立ちあがったハーミーズは、拍子に天井から吊るされた逆さ十字架が大量に付いたシャンデリアに頭をぶつけた。


「いってェー! これもあいつの呪いか?!」

「いい加減におしよ! 大の大人の男がみっともない!」


 メルポメーネは叱咤しながらも紅茶を飲み続けた。だが次の瞬間、ガラクタが置かれて半分くらいしか外の見えない窓に目線を鋭く走らせる。そして座ったまま足を延ばして、悩める哀れな青年に足をかけて転ばせた。ハーミーズは無様にガラクタ山の中に頭から突っ込む。もうもうと埃が舞い上がった。


「ばあさん、何しやがるんだ!」

「うるさいね、今誰かが覗いていたんだよ! それからメルさんとお呼びと言っておるだろうが!」


 婆渾身の一撃に、別の意味で頭を抱えていたハーミーズも口を塞いだ。ぱっとアルテナが椅子から飛び降りて、窓に飛びつく。しかし煤けた窓ガラスから見える真っ暗な路地裏に、人影は見つけられない。すでに走り去った後だ。


「もう行っちまったよ。……しょうがないね、今晩は家に泊まってお行き」

「いいのかよ?」


 立ち上がって自分に引っ掛かっている様々なガラクタを落としながら振り返った。


「今から宿を探すのは無理じゃろ? うちならカシム一家もそう容易く手を出すことも出来ん。あいつらとは昔っから、そこそこの付き合いがあるからね」

「そいつはありがたい」


 ハーミーズは髪に絡まった東の国風の不気味な首飾りを外してようやく自由の身になる。婆は意地悪そうに笑って席を立った。


「からくり姫はワシの売り物じゃからいいとしても、あんたをタダで泊めてやるなんて一言も言っていないよ」


 そう言って五本の指を開いて見せる。


「これぐらいはあるだろうね?」

「ちょ、待ってくれよ……」


 彼は通常の宿屋の約三倍を吹っ掛けられたのだが、恐怖の根源が近くにいることもあってか素直に財布を開こうとした。そして気が付く。財布の中身はメルポメーネの酒代にほぼ消えて空。仕方なく飲み代と翌日全ての部屋の掃除をしていくことで決着を付けた。しかも案の定、紅茶のために一回腹を壊すという災難に見舞われた。

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