第13話 それは誰の仕業か?
黙ったまま俯くアルテナの手を引いてひとまず酒場まで引き返すと、裏の主の婆はハーミーズの財布の中身で酒に換えて豪快にあおっていた。使ってしまっては担保の意味がなくなるのでは、と彼は言いかけたが、もちろん一睨みされて黙らされた。
「ちゃんと帰ってきたね。よし、ついておいで」
婆は約束通り荷物をハーミーズに返し、彼とアルテナを連れて自分の店へ戻った。表の雑多な店側から建物に入り、その奥さらに雑然とした婆の居住空間の方に入った。
全て不揃いな椅子、端の欠けたテーブル、真ん中に新円の大穴が開いた高級そうな敷物、そんなものばかりの小さな居間に通される。婆は連れてきた二人にその辺の適当な椅子を使えばいいと指さした。アルテナは座る面積が小さく高い椅子にわざわざよじ登り、ハーミーズは一番近くにあった背もたれの取れた椅子に腰かけて荷物を下ろした。
「さて、若いの名前は?」
「ハーミーズだ」
「ワシはメルポメーネ。メルさんとお呼び」
「姉妹がいっぱいいるとか?」
「よくわかったね、9人姉妹さ」
「結構不遜な名前だな」
言ってからハーミーズは口を塞ぐ。ぎろりとメルポメーネの射抜くような眼差しがこちらに向けられた。
「姉妹の五人目さ。そんなことより、このからくり姫の正体は分かったのかい?」
老婆は注ぎ口の欠けた大きなティーポットで紅茶を用意する。戸棚から出されたカップは二つだがやはり形が違った。
「まぁ最初っから、普通のからくりじゃないのは分かっていたからそっちに売りに行ったわけなんだけど。本人は人間だって言い張っているよ」
ハーミーズは肩をすくめて、それから差し出されたカップを受け取った。香りも色も普通だったが、薄すぎて白湯を飲んでいるようだった。おまけに後味が少しカビ臭い。
『私は、声を取られたの!』
アルテナは自分には飲めない紅茶を羨ましそうに、ただし表情に変化はなく、眺めながら文章を書いて生身の人間二人に見せた。
メルポメーネはどこからか取り出した眼鏡をかけて、不審そうに文章を読み上げた。少々識字が苦手と見える。
「とは言ってもお前さんは、どこからどう見たって人間じゃなくてからくりじゃないかい?」
皺だらけの手でメモ帳を返しながら、婆はまた席を立って雑巾を探し出す。居間のガラクタ山の中から継はぎだらけでカラフルなボロ雑巾を見つけ出して、アルテナに渡した。
「ほれ、これで汚れを拭きな。そう汚くちゃ女の子は駄目だよ」
「ばあさん、やけに親切だな」
「メルさんとお呼び!」
ハーミーズは不味い紅茶勢いよく飲み干して、コップを端の欠けた机の上に置いた。机が大きく揺れる。どうやら端だけでなく、足も欠けているらしい。慌てて揺れる机を押さえた。
「なんでってことはないだろうよ。ワシはこのからくりの人形を買い取ったんだよ。中身は興味無いが、からくり自体を汚されちゃ堪らないからね」
女の子と言ったりからくりと言ったり、確かに見た目通り偏屈なばあさんのようだが底意地が悪いわけではなさそうだ。アルテナが手足を拭き終わるのを見届けて、雑巾をまたどこぞにひっかける。
「まぁ中身に興味はないと言っても、その中身が自分は人間だって言い張るからには、何か理由があるんだろうさ。それを聞こうかと思ってね」
そう言ってメルポメーネはハーミーズの方を向き直った。ぬるくなった紅茶を手に取り、音を立てて飲み始める。それでもゆっくりなのは、相当な猫舌なのかもしれない。
「で、どうなんだい?」
「俺に聞かれてもな。俺はこのアルテナを拾っただけだし、それ以上は知らないんだけど」
ハーミーズが頭を横に振りながら答えると、メルポメーネはずれた眼鏡を直しながらため息を吐いた。
「何にも知らないで売りに来たのかい? ああ本当に全く嫌だよ、最近のこういうわけの分からない若い客は」
婆はちびりと紅茶を口に含み、ゆっくり飲む。アルテナは未だに紅茶を飲んでみたいようだった。
「それともからくり姫が、今度はちゃんと自分のことを教えてくれるのかい?」
からくり姫、という呼び方があまりお気に召していないのか、アルテナは少し不機嫌そうに足をぶらつかせた。だが渋々紙に書き始める。
「若いの、字を読むのは?」
「出来るよ、読めってか?」
「読むのは苦手なんでね。あと細かい文字は見えづらい」
アルテナが紙を渡す。ハーミーズは受け取って、棒読みで読み始めた。
「えぇっと、『私は父さんとその仲間に声と体を別々にされてしまったの。でも父さんは、私と声を連れて逃げ出した。その途中で盗賊に襲われて、声の子だけが連れ去られてしまったの。だから私は自分の声の子を探してやっと見付けたんだよ』、だってさ」
いささか理解が追い付かないままハーミーズは読み終わると、その紙をメルポメーネの方に手渡した。彼女も眉をひそめながらひとしきり文面を眺めて、顔を上げる。
「ワシは魔術に疎いからよく分からんのじゃが、声と体を別々に分けることなんて出来るのかい?」
メルポメーネは腕組みをして大きく首を捻る彼の方を向いた。だが魔術が使えないハーミーズに聞くのは筋違いというもの。案の定、分からない、と顔に書かれた彼が答えた。
「そうそれ。俺もよく分からないんだけどさ、そもそも〝声〟と〝体〟っておかしくないか? 声を出しているのは体の方だよな」
「じゃあ何かい、魂と体なら分けられるって言うのかい?」
「そっちの方が現実的じゃないか? それで魂、言うなれば精神を、この高性能な魔術式からくりに移した、と。辻褄は合う、説明はつかないけど」
二人で顔を見合わせて、片方は肩をすくめ、片方は低い声で唸る。答えの出し方の見当もつかない問題を前に、ペンを持ったまま固まってしまった子供のようだった。
アルテナがそんな二人を尻目に、また何か書き始めた。そして紙を千切って、肩をすくめた青年に渡した。
「今度はなんだ……『声と体を分けることは、全ての属性の元素を支配して、さらに上位の太陽と月の力まで使えれば出来ることだよ。一人でやるのは多分無理だけど、大勢が協力すれば出来なくはない』だってさ、ばあさん。出来るって」
「だから、精神と体の間違いじゃないのかい? それからメルさんとお呼び」
「ああ、へい……」
めんどくさそうに答えつつ、なおも首を傾げる。ハーミーズの中にあるのは、どうしてそんなことをというよりも、誰がそんなことをという疑問の方だった。
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