第12話 災難と天災と勘違い

 ハーミーズは路地裏の店の婆に荷物を担保として取られ、とにかくアルテナを探して連れてくるようにと脅された。亀の甲より年の功とはよく言ったもので、しかしこの場合の年の功は恐ろしい威力を発揮した。


「だから、何で、俺は、こう、災難ばっかり、背負い込む羽目になるんだ?」


 語尾が疑問形だからと言って、答えてくれる人がいるとは限らない。彼はとにかく歩いた。カシム一家の見世物小屋は町の外れ、町全体が見渡せる小高い丘の上だ。つまり町のどこからでも丘の位置が分かる、道が分からなくても行きつけてしまうということだった。


「しかし厄介なことに巻き込まれたなぁ……」


 口では言っても彼は未だに事の重大さに気付いていなかった。緩やかな丘の途中で立ち止まり、大きくため息を吐いて一休みする。あと半分で見世物小屋だ。そこにまだ無事なアルテナが居てくれるか、それとも彼女は居らず見世物小屋の者たちにタコ殴りにされるか、あるいは無事じゃない彼女と共にタコ殴りにされる折衷案か。


「たぶん嫌な予感がするから、最悪のパターンだ。ということは、壊されかけたアルテナが捕まってて、俺がボッコボコにされるパターンかぁ……逃げたいなぁ」


 しかし荷物はもちろんのこと、一銭も持っていない彼にはどうすることも出来ない。諦めてあと半分の道のりを急いだ。相手だって盗賊団とは言えど人間だ、話せばきっと分かってくれる、彼はこの期に及んでもそんな悠長なことを考えていた。


 そんな彼の平和ボケした夢想は、丘の頂上に大瀑布が出現した途端、あっけなく消し飛んだ。何もない虚空から大量の水が流れ落ちてくる様子が遠目からでも見える。


「おいこらこちょっと待て。冷静になれ。何が起こったんだ?」


 ハーミーズは急ぐ足を止めてぽかんと空を見る。何もない空、真っ暗な空からどうどうと音を立てて水が流れ落ちていた。


 大瀑布が消え去ると、今度は竜巻が発生したのが見えた。もちろん本物の竜巻に比べれば規模は小さいが、それでも威力ある風が周囲の木々をなぎ倒す。


「なんで、竜巻なんだよ。どうして俺の行き先に竜巻なんだよ?」


 嫌な予感、具体的には次は剣が降ってくるか、あるいは雷が落ちる気がしていた。


 耳を塞ぎながら彼は空を見上げる。雲ひとつなく綺麗に晴れ渡った夜空だが、その漆黒の闇を切り裂いて光と音とが同時に降ってきた。やはり落雷だった。


「やばい、やばい。こいつは五元素全ての魔術が降ってくるんじゃねえの? 水、風、金で雷と続けば、次は火か?」


 指折りながらハーミーズが丘の頂上を見上げると、火柱が立っていた。町は大騒ぎに違いあるまい。滝や竜巻は見えなくとも、落雷や火柱は夜だからきっと良く見えているはずだ。


「火ぃーの次は、まぁここまで来たら、土で間違いないだろうな……」


 彼は右手で指を四本折りながら、最後の元素をつぶやく。地面が揺れ始める。局地的な地震が発生したような揺れに、五本目の指を折った。揺れに耐えかねて地面に伏せる。頭を抱えてしばらくうずくまった。


「あーもうやめてくれぇ! 何だって俺が向かう場所に五元素全部使える魔術師がいるんだよ! そんな奴の方が世の中じゃ珍しいんだぞ!」


 叫んでみたものの揺れは収まらず、もちろん神様が助けに来てくれるわけもない。揺れに慣れてきた彼は、そろそろと歩き出した。足元がもつれないように舌を咬まないように、あくまですり足気味で。


「アルテナの奴が使ったわけじゃねえよな、たぶん。あいつは喋れないから仮に言う通りあいつが本当に人間だったとしても、こんな大規模な魔術は使えない、と思う」


 独り言が聞かれていないのをいいことに、そろそろと歩きながらハーミーズは口に出してさらに推理を続けた。そうでもしないと心臓がうるさくってどうにもならないぐらいに狼狽している。


「じゃあ、五元素全部使える優秀な魔術師がこんな小さな港町にいるかっていうと、いやそんなことは聞いたことはない。五元素全部使えるとなると、都で強制軍務だろうからな。そんな奴はこんな田舎町に、いるわけ……いや、一人いたな」


 自分で言って、自分の言葉に彼は硬直した。嫌な予感がしたときと同じように、目が泳ぎ始める。


「昼間見かけたじゃないか。化け物級の魔術師が、一人来てる……」


 彼は足を止めた。誰だって荷物よりも、財布よりも、何より自分の命の方が大切である。このまま歩き続けて化け物級の魔術師の暴れるところへ行くか、それとも荷物と財布を諦めるか。彼は選択の猶予を自分に与える。


 確かに財布は大事だ。荷物が無くとも財布があれば、また荷物を作り直して旅が続けられる。どうにかして財布だけ返してもらえれば何とかなる。それにこの港町で少しばかり働いてから出発してもいいではないか。悪魔が彼にささやいた。


 いやしかし、使い慣れた荷物を手放すのは惜しい。中には彼が家出をした当初から持っている思い出深い品だってある。あれを無くしたら、家の敷居を跨ぐことが出来ない気がする。帰りたくないけれども、帰れなくなるというのとはまた違う。覚悟が無いだけともいえるが、そもそも帰宅する権利を手放してまで続けるような旅なのだろうか。天使が彼の腕を引いた。


「どうする俺。あの化け物に見つかったら、都の、親父のところに強制送還。これ決定事項。しかも五体満足で帰れるかわからない。それに帰るのだけは、家に戻るのだけは絶対に嫌だ」


 ハーミーズはいつもの苦笑いの表情を隠して、真剣に丘の頂上付近を見やった。拳を固く握る。地面の揺れはまだ収まらない。


 彼は一歩後ろに下がった。


「あー……やっぱり俺は逃げるのか」


 彼は自嘲しながら、坂を下ろうと方向転換した。

 その途端、揺れが収まる。


「……」


 ハーミーズは体を半分捻ったところで停止した。表情はいつもの苦笑いに戻っている。緊張を解いて大きなため息を吐く。それから丘の頂上に向き直った。


「くっそ。なかなか、格好つかないもんだなぁ」


 彼は頭をかくと、ともかく彼は選択の猶予期間を延ばした。


 戦闘は収まったのだろう。だとしたら行っても危険は無いだろうし、あの化け物なら悠長に地面を歩くなんてことはしないだろう。帰宅はもっとスマートに、空でも飛んで帰るに違いない。彼は腕組みをして進むか退くかまた考え始めた。


「声? が、聞こえるな……」


 ハーミーズは立ったまま、耳を澄ました。甲高い喚き声が、微かだが風に乗って聞こえてくる。徐々に近づいてくる声に耳を澄まして、声の種類で喚き声が子供だと認識する。アルテナは喋れない。つまり他の誰か子供が大声で泣いているということ。瞬間、ハーミーズの表情が引きつった。


「やばい、子供の声って、やっぱあいつじゃないか!」


 彼は言い捨てて、手近な茂みに身を隠そうとした。彼は闇雲に手近な茂みの中へと体を突っ込ませようともがく。その背に明るい昼間の太陽のような光が当たり、そして一瞬で去っていく。


 去ったにもかかわらず、見えなくなっていれば、万が一、十万が一、百万が一にだって見つからずに済むかもしれない。そうであってほしいと彼はもがき続けた。こんな時にこそ、神様に祈るしかない。


 小さな茂みにほとんど上半身だけ隠した状態で、青年は天にまします云々と唱え始めた。ごめんなさい神様信じないなんて言ったのは言葉の綾です、と心の中で何度も何度も言い訳をする。顔だけでも見えなくなっていれば、もしかしたら見世物小屋の誰かが伸びていると勘違いしてくれるかもしれないのだから。


 しかし神様は彼の見え透いた魂胆を見抜いてか、だれぞの堅い手に彼の肩を叩かせた。ビクゥっと体をこわばらせたハーミーズは観念したのか往生際が悪いのか、頭を突っ込んだまま嘆願を叫ぶ。


「頼む、お願いだ、見逃してくれ、何でもする! 親父のところにだけは帰りたくないんだ!」


 叫んだ彼の腕を掴んだ手は小さく、そしてめっぽう硬い、木製。そしてひどい泥汚れが付いていた。ようやく間違いに気付いて、彼は顔を上げる。


「え、ええっと。あ、アルテナ、さんでしたか……」


 呆けたハーミーズの腕を掴んでいたのは、泣きそうな表情のからくり人形だった。

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