第11話 少年は暴力的な詩を歌う
「ねぇ、どうしてアルテナは踏まれているの?」
煙がくすぶる掘立小屋の上から、少年は周辺を見回して首を傾げる。アルテナは捕まっているから踏みつけられているのであって、それをどうしてと疑問に感じる少年はまるでアルテナ以外何も見ていないようだった。
「難しいけど……踏まれてはいけないと思う」
彼は何かを悩んでいるように歪な言葉づかいをした。ただ、その言葉が音として耳に届いた瞬間、なぜか踏みつけられる強さに加減がかかったのがアルテナにも分った。踏みつけていた男の一人がうめき声を上げる。
「なんでだ、足に力が入らねぇ……」
しかしまだ退かせるほどの強さではない。踏みつけられたままの彼女は、とにかく手足を動かして自分が周囲の人々に捕まって動けないことを伝えようとする。文字を書いても、遠く暗いために読めないかもしれない。
「その人たちは、アルテナの敵?」
少年は彼女が動けないことを理解して、再度質問した。質問すると、今度は周囲の風が強さを増した。それはまるで訪問者の少年の感情に影響されているようだ。
もちろん彼女は大きく頷く。踏まれているのだから、そんなことをわざわざ質問するなと文句を言いたいくらいだった。あえて言うなら彼が敵なのか味方なのか、はっきりさせてもらえるとありがたいと彼女は心の中で呟いた。
「そっか。アルテナの敵なら、僕の敵だ」
少年は少し怒った顔をして、屋根の上にすっくと立ち上がった。その瞬間、アルテナの躯体を踏みつけていた者たちの体が吹っ飛んだ。飛んだ本人たちも、自由になったアルテナもびっくりした顔でただ少年の方を見るばかり。
「おまえら、全部、僕の敵だ!」
叫んだ少年の声は、周囲の木々を薙ぎ倒さんばかりに響く。
「まさかあの小僧も、魔術師なのか?」
誰かが叫んだ。だが、盗賊団の中でもいっとう年老いた男が恐怖に駆られた表情で悲鳴を上げた。まるで未知の魔物に遭遇したかのように男は顔を引きつらせ、少年を指さした。
「違う! あれは先天性だ! 逃げろ、印を組まず、口頭術式も使わず、魔術を発動出来るのは先天性の魔術師しかいない! 見たろう、言葉が全て魔術なんだ!」
少年は、年老いた彼の言うことが終わる前に、歌を歌い始めた。
「生れる前より刻んでる 鼓動に揺れる三角形 愛が魚を知るならば 海まで泳いで行けるはず 青い言葉を与えよう……水!」
歌い始めてすぐに誰もが気が付いた、これは見世物小屋の歌姫の歌。なぜそれを知っていると誰かが叫んだかもしれないが、それよりも早く彼は歌い上げて指を一本立てて振り下ろす。指の動きなぞるように大瀑布が彼らの上に落ちてきた。容赦なく叩きつける水は、立ち上がることさえも許さない。少年はまた歌い出す。
「幼き頃より歩いている 辿り着けない四角形 ひな鳥のように羽習わし 空の高みへ飛んでいけ 白い幸を与えよう……風!」
彼が両手を大きく広げると、アルテナの使った風の魔布の比ではない突風が彼等に叩きつけられる。だがアルテナに寄せられた風だけは、温かく彼女の濡れた髪を乾かして躯体を持ち上げる。彼女はされるがままに風に運ばれると、同じくらいの背格好の少年に抱きとめられた。
「次に行くよ、アルテナ」
彼は彼女のことを知っているらしい。しかし彼女は全く彼のことを記憶していない。誰なのだろうかと、見知らぬ彼の嬉しそうな横顔を眺めた。
「若き時期より待っている 流れ出でるは五角形 勇猛な四肢持つ獣なら 地平線が果てまで走るのに 金色の栄誉を与えよう……金!」
少年は楽しそうに広げた両手を空に向かって突き出した。良く晴れた空のどこにも黒雲は見当たらないというのに、落雷が彼ら目がけて落ちてくる。もう何人かは失神しているというのに、少年は攻撃をやめない。
「アルテナも一緒に歌お? ね?」
少年は笑いながら次を歌う。彼女には次に何をするのか、大体予想が出来た。
「老いた時より降り注ぐ 冷たき刃の六角形 蛇がその手を掴むなら 地の底まで行けるはず 赤い光を与えよう……火!」
今度は燃えかけの屋根に両手でポンと突いた。すると燻っていた骨組みが再度燃えだす。
「飛ぶよ!」
掘立小屋が燃えながら人々の方に崩れる前に、少年はアルテナを抱えて空中散歩を始める。驚いた彼女はただただ、少年にしがみついた。そうでもしないと落ちてしまう。
彼女は何が起きているのか、この少年は誰なのか、全く分からなかった。一方で彼女にも分かることがあった。アルテナもこの歌を知っていたし、彼をこれ以上歌わせてはいけない。これ以上誰かを傷つけるためにこの歌を使って欲しくなかった。急いで濡れた紙ににじむ文字を書きつけて少年に見せる。
『その歌は、人を殺すための魔術じゃないのよ!』
「どうしたの、アルテナ。君の敵は僕の敵だ。君が困ったら僕が助けてあげる。どうして喋らないの、どうして字しか書かないの?」
『やめて! その歌を人殺しの道具にしないで!』
書かれた文章が余程気に食わなかったのか、少年は地面に降りてアルテナから手を離した。
「何でだよ! 助けてあげたのになんで、どうしてアルテナはそんなこと言うんだよ!」
そして彼女が見せた紙をその手から引っ手繰ると叫んだ。
「燃えろ! こんな紙、燃えちまえ!」
彼の言うとおり、濡れていたはずの紙が自然発火してあっという間に消し炭になってしまった。その僅かな灰を夜風に飛ばし、彼はようやく満足したようで、歌の続きを口ずさむ。
「死して土より朽ち果てる 夢馳せしもの八角形 虫が棺を守るなら たゆとう今は明日へと繋がる 黒いしるしを与えよう……土!」
少年は軽く飛び跳ねた。彼の足が着地すると同時に地面が揺れ始め、土が盛り上がってくる。土の塊は盛り上がり、崩れ、それを繰り返しながら恐怖に駆られた人々の方に迫った。けしかけた少年は阿鼻叫喚の巷と化した周囲を、満足そうに笑って見ている。その彼の肩を揺さぶってアルテナは懇願した。
『やめて、死んじゃう!』
「当たり前じゃん、アルテナをいじめた報いだよ」
少年は取り付く島もなく、彼は頑として魔術を止めようとしなかった。アルテナは羽ペンを取り、紙に文字列を書き始める。そして完成した瞬間に走り始め、魔布を破り、走った勢いで土塊に叩きつけた。
地の底に住まう甲の王 平板なる台地 拓け耕せ
本来は土地を平らにするため、耕作地などでよく使われる魔布である。彼女はそれを隆起する地面に対抗するために使った。しかしそれでも完全に平らにすることは出来ない。
必死で魔布を使い続けるアルテナの後ろから、少年が困ったような声で話しかけた。
「ねぇ、確かに君も先天性だけど、口頭魔術に即席の魔布で対抗しようなんて、無茶だとは思わないの?」
確かに魔布を押し当てても、うねる地面の面積の方が圧倒的に広い。平らになったところを僅かな人数が歩いて逃げ出せる程度だった。それも徐々に効果が無くなっていく。使い物にならなくなった魔布を投げ捨て、アルテナは再度同じ魔布を書こうとした。
足元をふらつかせながらペンを執った彼女を見て、少年は明らかに苛々しながら魔術を解いた。地面が動かなくなる。奇怪な造形の土塊が、周囲にいくつも乱立したまま周囲は停止する。
「もういいよ、アルテナの馬鹿! 僕たちに手を出したことを後悔させてやるくらい、別にいいじゃないか!」
少年は完全いじけ、すねた目でアルテナを睨みつけた。両手が泥だらけになった彼女は、しかし構わずにペンを取って書きつけ、紙を丸めて少年に投げつけた。
『あの歌は父さんがくれた歌だもん。人殺しの道具にするようなあんたなんか知るもんか!』
彼がそれを読み終える前にアルテナは町の中心に向かって歩き出す。今の彼女の表情は怒。一切振り返らずに足早に坂を下る。あれほど逃すなと言っていた見世物小屋の住人達は疲弊して誰も追ってこられない。追いすがったのは少年の呆けた声だけ。
「僕のこと、覚えてないの、アルテナ?」
まさかそんなことは無いと信じていないような声。だが彼女は無視して歩き続けた。
「え、嘘でしょ? 冗談だよね、アルテナ!」
少年が追いかけてくると思っていた彼女は、そのまま足を止めなかった。後方から投げかけてくる彼の言葉は、一歩離れるたびに悲鳴じみていく。
「そんな、そんなの嘘だぁ! アルテナは僕の、僕の妹だもん! 僕のこと、忘れるわけないもん! 絶対だもん!」
遂に彼は泣き叫びだした。だがアルテナの足の動きは揺るぎなく町の中心を目指す。彼女はとにかくハーミーズを見つけようとしていた。彼の身の安全を確かめなくてはならない。
「嫌だぁ、どうしてみんな、また一人にして僕を虐めるんだ! なんでアルテナまで僕のことを一人にするんだ! そんなの嫌だよぉ!」
幼い子供のように泣き叫ぶ少年を無視して歩き続けていた彼女だが、後ろから真昼のような強い光が射してきて思わず振り向いた。見れば丘の上から光る球体が飛び去るところで、それはまるで小さな太陽のようだった。
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