第10話 お呼びでない何人目かの来訪

 大方の火を消し終えると、子供は蛇口を捻るように手で作っていた輪をつぶした。水が止まる。子供は笑って、水浸しになった掘立小屋の中を見回した。満足そうに笑う。


「君たちは運がいいねー。僕がいなかったら今頃いい感じに丸焼き状態だったよ。人間の丸焼きなんて、戦場だけで十分だもんね!」

「なんだい、このガキは! 魔術師か!」


 火を消してもらったにも関わらず、女の一人が子供に向かってナイフを投げた。子供は難なく首を捻る動作だけでナイフをかわす。そして立て掛けてあった自分の光る大鎌を片手で軽々持ち上げて、動作一つでナイフを投げた女に突きつけた。女の表情が恐怖に引きつる。子供はにこりと天使のように笑って首を傾げた。


「助けてもらったらちゃんとお礼を言うんだよ、習わなかった?」


 子供の形はしていても、尋常ない力と一瞬にして大水を呼ぶ魔力は只者ではない。にっこりと無垢にほほ笑む子供の魔術師と盗賊団の女たちとには圧倒的な力の差があった。


「僕は習った! ちゃんと習って、それで覚えた。偉いでしょう?」


 アルテナも目の前の子供との力の差を感じていた。彼女は声が出せないために、子供の行ったような口頭魔術が使えない。その戦力差はとても大きい。口頭魔術の方が魔布作成の時間よりも短時間であり発動までの時間差が少なく、また力の制御がしやすい。バリエーションも多彩だ。


 からくりの表情はあまり変わらないが、アルテナは敵か味方か分からない子供に内心では歯噛みした。自分よりも小柄な子供に場を制されるのは、彼女の魔術師としての誇りが許せなかった。


「そーれーでー。なんで睡眠薬入りのお酒を届けさせたのに、みんな起きてるのー?」


 子供はふて腐れたように、口を尖らせて文句を言い始めた。力がいかに強かろうと、やはり言動が子供っぽいことには変わりがない。


「たぶんプラト君が失敗したんだよねー。まったくさー、出来ない仕事を出来ますって言うのが一番腹立つんだよ! 後でお仕置きしておかなきゃー、だよプラト君?」

「あ、はい。すいません、睡眠薬が一樽分だけだったもので」


 アルテナと女たちは目の前の子供以外の侵入者の存在に声でやっと気付いた。まさか子供の侵入者が首を傾げて見た視線の先にもう一人の侵入者がいるとは思わなかった。


 焼けた窓枠を静かに外して、あの眼鏡をかけたきりりとした雰囲気の女がボロボロの小屋の中にストンと着地する。だが少し覇気に欠ける、謂わば情けない感じだ。一応間抜けた酒場のウエイトレス姿ではない。それどころか背から影のような翼を生やし、確かにシルエットだけはさながら怪物のようだ。


「言い訳はいらないんだよ!」

「はぁ、すいません……。あの、それより目的はこの女の子で、良いんですよね?」


 名をプラトというらしい彼女は、椅子に腰掛けてこの騒ぎにも全く動かない少女を担ぎあげた。ぽろぽろとすすが落ちる。それを見た子供の魔術師は喜色満面に大きく頷く。


「よぉし、にっげろぉ!」


 子供は言いながら、大鎌を拾って掘立小屋の外に飛び出した。長い三つ編みが蛇のように揺れた。プラトは女の子の体を担いだまま、侵入経路と同じく窓枠を飛び越えて外に逃げいった。影のような漆黒の翼を広げ、晴れ渡る夜空に舞いあがる。追いかけて外を見た者もいたが、一瞬で視界から消えた。


 もちろん二人の後を見世物小屋、もとい盗賊団の男たちも女たちも、諦めずに彼らを追いかける。その集団に促されるようにアルテナも、彼女の目的であった少女を攫ったプラトの方を追いかけようとした。


 しかし彼女の腕に、誰のものとも知らぬ手が掴みかかる。


「あんたは逃がしゃしないよ!」


 すすで汚れた金色の毛髪を掴まれて、彼女は地面に引き倒された。容赦なく足蹴にされる。体は痛くない、しかし誇りが踏みつけられて痛んだ。


「なんて最悪な夜だろうね!」

「落とし前は、あの旅人にきっちり付けてもらおうじゃないのさ!」


 ハーミーズが関係ないことは、アルテナ自身が一番よく知っている。自分のことを売り飛ばした彼を恨まない気持ちが皆無ではない。だがそれまでに助けてもらったり世話をしてもらったりと少々は恩を感じていたし、何より自分のことは自分一人でちゃんと成し遂げたいという気持ちの方が大きかった。だから彼女は慌ててペンで紙に書きつけて見せた。


『ハーミーズは関係ない!』


 だがその書き付けを彼女の手から分捕った男が、意地悪そうに笑った。アルテナは不穏そうに眉をひそめようとして、からくりであるが故にその表情に失敗した。


「あの男、保身のためにこんな事をからくりに書かせたぜ?」


 男は紙を高々と掲げ、その場にいる者たち全員に見せた。


「あいつの名前は〝ハーミーズ〟だとよ!」


 自分の書いたことによって、逆にばれてしまうとは。彼女は怖くなって悲しくなって、もう一度文章を書き直して見せる。


『やめてよ、あの人は何にも関係ないよ!』

「まだ書くぜ?」

「とっととあの野郎を探し出して抑えろ! あのふざけた魔術師のガキと娘を攫った女もそこだ!」


 アルテナは悔しくて地面を掻いた。違うと叫びたくても彼女は文字を書くことしか出来ない。無力な自分が悔しかった。


 彼女を取り囲む人々は口々に、ハーミーズにどのようにして落とし前を付けさせるか相談する。引き回し、又裂き、石子詰め、どれも聞くに堪えない残虐な私刑を彼らは次々に、しかも楽しそうに提案していく。


 こんなことに、彼を巻き込むつもりはなかった。後悔しても遅いのは分かる。アルテナはどうにかして彼には手を出さないでくれるようにお願いをしようとした。だが、声の出ない彼女に注目する者はいない。この事態をどうにかして彼のところに知らせに行く方法はないか、必死で考え始める。


 その時、ざわりと草木が揺れた。


「アルテナ……?」


 突然新たな訪問者の声が降ってきた。突破口を考えていたアルテナはもちろん、相談していた者たち全ての視線がそちらへ向く。


「見つけた。アルテナ……だよね? 顔を見せて」


 訪問者が声を発した瞬間、彼女の首が見えない力によって、無理矢理動かされた。そして声の主の方を強制的に向かされる。からくりのあまり柔軟とは言い難い関節ではかなり無理な角度だが、彼女の首はその位置で止まって訪問者を見させられた。


 訪問者は少年の形をしていた。連れ去られた少女と同じ金色の髪、空色の瞳の少年、恐らく年の頃も同じくらい。焼けて崩れかけの掘立小屋の屋根の上から、嬉しそうな顔を覗かせていた。逃げだした子犬をやっと見付けたような、そんな安堵の表情だった。


 しかしアルテナは、彼を知らない。見たこともない。動かない首を傾げようとしたが、ただ木が軋んだだけだった。

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