第9話 少女は再び襲撃する

 アルテナはあらかじめメモ帳を破って用意しておいた灯火の魔布の端を切った。ただの紙だったものがぽうっと赤いホタルのように光って周囲を照らす。その明りを頼りに坂をのぼり、彼女は見世物小屋の裏手にある掘立小屋に近づいていく。ハーミーズの予想通りに、アルテナは一人でカシム一家の見世物小屋へと来ていた。


 中からは騒々しい笑い声やどなり声が聞こえる。こんな中に自分が探す少女が居るのかと思うと今すぐにでも確認したかったが、中に入ったところであの大人数の中から目的の相手だけを攫うのはとてもじゃないが無理だろう。さすがに二回目ともなれば警戒しているかもしれないとアルテナにでも予想ができたし、それに正面突破が無理であることは先刻承知だった。


 奴らが寝静まってから探して連れ出した方が早くて安全で簡単そうだと考えた彼女は、掘立小屋から少し離れた茂みの中に身を潜めた。大騒ぎをしている連中が静かになるまで持久戦だ。幸い地面に座っていたも体が痛かったり寒かったりということは、不思議と全くなかった。


 明かりを消して茂みの中でしばらく待っていると、酒樽二つと腸詰めを積んだ大八車を牽いた女が掘立小屋に近づいてきた。しかし大八車を押す女は間抜けな酒場のウエイトレスの格好をしていても、きりりとした雰囲気を隠していない。アルテナは一目見て昼間見かけたハーミーズの知り合いだと気付いた。


 女は掘立小屋の戸を叩く寸前に、その独特な雰囲気を隠し、酒場のウエイトレスになりすました。


「すいませぇーん。お酒とぉ、腸詰め持ってきたんですけどぉー」


 土地の訛りまで完全に模した女は、酒樽と腸詰めを届けるとそそくさとその場を立ち去った。茂みに隠れているアルテナには気付かず、坂を下って姿が見えなくなった。


 何だったのだろう、とアルテナは首を傾げる。確かにあの女はハーミーズの知り合いで、しかも化け物の部類だと聞いた。しかし普通の人間に見えたし、しかしなぜか土地の人の振りをしていた。きっと世の中にはそんな仕事も、世の中にはあるのかもしれないと言い聞かせ、彼女は茂みの中で座り直した。


 それからアルテナは辛抱強く待ち続けた。わがままな彼女にしては本当によく待ち続けた。完全に声がしなくなったのを何度も何度も確認する。そしてようやく動き出し、静かに掘立小屋の戸を開けて隙間から中の様子を窺った。


 掘立小屋の中は、酔っぱらった人が累々と死体のように寝転がっていた。暗闇でよく見えないが、背格好からしてアルテナの探している少女は居ないと見える。


 彼女はまた静かに戸を閉めて、掘立小屋のさらに裏手に回った。小さな掘立小屋がもう一つある。恐らくこちらは女たちのための小屋だろう。静かに戸を開けると、女たちの寝息がいくつか聞こえてきた。しかし部屋の中央で椅子に座ったままの人影が、月光を浴びて浮かび上がった。アルテナそっくりの、あの少女が座っていた。


 口が動き、声を出す器官さえあれば、彼女は声を上げたかもしれない。だがもちろんからくりの躯体では声は出ない。それでも彼女はまるで人間のように自分の口を両手で塞いだ。


 表情は喜。しかして勇んだアルテナの足が音を立てた。

 その音に寝ていた女の一人が反応して、一瞬で起きる。さすがに盗賊団の一員として稼いでいるからには、気配や音に敏感だ。もちろんアルテナはそんなことを知る由もなく、不穏な音を立てた自分の足に文句でも言いたいようだった。


「泥棒だよ! 全員起きな!」


 我も我もと寝床から這い出した女たちは、あっという間にアルテナを取り囲んで退路を断つ。


「なんだい、昨日のからくりじゃないか」

「あの若い旅の男、まだ懲りてないの?」


 睡眠を妨害されて不機嫌な女たちは口々文句を言いながら、銘々の獲物を手に取る。


「誰か、男たちを呼んできな。あの若い旅人をどうするか話し合わなきゃならないわ」


 一番歳のいった女が言うと、まだ若い娘がアルテナを取り囲む輪から抜けて走っていった。


「さあて、どうしようかしら、ねえ?」


 女と言えど、盗賊の一味だ。しかも見世物小屋で見せる芸当は並大抵のものではない。小柄なアルテナは魔布を切ることしか対抗手段を有していなかった。


 彼女は3枚を一度に千切った。今度はホタルのように幻想的な明かりが灯る程度の柔い魔布ではない。


  鱗の主赤き瞳の蛇 煉獄の炎 息吹燃やせよ


 文字の羅列が昇華し爆竹のような音がした。煙が立つ前に炎が噴き出す。アルテナは三枚の魔布を周囲の女たちに向かって投げつけた。火が女たちの服に燃え移り、何人かが転げながら水を求めて小屋の外に逃げ出した。


 それ見てアルテナは続いてコートのポケットから、また違った魔布を取り出して千切って空中に投げ捨てる。今度は1枚。


  白き翼の羽撃つ鳥 北風の戒め 轟きの音轟々たる音


 宙を舞った魔布は冷たい突風を四方八方に巻き起こした。風が炎の勢いをさらに強くする。小屋に燃え移った。


 飛んでくるナイフも、投げつけられる石も、アルテナにとっては痛くない。からくりの躯体なのだから当たり前だ。この隙に目的を果たせられればよい。周囲の騒ぎを全く意に介さず未だ椅子に座り続ける少女の手を、アルテナは引っ張った。


「だれか、誰か魔布を止められるやつはいないのかい!」

「男どもは薬を盛られたみたいでほとんど起きないわ!」


 火だるまになるまいと逃げ惑いながら誰かが叫んだ。女たちの騒ぎを聞きつけた男たちが数人だけ駆けつける。しかし周囲の木々に燃え移った炎に阻まれて近づくことは容易でない。誰もアルテナの放った魔布の勢いを止められないと思った。だが、しかし。


「よぉし、僕が止めてあげよう!」


 子供の声がした。少年か、少女かどちらか判別しにくい声。声の主が掘立小屋の入口付近を切り裂いて現れる。軽いが派手な音とともに燃えかけの扉は吹っ飛んで行った。


 小柄な少女に見えた。一方で少年のようにも見える。表情の角度を変えれば蠱惑の美女、ガラス越しならば老賢者に見えたかもしれない。結局、背恰好が子供、それだけが認識として明確なものだった。


 手に持つのは実用には全く適さない大鎌、しかも淡く光っている。動きにくそうな大き過ぎる服をずるずると引きずっている。ハーミーズの知り合いである女と一緒にいたあの子供だった。青みがかった黒髪の三つ編みは今にも地面に届きそうな程長い。


 子供は手に持っていた身長と同じくらいの大きな鎌を戸口に立て掛けて、両手で印を形作る。その手の作る形の意味をアルテナは知っていた。いや、知っているというよりは直感的に理解した。彼女が生まれたころから知っている絶対的な危機感のようなものが叫ぶ。これは水の流れを呼ぶ魔術だ、逃げないと火が消されてしまう。


「悲しき魚の目 緩やかなる瀬 流れ流れよ!」


 子供は法則を持った三行詩を唱え終わると手の平を広げて左右の人差し指と親指をくっつけ、両手で一つ小さな輪の形を作る。するとその輪の向こう側から、物理法則を完全に無視した大量の水が噴き出した。子供はまるで水かけ遊びでもしているように、女たちと彼女らに囲まれているアルテナに向かって水をかける。だがかけられた方は遊びと思う暇もなく、壁のような水に押されて次々と倒れ伏した。


「火は消さないと火事になるんだよ、習わなかった?」


 邪気はない。これを本当の無邪気と呼ぶのだろうなと、膨大な水量にたたらを踏みながらアルテナは考える。自分が装っているよりもずっと自然で天然で、交じりっ気のない笑顔。子供は月夜に笑いながら水の魔術をぶっ放していた。

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