第8話 彼が売ったものの正体は

 横目でにやにやと猫のように笑う少年が酒場から出ていく。観音開きのドアが閉まると、ハーミーズは不機嫌そうに頬づえをついた。


「あいつ……ったく、俺は何にもしてないってのに」


 そう言ってまた杯をあおった。弱くはないがそこまで酒に強くないとは分かっていて、それでも飲む方を選んでしまう。そうそうに切り上げないと、今日は危ないなと思いながらもウェイトレスにもう一杯くれと声をかけた。


「若ぇの、あいつらと知り合いか?」

「昨日ちょっと絡まれたんだ。だから早めに、明日には町を出ようと思ってる」


 彼は景気よくもう一杯ワインを受け取って口を付ける。今まで陽気に騒いでいた男たちは皆口を噤んだ。ハーミーズは何か、嫌な感じがした。それは旅に出るようになってから身に着けた野性的な勘のようなものだった。


「嫌な感じの連中だとは思っていたが、そんなにやばいのか?」


 男たちは顔を見合わせる。


「あいつらぁ、カシム一家って盗賊の一味さ。旅してるんじゃしらねぇと思うけどよ」

「盗みと見世物小屋の両方をやってるらしくてね。盗みの現場は押えさせねぇ、そのくせ町に出て来ちゃあ堂々と見世物小屋で金稼ぎ。やり手だって有名さ」

「どうせあの可愛い歌姫だって、わしも見に行ったが、どこぞで娘っ子攫って来て、脅して歌わせてんだろうよ。可哀相になぁ」


 男たちは皆揃って眉をひそめた。そのうちの一人がはっと顔をあげて、腕組みを解いてハーミーズに顔を近づける。睨むように、だが周囲には聞き取れないようにぼそぼそと話しかけた。


「つまり昨日、歌姫に手ぇ出そうと若ぇ男が騒ぎを起こしたってのは、お前さんのことかい?」


 なるほど、情報が伝わってはいるものの正確とは言い難い。やれやれと思いながらハーミーズは訂正をするしかない。


「その噂ちょっと間違っている。手を出そうとしたのは、俺が売り払ってきたからくり人形の方。からくりを止めようとして、俺は巻き込まれたんだ。でもあいつらは、俺がやったと信じ込んでる」

「だったら悪いこたぁ言わねぇ、なおのこと船でさっさと別のところに逃げちまいな。あいつらは山賊だから海までは追ってこねぇしよ」

「カシム一家は容赦ねぇってんで有名なんだ」

「まいったなこりゃ……」


 今ハーミーズの財布は潤沢ではあったが、先々を考えると船代を払うのを渋りたいのが正直なところ。だが殺されるのは真っ平御免だ。はぁとため息を吐く。とことん厄介事に好まれる体質らしい。


 船にするか否か彼が決めかねていると、またしても彼の知っている顔が大きな音と共に観音開きのドアが押し開けて酒場に入ってきた。それも牛が走ってくるような勢いで駆け込んできて、ハーミーズ目掛けて突進と来た。


「ばあさん、ここは闘牛場じゃないんだよ!」


 太ったウエイトレスが怒りながら言ったが、裏路地出身で肝っ玉の据わった老婆には効き目なし。ウェイトレスに一瞥をくれてフンっとそっぽを向くや否や、哀れな旅の青年の襟首掴んで怒鳴った。


「こンの泥棒がぁ、売りモンの人形どこに隠しおったんじゃあ!」

「ちょっと待て待て、待ってくれよ!」

「待てるか、この青二才! 開店から半世紀この仕事やってるが、お前みたいなやつぁ初めてだよ! 裏の主と呼ばれたワシから金だけふんだくろうたぁいい度胸だ、倍の金額をこの場でお返しよ!」

「ちょっと待ってくれってば! 俺は盗んでない!」


 老婆はふーっと鼻息荒く口を閉じ、一端呼吸を整える。ハーミーズは年の割に力強い手を引き剥がした。だが睨む眼光があまりに鋭く、少々ひるむ。流石は自称、主。


「盗んだりするもんかよ! 俺は旅をしてるから、あんなからくり要らない。だからばあさん、あんたの所に売りに行ったんだ!」

「じゃあどうしてからくりが魔術錠を外して逃げ出すんだい! 説明をおし!」

「どうしてって、あのからくりは最新式って言ったろ? だから魔術の一つや二つ出来ても普通じゃないか!」

「小僧が見え透いた嘘吐いて、このワシをたばかろうってか! たとえ魔術式からくりって言ったって、魔術が出来るような躯体があるわけないじゃないのさ!」


 老婆の口調も然ることながら、言うことにハーミーズは停止した。


「え、魔術使えるからくりって、ないの?」


 首だけを回して先ほどまで話していた男たちの方を見ると、彼らは老婆の勢いに驚きつつ頷いた。ハーミーズは慌てて身振り手振りを交えながら、昨晩の光景を話し始める。


「いや、でもね。俺は見たよ? あいつ、アルテナが魔布を作ったところ、俺は見たよ?」

「まだしらばっくれる気かい!」

「本当だってば! それに俺は魔術が使えない!」


 ハーミーズはとにかく身の潔白のために酒場の主人に灯火の魔布一枚を譲ってもらい、それを老婆の目の前で切って見せた。昨晩アルテナの目の前で使った時と同じように魔布は光らなかった。


「どうだよ、俺は触ると何でも魔法を停止させる体質なんだ。だから俺自身も魔術は使えないし、魔布すら使えないのに、どうやって魔術錠を外してからくりを盗むって言うんだ」


 老婆はまだ不機嫌そうだったが、一応納得したようだった。店中の視線を集めながら、それでも何とも思わずに手短な所にあった椅子の一つに座る。それからハーミーズの持っていたワインを奪い取って一気に飲み干した。牛のような溜息をついて一呼吸、老婆は一通り納得したうえで最初の問題に立ち返る。


「じゃあ聞くが、一体誰がからくりを盗んだんだい?」

「俺が知るかよ。もしかしたら自分で逃げ出したのかもな!」


 自分で言ってから、ハーミーズがはたと止った。

 魔術を使えて自分を人間だと言い張るアルテナならば、魔術錠を外すことも可能だろうし、誰かに指示を乞わずとも逃げ出すことは可能だ。むしろ朝飯前だろう。それに彼女は普通のからくりではない、それは確かだ。ハーミーズが触っても停止しない魔道式からくりなど、彼女以外これまで会ったことがない。


「付け加え、あいつは自分が人間だって言い張っていたっけ?」

「そう言えば言っておったな。声を取られた、見世物小屋に自分の声がいる、とかなんとか言っておったわ」


 逃げだしたアルテナに戻る場所などあるとは思えない。魔術式からくりの登録先さえ答えられない彼女が戻る場所があるとすれば、拾い主のハーミーズのところではないだろうか。そう考えるのが妥当だ。


「でも戻ってきていない。……ってことは?」

「答えを早くお言いよ!」


 ハーミーズの目が泳ぐ。老婆が急かす。男たちはおろおろして、取りあえず次の酒を注文した。


「あいつ、見世物小屋に行ったんじゃないか?」

「カシム一家の、あの見世物小屋へかい?」


 老婆の問いかけに是とも否とも答えず、ハーミーズは手近なところにあった誰かの杯を干した。そして苦笑い。嫌な予感が頭の中でつながっていく。昔から彼の嫌な予感は、嫌になるほどよく当たるのだ。

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