第5話 身だしなみを整える人形

 いつもならばハーミーズは朝日が昇ると同時に起きる。だが今朝に限っては上から落ちてきた硬い物で目が覚めた。見れば、アルテナがベッドから落ちかけていた。


「随分と寝相の悪いお姫さんだこと」


 ぶつぶつと文句を言いながら、朝一番の仕事として彼女をベッドに戻してあげる。抱き上げてベッドに寝かせても、彼女は起きなかった。


「へぇ瞼まで可動式か、すごい細工してあるなぁ……ん? そもそも、からくりって眠るのか? 寝る新機能付きなのか?」


 彼が着替えたり荷物から必要なものを出したりしている間、少女は一向に起きる気配を見せなかった。壊れてしまったのか、それとも昨晩の会話はタチの悪い夢だったのか。試しにアルテナを強引に揺さぶってみた。


「おーい、朝だぞー。起きないとこのまま売り飛ばすぞ」


 最後まで言い終わらないうちに、鉄拳ならぬ木拳が飛んでくる。アルテナは健在だった。大きくあくびの、ポーズを一つする。ベッドの上で体を起こした彼女は、まるで人間のように眠そうな半眼を手の甲でこすった。それから両手を挙げて伸びをする。どこまでも仕草が人間臭い。


 彼女は首を回して、殴られた頬を撫でるハーミーズを見つけると、黒鉛と羊皮紙を催促した。そして膝の上で早速何か書き始める。

 スラスラと書き上げた文章を彼女は見せつけた。


『変な夢を見たよ』

「おいこら、起きたらまずはおはようだろ?」

『お前も言っていないじゃない』

「ああ言えばこう書く、なんなんだこいつは」


 外見だけは可愛らしい災難を背負い込んだ旅の青年は、少女のからくりを布団から引っ張り出した。アルテナはベッドに戻ろうとしたが、小柄なからくりの力では全く歯が立たなかった。


「それから俺は、じゃなくてハーミーズって、れっきとした名前があるんだ。昨日教えただろ?」


 未だに眠そうな顔をしていたアルテナは、また何か書く。


『〝ハーミーズ〟って長いから書くのがめんどくさいの』

「じゃあハームでいいよ……」


 分かったとは書かずに彼女は首肯して答えた。ふうと大仰にため息を吐いたハーミーズは、荷物をまとめて動き出す。


『どこか行くの?』

「どこかって、朝飯食ってから買い出しだ。俺の黒鉛はもう無くなりそうだし、お前も服はボロボロで腕は取れているし。たくさん行く場所あるだろ」


 彼は無い腕を指さした。黒いロングコートを着ても、肩から先に何もないのが分かる。わすれていたのか、彼女は自分の捥がれた腕を慌てて探し始めた。


「大事に持っておけ」


 差し出された腕は球体関節が丸見えだったが、アルテナは大事な宝物のように受け取ってギュッと抱きしめた。その姿をハーミーズはため息交じりに眺める。何とも不思議な光景だ。


「ほいじゃま、行きますか。腕、失くすなよ」


 安い宿には食事は付かない。宿を出た彼は、少し張り詰めた冷たい朝の空気を吸う。


「近くにパン屋がある。朝飯はそこだな」

『どうしてわかるの?』

「匂いがするからさ」


 そういってある方向へ歩き出したハーミーズは、しかしちゃんとパン屋を見つけ出して、焼きたてのパンを二つ買う。それを美味しそうに頬張りながら歩き出した。


 アルテナにはこの『匂い』が分からなかった。匂いも味も、その記憶は漠然とはあるのだが今はどうにも想像するのが難しく、お腹がすいた気もしなかった。しかもこの時、彼女にはそれが変だという自覚すらなかった。


 しかしパンを食べてみたいと思った。温かいパンがひどく美味しそうに見えたのと、食べているハーミーズが羨ましかったから。


『私にもちょうだい』

「からくりがどうやって食べる気だ?」


 簡単な答えの直後、一つ目のパンが彼の口の中に消えた。声は出なかったが、アルテナは口をあーっと言う形に開く。さらにもう一つのパンの方も、彼の口の中へと連れ去られようとしている。


「からくりの口には喉がないだろ?」


 言われて、アルテナは自分の指を口の中に入れてみる。確かに喉はもちろん、唾液すら出ていなかった。しばらく彼女は自分の口の中を探っていたが、納得したのかしていないのか、不満そうに口の中の詮索を止めた。食べられないと分かりながら、だがしばらくアルテナは物欲しそうに眺めていた。


『まずはどこに行くの?』

「そうさなぁ、俺は黒鉛を買わなきゃな」


 アルテナは羊皮紙と腕を持ち、紐を付けてもらった黒鉛の塊を首から下げていた。だが彼女はどうしても自分の手が汚れるのがお気に召さない様子だった。


『ハーム、私はペン欲しい!』

「あのな、インク壺持って歩くつもりか? 黒鉛で我慢してくれよ」

『魔道式の羽ペンならインク壺はいらないのよ?』

「あれって高いだろ……」


 ハーミーズは言ってみたものの、時すでに遅し。可愛らしく首を傾げたアルテナは、文房具屋の店先でペンを指さして立っていた。


『黒鉛は手が汚れるから嫌なの』

「……一番安いのにしてくれ」

『こっちの羽付きね!』


 手に持って突き付けられたのは見事な白い羽ペンだ。ため息を吐きながら、それでも彼は文房具屋の主人に買い求める。結局買ったのはアルテナの魔道式羽ペンとハーミーズの黒鉛、それから紙。最近は一度に大量の文章を印刷することが出来る印刷技術の向上に伴い、紙の値段も下がってはきたが、それでも高い。とんだ出費だ。


 しかも旅人が羽ペンを買い与えた相手が見事なからくりであることに、店の主人は妙な視線を隠そうとしなかった。幼い少女のからくりに感情移入してしまった、目つきの悪い若い男。何を疑っているのかは言われなくとも分かってしまう。


 痛い視線を我慢して、ハーミーズは首から下げられるように羽ペンと紙に細工する。意外にも手先が器用で、紙はメモ帳に、羽ペンには紐を付けて落とさないようにする。


 次は洋服屋だ。アルテナにいくらかを持たせ、店のおばちゃんに引き渡す。


「このからくりにちょうどいい洋服見繕ってくれよ。金は渡した以内でお願いね。あ、出来るだけ可愛いやつ」

「お兄ちゃん、自分の趣味の服でも着させりゃいいのに。どうせ彼女なんかいないんだろ? 都の貴族様の間じゃ、そう言う趣味が流行ってんだってさ」


 洋服屋のおばちゃんは、そう口では言いながら、楽しそうに服を出しては選んでいく。アルテナは次々に、文字通り着せ替え人形状態だ。だが満更でもなさそうで、彼女の方もあれこれと注文を付けていく。


「そのからくりは俺のじゃないんだよ、拾ったんだ」

「ふぅん、そうかい。良い拾いもんしたね」

「そりゃどうだかな……」


 そうこう話している間に、すっかり着替えたアルテナが出て来た。可愛らしいタートルネックのワンピースを着せられて、丁度良く関節も見えなくなっている。さすがは洋服屋のおばちゃんだ。言わずとも、どんな服が必要なのか察して選んでくれる。


「手袋はおまけだよ」


 例え渡した金額ぎりぎりで選んだものであっても、頼んだハーミーズとしては大満足だ。だが選んだ当人であるはずのおばちゃんは、少し不満そうにむーっと唸る。


「しかしどうしたもんかね。この黒いコートだけは脱がないんだわ」


 言われてみれば、あまり少女が着るデザインではない。だが彼女はそれを片手で押えている。これだけは脱ぎたくないらしい。


「まぁいいよ、ありがとね」

「あぁそうだ、お兄ちゃん」

「ん、なんだい」


 これ以上の出費は無理だから、と言いかけて、おばちゃんが右側を指差していることに気が付く。


「靴屋はあっちだからね!」


 言われなくとも今度は靴屋だ。アルテナの足はずっと裸足だったために汚くなっている。借りた雑巾で硬い足の裏を拭き、試しに子供用のブーツを履かせてみる。ぴったりだった。


「ちょうどいい! この子のために作ったようなブーツだ!」


 気難しそうな眼鏡をかけた靴屋の主人は、あまりに似合いすぎると言いながら、次から次へと靴を出してくる。中には、どうやって歩けと言うのだ、というデザインものまで出てくる。履く方のアルテナも、赤い靴がいいだの、花が付いている方がいいだのと、我がままを書く。


 このままでは全部買わされかねないと、ほうほうの体でハーミーズはブーツ代だけを払って店から逃げ出した。


 すっかり町娘のような姿になったアルテナは、スキップでもしそうなくらい上機嫌だった。ハーミーズの周りをぴょこぴょこと飛び跳ねながら歩いてくる。


『今度はどこ?』

「魔術用品の店、魔術式からくりの専門店だな。腕を直してもらわなきゃならん」


 この国では魔術師は役人に近い技術者のようなものだ。魔術の使用自体が資格制であり、国家試験で認定された魔術師だけがそれらの専門職に就くことが出来る。彼らは街の中でも立地のいい場所に専門店街を作っていることが多い。もちろん魔術の発動を妨害してしまうハーミーズにとっては、魔術用品の通りには全くと言っていいほど用事が無い。


「たぶんこっちかな」


 少し落ち着いた町並みに替わって歩く速度を落としつつも、軽快に石畳の道を叩いく。ところが急に角で立ち止まった。そして自分のコートで後ろから着いてくるアルテナを隠す。そして角を曲がらずに顔だけ出して様子を窺った。


『どうしたの?』


 首から下げたメモ帳に書いた文章を、アルテナが彼の顔目がけて突き出す。新しい魔道式羽ペンの使い心地はなかなかのようだ。


「あ、あぁ……。ちょっと知り合いがな」

『知り合い?』

「厄介な知り合いだ。どうしてアイツがこんな田舎の港町まで来る用事があるんだ……。雑務係りの下っ端くらい、たくさんいるだろうが」

『だれ?』


 ハーミーズに習って、ひょっこり顔だけ覗かせたアルテナは店から出てくる二人の人物を見た。一人は背の高い茶髪の女で、眼鏡をかけている。きりりとした雰囲気だ。もう一人はまだ子供だった。アルテナのからくりと同じか少し小柄で、だぼだぼの服を着た10歳くらいの子供に見えた。地面まで着きそうなくらい長く、青みがかった珍しい色の髪を一本の三つ編みにしている。彼らは店の主人と何か話をしていた。


『あの女の人が厄介な知り合い?』

「女なんて可愛いもんじゃない。アイツは化け物の部類だ」


 アルテナは不思議そうな顔をして、もちろんからくりの表情は変わらないが、去りゆく背の高い女を眼で追う。二人は町外れの方に歩いていって、角を曲がって消えた。


 二人の姿が見えなくなると同時に、ハーミーズは止まっていた息を大きく吐き出す。顔のパーツだけでは表現できない「不思議そう」な様子を首を傾げること表現していたアルテナだったが、彼には気が付くほどの余裕はなかった。

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