第4話 止まらない魔法
アルテナと名乗った少女のからくりはベッドの縁に腰かけ直した。脛を蹴られたハーミーズは、無言の悲鳴を上げながら足を両手で抱え込む。脛を木の棒で打たれたのだから痛くないわけがない。明日には痣になるだろう脛を撫でながら、彼は首を傾げた。
「おかしいな。からくりは人に危害を加える行動はしないんじゃないのか?」
彼の言葉を聞いたアルテナにはもはやこれ以上の怒りの表現が無いようで、表情はそのままに羊皮紙を床に叩きつけた。そして右手の平を羊皮紙に押し当てた。無言のまま彼女は床に置かれた羊皮紙を抑えつつ睨めっこだ。
「何しているんだ?」
不思議そうに少女の姿を見ていたハーミーズは首を傾げる。その顔は、だがとても楽しそうだ。ともすれば噴き出して笑うだろう。
しばらく無言のまま、微動だにしなかったアルテナが押し当てていた手を退かして、羊皮紙を拾い上げた。だが白いままの表面を見て、首を傾げた。怒っていた表情が和らいで、今度は困惑している。からくり人形として見るならば、一旦停止してそのまま動かないでいる状態だ。
「どうした、なんか出来たのか?」
茶化しにしか聞こえないハーミーズの声で再起動した彼女は、決まり悪そうに何かを書いて、そして見せた。
『なんでもない!』
「何でもないってことはないだろ」
『本当に何でもないもん!』
乱暴に返事を見せてから今度は、投げ飛ばした黒鉛を拾ってきて羊皮紙に文字を書き始めた。足を抱えたままのハーミーズは面白そうに、その文字列を眺めていた。彼女の手が淀みな動いて綴られていく文字列は、次第に形をあらわにしていく。そこに紡がれていくのは三行詩と呼ばれるものだった。最初こそ面白半分に眺めていたハーミーズも、次第に真剣な目つきに変わってくる。
カナヘビの目玉よ 暖かき日の光 燃やしたまえ
簡単に要約するとこのように書かれている。彼女の手は止まらない。淀みなく文字を書き続け、最後にこの文字列に特殊な装飾を施してから枠で区切って完成。アルテナは書き上げた羊皮紙をハーミーズに押し付けた。
『線に沿って四角く切って』
彼はびっくりしてはいたが、言われた通りすぐさま自分のナイフで四角く切り取った。そうしてから矯めつ眇めつして裏返したり、指でなぞって文字列を確認する。
『それで真ん中を切るのよ。そうすれば魔術が発動して、その魔布は発光するわ。お前だって知ってるでしょ』
少女はどんなもんだと言わんばかりに胸を張った。少しくらい褒めてくれてもいいのよ、と言いたそうに見える。ハーミーズは目を皿のようにして、切り取った四角い魔布をひらひら振った。それはまるで白旗を振っているようだ。
「いやぁ……驚いた。最新式の魔道式からくりは魔術が使える躯体まで開発されていたのか。随分と便利になったもんだなぁ。……ああ、そうか。だから俺が触っても止まらなかったんだな、きっと」
ようやく何かに得心がいったのか、彼は腕を組んで何度も頷いた。納得出来ないのはアルテナ方だ。余った羊皮紙にまた黒鉛を走らせる。
『人の話聞いてんの? 私はからくりじゃないし、早くその魔布使ってみなさいよ。それを書けることが、私が人間で、魔術師であることの証明よ』
そう書いて見せ、一拍の後もう一言書き加える。
『それとも魔布も見たことないの?』
その文章を見たハーミーズはけろっとして、そして何でもないように答える。
「俺は、魔術は使えないんだよ」
『お前は魔布の使い方を知らないのね? 魔布は魔術の術式が込められた物だから、魔術を学んでいない者でも、ちゃんと使用すれば効果が発揮出来るのよ』
呆れたように首を振りながらアルテナは羊皮紙を彼の目の前に突き出した。顔面すれすれに突き出された方は、その羊皮紙ごと彼女の手を退かす。
「それくらい知っているさ。魔術には元となる大きな力の根源があると言われていて、それは例えるならば太陽だ。そこからエネルギーを取り出して使う形式を封じたのが魔布だ」
『そうなの?』
「おいこら、魔術師を自称するならそれくらい分かっていてくれ」
呆れたように頭を振ったのは、今度はハーミーズの方になる。表情は変わらず、だが興味津津と言った様子のアルテナは続きを急かして『それで?』と書いた紙をひらひらと振った。
「太陽の光はいろいろな色の光が混ざって白っぽく見えています。この中から特定の色だけを取り出すにはどうしたらいいでしょう」
まるで小さな子供を相手するように、ハーミーズは一つ一つ言葉を選んで説明しようとする。子供扱いされることが気に食わないのか、顎を引いてからくりは腕を組んだ。それで大人っぽく見せようとの魂胆のようだが、然程の効果もない。しばらくの後、彼は口を開いた。
「色紙で透かせばいいんだよ」
『答え言わないでよ!』
「分からないなら、正直に分からないと言うが良いぞ小娘め」
意地悪そうに笑いながら言うとアルテナは腕を組んだままぷいとそっぽを向いてしまう。相当勝気な性格らしい。
「あー、まぁいいや続けるぞ。つまり魔術も太陽の光と同じこと。様々な種類のエネルギーの元素が混じり合った力の中から、セロハン代りに特定の属性を持った生き物の名を使役して特定の元素を取り出す。例外はあるが、水は魚、風は鳥、金は四足の獣、火は爬虫類、土は虫などだな。あるいは元素にまつわる色、時間、季節、大きな魔術には地名や神々の名を借りることもある。世界の構成要素である言の葉と星と数に、これらの要素を加え、そして詩でパッケージ化、つまり術式化したものが魔術。この術式を紙や布に書いて封じたものが魔布」
『はいはい、よく知ってるわね!』
一気に話して一息吐くハーミーズの前で、悔しそうに顔をあっかんべをしながらアルテナはまた紙に書いた言葉をぽんと投げてよこす。それから気の抜けた拍手をしてみせた。適当に手を叩き終わると、だが彼女は首を傾げる。
『でもそんなに知ってて、どうして魔術が使えないの?』
「人にはそれぞれ得手不得手ってやつがあるのさ」
『得手不得手も関係なく使えるのが魔布だよ?』
「ええい、詮索するなコノヤロウ!」
少し口調を強め、捨て鉢に言うと、再度隣の部屋から抗議するように薄い壁が叩かれた。3度目は怒鳴り込まれるかもしれない。
こほんと一つ咳払いをして、ハーミーズは居住まいを正した。
「もちろん魔布くらいは知っている。魔術がずぶの素人でも、明かりを灯せたり、冷気を出せたり、風を起こせたり、小さな魔法を使役することができるんだろ。それでも、俺には使えないよ」
でも、とアルテナが何かを書き始めるまでに、再度彼は口を開く。
「なんでかな、効果が出ないんだ」
彼は答えた。そう言ってから彼女の目の前で羊皮紙の真ん中をナイフで切って見せた。だが羊皮紙は羊皮紙のまま。発光も何もしない。
目が点になるのは、今度はアルテナの方だった。もちろん、からくり人形の表情がそれほど精密でないために一時的に動きが止まっただけにしか見えないのだけれども。
「な? 俺はどういうわけか触れるだけで全ての魔術を停止させられる。それが何であれ、全てだ。そういう体質なんだよ。どうせ才能が無いんだ」
発光しなかった魔布と切れ端をアルテナの目の前に置いてやる。彼女がそれを手に取ると、途端に光り出した。
「とは言え、俺だって魔布が偽物かどうかの見分けくらいはつく。だからアルテナ、君が魔術を使えることは分かった。でもアルテナ、仮に君が魔術師だったとして、どうしてからくりの体なんだ? それは、おかしいだろう?」
戸惑いの表情は、喜怒哀楽では上手く表現できないらしい。彼女の表情はさほど変わらず、広げた手を見ただけだった。さらにハーミーズは彼女の額に一本指を触れる。
「しかし、もう一度言うが、俺は魔術の全てを触れるだけで停止させることが出来る。だからこうやって指一本でも俺が触れれば、内部に書き込まれた術式によって制御されている魔道式からくり人形は動きが止まるはずなんだ。ところが君は動いている。これは君が最新式のからくりだからじゃないのか?」
彼は少し意地悪そうな、でも少し困った様子で指を引っ込める。一向に止まる気配のないアルテナは、怒と哀の中間のような表情を作った。涙腺の機能でもあれば、涙が出てしまっているかもしれない。ハーミーズは相手がからくりでよかったと思いながら、相手からの返答ならぬ返信を待った。だが返ってきたのは相変わらずの主張。
『私は人形じゃないもん! アルテナは人間だもん!』
書き付けた羊皮紙と黒鉛をハーミーズに投げつけて、彼女はベッドに潜り込んだ。絶対に動かないぞ、とか細い背中が主張している。だがその肩は小刻みに震えていて、幼い子供が雷に怯えているようにも見える。
「あーあ。結局何も分からないままかよ……、ったくしょうがねぇな」
ぼやいた彼は宿に泊まっているにもかかわらず、ゴワゴワになった毛布に包まって床に寝転んだ。
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