第3話 魔術師の物理的な攻撃
少女のからくりに出来る意思疎通の手段は、やはり筆記しかなかった。彼女は何か事ある度に地面に力強く文字を書きつけた。その度に黒鉛の本来の所有者である旅人の青年が悲鳴を上げるのだ。今や、それも徐々に諦めのため息に変わりつつある。恐らく途中で黒鉛が半分に欠けたからだろう。
彼は慣れた風に安い酒場で夕食を済ませ、安宿を見繕って一室を取り、すぐさま部屋に入って荷物を下ろした。もちろん一人用の部屋だ。ベッドは一つしかない。ほとんど何もない部屋だ。それを見たからくりは黒鉛を握り締めて立ち尽くした。
「どうした? その辺に座っていいぞ?」
旅人の言葉に、少女のからくりが右往左往し始める。何か書きつけるところを探しているのだ。だが、見つからない。見つからないならば当然のことながら、彼女は床に黒鉛の先を当てた。その黒い切っ先が触れる寸でのところで、慌てた青年はからくりの腕をつかむ。
「おい、こらちょっと待て」
さすがに宿屋の床に殴り書きをしたのでは、追加料金を請求されかねない。彼はからくりに静止を求めつつ自分の荷物の中を漁る。取り出したのはぼろきれの様な羊皮紙だ。見世物小屋から投げ捨てられた品の一つで、砂埃を叩いてから彼女に渡す。
「床に書いちゃ駄目だろ? ほらコレやるから」
そう言われてボロボロの羊皮紙を受け取ったからくりは、その汚さに形のいい眉をひそめる。彼女の手のひらの方がよほど汚れているのに気が付いたのは、受け取った羊皮紙に手形が付いてからだ。黒鉛で真っ黒になった手を見て、それから彼女はさらにむっとした顔になって一つ文章を殴り書いた。
『お前が書きつける物を提供するのが遅いからでしょ』
羊皮紙の一番上にそう書いて、旅人の青年の鼻の先すれすれに示して見せる。
「そうは言ってもお前な、せめてこう、『書くものは?』みたいな仕草ぐらいしてくれよ」
彼はもはや怒る気も湧いてこないのか、力無く肩を落とすばかり。からくりは特に反省する様子もなく、がっくりとする彼の横を通り過ぎてベッドの縁に腰かけた。
その姿はとても可愛らしいものだ。金色の肩までの髪に、空色の瞳、まるで本当に生きているようなからくり人形。表情もからくり人形にしては非常によく動く。顔の部品がそれぞれ別々に動いて、喜怒哀楽が読み取れる。
どうやら顔面の下に何本もの糸を配して表情を作っているらしい。これは相当練達した職人技でなければ作れないだろう。もちろん皮膚代りの布を張っただけでは球体関節が浮いて見えてしまっているが、それでも文句なしに見事な造りだった。
荷物を整理しながら、彼はそれとなくからくりを観察していた。大かた荷物の土埃を払ってサックに入れ直すと手を止め、手持無沙汰にしていた少女のからくりと向き合った。彼女の方は何をかをしてくれるのかと、表情が喜に変わった。
「それで、君はどこの誰の所有する魔術式からくりさんですか?」
青年は苦笑いと共に警官のまねごとを始める。椅子を引っ張ってきて、足を組んで座った。だが尋ねられた当のからくりの方は、つんとすねた風に顔を背けてしまう。途端に表情が無くなってしまった。
「あれ? 魔術式からくりって確かこうやって聞くと、登録者を答えるように設定されているはずだよな。おい、所有者は誰だ? おーい、聞いてるかー? 登録されている所有者は誰なんだー!」
大仰に首を傾げて質問を繰り返すが一向に応えようとしない。それどころか繰り返される同じ質問にイライラしてきたのか、きゅっと口を結び眉尻が飛び上がる。その変化を見て取った青年は、ヤバっと小声でつぶやいてようやく質問するのを止めた。不機嫌そうな少女のからくりは、羊皮紙の端に何か書きつけて彼の鼻先に突きつけて見せた。
『その前にそっちが名乗りなさいよ』
「こりゃあ、とんだお姫さんだね、このからくりは。俺の名前はハーミーズ・ロー・・ロウ。お前にひどい目にあわされたただの可哀そうな旅人だよ。で、お姫さんはどこのどちらさんの持ち物で?」
芝居がかった挨拶をしたハーミーズを、彼女は睨み付ける。それから大仰にため息を吐く仕草をして見せ、また何か紙に書きつけた。その少し上向きに、顔の角度まで計算し尽くした様な動きは、どこかの令嬢か、それこそ大事に育てられた姫君のようだ。背は小さいのに半眼で上から下すようにして書付けを振りかざす。
『だから、私はからくりじゃないんだってば! このポンコツ野郎。私はアルテナ。これでもれっきとした魔術師なんだから!』
「なんですと?」
書かれた文をハーミーズは穴が開くほど見つめた。
見つめて、見つめて、見つめて、それから笑い出した。
大笑いだ。隣の部屋の泊り客が薄い壁を叩いて講義するまで彼は笑い続けた。そして息も絶え絶えに、笑いを堪えながらからくりの肩に手を置いた。
「おいおい、こらこら、ちょっと待て。嘘は吐いちゃいかんよって、からくりに嘘なんか吐くような芸当は出来ないっけ。ということは、持ち主がそう術式を書き込んだんだな。ふふふ、そんな凝った術式を書かせるなんて、このからくりの持ち主は随分と金持ちに違いあるまい」
ハーミーズは面白そうな、本当に面白いものを見つけたように笑いながら、目の前で不機嫌そうにしている人形アルテナの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「あるいは奇特な人物ってことだ」
その一言にアルテナの額がピキっとゆがむ。羊皮紙の残りの面全てを使ってでかでかと文字を書いて黒煙をポイと投げ捨てた。
『嘘なんて吐かないもん! 私はアルテナ、魔術師アルテナ!』
不機嫌を通り越した彼女は、名乗った紙を振りながら前に足を振り上げた。その足は木製。木の棒がハーミーズの脛に会心の一撃を与える。魔術師はどうやら物理的な攻撃の方もできるらしい。
声にならない叫び声をあげながらもがくハーミーズを見下ろして、アルテナはようやく溜飲が下がったのか、腕を組んで「ふんっ」と笑って見せた。
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