第2話 からくり人形は不機嫌

 バキともメキともつかない音を立てて、子供の腕がもげた。途端に客席のざわめきの一部が悲鳴に変わる。自分でもいだ子供の腕を持っている主人ですら唖然にとられて、だらりと力なく垂れ下がるそれを見ていた。それが何なのか、呆気にとられて理解が出来ていない。


 子供は腕をもがれた反動で、木製の舞台に後頭部を打ち付けるように倒れた。この時も生身の人間の倒れる音はせず、木材と重たい何かが当たる鈍重な音がした。


 誰もがこの時、子供の腕から噴水のように飛び散る鮮血を思い描いていたのだが、一拍、二拍するうちにおかしいと気が付いた見世物小屋の団員が指をさして怒鳴る。血なんか一滴も出てなどいない。


「団長! そいつは本物の腕じゃねぇ!」


 騒ぎを聞きつけて舞台の奥から出てきた何人かの男女のうち、真っ白な腕を指を差した。それから片腕を失いながらも起き上がり、まだ少女に手を伸ばそうとする子供を抑えつけようと、何人もが寄ってたかって手を伸ばす。


 客たちは幾人かはもげた腕が偽物であることに気が付いていたが、それよりも厄介事から逃げようと出口へと殺到する方が圧倒的に多い。出口に向かう人の流れに逆行してやっと子供に追い付いた旅の青年は、舞台の上にうつ伏せに抑えつけられた子供を見つけた。無言のまま子供は暴れていたが、大の大人に抑えつけられてしまっては手も足も出ない。子供が腕を掴んでいた少女はすでに他の女に連れられて、舞台の奥に下がってしまっていた。暴れるたびにごんごんと硬い音が響き渡る。どう考えても生身の体と木製の舞台が当たってたてる音ではなかった。


 あ、と声をあげようとして、彼は気が付く。

 周囲には彼以外に客がいない。とりまくのは剣呑な雰囲気をまとった団員達だけ。それも和やかな見世物小屋の雰囲気ではなく、どこかの路地裏の空気によく似ている。


「おい、あんちゃん、コイツはあんたのだな?」


 見世物小屋の主人の断定的な問いに、彼は首を横に振った。事実、彼は一人旅だった。荷物も一人分しかない。


「嘘吐くんじゃねぇ! どうやったら魔道式からくり人形が独りで、うちの歌姫に手ぇ出せんだ、あぁ?」


 見世物小屋の主人はもぎ取った腕を乱暴に振って見せた。非常に精巧に作られた腕は、しかし関節部分が妙にねじくれて、黒い球体に書かれた複雑な術式が見えてしまっていた。辛うじて魔道専門店に行けばまだ直せるかもしれない。その程度にまで壊されてしまっている。


「俺は、魔術は使えない」

「だったら仲間でもいるのか?」

「いや、一人旅だ」


 彼は首を横に振って見せたが、返ってきたのは明らかに信じていない態度だけ。気付けば見世物小屋全ての人間が、彼の周囲を取り囲んでいた。嫌な感じを察した彼は、腰に指してあった護身用のナイフに手を伸ばそうとする。


 しかしそれより早く薄い刃が喉元に、やや下から突きつけられた。見世物の中盤、ナイフ投げをしていた少年だった。


「お兄さんさ、こんなことして無事に帰してもらえると思ってる?」


 脅し方を知っている風に口を利く様は年相応に見えない。少年は旅の男の喉元にひたひたとナイフを何回か宛がった。


「荷物を開けろ」


 見世物小屋の主人が若い者に言って、旅の男の足元に投げ出されていた荷物の中身を探らせた。中から出てきたものはゴワゴワになった毛布や小さな鍋、干し肉の余りにランプ、少しの着替えなどと普通の旅人一人分の荷物だった。


 だがサックの底から出てきた水の入った小瓶だけが、主人に渡された。舞台の照明に瓶を透かして、主人は目を細める。水の底にキラキラと光るものが随分とたくさん入っていた。主人はニンマリと笑って無節操な顎鬚を満足そうに撫でた。


「ほおぉ。あんちゃんイイもん持ってるな。こりゃあ砂金だ」


 彼は苦々しい顔をしていたが、唇を噛みしめたまま何も言わなかった。


「よぉし。今日のところはこれで許してやろうか。今後こぉいう馬鹿な真似はやめるんだな、おんだしとけ!」


 団長と呼ばれた男は顎をしゃくって若い者たちに後を任せ、奥に消えた。


 旅の青年は両脇から腕を持たれ、半ば引きずられるように出入り口の方へ連行された。出入り口間際で何発か殴られ、麻布を張っただけの出入り口から反動をつけてぽいと外に投げ捨てられた。彼が無様に尻もちを着いたところを、見世物小屋の周囲で何事か始まるのを待っていたヤジ馬たちが指さして笑う。


 その後、立て続けに彼の荷物、無論丁寧に全ての荷物はサックから出された状態で、投げ捨てられていく。彼は諦め顔で、景気よくばら撒かれていく自分の荷物を見ているしかなかった。


 あのフードを被ったままの子供のからくりは最後に投げ捨てられた。青年がからくりの腕、無論もがれていない方の腕を取ろうとした瞬間、彼の顔目がけてもがれた方の腕が飛んで来た。彼はもう一度尻もちをつく羽目になった。


「だー! もう、今日はとことん厄日だなぁオイ」


 殴られた頬を撫でてみる。鉄臭さで口の中が切れていることに気付いて、ぺっと血を吐き出した。悪態吐きながら、彼はばら撒かれた自分の荷物だけを拾いサックに詰めて元の状態にまとめた。ヤジを飛ばす者もいなくなって見世物小屋の前は静かな夕暮れ時を迎えていた。


 最後に荷物を確認すると、一つ足りない物があった。黒鉛だ。ペンはインク壺が必要、旅にそんなものは持って行けないので黒鉛を用いる。辺りを見回すとすぐに見つかる。黒鉛はうつ伏せに放り出された時と同じ体勢の、からくりの手に握られていた。


「おい返せよ。見知らぬ旅人を勝手に巻き込んで至極素敵な目に合わせてくれたってのに、これ以上人畜無害で善良なこの俺から物を取るつもりか?」


 握られた手から黒鉛を抜き取ろうとしたが、頑として抜けない。それどころか、からくりの手はまるで人間のように力が入ってわなわなと震えている。青年は、黒いロングコートの袖口から伸びる震えるからくりの手を興味深げに見ていた。


 このからくりに使われている軸は恐ろしく軽くしなやかな木材だ。そうでなければ見世物小屋の中で見せたような捻りを利かせたジャンプは出来ない。そして木材の上に張られている布は、北国で動物の毛から織られる厚布と南国の伸縮素材とをからくりの皮膚用に改良した最新かつ高級品。指の関節全てが多方向に可動する球体関節で、からくり作りの中でも最も技術のいる細工が施されている。しかも先ほど覗きこんだときに見えたからくりの顔は、おそらくだがオーダーメイド。どこをとって見ても、量産品とは比べ物にならないほど贅を尽くした一級品だ。


 観察をしていると、からくりの持った黒鉛が乾いた地面に文字を、半ば彫るように書き始めた。


『どうして邪魔したのよ』

「いやー、頼むから地面に書くのだけはやめてくれ、黒鉛が欠けちまう」

『答えなさいよ』


 作り物の手から黒鉛を取り上げることを諦めた青年は、からくりの体ごと持ち上げた。からくりはすとんと立たされて彼の方を見上げる。青年の身長の三分の二程度しかないとは言え、驚くほど軽く出来ていた。


「お前、普通のからくりじゃないだろ?」


 苦笑気味に男は、からくりを見下ろした。フードを被ったままのからくりは表情こそ分からないが、首を傾げる。そしてもう一度屈んで、地面に文字を書いた。


『私はからくりじゃないもん』

「だから地面に書くと黒鉛が駄目になるって……あぁ、もうやめてくれよぉ。せっかく貯めた資金源とられて小銭しかないのに」


 青年は愚痴りながら、だが無駄と分かって自分の荷物を背負った。そして乾いた地面で砂埃に塗れかけた、からくりのもがれた片腕も拾った。その腕を、まだ見世物小屋を恨めしそうに見ているからくりに押しつけて、軽い躯体を引きずって行く。すると抗議するように子供のからくりは引きずられながら暴れた。その様子に彼は不思議そうに首を傾げる。


「あれ? お前動けるのか……こりゃあ、すごい」


 手を放して振り向き、それから少し考え込むようにからくりと向き合う。少し前かがんでからくりと目線を合わせ、諭すように両肩を掴んだ。


「お前の顔、確かにキレイっちゃキレイだよな」


 周囲にいたヤジ馬はとうの昔に去り、辺りは暗くなって閑散としている。それでも彼は注意深く周囲をみまわして誰もいないことを確認してから、からくりが被っているフードをはずした。


 そこに在ったのは、とても精巧に作られているが一目で作り物であると分かる、整った少女の顔。先ほど見せた動きからは戦闘用の無骨で無機質なものを想像しがちだが、これは明らかに違う、芸術品の部類だ。


 金色の髪をした少女のからくりが、美しい表情を不機嫌にゆがませて睨み付けていた。

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