無音の歌姫

鳴海てんこ

第1話 もげる腕の惨事

 少女の表情に色はない。それでも歌うのは仕事だからなのか、それとも他に理由があるのか。理由を知る者は少女以外この場にはいない。どんなに感極まった節を歌っていようとも、彼女の表情は寸分も動かない。そのことをどれだけの人が気付いているのだろうか。


  生れる前より刻んでる

  鼓動に揺れる三角形

  愛が魚を知るならば

  海まで泳いで行けるはず

  青い言葉を与えよう


 玲瓏たる声の持ち主、それは肩まで程の金の髪を持ち、色の無い顔には空色の瞳だけが空虚に輝く、年の頃は10くらいの娘だった。何重にも並ぶ長椅子に囲まれた円形の舞台の中心で彼女は歌っていた。彼女の立つ見世物小屋は大盛況らしく、長椅子に空きはない。


  幼き頃より歩いている

  辿り着けない四角形

  ひな鳥のように羽習わし

  空の高みへ飛んでいけ

  白い幸を与えよう


 見世物小屋の右端の後ろから3番目、長椅子の右端に若い男が座っていた。黒い髪は漆黒の闇夜を纏い、瞳は深海の恐怖を思わせる。彼は先ほどから腕組みをして、見世物小屋一番の目玉と評判な小さな歌姫の奏でる声を聞いていた。足元に置かれた大荷物は彼が旅人であることを物語っている。


  若き時期より待っている

  流れ出でるは五角形

  勇猛な四肢持つ獣なら

  地平線の果てまで走るのに

  金色の栄誉を与えよう


 旅をする者は洞察力が鋭くなければ生きてはいかれない。だからなのか、あるいは他の人は何か理由があって目をそむけているのか、彼の目には少女の不可解な表情が見えていた。緩急ある美しい声ではあるものの、なぜか彼女は表情の無い。まるで人形のよう。そこに歌詞があるからというように、無感動な声を奏で続けていた。


  老いた時より降り注ぐ

  冷たき刃の六角形

  蛇がその手を掴むなら

  地の底まで行けるはず

  赤い光を与えよう


 青年は自分の隣に座る人が動く気配を感じた。目深にフードを被っていたが背格好から子供だと分かる。彼はその子供が外に出るのかと思い、荷物を退かそうと手をかけた。


  死して土より朽ち果てる

  夢馳せしもの八角形

  虫が棺を守るなら

  たゆとう今は明日へと繋がる

  黒いしるしを与えよう


 しかしあろうことか、子供は長椅子の上に立って舞台の方を見ている。子供とはいえ、長椅子の上に土足は怒られるだろう。止めさせようとして男は子供の足もとを見た。しかし子供は裸足で、しかも生身の足ではなかった。


 驚いた彼は、しかし座らせようとして子供の肩に手をかける。その瞬間、フードで顔が隠れて見えなかった子供と目が合った。びっくりして一瞬固まった彼は子供に何か言おうとして、二の句が継げないでいた。彼はなんと声をかけていいのか分からず、そのまま自分の手と手をかけた子供の顔を順に見比べる。


 青年と子供が舞台から目を離している間に、歌っていた少女がやはり無表情のままぎこちないお辞儀をした。同時に見世物小屋の片隅でのやり取りなど無視した爆音の拍手が鳴り響く。少女は拍手をしている理由が理解していないのか、ぼーっと立ち尽くしたまま観衆を眺めていた。そんな少女を退場させようと、見世物小屋の主人と思しき恰幅のいい男が舞台の袖から出て来る。


 主人の登場に気付いたフードの子供は、自分の肩を掴んでいた青年の手を振り払って宙に舞った。ギュインと音が鳴りそうなぐらい空中で体を半分捻りながら、同時に子供はフードを深く被り直す。裾からはみ出した足はか細く、そして汚らしい。だがそんなことはどうでもよくなるぐらい、子供の動きは奇怪だった。


 そう、あり得ないぐらい捻った体勢を空中で維持しつつフードを被りなおしている。見世物小屋の曲芸師顔負け、いやそれ以上の動き。どう考えてもただの子供などではない。


 この様子、飛び上がる前から全身を使って衝撃を和らげつつ狭い通路舞い降りるまで、動作の全てを見ていたのは旅の青年以外にはいない。だから彼には子供が異様であることは分かっていたが、周囲の人々は何事は未だに理解していなかった。ただ、小さな躯体が風のように駆けていく様を見て頭の中にようやくハテナを浮かべている。狭い通路に両手両足を使って着地した子供は間髪入れずに地面を蹴り、作り物の両足で舞台に向かって走り出した。


「お前、何するつもりだ! やめておけ!」


 拍手の合間を縫うように青年は子供の後を追おうとする。周囲の客がようやく舞台に駆け寄る2人の存在に気付き始め、拍手の手を止めて訝しそうに首を傾げる。


 舞台上では見世物小屋の主人に手を引かれた少女が奥に下がろうとしていた。助走をつけた子供は跳び箱の要領で舞台に飛び乗り、連れ去られようとする少女の手を掴んだ。少女の体は引っ張られて、大きく仰け反る。ガクンと首が前後に揺れた。


 だが、声の一つでもあげるくらい強く引かれたというのに少女は顔色変えず、まるで人形のようにされるがまま。顔色一つ変えない。むしろ声を上げたのは見世物小屋の主人の方だ。


「何をする気だ! やめんか、このクソガキ!」


 すでに小雨気味になっていた拍手を圧倒するくらい大きなの罵声が見世物小屋の主人から発される。少女の手を引く子供に向かって怒鳴り声だったが、怒鳴られた側の子供は動じるない。むしろ周囲にいる他の客の方がビクッと体を震わせる。


 いい具合に脂の乗った腹を揺らしながら、強面の主人は子供の腕を強引に引き離そうと引っ張った。腕を掴まれた子供は躊躇することなく己が身をよじり、自分の手の何倍も大きな主人の手を振り払おうとする。抜けないワインのコルクを無理やり抜こうとしてねじ切りそうな、それぐらいの勢いで子供は自分の体を捻った。


 子供の肩が脱臼してしまうだろうにと、見ている誰もが思ったが、主人も子供も力を抜かなかった。どちらが先に力を緩めるだろうかと周りは息を飲む。チキンレースの果て、衆目の予想とは裏腹に、樹木の太枝を折るような音と布の裂かれる音がし始める。


 そして子供の腕が、もげて吹っ飛んだ。

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