番外編7-2 時代は変わりゆく

 あかつき家の食堂には客人がいる。僕は客人と金牙きんがの前に料理をテーブルに並べた後、食堂の入口に待機していた。使用人が来るまでは、僕がその役目を務めているから。


 突如ガシャンと音を立てて皿やグラスが割れる。音のした方向を見ると客人が激怒していた。理由はきっとだ。あぁ、この人も、か。


 客人に出した料理が美味しくなかったわけじゃない。客人は料理に手をつけなかったから。客人は僕の顔を見た途端、料理を全てテーブルから払い落としたんだ。


黄色人種イエローがいるだなんて聞いてないぞ!」


 ほら、客人が僕のことを指差してそう叫ぶ。正確には僕は黄色人種じゃなくて黄色人種と白人の混血なんだけど……言うだけ無駄だろう。


 客人は商人だった。武器、特に槍や剣などの刃物を取り扱う、ラクイアでそれなりに名の知れた商人。暁家に自分の取り扱う武器を使ってほしい、と商談を持ちかけてきたのは客人からだった。


「金牙さん。俺はな、有色人種カラードが大嫌いなんだよ。いくらいくさ奴隷どれいとはいえ、奴らのいる屋敷に武器を売るなんて御免ごめんだね。この話は無かったことにしてもらおうか」

「……わかりました。本日はわざわざこのような山奥の屋敷まで来ていただきありがとうございました。役に立てなくてすみません」


 金牙は客人に頭を下げる。だが客人は金牙の方など見向きもせずに僕のところへと向かってくる。


 暁家の食堂には出入口は一つだけ。客人が帰るためにエントランスに向かうなら、食堂の出入口で待機している僕に近付いてくるのは当然のことと言えた。


「いつかてめぇをぶっ殺してやる。覚悟しとけ」


 客人は金牙に聞こえないような声で僕にそう告げると、鳩尾みぞおちを殴ってから食堂を出て行った。金牙は慌てて客人を追って食堂から出る。


 あの客人は最初は金牙に敬語を使ってた。でも、黄色人種である僕が暁家にいるとわかると敬語は消えた。あの人も人種差別で商談を決めるタイプだった、それだけだ。


 今日は鳩尾を殴られただけだからまだマシな方かな。酷い時は両手足を縛られた上にさるぐつわを噛まされ、拷問まがいのことをされるから。それすらももう慣れた。イグニス様の行為に比べたらマシだ。


「銀牙、大丈夫か?」


 客人が帰ったからだろう。金牙が僕のところに駆け寄ろうとする。でも僕はそんな金牙を無視して自室へ向かう。金牙にはわからないんだ、僕の気持ちなんて。


 僕がいなければよかったのに。僕が暁家に生まれなければよかったのに。僕はどうして、金牙の従兄弟に生まれてしまったんだろう。





 僕の自室は二階にある。部屋に入るとベッドに横になり、枕の下に手を伸ばした。枕の下から取り出したのは三枚の写真だ。


 自室にはベッド、机、クローゼット、暖炉が備わっている。この部屋にある私物と言えば壁に立てかけてある槍と枕の下にある写真くらいだ。


 一枚目の写真は僕と金牙が五歳の時に撮ったもの。肩を組んで仲良く笑っている写真だ。前の当主である風牙ふうがさんが撮ってくれた。


 二枚目の写真は僕と両親の写真。父親は金髪に濃い青色の目をした白人、母親は銀髪に緑色の目をした黄色人種。ただそれだけなのに、それが悲しくて悔しい。


 三枚目の写真は金牙と僕がつい最近撮ったもの。暁家当主になった金牙と金牙に仕える僕の表情は五歳の頃よりも暗い。いや、五歳の時は無知だから笑えた。それだけだ。


「銀牙、すまないな」


 自室の扉の外から聞こえるのは金牙の声。僕を追って来たんだろうな。金牙は戦闘貴族に不向きな、優しい人だから。


 もういいんだよ、金牙。頼むから僕を死なせてくれ。いっそ殺してくれ。それを認めないと言うならせめて、暁家から去るのを許してくれ。


 僕という存在が金牙の足枷になる。僕がいなくなれば全て解決するんだ。僕がいるから商談も決まらないんだ。それくらいはもう理解出来たよね、金牙?


「金牙様、もう十分お分かりいただけましたか?」


 僕は本当に言いたいことを金牙に言わない。以前、本当に言いたいことを言ったら怒られてしまったからだ。


「何が、だ? 僕は諦めていないぞ。必ずここ、ラクイアを銀牙が普通に出歩ける都市にして見せる。だから待っててくれ、銀牙」


 金牙はいつもそう言う。自殺しようとすれば自分が傷付いてでも僕を止めた。暁家を去ろうとすれば無理矢理引き止めた。絶対に死なせてくれないんだ。


 いい加減わかってくれよ。ハベルトでは、この世界では、有色人種は差別されるんだ。それは今始まったことじゃないよね、金牙?


「無理です。無駄です。ラクイアの住民と言えど、そんなにすぐに人は変われません。それが現実です。金牙様が言ってるのは理想。理想と現実は違います」


 そう、理想と現実は違う。金牙が言ってるのはあくまでも理想。確実性のない、いつ実現するかもわからない夢だ。


 現実はこうだ。僕を見れば住民は攻撃する。僕が金牙の親戚だと言ったところで「暁家に黄色人種はいない」と否定される。


 白人の一族に黄色人種が生まれるなんて誰も思わないよ。そもそも白人の貴族が黄色人種の奴隷と結婚することが有り得ない。なんで父さん達は無謀なことをしたんだろう。





 僕の言葉に金牙は何も言えないようだ。僕だって金牙の夢を壊すようなことは言いたくないよ。でも金牙にはもう少し現実を見てほしい。


「金牙様、これからは私が従兄弟だということは内密にお願いします」


 僕は少し間を空けてから言葉を続ける。身内に有色人種がいるということはハベルトにおいて非常に都合が悪い。それは、有色人種が差別対象だから。


 住民はラクイアの治安維持を担当する金牙に反発するようになるだろう。貴族と取引することは出来ないし、下手したらまた戦闘貴族の地位を失う。


「どうして――」

「理由くらいはご存知でしょう? 私が身内であると知れればいつか、戦闘貴族の地位さえも失います。それだけは金牙様も避けたいですよね?」


 なかなか現実を理解しようとしない金牙に、ついつい声を荒げてしまう。ハベルトで育った僕と金牙は嫌ってほど人種差別と身分差別を知ってるはずだよね?


 暁家のみんなは差別が嫌いだから僕に優しくしてくれた。でも他の白人は俺を嫌った。昔の事件がそれを物語ってる。僕は、暁家の邪魔者なんだよ。


「……僕は誰が何と言おうと銀牙を守る。それだけは覚えておけ。お前は死なせない、この命を捨ててでも」


 金牙が部屋から離れる足音がする。金牙、それだから駄目なんだ。ハベルトで生き残るなら足手まといの僕を切り捨てなきゃ。


 ラクイアだけじゃない。ハベルトには有色人種を好む物好きなんて限られてる。それは変えようもない事実なんだ。


 皇帝様と親王のダン様、フィール様、金牙とリアン。俺はこの五人しか信用していない。海亞かいあ様は有色人種を雇われるけど、差別しないと言いきれないから、物好きとは言えないか。


「金牙、僕らの関係はもう昔とは違う。僕は金牙の足枷になりたくないんだよ」


 僕と金牙が五歳の時に撮った写真を見て思わずそう呟いてしまう。きっと永遠に変わらない関係なんてない。少なくとも僕は望んではいけないんだ。


 あ、食堂を片付けに行かないと。その後は夕食の支度をして、屋敷の周りに敵がいないかの確認しないといけない。


 僕は壁に立てかけてある槍を背負って部屋から出ると食堂へと駆け足で向かう。一歩進む度に、先程客人に殴られた鳩尾が痛んだ。





 信じてなかった、この世界が変えられるなんて。人種差別が減る日が来るなんて。そしてそれが生きている間に起きるなんて。金牙がいたから、ここまでになったんだと思う。


 皇太子派との戦いがあった。神威かむいが戦闘貴族当主になり、暁家はアルが戦闘部門のトップとして戦闘貴族に。そして今やそれが世間に受け入れられている。


「父ちゃん、ドーナツ買いに行こうぜ! 星牙せいがとアルケインとソニック兄ちゃんとアイリス姉ちゃんの分も買うんだ!」


 お小遣いの入った財布を握りしめて僕を見る息子、狼牙ろうが。僕みたいな有色人種の子供が好きなように外に出て物を買える、そんな世の中になった。狼牙の姿に昔の僕の姿が重なる。


 山を下ってラクイアの町に顔を出す。ラクイアにはたくさんのお店が並ぶ通りがある。そのお店の一つでドーナツを買うらしい。かつて通ったことのあるうちに胸の奥が痛くなってくる。


 父さんや風牙ふうがさんが一緒の時にいつも買っていた、お気に入りのお店。かつて僕がドーナツを買えなかった、あのお店が狼牙のお気に入りのお店らしい。金牙が紹介したそうだ。あのおばちゃんは今でも店主なのかな。


「おばさん。チョコドーナツを三つとプレーンドーナツ二つちょーだい!」

「あら、狼牙君、また来たの。いつも買ってくれるからイチゴドーナツを二つおまけするわね。横にいるのは……」


 狼牙はすっかり常連になっているらしい。でも……愛想のいいドーナツ屋の店主は、僕の時の店主、あのおばちゃんだった。あれから何十年も経って、おばちゃんはすっかりおばあちゃんになってた。


 おばちゃんが僕に気付いて動きを止める。それが、このおばあちゃんがあのおばちゃんだという証拠だった。僕はすっかり老けた顔で小さく会釈をする。おばちゃんは、口をあんぐりと開いて大きく瞬きをした。


「俺の父ちゃんだよ」


 おばちゃんが動きを止めたことにびっくりしたのか、狼牙がドンと胸を張って宣言する。狼牙は知らないだろうし知らなくていい。昔は有色人種はドーナツすら買えなかったなんてことを、知らせたくない。





 ドーナツ屋のおばちゃんが僕の方を見る。「暁銀牙」としての僕はラクイアでかなり名が知られてるから、おばちゃんは僕が大人になってもわかるんだ。それと同時に、僕と昔あったやり取りを覚えているらしいことに驚いた。


 心配そうにおばちゃんを見る狼牙。その眼差しに気づいたおばちゃんは嬉しそうに笑う。そこに、かつて僕を差別した時の冷酷さはない。本当に時代が変わった。


「あの、銀牙君が、狼牙君のお父さんなのね」

「そうだぜ。自慢の父ちゃんなんだ。おばちゃんが会いたいって言うから、一緒に買いに来たんだ。つーか、父ちゃんとおばちゃん、知り合いなの?」

「そうよ。色々あって、何十年も会ってなかったけど。心配してたし、申し訳ないことをしたから謝りたくて。元気そうで安心したわ。銀牙君はチョコドーナツだったわよね」


 おばちゃん、僕の好みまでまだ覚えてたんだ。何十年も来てないことも、覚えてたんだ。


「……昔はチョコドーナツでしたが、今はすっかりプレーンドーナツが好きになりました」

「あらあら。そ、そうよね。もう、大人になったものね。立派な大人になって……。これ、受け取ってちょうだい。当時失礼なことした人全員にあげてるの」


 貰ったのは、手書きで作られたお店のドーナツ永久無料券。ただし無料になるのは一回の購入につき三個まで。それ以上は差額をもらう、か。


「ありがとうございます」

「私のことは許さなくていいわ。それだけのことをしたんだもの。許してもらえるなんて思ってない。

 あの日買えなかった分も沢山食べてね。お気に入りの味を見つけてちょうだい。この店が閉店するまで有効だから」

「ありがとうございます。でも、あのことは狼牙には秘密で」

「わかったわ」


 ドーナツ、久々に食べるのもいいかもしれない。あの事件以来一度も食べなかったから。後で狼牙にイチゴドーナツでも貰おう。狼牙の前で券を使うのはさすがに良くないし。


 子供たちに人種差別があったことを知らせたくはない。時代が変わったのもある、差別を減らしたいのもある。でもそれ以上に、狼牙に僕と同じ思いをして欲しくない、というのが本音だ。


 まだ、完全に許せてはいない。でも、少しでも受け入れてもらえるようになった。ドーナツを買えるようになった。今はそれでいい。それだけで僕は幸せだから。

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