間話4

番外編7 銀の誓い

番外編7-1 汚らわしい過去

 あれはいつのことだろう。覚えてるのは、その時の恐怖とこの世界への絶望だった。あれは、たった一週間で僕の人生をぐるりと変えてしまった。


 まだ六歳だった時のこと。僕は一人でラクイアの町に飛び出した。その日までは僕が外に出る時は父さんか風牙ふうがさんが一緒だったけど、それが嫌で抜け出したんだ。


 一つ年上の金牙きんがは六歳の時から一人で外に出かけたりしてる。なのにどうして僕はダメなのか、納得がいかなかった。金牙は学校というのに通うのに、僕は通わせてもらえない。その怒りもあった。


 何より、当時の僕はしてたんだ。一人で出かけても何も無い、と。ラクイアの人は優しいから、平和だから。そう信じていたんだ。


 山を下ってラクイアの町に顔を出す。お小遣いだって持ってきた。僕にだって一人で買い物くらい出来ると、この時は思っていた。それがどんなに無謀むぼうかも知らずに。


 ラクイアにはたくさんのお店が並ぶ通りがある。そのお店の一つでドーナツを買おうと思った。父さんや風牙さんが一緒の時にいつも買っていた、お気に入りのお店で。でも、現実は甘くなかった。


「おばさん。チョコドーナツを一つ――」

「あんたに売るドーナツなんて一つもないよ。この店の商品は何一つ、あんたには売らない。有色人種カラードに売る商品なんてうちにはないんだよ!」

「でも、いつも来た時は――」

「私はね、風牙さんと水牙すいがさんだから売ったんだ。あんたに売ったんじゃないよ。いいから帰んな」


 水牙は、父さんの名前。父さんと風牙さんは兄弟で、僕と金牙はいとこ同士。何より、二人が一緒の時はいつも買えてたから買えないだなんて思わなくて。泣こうとしたけど涙すら出てこなかった。


 正確に言えば僕は有色人種ではない。父さんは金髪に濃い青色の目をした白人、母さんは銀髪に緑色の目をした黄色人種イエロー。僕は、いわゆるハーフというやつだ。だから、何の疑問もなかった。


 僕の肌は白っぽい黄色だけど、白人の血も有色人種の血も引いてる。何より父さんの息子だ。なのにどうして父さんと風牙さんはよくて僕がダメなのか、わからなかった。





 当時は人種差別が厳しくて。通りのどのお店でも、僕は商品を売ってもらえなかった。断られたところはまだマシで、酷いとゴミを投げつけられたっけ。そこから先は記憶が曖昧になってる。


 ラクイアの町を歩いてたら突然後ろから何かで襲われて、僕の記憶はそこで途切れた。本当の悪夢が始まったのはそれからだけど。



 気がついたら身体を椅子に縛り付けられてた。どこか知らない部屋にいた。目隠しはされなかったけど、自由なんてなかった。


「お前はあかつき家の恥だ」

「お前みたいな有色人種カラードとの混血が、どうして戦闘貴族にいるんだ!」

「暁家の価値をお前が下げているんだ」

有色人種カラードは大人しく武芸者として戦っていろ。あの野蛮な血を引く者が戦闘貴族の親族なんて、認めない」

「汚らわしい。存在自体が悪だ。醜い外見をさらすな」

「おい、サル。服脱げよ。お前に服なんて勿体ない」

「お前に何が出来る? 大人しく俺達のしもの世話でもしてろ」

「お前は暁家の足枷だ。金牙様の足枷だ。誰もお前を必要としない」

「お前には暁家にいる価値も、生きる価値もない」


 色んなことを言われた。見知らぬ男の前で全裸にさせられた。口に下品な物を入れられた。白い液体を身体中に振りかけられた。暴力は死なない程度に振るわれた。


 有色人種の血を引くことをおとしめされた。暁家の親族であることを貶された。気持ち悪いこと、汚いこともたくさんさせられた。苦い変な液体とか尿を飲まされたこともあった。糞便ふんべんを食べさせられたこともあった。


 そんな日々がずっと続くうちに、日付感覚がわからなくなったんだ。金牙が遠い存在に思えて、胸の内でも「金牙様」って呼ぶようになった。生きていてすみません、そう思うようになった。





 辛い日々から解放されたのは突然のこと。その時には日付感覚が狂ってた。自分を卑下ひげするのが当たり前で、暁家に戻るのが苦しかった。邪魔になるくらいなら死にたい、むしろ殺してくれ。そう願い続けたんだ。


 助けに来たのは父さんと風牙様の二人。二人の金髪と濃い青色の目が眩しくて。その白い肌は、手の届くところにあるのにやけに遠くに感じたんだ。


 生まれ持った肌の色は変えられない。髪の色も目の色も。濃い青色の目はハベルトでは皇族と何らかの血の繋がりのある人しか持たない色。なのに、僕はそんな濃い青色の目と嫌われる白っぽい黄色の肌を両方持っている。


 僕はどう足掻あがいても白人にはなれなくて。暁家に生まれたのに白人でなくて。僕がいるせいで金牙の将来に影響が出る可能性もあって。気がつけば僕は、父さんと風牙さんに差し伸べられた手を拒絶していた。


「邪魔になるなら、殺してください。死なせてください。無理なら暁家から追い出してください。僕は、金牙様の、暁家の足枷あしかせになってしまいます」


 そんなことを口走った気がする。僕の、暁銀牙という人間の立ち位置を知ってしまったから。何より、金牙に後から捨てられるくらいなら、先に捨てられたかった。


 僕は拘束されている時にたくさん汚いことをしてきた。口に出せないようなことも、言えば色んな人に幻滅されるような事も。ただでさえ有色人種なのに、汚いことに手を染めた僕を、誰が認めるというんだろう。


「銀牙。おうちに帰るぞ」

「金牙も待ってる。屋敷にいるみんなが、君の帰りを待ってる」


 父さんと風牙さんの言葉が嘘にしか聞こえなかった。僕に気を使って発しただけの、意味の無い言葉の羅列に思えた。誰が、こんな汚れている僕の帰りを待ってるの?


 この事件をきっかけに、白人の言葉が意味の無い言葉の羅列に思えるようになった。有色人種が差別される世界だから。だから、僕みたいな有色人種を好む白人なんていないし、風牙さん達はただ僕を気遣ってバカにしてるようにしか思えなくて。





 僕が少しだけ心を開いたのは、アウテリート家に住まわせてもらった時。金牙がわざわざ僕の所に来た時。その日をきっかけに、死にたいと思っても金牙に隠すようになったんだ。


「犯人に何を言われたかは知らん。だがな、僕は、お前が一人で安全に出歩ける世界を作りたいんだ。それは、物心ついた頃からの夢だ。なのにお前がそんなでどうする。

 僕に遠慮するな。僕にはお前が必要だ。僕は頭脳しか取り柄のない、武芸者としては弱すぎる人間だ。それでも今こうしていられるのは、お前がいたからだ。それくらいわかれ」

「僕という存在が金牙の足枷になるんです。僕がいなくなれば全て解決します。それくらい、理解してくださいよ、金牙様 」


 初めは何馬鹿なこと言ってんだろって思った。そんなに有色人種である僕を見下したいのかって思った。僕を必要とするなんて有り得るはずないと思ってた。


「誰がそんなことを決めた。僕からすれば、お前がいない方が行動に支障が出る。だからお前は死なさない、死なせない、死ぬなんて許さない。

 理想と笑われてもいい。すぐには叶わない夢だとわかってる。それでも! それでも、やってみなければわからないだろう? 何もせずに諦めてずっと我慢している方が、僕は嫌だ」


 金牙は頭がいい。なのにどうしてそんな、出来もしない夢を描くんだろう。叶えられないに決まってる。差別は消えない。そう、先人達が証明してくれているのに。


「お前がいなかった時、何があった。お前が自分を卑下して、死にたがるようになったのは事件からだ。犯人に何か言われて脅されたのか?

 お前がそれを気にしてるなら、お前が満足するまで否定し続けてやる。お前のことを否定する奴は、暁家のことも陛下の意志もわかっていないだけだ。

 暁家にも、僕にも、今後の暁家にも。お前は必要だ。お前には僕の側で笑っていて欲しい。お前が笑える世界を作るから、僕を信じてついてこい!」


 金牙は普段、滅多に声を荒げない。常に冷静で落ち着いている。そんな金牙が柄にもなく声を荒らげた。今まで聞いた中で一番大きな声だった。


 何より、そこまで熱く語る金牙を信じてみたくなった。金牙はいつだって、僕に道を示してくれたから。物心がついた時から、金牙が僕を引っ張ってくれていた。


 無謀だなんて、もう言えない。だって金牙は信じてるんだ、理想の世界が作れるって。だから僕は、賭けに出た。金牙を信じてみよう、金牙が許す限りそばにいようって。

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