17-5 ソニックの墓前にて

 結婚式が終わった日の夜のこと。暁家の敷地内に、中庭の一画には墓地がある。アリシエは帰宅するとすぐさまその墓地へと向かった。これは、ここ数ヶ月の日課となりつつある。


 暁家の墓地は、芝生で覆われた小さな土地だった。墓地は石で造られた壁に囲まれ、出入口は一つだけ。よく磨かれた灰色の墓石が墓地の中央にぽつんと一つだけ置かれている。


 墓石は高さ、長さ、幅、全てがアリシエの背丈以上だった。巨大な墓石には死者の名前と没年、享年の三つが縦書きで刻まれている。集団墓地になっているらしく、刻まれた死者の名前は一つではない。


 墓地にやってきたアリシエは、すぐさま目当ての名前を見つけた。墓石に刻まれた「ソニック・アール・アカツキ」の文字を指でなぞる。石表面の凹凸が、刻まれた文字が事実であることを伝えてくれた。


 ソニックが死んだという実感が未だに湧いてこない。名前を呼べばすぐに来てくれるような気さえする。しかし、現実は何をしてもソニックの姿が見えることはなく、その遺体は骨と灰になって墓地の下に眠っている。


「にぃに……『ちゃんと帰ってくる』って言ってたのに、なんで……」


 ソニックのいない現実が当たり前のものとなり、いつしかその存在が忘れられる日が来るだろう。頭では分かっているのだが、認めたくなかった。思い出すのは「カラードの乱」当日の自らの行動ばかり。


 悔やんでも悔やんでも失われた命は戻ってこない。ソニックだけでなく、アウテリート家の戦闘員達も、クライアス家の戦闘員達も、皇太子の指示で戦ったいくさ奴隷どれい達も。今回の争いで多くの者が亡くなり、その親族や関係者達は癒えない虚無感と戦っている。


 最後に言葉をかわしたのは、皇太子の屋敷へ向かう前だった。帰ってくると約束したのに、アリシエの元に帰ってきたのは魂のない抜け殻だった。数え切れない後悔がアリシエの心を掻き乱していく。





 季節はもう春。朝晩の気温差が大きく、日中は暖かくても夜になれば一気に冷えてくる。結婚式に参加した時と同じ礼服を着ていたアリシエは、下がり始めた気温に鼻をすすり始めた。温度差のせいか、「カラードの乱」当日よりも寒く感じる。


「そんな格好では風邪をひくよ。ハベルトはそなたの祖国より寒い。ほら、この上着を羽織って」

「ありがとう、虹牙こうが


 突如背後から聞こえた声。身につけた刀に手を伸ばしながら振り向けば、そこには虹牙がいた。その手には、服の上に羽織るジャケットが握られている。


 アリシエにジャケットを手渡すと、虹牙はその隣に移動した。互いの手が触れるか触れないかの微妙な距離を保って、二人の瞳が墓石を凝視する。


「にぃに、死んじゃったんだね」

「そうだね」

「痛かったよね、苦しかったよね。僕がもう少し早く移動したら、助けられたのかな」

「それは、無理だっただろうよ。そなたは出来るだけ頑張った。ソニックも、それは同じ。誰も悪くない」

「でも、思うんだ。僕がもっと強かったら誰も死ななかった。パパも、風牙ふうがさんも、にぃにも。皆、死ななかったんだよ」


 身近な人の死を自分が弱いせいだと言う。言動から察するに、これまでずっとそうしてきたのだろう。人の死を全て自分の弱さのせいにして、後悔した数だけ強くなる。彼はそうして、今のような強さを手に入れたのだ。


 多くの修羅場を経験し、その対処法を学んだ。過去の失敗から学び、生き残るための術を身につけた。そして、苦しんだ結果複数の人格を生み出してしまったのだ。


 アリシエは強いがもろい。ソニックの死をきっかけに弱々しさを見せるようになったアリシエ。そんな彼を放っておけなくて。虹牙は気がつけば背後からアリシエを抱きしめていた。


「そなたは悪くない。悪くないよ、アル」


 か細い声で涙を堪え、言葉を紡ぐ。それが虹牙に出来る精一杯のこと。支えることは出来る。しかし乗り越えるのは、本人にしか出来ないのだから。





 空がオレンジ色から紺色へと変わろうとする中で、墓石の前に重なる二つの影。その光景を、墓地の入口から眺める者が二人いた。金牙きんが銀牙ぎんがである。二人は墓地を囲む壁に体を隠しながら、様子を眺めていた。


「僕は、虹牙との結婚を条件にアルを暁家の武力部門のトップにしてもいいと思う。そうすれば僕は苦手な武芸をしなくて済むからな」

「引退されるつもりですか?」

「いや、違う。テミンがナルダ社に専念すると聞いてな、僕も頭を使う仕事に専念しようと思ったんだ。陛下にも宮殿での政治を手伝うように頼まれているからな」


 虹牙とアリシエの様子を見た金牙から紡がれたのは、引退を示唆する言葉だった。元々金牙は体が弱く、頭脳こそ優れているが武芸者としては三流以下だ。様々な身分の者が政治家になれるようになった今、金牙は政治家への転向を考えていた。


「……そこにアルの意思はありますか? 少なくとも僕は、金牙様の側に居続けます。昔の約束通りに」

「それを言ったら僕も、お前が自由に出歩ける世界を作りたいからな。アルの意思? それは、今のあの二人が答えだろ。あいつは虹牙にだけは心を開いてる。錯乱した時でさえ、な」

「そうでしたね」


 アリシエが祖国シャニマでの戦場の記憶を取り戻した時。その不安を和らげたのは虹牙で、アリシエは虹牙を受け入れた。そして今、背中から抱きつく虹牙を拒絶せずに受け入れている。嫌がる素振りを見せていない。


(僕の予想が正しければソニックは、あの二人の子だ。運悪くタイムワープで過去へ来た。そして過去で死に、陛下の心を動かした。それだけだ)


 金牙が胸の内で考えるは誰にも言えぬ秘め事。ソニックという人間の不安定さを示す事。ソニックが死んだ今、金牙はソニックがタイムワープで未来から来たと思い始めるようになった。


 ソニックの死とフィールの逮捕を受けて、金牙は今後の生き方を考えていた。差別が完全に無くなることはない。ならばその現実を踏まえて、人々の価値観を変えるために政治に関わりたい。なにより、彼は己の弱さを悔やんでいた。


 フィールが裏で動いていたことを知りつつも止められなかった。アリシエがいなければダン達は暁家の屋敷で死んでいた。ソニックと神威がいなければ、皇帝が死んでいたかもしれない。あらゆる場面で、金牙は無力だった。


「僕は、無力だ。戦闘貴族当主でいるには、あまりにも無力過ぎる」


 金牙の吐き出したその言葉が、彼の心中を物語る。銀牙はそんな金牙の隣に、ただいることしか出来ない。





 アリシエと虹牙が影から見守る人影に気付くことはなかった。虹牙はアリシエに抱きついたまま、その背に顔をうずめる。アリシエの耳がピクピクと揺れる。


 アリシエは虹牙の手に触れてみた。そのまま手を伸ばし、背中側にある虹牙の頬に触れる。虹牙の肌は柔らかく滑らかで、温かい。


「今日ね、テミンが言ってたんだ」

「何をだい?」

「テミンは、海亞かいあと死ぬまで一緒にいたいから、結婚ってものをしたんだって。一緒にいて落ち着く人で、叱咤しった激励げきれいってのをしてくれて、触れたいって思う人が海亞なんだって」


 アリシエの言葉に虹牙の手がピクリと動く。テミンの話をしているだけなのに、自分の気持ちに気付いてくれと心臓が早鐘を打つ。はやる気持ちを抑えて、言葉の続きを待った。


「テミンに言われたよ。『お前にそういう奴はいねぇのか?』って。それでね、僕、考えたんだ。自分の安全以外のこと、初めて考えた。そして、気付いたんだ。

 僕が一緒にいたいって思うのは、虹牙だよ。だって虹牙は……昔を思い出して困ってた僕を助けてくれたし。それに、なんでかな。虹牙といるとね、あったかい気持ちになるんだよ」


 アリシエの言葉に、虹牙の体が一瞬大きく跳ねた。虹牙の頬を優しく撫でるアリシエの手が熱い。


「そ、そそ、それは私しか会ってないからじゃ、ないのか? そなたの知る女は私だけだろう? それに、私には色々と問題が――」

「海亞は違ったよ。それに、守りたいって思うの、虹牙だけなの。虹牙のためなら死んでもいいって思う。もっと、そばにいたい」

「本当に死なないでくれよ? とりあえず私は今、困ってる。えーと、つまり?」


 アリシエの言葉に、勘違いをしそうになる。これが夢なら覚めてほしい、と願わずにはいられない。同時に「現実であってほしい」とも思ってしまう。虹牙はアリシエの言葉を待つことしか出来ない。


「ねぇ、虹牙。僕と夫婦ってやつになって下さい。……なんていう前に、金牙に怒られそうだよね。僕、生き残るための知識以外は知らないから。

 夕飯の時に金牙に話す。怒られてもいいよ。もう、にぃに達みたいに失うのは嫌! もう誰も、大切な人、死なせたくない。そばにいれば守れるから、死なせないで済むから。嫌……だよね」

「嫌じゃ、ない。ただ、急すぎて驚いてるだけだ。私なんかでいいのなら是非、その、お、お願い、しよう」


 虹牙が顔を真っ赤にしてアリシエの背中にくっつこうとする。そんな虹牙に気付いてるのかいないのか。アリシエは無理やりその身体を反転させ、思いっきり抱きしめた。夕日の下で、優しく唇が重なる――。

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