17-3 犯罪者フィールの結末

 テミン、海亞かいあの結婚式が終わったあとのこと。同日の午後、金牙きんが神威かむいはハベルト中央都市クラウドのはずれにある監獄を訪れていた。二人の目的は、牢獄で刑に服しているフィールとの面会である。


 面会と言っても、受刑者達が檻から出されることはない。面会者は所持品を検査された後に受刑者がいる牢屋まで案内される。そこで鉄格子を挟んだ状態で、見張りの者に監視されながらしばしの会話をかわすのだ。


 フィールは鉄格子で四面を囲われた独房にいた。鉄格子越しにフィールと再会した金牙、神威はその姿に絶句した。


 この五ヶ月の間に髪が伸び、顔の右半分は白銀の髪が隠してしまっている。左半分も、右側ほどではないが髪で顔が隠れていた。そのせいか、最後に会った時と比較すると暗い印象を受ける。


 少し身体も痩せたようだ。頬は痩け、鉄格子の隙間から見える指は骨と皮だけになっている。着させられている衣服は体に合っておらず、衣服の隙間から肩が見えている。だがその濃い青い目に宿る力強い光は健在だ。


「やぁ、金牙様に神威。来てくれたんだ」

「悪いか?」

「いやいや。僕は来てくれて嬉しいよ? たださ、ここに来ても何もないなって思っただけ」


 フィールとは鉄格子越しにしか話せない。見張りが付いているため、下手に物をあげることも出来ない。会話の内容ですら、見張りの前では制限される。


 フィールの犯した罪は「皇族殺害」である。しかしその時の状況と皇太子がしてきたことからいくらか減刑され、課せられた刑は「無期懲役」となった。フィールはもう、死ぬまでこの鉄格子の外へは出られない。


「お前、馬鹿だな。いくらなんでもやり過ぎだ。しかも、毒を投与する前に麻薬も投与してたんだとな。銀牙ぎんがから話を聞いて驚いた」

「あの人が潰したがってたのは皇帝様と金牙様だった。銀牙様は、金牙様を戦闘貴族当主の地位に残すために拷問に耐えてたんだ。そうだな……人を殺すことに躊躇する金牙様に、僕からいいことを教えてあげよう」


 金牙の顔を見るその顔から感情を読み取ることは出来ない。全てを見透かすような眼差しが、金牙を射抜いて離さない。二人の濃い青色の瞳が宙で交わる。





 フィールの乾いた唇から血が滲み出した。紅色の舌が、唇に溢れ出した鮮血を優しく舐めとっていく。舐めとった血液はゴクリと音を立てて唾液と共に飲み込んだ。


「あの日、あの人が攻めなければ海亞があの人を殺してたんだ。皇帝様の命令で、ね。皇帝様は今後のことを考えて、あの人を暗殺するつもりだったんだよ。それはどうしてか知ってるかい?

 シャニマでの戦争はあの人がきっかけだった。あの人がいなければ、風牙ふうが様もシャーマン様も死なずに済んだんだ。『神の眼』を絶やすために何をするかわからない。あの人は、ハベルトの危険因子だったってわけさ」


 川を流れる水のように淀みなく言葉を紡いだフィール。イグニスがソニックの腹部を刺した瞬間、フィールがイグニスの首に注射を突き立てた瞬間。「カラードの乱」当日の光景が金牙の脳裏に過ぎる。


 フィールが殺さなければ、アリシエが殺していただろう。そうなれば、アリシエは「無期懲役」では済まなかったかもしれない。少なくとも「カラードの乱」がハベルトを変えるきっかけにはならなかっただろう。


「なぁ、フィール。お前はあの日を後悔、してるか?」

「後悔はしてない。あそこで殺さなかったら陛下が殺されていたかもしれない。犠牲者が増えたかもしれない。結果から見れば、犠牲は減ったわけだ。あの子を犯罪者にはしたくなかったし。

 それに、僕一人の犠牲で全てが上手く片付くなら安いもんだろう? 僕なら嫁ぎ先も家族もいないから最適だ。それに……」


 フィールが鉄格子越しに神威を見る。その視線に耐えきれず、神威は視線を逸らした。小さな身体が見た目以上に小さく見える。


「許せなかったんだ、きっと。神威が死にかけた。それが一番の引き金だよ。神威があの人に斬られて死ぬほど憎かった。それだけだよ。僕が僕の意志で毒を打った。それを、後悔するはずがないじゃないか」


 フィールの言葉は、監獄内に確かに響く。その声を聞いた囚人達が物音を立てた。





 フィールの言葉にわかりやすく反応したのは神威である。金色の目には今にも溢れそうな程に涙を溜め、怒りからか悲しみからか体を微かに震わせている。


「原因は僕ですか、フィール様。どうして僕なんかを――」

「そんな言い方、しちゃいけないよ。神威は立派だ。クライアス家当主にふさわしい知識を学んだ。何より、この僕が跡取りと認めたんだ。自信を持つんだよ?

 陛下の描く世界には神威みたいな人が必要だ。戦闘貴族にも肌の色が無くなればいい。すぐには消えないだろうけど、いつかは皆の意識も変わるはずだ。僕はそう信じてる」


 フィールが鉄格子の隙間に手を伸ばす。それに応えてか、神威が牢に近付いて鉄格子に手を伸ばした。やがて、鉄格子の隙間で二人の指先が絡み合う。人差し指を絡めることしか出来ないが、確かに神威とフィールが繋がった。


「神威、主従関係は今日で解消しよう。もう、僕に忠実な駒でなくていい。困ったら金牙様を頼るんだ。だから契約は、解消しよう」


 フィールの意味深な言葉を聞き、神威の身体が床に崩れ落ちる。フィールの言葉一つで、それまで堪えていた感情が抑えられなくなったらしい。子供のように声を上げ、両目から大粒の涙が零れていく。


「フィール様、教えて。どうして、俺を、跡取りに、した?」


 戦闘貴族の一つ、クライアス家は当主が次期当主を選んで任命する仕組みで成り立っている。フィールが当主だった時、クライアス家には跡取り候補として何人かの養子がいた。その中で、フィールはわざわざ神威を跡取りに選んだのだ。従者として常に隣に置いていたのも神威だけである。


 選ぼうと思えば、しがらみのない白人を跡継ぎに出来た。見た目が成長しないという欠点を持つ神威ではなく、年齢に応じた外見を持つ黒人を選ぶことだって出来た。にもかかわらず、フィールが選んだのは神威だった。


「僕を一人の人として見てくれた。クイアス家の名前ではなく、当主としてでもなく、ただの人として尊敬して仕えてくれた。それが嬉しかったんだよ。この理由じゃ不満かい?」

「フィール様の、描く未来は、どんな世界だ?」

「差別も偏見もない世界。人種差別は無くて、同性愛なんかに対する偏見もなくて。誰もが自分らしく生きられる、そんな世界。願わくば、神威が見た目を気にせず出歩ける世界に、なってほしい」


 フィールの紡いだ言葉に、神威が顔を上げた。号泣したせいだろう。涙と涎でぐしゃぐしゃになった顔は、お世辞にも綺麗とは言えない。だがそんな神威の顔に向けて、フィールは細くなった指先を伸ばす。


「僕は、同性愛者だった。神威は知ってるよね。金牙様には、五ヶ月前に告白したきり、かな。同性愛者ってさ、世間一般では気持ち悪がられるんだ。だから『キチガイ』なんて言われるんだろうけど。

 この世界には、この国には、僕みたいに悩む人がたくさんいる。神威やアルみたいに人種差別に苦しむ人も。それを変えるためにはまず、戦闘貴族に多様性が必要だ。戦闘貴族は皇帝の顔でもあるからねぇ」


 饒舌じょうぜつに語るフィールの顔からはもう感情を読み取れない。彼が心の奥底でどう思っているのかがわからない。フィールの痩けた頬を伝う涙だけが、真実を知っている。





 見張りの者がフィールのいる鉄格子に近付いてくる。面会時間はもう終わる。あと数回言葉をかわしてしまえば、金牙と神威はフィールのいる牢屋から引き離されるだろう。


 金牙は大きく深呼吸をした。牢獄特有の埃っぽい空気に咳き込みそうになる。この小さな閉鎖空間が、フィールが余生を過ごす場所となるのだ。お世辞にもいい環境とは言えない狭い空間でしか、フィールは生きられない。


「もう少しマシな手を打てばよかったものを。貴様は馬鹿だ、大馬鹿者だ! そこからじゃ、これからの変化を見られないじゃないか。……告白の返事は、貴様がここから出た時にしてやる。だから、返事を聞くまで死ぬな。死ぬことは、許さない」


 金牙の言葉に思わずフィールの口からフッとため息が漏れた。口角を上げた拍子に、涙が口の中に入り込む。流れ込んだ涙を唾液と共に飲み込んだ。


「金牙様。やっぱり君は純粋で甘いよ。でも、僕はそんな君が好きなんだ。……いいよ。その挑戦、受けようじゃないか。僕が出る時には少しでも世の中が変わっていることを願おう」


 「無期懲役」が課せられたフィールがここから出られる日は来ない。迎える先にあるのは牢獄での病死か寿命による死、あるいは自害による死。それを知った上での金牙の発言の意図は、一つだけ。


(『自殺するな』ってわけね。生きて、この国が今後どう変わるのかを見てろ、と。金牙様にお似合いの甘ーい考えだ)


 フィールは金牙の意図を的確に理解した。その根拠は、鉄格子の中に放置されたままの食器達。食事が盛られたその食器には手がつけられた痕跡がなく、干からびた料理の上にはうっすらと埃が乗っている。


 フィールはこの数ヶ月、まともに食事をしていない。餓死を試みようとしたからだ。だがその試みを金牙に知られてしまった。知った上で金牙はその行為を止めている。


「出られる日を願って待ってるよ。だから、僕が死なないように月に一度は会いに来ておくれ。会って、この国がどうなってるのか、報告してくれよ」

「そこの二人。フィール・クライアスとの面会時間は終了だ。さぁ、ここから離れろ」


 フィールが金牙の言葉を受けて言葉を返すと同時に見張りの者が声をかける。もう、面会時間は終わりだ。金牙と神威の身体は監視に掴まれ、やや強引に牢屋から離される。


 だがフィールはあることに気付いた。牢屋から離れる時に、金牙と神威が小さく親指を立てたのだ。それは「了解」という意味を示すジェスチャー。二人の小さな意思表示に思わず頬が緩む。


「もう少しここで生きるのも悪くない、かもしれないねぇ」


 フィールの小さな呟きは誰にも聞かれぬまま消えていく。涙に濡れたフィールの顔は、どこか晴れ晴れとしていた。

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