14-4 力の限り名を叫べ

 なんとか隠し通路を見つけた海音かいね金牙きんがは、迷う間もなくそこに入り込むことにした。海音が腕の力で身体を持ち上げて侵入すると、クローゼットの上で棒立ちしている金牙に手を差し出す。金牙は海音に持ち上げられる形で何とか隠し部屋に入ることが出来た。


 天井裏に入り込む形で辿り着いたそこは、第二の隠し部屋になっている。だが「隠し部屋」というより「客間」に近い間取りをしていた。ベッドや本棚、トイレ。さらには一週間は優に過ごせるであろう食料と飲み物の蓄えまである。広さだけで言えばプライベートルームより広いはずだ。


「よく出来てる。事が落ち着くまで隠れ住むための部屋だな、どう見ても」

「金持ちって凄いな。屋根裏にまで暖炉とか用意してるぜ」

「僕達は屋根裏見学をしに来たんじゃなく、銀牙ぎんがを探しに来たんだがな」

「そうだったな」


 あまりの隠し部屋の充実具合に思わず足を止める二人。しかしいつまでもそうしているわけにはいかない。見とれたのはほんの一瞬で、すぐさま真剣な顔に戻る。本来の目的を果たすためだ。


 隠し部屋をざっと見回してみるがそこに銀牙の姿はない。海音はすぐさま、入口の近くの床を確かめた。隠し部屋の床もフローリングになっており、細長い木の板が貼られている。念の為にと板の隙間を調べるとそこには、微かにではあるが、まだ固まっていない血液が残っていた。


「問題はこれが皇太子のか銀牙のかわからないってところだ。それにここで血が途切れてる」

「僕なら、余程急いでいるならここに置いて、放置する。逃げられないように足を縛るとか、扉に仕掛けをするとかしてな」

「俺も同意見だな。で、どう探す?」


 海音が問えば、金牙が真剣な表情で彼を見る。というのも、この部屋を大雑把に見た感じでは銀牙の姿はない。この部屋にいるはずなのに容易に見つけられないのだ。どこかに隠れているか、この部屋にも仕掛けがあるのか。その真相を確かめる術は限られている。


「お前、俺を守ってくれるんだよな?」


 金牙は悪戯を思いついた子供のような顔で海音を見る。その顔が縦に振られたのを確認すると、口角を上げた。大きく息を吸って肺を膨らませる。口まで膨らませると、息を音にして吐き出す。


「銀牙! いるなら! 音を! 立てろ!」


 海音に確認するや否や大きな声を出した。その声に応じるかのように、隠し部屋のどこかからガンっと力いっぱい壁を蹴る音がする。幸いにも敵が出てくる様子はない。この部屋には、伏兵を用意していないらしい。


 銀牙が呼びかけに応じるかはある種の賭けであった。銀牙ならば呼びかけに応え、何らかの反応をする。金牙はそう確信していたからこそ、この無謀とも思える行為を実行に移したのである。





 金牙はすぐさま音がした方向へと向かう。壁を蹴る音がした。音から察するに家具や扉のような薄いものではなく、柱のような頑丈なもの。そのような音が立てられてかつ人が隠せる場所は限られる。


(ベッドの下か暖炉の中だ。一番可能性が高いのはベッドの下。でもさっき見た時には何もなかったぞ?)


 金牙が思考している間にもう一度音が鳴る。まるで金牙に「自分はここだ」と知らせるかのように。壁を蹴る音はリズムを刻んでいた。音の間隔は一定ではない。短い間隔と長い間隔のものがあり、その間隔の数も揃っていない。しかし、その音を何度か聞くと、金牙はパンと手を叩いた。


「海音。人の気配は?」

「ない。もう全員生け捕りにしたんじゃないか? いや、武芸者は殺してるかもしれないけど」

「ならいいか。お前、壁の奥に部屋があるかわかるか? ベッドの下からわかるはずなんだ。隠し扉みたいなのがあるといいんだが」


 金牙の言葉を聞くと、海音はすぐさま駆けつけてベッドの下を覗く。さらに上半身をベッド下に入れ、耳を壁に付けた状態で拳を使って壁を叩く。しかし音を聞いても金牙には違いがわからない。海音には何かがわかるらしいのだが、金牙には音だけで隠し部屋の有無を判断することが出来なかった。


 やがて、海音は拳で叩くのをやめた。壁を蹴る音は相変わらず途絶えないまま。しかもその音は、ベッドの方から聞こえるがベッド下からではなかった。ベッドの上の壁から聞こえるのだ。不規則な間隔を繰り返す音に、金牙がついに反応する。


(待てよ? このリズム、聞き覚えがある。確かこのリズムは……ろ、だ、ん、ろ、だ、ん、ろ、だ、ん――『暖炉』か!)


 壁を蹴る音は暗号になっていた。しかもそれはハベルトでよく使われる、短い音と長い音を組み合わせて使う信号。その信号を暗記している者が聞けば、壁を蹴るリズムから伝えたいメッセージを知ることが出来る。


「海音、暖炉だ」

「はぁ?」

「暖炉を調べろ! 暖炉だ! 銀牙が言ってるんだ! ……僕の体では、暖炉を登ることは出来ないからな」


 金牙が言いたい事。それは、暖炉の調査だった。暖炉の中に入り、内壁を利用して登る。暖炉の中に、ベッドの奥へと通じる道があるかを確認する。暖炉の中はススで汚れている可能性が高く、余程のことがない限り入ろうとする者はいない。


 海音は必死に唇を噛み締める金牙を見て、その要望を受け入れた。事情を知る者が伝えた情報となれば、正しい可能性が高いからだ。ひとまず上半身を暖炉の中に入れ、筒状の内部に身体をねじ込む。そこで、あることに気づいた。


 通常、暖炉を使っているのであればススが出てくる。掃除をしても多少のススが残るものだ。だがこの暖炉に通じてる煙突は、一般的な煙突より幅が広く、新品と見間違うほどにススはなく、煙突の中には人が内部を登るための足場がついている。


「中、登れるようになってる。梯子もある。俺より小さな金牙のが向いてるな、これ」

「わかった。僕が行く」


 海音の声に金牙が素早く立ち上がり、暖炉の中に入り込んだ。





 暖炉内はやけに綺麗だった。レンガで作られた暖炉の内側には足場として、コの字型の金属棒が並んでいる。足場は暖炉の上に続く、レンガで作られた煙突にも続いていた。金牙は棒を掴んでは足を動かし、また次の棒を掴むという作業を繰り返して煙突内を登っていく。


 登った先、煙突の上端にあったのは、人一人がってようやく通れるような小さな通路。煙突がL字型に曲がったもの。金牙は考えるより先に、そこに身体をねじ込ませた。暗いその通路を宛もなく前進すれば、金牙の双眸そうぼうに光が映る。


 短い通路の先にあるのはもう一つの隠し部屋。暖炉から行けるその部屋には、天井から光が入り込む。しかし一つだけ問題があった。通路――暖炉から通じる煙突は途切れ、金牙の眼下に広がるのは二メートルほど下にある床だけ。今いる場所から飛び降りるしかないらしい。


「せーのっ」


 金牙は小さく声を出してから床目掛けて飛び降りた。そしてすぐさま受け身を取れるようにする。だが――。


「痛っ」


 受け身を取るには取ったのだが、下手だった。頭を床に打ち、何とか前転するもその拍子に手首をひねってしまう。さらに、着地に失敗して床に腰を強打。だがそんな痛みなど、目の前を見ればすぐに忘れてしまった。


 心配そうに近寄ってくる人物がいたのだ。近寄ってくると言っても、歩いてではない。音を立てて床を転がり、自由を奪われた身体で金牙の元へやってくる。両手と両足を紐で縛られ、口にはさるぐつわをはめられて。それでも彼は生きていた。金牙が今一番会いたかった人物が、目の前にいた。


 乱雑に伸びてボサボサになった銀髪。檻にいたからなのか隠し部屋にいたからなのか、少し汚れた黄色い肌。顔は不自然に腫れ上がり原型を留めていない。口の端からは涎に混じった血が流れ、あごを伝う。ここまではよかった。銀牙の様子を確認しようと視線を動かせば、金牙は言葉を失う。


 両手と両足には爪が無く、赤茶色に染まった包帯が乱雑に巻き付けられている。着ていた服は裂け、その裂け目からミミズ腫れや切り傷の痕、火傷の痕が確認出来た。手の甲や足先は血だらけで、動く度に床に鮮血が零れる。


 靴はなく裸足で、足首は青黒く変色して腫れている。手足共に指先は血で汚れ、その何本かはおかしな方向に曲がっている。その様を見れば、骨が折れているのは誰の目にも明らかだ。


 見ている金牙の方が、その痛々しさに涙しそうだった。しかし泣いている時間はない。慣れない手つきでその拘束を解いてやる。それを終えるとまず、銀牙の身体を力強く抱きしめる。久々に触れた銀牙の体はせ細り、布越しからでも肋骨に触れることが出来る。


 どう声を掛けていいかわからなくて、無言でその身体を抱きしめる。銀牙の心臓がドクンドクンと脈打っている。苦しそうではあるがきちんと呼吸をしている。銀牙の明瞭な生命反応を確認した途端、安堵からか身体の力が抜けてしまった。





「あれ、もしかして俺、お邪魔だったか?」


 何とか狭い通路を通り抜け、綺麗に受け身を取った海音が目の前に広がる光景をそう揶揄やゆする。なぜなら、彼の目の前では金牙が銀牙を抱きしめた状態でぐっすりと寝ていたからだ。


「……お疲れ、なの、でしょう」

「お前、酷い怪我だな。とりあえず応急処置はするからフィールか虹牙こうがにでも――」

「海音。宮殿へ、急いで、下さい」

「何かあんのか?」

「陛下が、危険、です。早く、行って、ください。アルを、連れて、宮殿へ……早く、早く」

「アル? 誰だそりゃ」

「暁にいる、金髪の黒人、『神の眼』、持ってます」

「あぁ、あの『神の眼』か」


 銀牙の息は荒く、紡がれた言葉は途切れ途切れだった。声こそ上げないが、苦悶に満ちたその顔が怪我の重さを物語る。しかし銀牙の目は、何かを訴えるような眼差しで海音を力強くにらんでいた。何かが起きていることを察知した海音は、すぐさま行動に出る。


「俺が宮殿に行くか。ここから宮殿まで、徒歩なら早くても三十分、馬なら……。いや、この数の戦闘員を放置しちゃダメだ。何かあった時の責任が取れない。かと言って全員統制しながらだと……」

「状況は! 宮殿に、いくさ奴隷どれい多数、です。徒歩で、いいので……戦闘員、全員、連れて、向かって、くださ――」

「わかったからもう喋んな。とりあえず金牙起こすぞ」


 銀牙から話を聞いた海音は、すぐさま金牙の頬を強めに引っ張る。起こす時に力加減をしなかったのは緊急事態だからである。あまりの痛みに飛び起きた金牙は慌てて我に返り、事情を聞いた。


 寝起きではあるが持ち前の頭脳で状況を正確に把握。金牙は銀牙を乗せ、あらかじめ近くに留めてある馬に乗って暁の屋敷へ。海音は馬には乗らず、部下全員を連れて徒歩で宮殿へ。それぞれ向かうこととなった。


「アルは僕が連れていこう。銀牙は虹牙に手当をしてもらう。海音、それまでの間頼んだぞ」

「おう。金牙こそ、気をつけろよ。お前の屋敷にもいるんだろ?」

「……おそらくな。健闘を祈る」


 三人は隠し部屋から屋敷の外に出た。移動の際には海音が銀牙を背負い、金牙に肩を貸し、できる限り急いだ。彼らは屋敷の門の前で互いの健闘を祈り、それぞれの道へと分かれる。空には、ようやく登り始めた太陽がこれでもかと言わんばかりにまばゆい光を放っていた。

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