第十五章 雌雄を決する時が来た 暁編

15-1 地獄へようこそ

 ラクイア西部に位置する森の頂上にある、手入れの行き届いた巨大な屋敷。白い壁に赤い瓦屋根が特徴的で、左右対称なデザインの屋敷だ。三階立てで高さよりも幅や奥行きの方が長い。そんな暁家の屋敷は朝から妙に騒がしかった。


 ハベルトに日が昇る少し前。普段であれば使用人が家事を開始する時刻だが、今日に限って使用人の姿はない。代わりに、武装したまま交代で仮眠を取る武芸者達の姿がある。いつどこから敵が来るかわからないため、警戒を怠らないようにしているのだ。


 今日は皇太子派が暴動を起こすとされる日。暁家には、皇太子派が狙っている「神の眼」と親王ダンがいる。彼らを守るために、屋敷には皇帝派の者が多数待機していた。アウテリート家当主のリアンとその部下六十名、イ家当主テミンと葵陽家当主の海亞が前日のうちから泊まり込んでいるのだ。


 屋敷のエントランスではアリシエとリアンが、日付が変わった瞬間から起きて身構えていた。各階の廊下にはリアンの部下達が散らばり、最上階にある書斎ではダンが虹牙こうが、テミン、海亞かいあの三人と共に待機。屋敷の時計が午前五時を告げると事態が一気に動き始める。


 一階のエントランスに通じる廊下から、ガラスの割れる音が聞こえた。その刹那、足音がエントランスに近づいてくる。どうやら敵は窓を割って侵入したらしい。廊下からは敵と味方の武芸者が乱戦を繰り広げる物音がする。獣を彷彿ほうふつとさせる戦の咆哮ほうこうが、本格的な戦いの始まりを告げていた。


「お前と戦うの、いつ以来だ?」

「うーん。多分、神威かむいとかと一緒に大きなお屋敷とかいうのに入った時以来!」

「そんじゃ、あれから半年くらいか? 久々の共闘、だな。覚悟は?」

「出来てるよ」

「ならよし。そんじゃ……いくさの始まりじゃん!」


 リアンが他の物音に負けじと声を荒らげる。それに呼応するように、屋敷の各階に散らばった味方が咆哮を上げた。応答が聞こえると同時に、エントランスに敵の姿が見え始める。着ている服装こそ敵味方に差異はない。だが皇太子派の戦闘員は皆、額に白い布を巻き付けていた。


 相手の数を数える余裕はない。現れた戦闘員の八割がエントランスに残り、武器を向けているからだ。エントランスに現れた敵は皆、雪のように肌を持っている。来ると予想されていた有色人種――いくさ奴隷どれいの姿は微塵みじんも無い。


 リアンが背負っていた大剣を構えた。戦闘貴族当主自らが武器を構えたことで、敵の雰囲気が変わる。苦虫を噛み潰したような顔で、震える手で各々の武器を構えている。その表情と態度を見れば、彼らがリアンと戦いたくないことがわかった。


 敵がリアンの参戦に恐れおののく間に、アリシエはアルウィスと入れ替わる。アルウィスはリアンが大剣を大きく横に凪ぐ合間にメリケンサックを装備し、リアンと背中合わせになった。背面を補い合うこの形が最善だと、過去の経験が告げている。


「おい、リアン。行くぜ」


 アリシエより低い声がエントランスに響く。かと思えば、声の主はリアンの返事も待たずに動き始めた。アルウィスに遅れ、リアンもまた動き出す。それはこの日最初の戦いであった。





 戦闘員の総数では敵味方、そう変わらない。しかしこのエントランスという場においては、敵の方が圧倒的に数が多い。というのも、今エントランスで戦っているのはアルウィスとリアンだけなのだ。廊下や他の階にいたはずの味方は、参戦することは愚か姿を見せることすらない。


 エントランスでやるべきことは出来るだけ多くの武芸者を戦闘不能にし、三階に行かせないこと。幸か不幸か敵の半数以上が、「神の眼」を持つアルウィスを狙うためにエントランスに残っている。二人だけで敵と戦っている現在、嫌でも一人で多くの相手にすることになる。求められるは殺害ではなくだ。


 このような状況では、何も戦う相手全員にトドメを刺す必要はない。まずは一人でも多くの敵を戦えない状態にする。それが今一番に求められていることだ。目的を知っているからこそ、アルウィスの攻撃は殺す事ではなく、いかに効率的に敵を気絶させるかを重視していた。


 決まった構えはなく、小技を披露する余裕もない。敵の統一性のない攻撃を「神の眼」で見破り紙一重でかわす。そしてかわした直後の不安定な体勢から、下顎したあご鳩尾みぞおちといった急所に拳と蹴りを放つのだ。急所を的確に強打することで、相手の意識を刈り取っていく。


「野郎共! 全員! 降りてこい!」


 リアンがアルウィスに加勢しようにも、彼自身もまた敵を捌ききれないのが現実だ。困ったリアンは、大剣を大きく横に凪ぐと同時に、できる限り大きな声で上階にいる部下に呼びかける。しかし上階からは呼応する声はもちろん、人が動く物音すら聞こえない。


 大剣や体術を駆使して敵と戦うアルウィスとリアン。二人の足元には、気絶した武芸者達の身体が転がっている。隙を見ては壁を目掛けて蹴り転がすのだが、その作業が気絶者の増加に追いついていない。敵味方関係なしに、戦う際に足元に転がる人体を踏みつけることになる。


 足場に気をつけながら戦っていたつもりだった。しかし敵の攻撃をかわすのに気を取られ、ついに足場に注意がいかなくなる。その結果、アルウィスは足元に転がる人の体を踏みつけて体勢を崩してしまった。前のめりに倒れていくその身体を、敵の武器が襲う。避けきれなかった刃が頬を掠め、刀が太ももをやや深めに裂いた。


 アルウィスの持つ身体能力「神の眼」は、優れた視力を誇る目である。しかし、徐々に複雑化していく複数の攻撃全てを完璧にかわすことは不可能だった。いかに「神の眼」でその視界に攻撃を捉えようとも、動きが間に合わなければ意味が無い。


『アリシエ。風牙ふうがの時と似た状況だ。それでもやれるか?』

『どういうこと?』

『囲まれてる。お前の刀術の方が効率的だ。俺の体術じゃ、一人一人しか捌けねー。いけるか?』

『頑張る。怪我とかしてる?』

『してるな。悪い。太ももを斬られた。俺は慣れてるけどお前は――』

『わかった。変わって、アルウィス』


 アルウィスは傷を負ったことをきっかけに、敵との間合いを広げた。リアンが敵を抑えている間に、もう一つの人格であるアリシエと頭の中で言葉をかわす。アリシエの返事を聞くと、その身体の動きのが変わる。


 それまでは敵の攻撃をかわし、相手が体勢を崩した隙を突いて急所を狙っていた。 一人でも多くを気絶させるための、防御を重視した動きである。だが今は、その銀色の双眸そうぼうで敵全体の動きを把握。口角が上がり、その顔に喜びの色が見える。





 アリシエは、アルウィスと入れ替わるとすぐにメリケンサックをしまった。素早く刀の鯉口を切り抜刀し、奇妙な形に構える。刀を持った右手を左側へ伸ばし、その内側には拳を握った左腕が入れているのだ。


 銀色に輝く目が敵の姿を見極めていた。リアンを攻撃範囲に入れないように気をつけながら、駆け足で武芸者の群れとの距離を縮めていく。そして敵との距離が一定の間合い以下になった瞬間、大きく動いた。


 左腕が右腕を前へと押し出す。その力を利用して加速しながら、右手に握られた刀が横に一閃。その刹那、敵八人程が同時に斬られた。服越しに腹部がぱっくりと裂け、そこから鮮血が心拍に合わせてリズミカルに噴き出している。


 アリシエの動きはこの攻撃だけでは止まらなかった。今度はすぐさま刀を鞘に納め、敵陣に突進。一定の間合いを詰めると右足の踏み込みに合わせて素早く抜刀を行う。鞘引きの技術によって恐るべき速さで抜かれた刃は、三人の脇腹を連続で斬り裂いていく。


 アルウィスの体術は、基本的に一対一の個人戦に向いている。攻撃範囲は刀ほど広くなく、多彩な攻撃が想定している仮想の敵は一人だけ。個人戦でこそその真価を発揮できる類の体術である。故に多人数を相手にする時は一人一人との戦いを素早く終わらせる必要があった。


 しかしアリシエの剣術は違う。刀剣類は近接戦に有利ではあるが、体術ほど攻撃範囲が狭くない。身体操作や刀の扱い次第では近中距離においてその真価を発揮する。さらに、アリシエは軽くて速い攻撃を得意としており、必殺ではなく素早い攻撃を求められる今回のような場合に向いていた。


 欠点があるとすればそれは、アリシエが手加減を苦手としていることだろう。体術の場合、急所を強打することで気絶させられる。だが刀となると、攻撃の質が違う。刺突は致命傷を与えやすく、斬撃では多量出血を引き起こす。気絶させることには不向きではあるが、戦闘不能にするのは容易だ。


『相手、殺していい?』

『……いいんじゃね? 先に武器を向けたのはあっちだ。なら、殺されても文句は言えねーよなぁ』

『よかった。じゃあ、どんどん斬るね』


 アルウィスに頭の中で話しかけると、アリシエの顔つきが変わる。子供が虫などの生き物をあやめる時に見せるような、無邪気で残酷な笑みを見せた。顔についた返り血が、その笑顔を一層不気味なものにする。


 殺人鬼を彷彿ほうふつとさせる、残虐な笑顔を浮かべた彼は、手始めに気絶して倒れている敵達の心臓に刀を突き刺した。そして躊躇ためらうこと無く刀を捻り、心臓をえぐりとる。次の瞬間、ハミングを奏でながら、嬉々とした顔でその心臓を四つ切りにした。





 アリシエが豹変ひょうへんした頃のこと。リアンは乱れた心で戦闘を行っていた。部下に呼びかけるも、呼びかけに応じた部下がいないのだ。エントランスにいる皇帝派はアリシエとリアンの二人だけ。その現実に妙な胸騒ぎを感じる。


(敵が潜り込んでる可能性もあるじゃん、これ)


 大剣を振り回しながらもその頭は必死に動いていた。リアンの大剣は「斬」ではなく「打」に特化したものだ。その巨大な刀身で攻撃を防ぎ、敵の身体を床や壁に押し付けることで骨を砕く。


 大人数相手に戦っているというのに、リアンの身体には傷がない。これは盾として扱っている大剣が巨大であることと、リアンの体捌きが絶妙だからである。しかし扱っている大剣は重く、どんなに体捌きが上手い者でも動きに隙が生じてしまう。敵がアリシエだけを狙っているから、隙を突かれずに済んでいた。


 味方であるはずの武芸者達が誰一人降りてこない。このことは、既に上階に敵が侵入している可能性が高いことを示している。味方の中に敵がいる可能性も否定出来ない。もしそうであれば、このままエントランスで戦い続けても意味が無い。


 迷いを振り切るかのように大剣を勢いよく横に凪ぎ、武芸者達を牽制。リアンの攻撃に武芸者達が後退りをした瞬間に、アリシエに近寄る。赤い双眸そうぼうで敵をにらみつけると、アリシエの耳に口を寄せて言葉を紡ぐ。


「上に向かえ。嫌な予感がするじゃん」

「え?」

「ここは俺が死ぬ気で引き止めるじゃん。だから、ダン様を頼むじゃん。テミンと海亞しかいないから心配だし」

「……わかった。僕、虹牙とダン様、守る」


 リアンからダン達が待機する部屋へ向かうように言われると、アリシエはすぐさま動き出した。リアンが大剣を構えることで敵を威圧し、武芸者達を尻込みさせる。その隙に、持ち前の瞬発力でエントランス奥にある螺旋らせん階段へと駆け寄った。刀を鞘に納めると、段を踏み外さないようにと手すりを掴み、大きな音を立てて階段を駆け上がる。


 やがて、アリシエの姿は上階へと消えていった。それを確認したリアンは、大きく息を吐く。大剣を握る手に自然と力が入る。筋肉がそれまで以上に隆起したせいか、身体が一回り大きくなったような印象を受ける。明らかな見た目の変化に、皇太子派の武芸者達は警戒の色を強めた。


(そんじゃ、心置き無く戦うとするじゃん)


 赤い目が飢えた狼のように敵を見定める。残っている敵の数は十人前後。足元には戦闘不能に陥った武芸者が少なくとも十人以上転がっている。それを確認した直後に、リアンは獲物を狩るべく動き出す。その日一番の速さで、背丈とそう変わらない長さを誇る大剣が横に振られた。

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