間話3

番外編5 金の決意

番外編5-1 ただ一人のために

 幼い頃から身体が強くなかった。戦闘貴族当主の一人息子なのに、身体は弱くて頭脳ばかりに長けていた。そのせいで僕は早くに武芸者になることを諦めた。武芸の道を早々に諦めたんだ。


 重い武器は持てないから、軽くて細い短めの長剣か短剣しか扱えなかった。意地でも剣を手に取ったのは、僕の我儘だが。すぐに体力が無くなるから長くは戦えない。病弱で、些細なことで風邪を引いて寝込む。それが僕だった。


 それでも一度諦めた武芸者としての道を再び志したのは。戦闘貴族当主として非力でも戦うことを選んだのは、銀牙ぎんがのためだ。昔銀牙の巻き込まれたある事件がその始まりだった。




 銀牙と僕は従兄弟だ。でも本当の兄弟のように一緒に育った。だからなのか、僕の中では銀牙もアルも神威かむいも、肌の色に関係なく瞳に映る民は皆平等だった。でもそれは、ハベルトやこの世界では普通ではなかったんだ。


 いつだったか忘れてしまったけど、銀牙が一週間も帰ってこない時があった。一人で屋敷の外に抜け出してラクイアの町に向かったみたいで。すぐに父様と水牙すいが伯父さんが探しに向かった。


 ラクイアは暁家が統治している。でも、だからといって人種差別が無いわけではなくて。見た目だけで判断されたら黄色人種イエローと間違われる。そんな銀牙が一人でラクイアの町に出たら何が起きるか、想像するのは容易だった。


「お前は大人しくしていなさい。戦えないだろう?」

「父様! 銀牙は僕の大切な――」

「言い方を変えよう。まともに戦えないお前がいるとだ。相手は本物の犯罪者だ。下手にお前が来れば、死ぬのは金牙きんがの方なんだよ」


 銀牙のために何かしたい。そう思っても父様に反対された。僕は身体が弱いから、戦力外だから。理由は納得出来るけど、そう簡単に諦めたくなくて。涙をこぼさないようにするのが精一杯だった。


 初めて身体の弱い自分を呪った。初めて、頭脳しか取り柄のないことを恨んだ。だって、どんなに頭が良くたって、大切な家族一人救えないなら無意味じゃないか。僕には、家族一人助けるだけの力も実力も地位もない。それを痛いほど感じて、悔しかった。


「ごめんな、金牙、強く産んでやれなくてごめん。でも、お前の身体は武芸にだ。だから、屋敷で大人しく待っていてほしい。銀牙を見つけるまでの間、屋敷の留守は任せるから」


 謝ろうと付け加えた父様の言葉は僕に追い打ちをかけた。こうもはっきりと武芸に向いてないと言われたのは、役に立たないと暗に示されたのは、この時が初めてだったな。





 留守の間僕に任されたのは簡単な書類と、屋敷の管理。使用人は僕が命じた通りに契約通りに働く。母様と伯母さんは怪我して帰るかもしれない父様達のためにと治療の準備をしていたっけ。他の戦闘員が屋敷の護衛を担当してくれた。


 でも、銀牙は数日で見つからなくて。父様達が焦るのと、屋敷内の雰囲気が険悪になるのを感じ始めた。だから僕はふと、閃いたんだ。


「銀牙は、いつものドーナツ屋にしか行けないはずだ。そこで何かがあって町をさ迷ってる間に誘拐されたとしたら? 闇雲やみくもに探すんじゃなくて人に話を聞くべきだ」

「人に話して解決するなら、誰も困らないよ。有色人種カラードってだけで、嫌われる。尋ねたところで嘘を吐かれるだろうね。それにしても……ドーナツ屋、か。そういえば銀牙、いつも帰る時にドーナツをねだってたっけ」


 父様の言葉は衝撃的だった。僕はこの時、人種差別を甘く見ていたんだ。差別は頑張れば無くせると思ってた。でも、ハベルトに色濃く残る人種差別は、そんな甘いものじゃなかったんだ。


 有色人種だから、何があったかを聞いても教えてもらえない。きっと、何か事件に巻き込まれても見て見ぬふりされる。それを、父様の言葉で初めて実感した。


「あの日の朝、ドーナツを買いたいって言ってた。父様達が忙しいからって行けなくなったけど。もしドーナツ屋が父様達が不在だからってドーナツを売らなかったら? その帰り道に、事件に巻き込まれたら?」

「……ねぇ、水牙。僕達、路地裏とかばっかり探してたよね。よく考えたら銀牙の場合、犯罪に巻き込まれてもみんな見て見ぬふりをする。どうして今まで忘れてたんだろ」


 つい黙っていられなくて思ったことを言った。それだけなのに父様は何か閃いたみたいで。もうすぐ空が暗くなるのに、急いで商店街に向かって行った。


 銀牙が見つかったのはそれから二日後のこと。でも、戻ってきた銀牙はすっかりになっていた――。





 それまでの銀牙は僕のことを「金牙」とだった。僕に敬語を使わなかったし、遠慮もしなかった。有色人種であることを気にしたこともなかった。なのに、なのに……。


「金牙、ただいま帰りました」

「おい、銀牙。お前、どうした? 敬語とかやめろよ。なぁ、何が――」

「僕は! 僕は、生きている価値のない人間ですので。金牙様、お願いです。僕を、殺してください」


 帰ってきて最初の言葉はで「金牙様」呼びだった。二言目は変なことをいってから「殺してください」だった。それでも無言でいたら、おもむろに僕の腰から短剣を引き抜いて首にあてがう。


 慌てて止めようとしたけど、既に銀牙は短剣を動かしていて。うっすら血がにじんだところでようやく、父様が銀牙から力づくで短剣を取り上げる。銀牙は、おかしくなって帰ってきたんだ。


 銀牙は伯母さんと一緒に部屋に行くことになって。僕は父様と水牙伯父さんから話を聞くことになった。銀牙に何が起きたのか、知る必要があった。


監禁かんきんされてた。話を聞く限りだと酷いことを言われ、酷いことをされてたみたいだね。殺害目的じゃなくて銀牙を壊すのが目的だったみたいで」

「あんな目にあったら、誰でも死にたくなる。口にするのもおぞましい。とりあえず、今後は俺が、銀牙が死なないように見張る。しばらくすれば落ち着くだろうから」


 父様も水牙伯父さんも、肝心な「どんなこと」をされたかは教えてくれなかった。逆に言えば教えられないようなことをされた、ということになる。


 銀牙はただ、ドーナツを買いたかっただけだ。なのにどうしてこんな目に遭わなければいけないんだ。人種差別が憎い。どす黒い感情が胸の中に現れたのを感じた。





 銀牙は帰ってきた日から何度も何度も、隙があれば自殺しようとした。僕や父様や水牙伯父さんに「お願いだから殺してください」と懇願こんがんすることもあった。銀牙をここまで変えた犯人がただただ憎かった。


 犯人を殺したい。そう思ったのはこの時が初めてだ。生きて刑に服するんじゃ。ギリギリまで痛めつけて、絶望させてから殺したい。そう願って、悲しくなる。


 僕は身体が弱いから戦えない。犯人を殺すことなんて夢のまた夢。それでもなんとかしたくて、銀牙の心が回復する前に父様の書斎を訪れたんだ。


「父様、僕にもう一度武芸を習わせてください」

「それ。自分の身体が人より弱いとわかった上で言ってる?」

「うん。弱くてもいい。もう、何も出来ずに手をこまねいて見てるのは嫌なんだ。信頼出来る武芸者に戦闘を任せるまで、僕は当主として戦いたい」


 弱いなら弱いなりに戦い方を考えればいい。なにより、そうでもして戦えるようにならなきゃ銀牙を救えない。そう思った。


「ねぇ、金牙。お前はなんで戦おうと思ったの?」

「……人種差別を減らしたい。時間がかかってもいいから、銀牙が安心して一人で出歩ける国にしたい。そのためには、僕が強くなる必要がある。そう考えた」


 僕の言葉に父様がクスリと笑う。馬鹿にされてると、すぐにわかった。差別を無くしたいんじゃなくて減らしたい。銀牙が安心して出歩ける世界になれば、それでいい。それだけなのになぜ、笑うんだろう。


「それを実現するにはたくさんの苦悩があると思う。すぐには実現出来ない。長年で築かれた人の価値観はそんなすぐには変わらない。無くなったところで、今度は別の差別が生まれるだろうね。それでも、戦う覚悟は出来てる?」

「それで銀牙を助けられるのなら。昔みたいに、銀牙と二人で笑い合えるなら。そのためなら僕は、どんなことでもする」


 もう銀牙みたいな人が出て欲しくない。好き嫌いを変えることは出来ないかもしれない。でも、それを理由に生活を害されたり狙われたり、そういうことは変えられると思ったんだ。


 差別は好き嫌いによるものだ。なら、行動の基準を変えよう。好き嫌いがあっても最低限の意思疎通をしてほしい。嫌いだからという理由だけで人権まで奪ってはいけないんだ。


 そんな決意をしたのは、九歳の頃のこと。きっと銀牙の一件がなかったらここまで変わらなかった。無知ほど恐ろしいことはないと、身を持って知った。この時の考えも、今思えばまだ甘かったんだが。

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